都市部以外の電力インフラは最初からソーラー+バッテリーにすれば激安で強靭だよ

能登の震災では田舎の災害における政府の頼りにならなさが強烈に印象付けられた。ヘリさえなかなか飛ばしてくれず、災害後72時間で助けられた人たちを見殺しにした。インフラも復旧したくないから住むのをやめなさいという。

しかし能登の震災でもうひとつ印象付けられたことがある。人間は住む場所を変えたくないということだ。これは特に年寄りに言えるんだけど、被災して生活の場が破壊されても住み替えたいという人はほとんどいない。

東北の震災のとき、オレは早手回しに「これは撤退していくしかないな」と思ったものだけど、実際には破壊された町や村は復旧され、巨大な堤防を築いてまで人は元の場所に戻っていった。なんたる浪費と思いつつ、行って自分の目で見てみれば、それが幸福を求める必要な行為であることがよくわかる。納得せざるを得ない。それが能登でも確認されつつある。

おそらくこれは生物としてのヒトの性質であり、慣れ親しんだ場所で死ぬまで暮らすのが「普通」なんだと思う。実際年を取ってから住み替えると統計的には死亡リスクが上がる。

とはいうものの、従来のインフラというのは結構高価だ。水道や電気や道路には大きな設備投資が必要。今後の人口密度では新規敷設(復旧)は元が取れる見込みがなく、元が取れないということはスケールさせられない。スタンダードにできない。日本は災害の多い国であり、7割の地域は僻地か今後僻地になる。災害の7割が人口の5%の地域で起きるとして、そこに人口の95%がある3割の地域と同じように再投資できるだろうか。田舎で起きる災害に対する標準対応は変わらざるを得ない(数字はざっくりです)。

ここでオレの十年前と同じ「撤退しよう」という意見がいまの(災害を受けてない)多数派の考えで、自民党に限らずリベラルな人でもだいたいそんな話をするようになっている。

でもね、生物としてのヒト、を無視して幸福は得られない。人間には新しい脳と古い脳が、すなわち論理と感情があり、感情に反することを論理で決めてむりやり実行し続けると不幸になる。家族の方針を子供に決めさせることはできないが、子供の意見を無視すれば不幸になるのと同じ。

オレは現代技術を使えば折衷案が出せると思う。つまり、激安にするということだ。巨大な予算を動かすには広い同意が必要だけど、個人レベルで得することなら勝手に進んでいく。政府に必要なのは邪魔をしないことだけ。

  • ポケットマネーで可能なインフラ整備を
  • ペイする形でおこなう

ということである。

いままでの形のインフラの「復旧」はしない。維持も諦める。要するにそちらには投資しない。でも新しくて安価なインフラ整備の方法として、ソーラーパネルやバッテリーを買う補助金を出す(補助金なしでもペイするけど、政府がメッセージを出すべき)。井戸も推奨する(海岸の近くでは海水淡水化もいいかもしれない。パネルを有り余るほど敷けば海水淡水化の隘路であるエネルギーは問題がなくなる)。

個人の力、という現代最高のパワーを使ってもらうわけだ。

エネルギーと水の問題がおおむね解決すれば、あとは「安い土木技術」だと思う。能登の隆起海岸の漁港の復旧とか、ふつうにやったらお金がいくらあっても足りなそう。これをどうにかする方法はいまんとこ思いつかないんだけど、人力よりは楽で安価な方法がどうにかならないかと思う。ここでもエネルギーを無駄遣いして安くする方法なら取れるかな。

災害の有無に関わらず、田舎の人であれば安価なオフグリッド態勢を整えておくべきだと思う。

現状で電気が来てるなら少量の導入でいい。セミフグリッドだ。ソーラーパネル1kWに1kWhのポタ電が1個あれば、生活はかなり安定する。水道の寸断があったとしても、このくらいのやつは出力も大きいから井戸のポンプが安心して動かせる。各世帯で備えておけば地域としては非常に強靭になる。

しかもこれは常用することで電気代が大幅に削減されるので数年程度で元が取れる。元が取れるということはスケールするということで、つまり各世帯で標準的に備えるのが田舎のスタンダードになる潜在力がある。

人口減少による「撤退戦」は各地で展開されるだろうけど、コンパクトシティばかりじゃ不幸が増える。僻地に楽しく住んでいられる人間はいくらでもいるので、「健康で文化的な最低限度の生活」としてエネルギーと水を安く供給し続けることを諦めないのは悪くない方法ではないか。

あと心配なのは医療かな。遠隔診療の発達とドローンによる処方薬の配布、緊急時のマルチコプター救急車があれば、かなり対応できる気がする。そしてこれらは都市でも使えるだろう。