消費減税って失業者にはあんまり意味がないよね

消費税の減税を「コロナ対策下の適切な経済政策」のように唱えている人は随分いるけど、なんだか的を外してる気がしてる。

消費税減税が効くのは購買意欲に対してだ。ところが今後の推移を考えると、購買意欲の有無に関わらず、最低限の消費しかできない人が多数出る。なんの落ち度もない人たちが不幸になることを防ぐために社会システムはあるので、これは救済すべきだ。また社会不安はコロナ対策を失敗に追い込みかねない。

この状況に対処できる政策が必要であり、それはベーシックインカムだよね。というのがこのエントリの趣旨である。消費減税どこいった、という感じだけど、書いてたらこうなった。

COVID-19対策の影響

コロナウイルス疾患COVID-19には、医療崩壊を非常に招きやすいという危険性があり、現在有効な対策は封じ込めのみである。

この状況は、a. 治療薬またはワクチンができるか、b. 重症患者を治療できる医療資源が飛躍的に増えるかしない限り、集団免疫が獲得できるまで続く。

医療崩壊を起こさない感染数では、集団免疫の獲得に非常に時間がかかるので、実質的には治療薬やワクチンができるまで封じ込め策を続ける必要がある。期間は早くて1年半以上が見込まれている。

封じ込め策は産業に大きな影響を与える。1年以上続く封鎖は観光や旅客運輸セクターを壊滅する。興行は費用構造が悪化する。産業構造で言えば、一次産業には小さな影響しかないが、二次産業は需要低下によって甚大な被害を被る。三次産業はまちまちで、ここには通販、物流など業績が上向くことが期待されるセクターもある。

資産価値の毀損も甚大になる。業績不振による株価低迷、商品相場低迷によって高レバレッジファンドが破綻し始めている。これに端を発する信用収縮の影響は甚大である。また不動産については、テナント撤退による利回り価値の低下も深刻になることが予想される。堅実なのはゴールドくらいであろうか。

ライフスタイルは変わる。これほど長期にわたって生活が変化すると、その少なくとも一部が社会に定着する。特に社会の不合理によって普及が妨げられていた生産性向上策(リモートワークなど)は、コロナ対策が終わっても元には戻らない。

個人に対する影響は大きい。まず産業が破壊されるため、多数の失業者が出る。これは既に観光バス運転手の大量失業といった形で実現してしまっているが、労働需要そのものが減少するため、社会に広く広がるものと予想される。

社会不安は大きい。失業、生活不安、感染不安、移動の不自由はすべてストレスを増大させる。しかも出口はなかなか見えない。

これはコロナ対策を失敗しやすくする。自暴自棄に出歩く「無敵の人」は一定の割合で出現するだろう。そこまで行かずとも、社会にうっすらと悪意を持つ人の数は増えるだろう。これはストレスに対する正常な反応であるからだ。そもそも悪意がなくとも、長期間のストレスに耐えられなくなる人は多数出るだろう。ところがコロナ対策に重要なのは、社会のすみずみまでの協力である。対策なしにうまくいくとは考えにくい。

経済政策は、上記のすべて、あるいは可能な限り多くの項目に対処できるのが望ましい。

消費減税の効果

収入を奪われ、先行きも見えない人が、消費税分が割引かれたくらいで物を買うようにはなるとは考えにくい。むしろ消費を常に最小限に抑え、少しでも余裕があれば貯金するという行動が自然になる。

つまり消費行動の大きな部分について、消費減税は意味を持たない。

仕事の激減が常識となると、消費減税で消費を増やすことができるのは、すでに財を成した者だけだ。人里離れた田舎の別荘や、東京在住者の自家用車所有は増大するだろう。税収がある程度補われることが期待できるだろう。

しかしこれは産業全体にとって、非常に小さな意味しかない。

消費減税がいま社会に必要なこととは思えない。

他の政策は?

生活を成り立たせるだけなら、生活保護の拡充も有効だろう。たとえば申請を簡単にしておくとよいかもしれない。

しかし生活保護をメインの経済対策に据えることはできない。これは大部分の人には使いにくく、事務コストも大きく、産業変化のポジティブな面を損なうことが予想されるからだ。

生活保護は裁量が大きく、減額されることが多い。収入があればその分を差し引かれるだけではない。予想外の基準を適用されることで必要な行動がとれなくなる話もよくあるのだ(進学・奨学金などでよく聞く)。

社会的に低く見られる面もあるため、忌避感も強い。生活保護の利用者が減るのは良いことだと考える者もあるが、需要を追加するための経済政策の執行規模が小さくなるのだから、これは悪いことである。

また、労働への逆インセンティブも大きい。収入分は差し引かれるので、働かない方が得なのだ。

産業構造が変化するなら局所的には労働需要が生ずるものだが、この逆インセンティブがあると、新産業への労働移転を減らしてしまう。これは新産業の生産性に悪影響を及ぼす。

そして事務コストの大きさの影響も無視できない。過剰な事務コストは、日本では「自治体公務員の過労」という形で出る。ただでさえ足りない現場の余力を取られるのは望ましくない。

生活保護はコロナ下で失業が大きく増えた場合にも経済政策の柱にはなりえないだろう。全体的に筋が悪いのだ。

 

経済対策として必要なのは、まず第一に生活が成り立つようにすることだ。しかしそれだけではなく、先行きの不安をなくすことも必要だ。人間は心が出した予想で動くものであり、先行きに不安がなければ今を平穏に過ごすことができるからだ。

やっぱベーシックインカムだよね 

この状況にもっともよくフィットする経済政策はベーシックインカムである。

ベーシックインカムは、最低限の生活費を全員に支給する政策だ。実装方法はいろいろ考えられているが、オレは給付付き税額控除(負の所得税)が良いだろうと考えている。これは一定額を給付しつつ、所得税の計算においてはこの額を収入に合算する、というものだ。このようにすると、非課税世帯には給付額の100%を、課税世帯では所得税率を減じた額を給付するのと同じ効果がある。(フリードマンが最初に提唱したアイディアは固定所得税率と併用した給付だが、ここでは累進課税を維持したバージョンを使う。)

ベーシックインカムには次のような作用がある:

  1. 最低限の生活が成り立つ
  2. 収入が絶える心配がなくなる
  3. 以上を労働意欲を削がずに達成する

まさに生活の保証と先行き不安の解消に効いてる上に、産業の変化を後押しするではないか。

 

1.は社会不安によく効く。鬱に一番よく効く薬は現金だ、といわれるくらい、生活資金の不安は心に悪い。これを緩和することは、社会の活力を保ち、犯罪率を下げるのに非常に有効だろう。

また、現金を補って社会を明るくすることは、防疫措置としても有効である。感染爆発を防ぐには長い封鎖が必要だが、人間の普通の心はこれに耐えられない。

この封じ込めが成功するには、社会の広い協力が欠かせない。「国は何もしてくれない」と思う人が出ては駄目で、全員に「あなたを見捨てませんよ」というメッセージを出す必要がある(もちろん「メッセージを出す」とは口だけで良さげなことを言うことではなく、行動でその意志を伝えることを指す)。

お金を配ることは、不安を取り除くだけでなく、協力を促す強いメッセージになる。

コロナ対策の成否を金銭的価値に換算することは容易ではないが、リスク学は損失余命に換算することでリスクを定量化し、比較することを可能にしている。

リスク学分野の長老、中西準子氏の『環境リスク論』(1995年岩波書店)ではこれを水銀リスクの排除を例に取って論じているが、カセイソーダ製造工程のそれ(がん等量1人あたり200億円)と乾電池のそれ(同2.5億円)を比較し、「大体今のわが国の環境対策として妥当なレベルは、一発がんリスク等量削減の費用が数億円以下ということになろう。」としている。ここで「がん等量」とは、10年間の余命損失を指す言葉である。

新コロナウィルスの重症リスク、死亡リスク、人口に占める割合はすべて高齢者が大きいので、死者を高齢者(死亡時の損失余命平均15年、人口に対する割合0.5)、中年者(損失余命平均35年、人口に対する割合0.4)、若年者(損失余命平均55年、人口に対する割合0.1)と仮に重み付けしてみると、全体の平均損失余命は27年、がん等量の2.7倍である。妥当とされる「数億円(時代が進んだことによる命の価値の増加は考慮しないものとしている)」を、安く済んだ乾電池の1人等量2.5億円より少しおおきく3億円で代表すると、新コロナウィルスにおける1人あたりの妥当な対策費用は、3x2.7=8.1億円ということになる。

というわけで、コロナ対策の成否にたとえば10万人の追加死亡がかかっているとした場合、妥当な対策費用は 10万 x 8.1億 = 81兆円 である。人口あたりで見ると、各国の対策規模はこれより大きいが、この規模の対策が妥当と考えられていることに得心が行く。

 

2.の「収入が絶える心配がなくなる」は、1.の生活保証の効果を増強する。また、産業振興の文脈が持たせられる。

これは、収入の見通しがついていれば、貯金を使い切ってもよいことを納得できることによる。不要不急なもの、あるいは、不要不急とされているが実は不可欠なものに、お金が使えるのだ。

FORTUNE500の経時変化を紐解くまでもなく、21世紀は不要不急こそが主要産業だ。数年間の防疫のために、これを潰すことがあってはならない。

生活不安のあるとき、癒やしはもっとも必要でありながら、もっとも諦められやすいものだ。収入が保証されていれば、癒やしにお金を使うこともできる。心の安定に大きな効果があるだろう。

それだけではない。先行きの保証があれば、個人のクリエーターも安心して自分の世界に打ち込むことができるようになる。これは将来に渡って大きな財産になるだろう。

生活の見通しが立っていれば需要にも供給にも良い影響をもたらす、ということだ。

 

3.の逆インセンティブ防止は、ちょっとわかりにくいかもしれない。これは追加の収入にあっても、実質給付がほとんど減らないことによる。(額面給付に至っては収入に関わらず一定だ。)

No.2260 所得税の税率|所得税|国税庁 によると、所得区分ごとの所得税率は以下の通りである:

所得税の速算表
課税される所得金額 税率 控除額
195万円以下 5% 0円
195万円を超え 330万円以下 10% 97,500円
330万円を超え 695万円以下 20% 427,500円
695万円を超え 900万円以下 23% 636,000円
900万円を超え 1,800万円以下 33% 1,536,000円
1,800万円を超え4,000万円以下 40% 2,796,000円
4,000万円超 45% 4,796,000円

これは控除後の所得による表なので、ベーシックインカムがあればそのまま加えることができる。

まず表にはないが、収入が103万円以下であれば非課税となるので、60万円を差し引いた43万円以下の年収しかない人は60万円をそのまま受け取ることになる。

所得が4000万円超であれば、所得の4000万円を超える部分に対して45%の税率が課される。60万円の給付は55%である33万円と同じことだ。ここまでは簡単だろう。

それでは収入が増える場合を考えてみよう。

所得110万円の人が60万円の給付を受けて所得170万円になるとき、そこにかかる税率は5%なので、実質的には57万円の給付を受けたことになる。

この人が翌年に収入を増やし、150万円の所得があったとする。増えた収入は40万円。給付の60万円を足し合わせた合計額は210万円だ。この場合、給付のうち45万円分には税率5%が、15万円には10%が適用される。すなわち実質給付は45*0.95+15*0.9=42.75+13.5=56.25万円の給付だ。実質の給付は7500円減るだけである(額面の給付は60万円のままだ)。

これはもっと大きな変化でも、小さな変化でも同じだ。実質給付額は逓減するが、収入を増やす努力は常に正しく収入を増やす。これなら労働意欲をくじくことがない。

労働に対する逆インセンティブがないことは生活保護に対する大きなアドバンテージである。新規の労働が給付を大きく減らすことがないので、労働市場への副作用を小さくしてくれるのだ。また、「生活を保証すると怠ける」などといった声に反論することもできる。

バラ色?

ベーシックインカムと同じくらい優れた副作用を持つ予算措置をオレは知らない。減税よりも、生活保護よりも、もちろん株価の維持よりも、ずっと有効だと思う。

もちろん、この政策のコストは巨大である。国民一人当たり年間60万円を支払えば、年間75兆円くらいかかる。コロナ対策には81兆円以上の支出が妥当であるとしても、丹念では意味がない。収入見通しを明るくしないベーシックインカムは、あまりお得ではないかもしれないのだ。また、年金などの社会保障制度を統合するなどの案はすべて強烈な反対を受けるだろう。苦難の道だ。

しかし今回の新コロナ防疫は社会を変える。コストはいずれにしてもかかるし、小出しに逐次投入すれば、あっというまに数百億になるだろう。

オレはベーシックインカムが一番合理的だと思う。賛同者が増えることを期待したい。