正しい給付とは

4月3日、ついに現金給付の枠組みが決まったようだ。

現金給付、1世帯30万円に 対象は月収で絞り込み :日本経済新聞

あかん。これじゃあ死者がいっぱい出る。

もちろん、金額を30万円としたのは、当初の10万円などと比べると、かなりの改善だ。1ヶ月くらいは安心できるだろう。
しかし給付条件を絞ったこと、給付の枠組みを作りにいかなかったこと、定期給付にしなかったことは失敗であり、今後に枷となるだろう。

それぞれ何が起きるか見てみよう。

給付条件を絞ったこと

支給対象とする月収の水準について、政府は夫婦2人の世帯の場合、25万円未満とする案などを与党側と調整している。

生活資金がかさむ子育て世帯は子供の人数に応じて基準を緩め、生活資金が少なくても暮らせる単身の場合は厳しくする。子供1人あたりの増減額は与党と今後詰める。

新型コロナを原因とする所得減について政府側が判断するのは難しいため、市町村の窓口への自己申告制とする。収入減少を証明する書類を提出すれば原則支給を認める方向だ。給付金は特例措置として非課税とする。

給付条件を絞ったデメリットは2つある。1つは事務コストが大きくなること。もう1つは給付された人とされない人の間に分断を生むことだ。

まずは事務コスト。所得条件を絞り、人数基準を作り、増減額を調整し、収入減少を証明する書類を求め…アホかってレベルの精密さだ。

これにまつわる事務コストは誰が払うと思っているのか。

官僚が事務コストに無頓着なのはいまに始まったことではない。彼らはしばしば全国アンケートを取る。県レベルに取りまとめを依頼する。基準をちょっとだけ変更する。

国民の方もあまりわかってないと思う。「事務コスト事務コストと言うが、計算はシステムでやるんだから大したことないだろ」と思ってる方も多そうだ。どうかすると、「申請者がちょっと電卓叩くだけでは?」などと考えてる方もいるかもしれない。

しかし日本における事務コストとは、基礎自治体で、末端職員が、命で支払うものなのだ。

初等中等教育においては、官僚の出した「簡単なアンケート調査」は、教師が放課後に処理しなければならない事務仕事となって降ってくる。残業代も出ない彼らがOECD最長の勤務時間に悩まされる二大要因の片方が事務仕事だ(もう片方は部活)。先生方のブラック労働を知らない方は居るまいが、あれは官僚が事務コストに無頓着だから起きているのである。

そして今回のように、給付を自己申告制にして細かい基準を作った場合には、もっとひどいことが起きる。現場レベルに「間違った書類を上げてはならない」という了解が生まれるのだ。

現場での書類チェック体制というのは、もともとはごく簡単なミスを防ぐことで、上流レベルでのチェックに負担をかけず、利用者にも速いレスポンスが返せるという優れた仕組みであったのだろう。

ところが、どこまでチェックするべきか、というのは時代によって変化する。80年代に役所と書類のやり取りをした方は、窓口でのチェックがほとんど行われていなかったことを覚えているだろう。名前住所の確認程度で申請した書類が、後日に不備によって戻された経験をお持ちの方も多いはずだ。

しかし現代の自治体では、提出「前」に窓口の手前にいる職員に見てもらい、完璧な書類しか出させてもらえないのが普通だ。

ここに今回のような給付事務がふってきたらどうなるか。

あいまいな基準に対して完璧な書類を求められるのである。それも、誰がウイルスを持ってるかわからない環境の中で。

基準が曖昧であれば、1人の処理にどれだけ時間がかかるかわからない。隣に座ってウィルスだらけの書類を繰り、電卓叩いて確認し、不備を指摘されて怒る申請者に平謝りさせられる。そのストレスのコストは?

そもそもどれだけの人数が来るかもわからない。それでも相当な数になることだけは確かだ。

現場が持つとは思えない。彼らは次々に消えていくだろう。過労かウイルスか辞職によって。

この巨大なコストは戦略的な間違いによって生じる。規模の大きい施策は絶対に簡素であるべきなのだ。

 

給付された者とされなかった者の間の分断も、かなりの悪影響を及ぼす。

今回のような広い給付を選択的に行った場合、給付を受けなかった世帯には"上流階級バイアス"が生じる。これはわかりやすく言えば、高級車に乗ると運転が荒くなる効果だ。

生活に余裕のある家庭も、普段はそのことを意識しないものだ。『東大生は自分のことを貧乏だと思ってる』という匿名ダイアリーがあったが、こうした家庭は自己認識からしてこういうものであり、自分たちに余裕があるとは思っていない。

こうした家庭は、特に地方の地域社会では、成績の良い子を持つ優秀な家として一定の規範の手本となっている。これも意識されていないことである。

ところが給付について、受ける、受けないが生ずれば、「自分たちは受けなかった側である」ということを意識しないではいられない。優秀なご家庭のモラルが低下するのだ。

今回のような全員参加の長期持久において、これはどれだけの悪影響を及ぼすだろうか。

給付を受ける側にもデメリットが有る。

たとえば、日本は嫉妬が恥ずかしい感情とされていない国なわけだが(これはとても恥ずかしいことだ)、学校などで「30万円もらったと噂される家の子」が出た場合、どんな雰囲気になるか想像できないだろうか。これは望ましいことではないだろう。

そしてこうした扱いを回避するために、必要なのに貰わない、という選択をする家庭が出るとすれば、政策の効果が減衰してしまう。

政府が給付金を「節約」するために対象を絞ろうとすれば、節約した金額以上に政策の効果が減ってしまう。給付は全員に行うべきなのだ。

自治体職員の命を犠牲に、政府の出せる限界まで配った挙げ句、効果が小さく封じ込めまで失敗するのでは踏んだり蹴ったり煮たり焼いたりだ。

 

枠組みを作りにいかなかったこと

これも事務コストの問題である。

決まった額のお金を、全員に、定期的に配るなら、お金を電子的に送りつける仕組みが必要になる。これは口座番号の登録でもいいし、「個人番号カードを入れるとお金が出る」というアイディアがあったが、そうした簡素な方法が取れるなら、その方がいいだろう。

これには事務コストがかかるが、1度仕組みを作ってしまえば、あとはいつでも全員に、お金が配れるようになる。

ところが「一度限りの支給」で「対象者の申請時点の状態」によって絞るとなると、そこで支払った事務コストは1度きりしか使えない。

立法、予算措置、現場での選別、申請者の書類書きといったすべての努力が使い捨てになるのである。

先が見えないコロナ対策だけではない。先が見えない経済停滞・低成長と職業消滅と格差拡大の時代である。お金を配るシステムは必ず必要になる。

今回のような非常の必要時に作らなかったら、いつ作れるようになるのだろうか。

 

定期給付にしなかったこと

これは将来の見通しに効いてくる部分である。見通しは生活の保証と景気の下支えと、市場を通した経済の健全な発展に関わる。

条件を絞ったワンショットの給付だと、「もらえたのはラッキー」であり、食い延ばすことを考えなければならない。まずは貯金だ。

ところが定額を定期的に全員に配布し、その制度が長く続くことを保証すれば、そのお金は「使っていいもの」になる。これが大きい。

月に決まった額が入ってくると期待できる状況は行動の自由を生む。再開の見通しのつかない仕事にしがみつく必要がなければ、新しい仕事に移るのが楽になる。

供給側のメリットも大きい。購買のハードルが下がるからだ。いわば全産業に出された補助金のようなものである。

競争力のある商品を作り、新しい産業を成立させるには、効率的市場(に近いもの)が成立しており、その中で競争が行われ、自分の選択で購買する数多くの主体が必要だ。

つまり、需要側の精度においては個人単位の選択が一番優れたものとなる。

逆に決まった商品にのみ補助金が出るような形を取れば、補助金がもらえない業界は選択される機会がそのものが減ってしまう。市場が歪むのだ。

使っていいお金を配り、全員に自分の責任で選択してもらうことで、「不要不急」の産業を自動的に、競争力を損なわずに生かしておくことができる。

これはコロナ後の世界の国際競争に確実に必要になる。一度殺してから再生するよりずっと楽だ。

 

その他

給付金は特例措置として非課税とする。

これも余計ですよね。給付が十分にあれば経済は回るし、税も取れるというのに。

給付を収入源の補償とするなら、一律で配っておいて、来年の申告書式に定額をプラスする欄を1個作るだけでよい。税率の調整は必要になるが、この部分の事務コストは計算機処理できる。窓口職員が命で払う必要はない。

消費税も取れる。むしろ拡充しても良いくらいだ。

消費税というのは、単独では逆進性の高い税であり、また日本ではやらずぶったくりの運用がなされているので、庶民にはなんのメリットもない税だと認識されている。

ところが、消費税の実質的な負担を決める消費性向は、所得によっておおむね決まっている。消費額もだいたい決まっている。一般に低所得ほど消費性向が高く、高所得ほど消費額そのものが多いのだ。

これによる逆進性は、一律の給付と所得税の調整によって綺麗に相殺できる。消費税は本来このように運用すべきものなのだ。

そうなれば、景気動向や所得把握に依存しないという間接税のメリットが生きてくる。

給付とセットの消費税であれば増税に賛成なくらいである。


前から言ってる通り、ベーシックインカムにすれば、最小限の事務コストで、収入減をきちんと補える。

今回の措置の額と枠組みでは1回限りの給付であり、今後の見通しが利かない。収入予測に効いてこないので社会不安は減らない。分断も出る。事務コストも使い捨てで、対策失敗の原因にもなりかねない。競争力の維持も景気の下支えもできない。次の施策の自由も減る。

もっと低額を一律で毎月配り続けるべきなのだ。消費税含め減税はする必要ない。変えないで済むところは変えないべきである。

いま行動を変えてほしいのは膨大な庶民なのだ。配るべきは「安心」ではないだろうか。