陰謀論者を擁護する

読んだ。

gigazine.net

記事によれば、陰謀論を信じる人は:

  • ランダムなパターンから意味のある図形を見出す傾向がその他の人より高く
  • 高等教育を受けておらず
  • 批判的思考スキルが低く
  • 論理の欠陥を見つける能力が低い可能性が示されている

らしい。

…ここまでバカ呼ばわりされて、自分の信念を「陰謀論であると認める」人は居ないんじゃないかと思うんだけどね。誰得記事だw

あと、傾向としてはその通りであるにしても、例外はいくらでもいる。MIT卒でシリアルアントレプレナーのスティーブ・キルシュの、論理の欠陥を見つける能力が低いとは誰も思わないだろう。しかし彼は反ワクチン、などというところにまで行ってしまっている。

www.technologyreview.jp

思うんだけどね、こうした傾向を持つ人がこれほどたくさん居るというのはむしろ、この傾向になんらかの適応的意義があるためだと思うんだよね。

教育が低いことと論理能力が低いことは成人教育でも補えると思う。論理ってそんなに大変なものではない。後ろの3個は後天的なものなんだよね。

残ったひとつ、最初に挙げられてる、ランダムなパターンから意味のある図形を見出す傾向が高いというのは、しかのさんが『サはサイエンスのサ』で書いてた、『インフルエンザと魂かなしばりの術』の話に通じるものがある。

ところがこれは、科学について記述したものだったりする:

 科学ってのは、とりあえず、この世界を最も正確に描写できる方法だと思われているよね。でも、そのやり方は、ゲゲゲの鬼太郎の必殺技、「魂かなしばりの術」みたいなものだ。

 この術は、強すぎて鬼太郎も敵わないとか、人間に憑依していて直接攻撃できない妖怪を倒す時に使われた奇計なんだよね。

 どういうものかというと、まず鬼太郎は画家の扮装をして、倒すべき妖怪の家を訪れる。

 で、あなたは強くてかっこよくて素晴らしい、ぜひ肖像画を描かせて下さいと頼むのね。おだてられていい気になった妖怪はそれを許可。鬼太郎は、あなたの好きな色は? とか、好きな食べ物は? とか質問を一つしては紙とか石に点を打ち、点描のように肖像画を描いていく。

 ある数の点を打ち終わったとき(個数は適当みたい)、鬼太郎はその点を素早くつないで絵を完成させる。すると、妖怪の魂は、絵の中に封じ込められ、あとは紙を焼くなり石を井戸の底に投げ込んで終了〜。

 科学ってのは、まさにこんな感じで、世界に対して、実験や観測などの形で質問を投げかけ、一つずつ点を打っていく行為なんだよね。点一つだけでは、世界はほとんどわからないけど、たくさん点を打つうちに、なんとなくそれっぽい絵が浮かび上がってくる。

どんなものにもパターンを見出してしまう脳のバイアスというのは存在する。

幽霊の正体見たり枯れ尾花

というけど、ヒトのパターン認知が歪んでるのは、危険なものを避けるためにパターンを高速に検出するためのショートカットの仕組みがいっぱい組み込まれているためだ。

そしてヒトは自然界より人間社会という環境に強く適応した生物であり、この人間社会では「他に先んじる」ということが結構大事である。

パターンを見出す能力というのは、ここに効いてくるのだ。

それはたとえばサイエンス分野でもおなじことだ。あることを世界中で同時に発見した人がたとえば10人いたとしても、発見者として記載されるのは最初に論文を出した人だけである。つまり、その発見が真実だったとすれば、十分だと考えるに至る材料の数が少ないほど有利である(論文がアクセプトされるだけの説得力は必要だが)。

もっと卑近な例でいえば、この株が騰がる、という情報を掴んだ人の中で得をするのは「情報を見て」「その株が騰がる前に買った人」だけだし、ここでラーメン屋をやったら儲かる、という発想を持つだけでなく、実際に行動して投資した人だけが本当に儲かるわけ。

行動するには、なけなしの資源を投入するには、必ず確信が必要だ。

そして、商売なんかの場合、偶然が作用する領域はとても大きい。たいした材料がなかったとしても、最初に確信して投資して狂ったように働けば、そこそこの確率で成功してしまうものだ。

だから、成功するには確信能力「だけ」でいいことが多い。「確信能力」には単独で価値があるということであり、そこにはおそらく進化的バックグランドもあるのだろう。

最初の記事で出てた陰謀論者を記述する「他の人には見えないパターンを見出しやすく」「それを盲信する」という能力が、成功するのにどれほど大事か考えてみるとよい。教育レベルは相対的なものであり、受けてきた教育がふっとんでしまうようなレベルの確信を持っていてこその大成功なのだ。

たとえばスティーブ・ジョブスなんか、めちゃめちゃ良い例なんじゃないかしらね。手術で治る癌を放置して死に至ったあたりとか、面目躍如という感じ。

こうした無根拠な確信は大成功と陰謀論の両方に必要なもので、片方だけを取り出すことは、もしかしたらできないのかもしれない。確信能力が高ければ高いほど、教育レベルの高さを圧倒しやすくなるから。

年をとって陰謀論者になる人が多いというのも、遺伝的レベルで支えられてる確信能力が、大脳にむりやり載せた「教育」や「最新情報」を圧倒するからだと考えれば、無理のないことだろう。

たぶん、陰謀論を信じちゃうような人は、日常生活のありとあらゆる部分に、根拠のない確信を抱いてる。特定の陰謀論について着目した場合にのみオレらの目に付くんだけど、生活のもっと広い範囲が確信に満ちているはず。

それはなかなか幸せな生活であると思うし、そういう人が経済を回し、オレらを養っているのである。

…てなことを、オレは確信しているよ。

 

10年前の本になっちゃったけど面白くてオススメです。

本格インドカレーを10分で作る

前に書いたこれのアップデート。

kamosawa.hatenablog.com

上の記事ではタマネギを薄切りにして素揚げにしています。

しかしワタシは気付いてしまったのです。薄切りタマネギの素揚げが、中華料理に使う油葱酥(ヨウツォンスー、フライドエシャロット)にソックリであることを。

油葱酥なら冷蔵庫に常備してますよ?

f:id:kamosawa:20211117161151j:plain

油葱酥は中国の赤い小玉葱(エシャロット)を素揚げにしたもので、コクを足すのによく使われるようです。

通常は麺類やスープに入れるものとされてるんですが、ウチではそういう風に使ったことがあまりありません。ルーロー飯の肉を煮る時に入れるくらいかな。

ウチでは主としてサクサクの食感を活かして、パッタイに散らしたり、肉のサラダにのせたり、ピータン豆腐にあしらったりしています。クリスピーなのがほしいけど揚げ玉では軽すぎる場合ですね。

それで、似てるから、という理由だけでカレーのタマネギとして使ってみたんですが…結果は次を。

玉ねぎ炒めとしての油葱酥まとめ

  • 味はばっちり。ちゃんと炒めたタマネギになる。
  • ちゃんと溶ける。切り方が大きくても問題ない。
  • めちゃめちゃ膨らむ
  • 油分は少ない

です。

「玉ねぎの炒めたの」を入れるのがちょっと革命的に簡単になります。肉じゃが、豚汁、ミートソースなど、他の料理にも良いと思う。

分量は、大さじ山盛り1杯(分量としての記述は「大さじ2杯」かな)で、タマネギ1個を置き換えられる感じ。多めに入れても問題ないんで適当に。

油は普通に炒めたときよりはだいぶ少なくなります。カレーが野菜のすりおろしスープみたいになる。カレーの場合はバターを補いまくるのがウマい。

インドカレー(4人前くらい)

そんなわけで、カレーのレシピは以下のようになります。ちょう簡単。

作業時間は10分行かないかも。ニンニクと生姜をチューブにすれば、包丁とまな板もいらない。まあ、オレは両方とも生を使いますが。

  1. 人参1本の皮を剥き、生姜親指全体分くらい、ニンニク2カケくらいとともにミキサーですりおろす。セロリとか好きな野菜を足すのもよい。
  2. 中華鍋に大さじ3くらいの多めの油を入れ、シナモン、カルダモン、クミン、胡椒のホールスパイスを入れて火を付け、香りが出たら鶏のぶつ切り400gを投げ込む。
  3.  鶏がなんとなく炒まったら1.を投入、さらに油葱酥を大さじ1杯とトマト缶を1缶入れ、空いた缶1杯分の水を足して煮る。
  4. コリアンダーシード、ターメリックオールスパイス、唐辛子をパウダーでそれぞれ大さじ1くらい入れる。タイミングはわりに早めだけど、まあいつでもよい。バターもここらで入れる。
  5. そこそこ煮詰まったら塩加減して出来上がり。
  6. シナモン、カルダモン、ナツメグクローブ等の細かいパウダーをミックスしたのを作っておき、盛り付け後に上にふりかける。

f:id:kamosawa:20211116183401j:plain

毎週作ってアホみたいに食べてますが、まったく飽きません。たいがいウマい。

塩加減は、ちょっと濃すぎても野菜が吸収してくれるというか、わりに入れたと思っても案外薄かったりするので、食べながら調整するのがいいかも。

簡易版としてスパイスを省きまくることもできます。生姜、ニンニク、唐辛子、トマトくらいで最低限カレー味にはなると思うので、スパイスのない人も試してみてください。

油葱酥の入手先

スーパー便利な油葱酥ですが、普通のスーパーではなかなか見ないですよね。ウチは業務用食品店のA-Price(神戸物産)で買ってます。沖縄の業務スーパーでは買ったことがないけど、ちゃんと見てないです。

通販で買ったこともないんだけど、検索するとAmazonにも何種類も売ってますね。Amazon's Choice扱いのやつとか。

自分なら友盛貿易のこれを買うかな。

ちょっと割高めですけど、大さじ1杯でタマネギ1個と考えると激安ですから、買っても損はしないと思います。

余談だけど、これ呼び名をどうしたらいいでしょうね。中国語名の「ユウツォンスー」はピンインがないので誰にも伝わらない言葉という感じがあり、日本語的に音読みしたら「ゆそうす」だけど、これも誰にも伝わらない。「揚げタマネギ」とか「揚げ赤ねぎ」だとネギが生っぽい語感がある。「揚げネギフレーク」みたいな名前をつけちゃう方がよく伝わる感じだけど、適当な一般名詞を作ると派生的なものと区別できなくなるのが日本語の名詞の常で、そういう不正確な言葉は使いたくないなー、と思ったり。「中華揚げネギ」くらいかなあ。

音声入力環境を作った

ここのところ家のサーバーの使い方を大きく変えている。Nextcloudをインストールしたのをきっかけに、いろんなものを取り込むようにした。去年買った M 1の Mac miniはリスクが小さいのだけど、容量を食う部分をNFS にしたり、その NFS を automount するようにしたり色々忙しい。

こういうのは記録しておかないと全部忘れるので、ブログを書かなきゃいけないことをまとめてみたらすごくたくさんある。多すぎてやってらんないなー…と思ったので入力が楽になるように音声入力環境をアップデートした。

一番大きいのは、Android のリモートマウスという、勝間和代さんが使っているものを使ってみたこと。これめちゃめちゃいいですわ。

何が良いって、テキストが入る所ならどこにでも入力できるところが良い。

Google Docs にしても、Macの音声入力にしても、特定のアプリケーションや決まったタイプのテキストペインでなければ入力できなかったものが、リモートマウスだと本当にどこにでも入力することができる。

これはこのはてなブログの入力画面にも適用できるし、チャットにももの凄いスピードで入力できるので早口な人みたいになってる。自分の場合は翻訳仕事も決まったツールでやってるんだけど、これはWindowsMac では音声入力できないし、AndroidiOS にはアプリが存在しない。そういうものが全く悩みではなくなるというのはかなり大きい。

あと何気に変換精度も高い。句読点入力をしょっちゅう間違えてくれるのはまああるんだけど、それはさておき本体の精度が良い。早口で普通に喋るほど高い変換精度で変換してくれる感じがある。これはパソコンの音声入力よりも良いような気がする。

句読点の変換精度だけはまだまだ気になるけど、あとはしばしばタイムアウトして入力されなくなるのは時々困るんだけど、それ以外は全く悪くないです。大きな問題はほとんど解決された感じ。

こうなってくると細かくて気がつきにくい間違いが問題になるかもしれません。

語彙としては漢語よりも和語の方がべらぼうに変換精度が悪いので(これは日本語がそういう言語だからかも。和語が入ると同音異義語の優先順位が混乱するので、より多くのコンテキスト情報を必要とする感じ。)、漢語を多めに使って技術文書っぽく書いていく癖がついていくかもしれない。これは自分の文章の好みではないんだけど、「個性は工夫して作るものではなく標準的なものを出力しようとした結果として滲み出てくるものだ」という話もあり、文章も同じことになっていくのかもしれない。

2021/11/17注: typoをいくつか直しました。

macos Big Sur でNFSオートマウント

自分のやった作業:

/etc/auto_masterにauto_nfsを見に行くように1行書く

#

# Automounter master map

#

+auto_master # Use directory service

#/net -hosts -nobrowse,hidefromfinder,nosuid

/home auto_home -nobrowse,hidefromfinder

/Network/Servers -fstab

/- -static

これの最後に

/- auto_nfs

を追加して

#

# Automounter master map

#

+auto_master # Use directory service

#/net -hosts -nobrowse,hidefromfinder,nosuid

/home auto_home -nobrowse,hidefromfinder

/Network/Servers -fstab

/- -static

/- auto_nfs

とした。

/etc/auto_nfs を書く

新規ファイル。ボリュームひとつに1行です。

/System/Volumes/Data/../Data/Volumes/nobu         -fstype=nfs,noowners,nolockd,noresvport,hard,bg,intr,rw,tcp,nfc nfs://172.17.1.1:/nobu

この例では172.17.1.1の/nobuというディレクトリを/Volumes/nobuにオートマウントしてます。/Volumes/nobuは存在しないのでエラーになるところを相対パスを使うことで回避してるらしい…謎の黒魔術。でも動く。

automount -cv 実行で試す

設定ができていればこれでマウントされてそのことが表示されます。

-cはキャッシュのクリア、-vはverboseで詳細表示。

mimi:~ root# automount -cv

automount: /System/Volumes/Data/home updated (/home -> /System/Volumes/Data/home)

automount: /System/Volumes/Data/Volumes/nobu updated

automount: no unmounts

mimi:~ root# 

これでマウントされるなら起動時にオートマウントされるので、容量食いがちなディレクトリを逃すことができます。うちの M 1 Mac Mini はお試しなんて一番安いのに決まっとるやろと250 GB 版を買ってしまったので、非常に助かります。

NFS がちゃんと設定されていれば、非常にストレートに設定できると思います。

 

田宮虎彦『沖縄の手記から』

前回の続き。

田宮虎彦『沖縄の手記から』の載った書籍、『新潮現代文学 (22) 田宮虎彦 足摺岬,沖縄の手記から 他』が届いた。

それで『沖縄の手記から』を読み始めて驚いた。この小説は、昭和19年の沖縄に読者を連れて行くVRマシンだ。

物語は、教科書に載っていた部分よりはるかに前、空母隼鷹乗組だった軍医大尉の主人公が、マリアナ沖の負けいくさからどうにか呉の泊地まで戻り、そのまま転属を命じられて、昭和19年の夏に那覇の南、小禄の航空隊に着任するところから始まる。

日本の運命は既に定まっていたこの時期でも、沖縄にはまだ米軍の影すら見えず、いまだ平和なこの土地で、数年以内に侵攻してくるであろう敵を迎え撃つ準備に忙殺されている…これが昭和19年夏の沖縄であった。

彼は沖縄が自分の死に場所になることを避けられぬ運命として知っている。しかし二十代の軍医で分隊長である彼は、ただひたすらに壕掘りに忙殺される兵や、司令部からあまり動かない司令官・参謀とは異なり、南風原陸軍病院に病兵を後送したり、夕暮れ時に壕を掘っていた台地に登ってみたりする。このため結構な分量で、当時の沖縄の風物を珍しく眺める描写がある。

そしてここがオレの驚きだったのだが、描写されている戦前の沖縄の風物や、那覇から小禄にかけての当時の風景が、自分が古地図や写真、民俗学調査などで知った当時の沖縄を非常に正確にあらわしており、どうかすると写真などよりビビッドに伝えてくるのだ。

那覇の入江は、那覇の港から四キロ近く深く入り込んでいる。その最も奥深いところで国場川と言う川が入江に流れ込み、そこには真玉橋という古くから沖縄名所とされている石橋がかかっている。その台地も、入江の対岸になる台地も濃い緑に覆い尽くされ、入江は濃い緑の山の底に眠っている湖のように美しかった。

私は、南風原陸軍病院に病兵を後送した時、初めてその入江と、入江をへだてて見た小禄の台地の美しさに気づいた。私たちの病舎から陸軍病院へ行く時は、一度、那覇の港ぞいに出て、港口にかかっている明治橋をわたり、入江の対岸を走る県道を行くのであったが、私は、その県道を走る自動車の窓から、入江と小禄の台地を見た。 沖縄の風景を彩る沖縄松がその小禄の台地にも林をつくっていた。

那覇小禄の間には、かつて巨大な浅い入り江が存在していた。現在の地理で言えば、バスターミナルあたりから奥武山公園あたりまではすべてが浅い内湾であり、上記はいまは埋め立てられてビルの建ち並ぶその海の海沿いを走っていた県道(現代の国道329号線)から、小禄の小高い丘が直接みえていたという描写である。

地元の人の暮らしの観察もある。

医務科の壕から見下ろすと、農家の聚落(しゅうらく)の一つが病舎の屋根のはずれの右手に見えた。そこはフクギの茂みと、珊瑚礁の砕石を無造作に積み上げた石垣とにかこまれ、石垣の影には赤い仏桑花の花が点々と咲いていた。聚落を包んで、凹地には砂糖黍畑が甘藷(かんしょ)畑や蔬菜(そさい)畑をまじえて広がり、そこでは農家の人たちが焼きつく日差しの中で働いていた。沖縄は隆起珊瑚礁の島である。土地は痩せていたから、農家の人たちの畑仕事ははげしい荒仕事であったに違いない。ことに甘藷畑の多くは台地の山肌を切り開いた山畑であった。強い日差しに焼かれながら、土というより珊瑚礁の岩肌そのままのような山畑に鍬(くわ)を打ち込んでいる女たちも、取り入れた甘藷をうずたかく山のように積み上げと重たい籠を頭に載せて山畑から運び帰って来る女たちも、はげしい仕事が骨身を削っていたに違いない。しかし、眼に見える風景はのどかな田園風景で、私には、そうした人たちが、自分たちの静かな生活をたのしんでいるように見えた。小禄の人たちにとっては、それは戦争がはじまるはるか前からつづいていた生活であったはずであった。

夕方になると、あたりはいっそう楽しげな風景になった。山かげにある野井戸に人々が水を汲みに集まって来る。そこは石をたたんだ水汲み場になっていた。日が赤く燃えながら西に落ちていき、木々の影が長く野面にのびて行くと、海を渡って来る風はさすがに涼しくなる。水汲み場に人々が集まって来るのはそんな時刻であった。若い娘たちの姿が眼立ったのは、水を運ぶことが若い娘たちの仕事になっていたからかもしれない。 沖縄では畑で働いている女たちはみな裸足であったが、水汲みに集まってくる若い娘たちも裸足であった。娘たちは体で巧みに調子をとっているのであろう、頭に乗せた水桶から滴ひとつこぼさずに白い道を帰って行った。

「野井戸」である「石をたたんだ水汲み場」は、沖縄で「カー(ガー)」と呼ばれる水場のことだ。宜野湾市我如古の我が家から数百メートル以内に限ってみても、「西原東ガー」「一貫ガー」「クシガー」「我如古ヒージャーガー」「イリヌカー」など、たくさんのカーが残されている。

「白い道」はサンゴ砂で簡易舗装された砂利道で、いまは竹富町などにしか残っていないが、当時の沖縄は島のほとんどがこうした白い砂利道であった。(日本全体も国道を含め全国ほとんどすべての道が未舗装で、長距離輸送は鉄道以外なかった。)

また、これらとは少し違った形で、当時の沖縄を伝える描写もある。

地上戦に比べると内地ではまったく知られていない、しかし沖縄での戦史の展示などには必ず登場する「10・10空襲」こと昭和19年10月10日の米軍の空襲は、現代人から見ると、那覇が焼かれたという悲しさはあるものの、内地のほとんどと同じような空襲話というか、地方の小規模なそれのようにしか見えない。

ところが、この空襲の沖縄人にとっての精神的な意味あいが、この小説の描写を読むとようやく理解できた気がするのだ。以下は空襲の終わった夜の話である。

その夜、火につつまれた那覇の町から焼け出された市民たちが、わずかな食料や日用品を背負い、幼い子供や杖にすがる老人の手を引いて、小禄の部落にたどり着き、また南へ去っていった。南の島尻の町や村に親戚や知人を頼って行く人たちであったが、その人たちは虚脱した力のない眼を通りすがりに私たちに投げた。沖縄を浮沈基地として敵の進行をはばもうとする軍の方針が宣言され、働き得るかぎりの男は軍の作業にかり出され、飛行場の整備作業がすすめられてきて、ようやくそれらの飛行場が出来上がったばかりであった。軍は沖縄上空には一機の敵機の侵入も許さないと豪語していたが、事実は、沖縄上空は敵機のなすがままに蹂躙され、那覇は一日のうちに廃墟となってしまったのである。 避難していく市民たちの私たちに投げかけている力のない眼は、むしろ激しい怒りに燃えている眼であったと言ってよかったであろう。

これより前の部分には、那覇の港に軍需物資が山ほど積んである描写などもあり、沖縄の要塞化が著しく進行して(とはいえ、作業のほとんどすべては手動に頼った壕掘りにすぎないのだが)頼もしいような感じすらあったのが、そうした武器弾薬も各飛行場の燃料その他も、かなりの部分がこの日に なすすべもなく燃やされており、まずはいちばん大事な首根っこを押さえられてしまっていたことがわかる。

いかにもいかにも日本軍である。

ところで、この「いかにもいかにも日本軍」という感じは、後の方の無計画な南部後退命令と、元の壕に戻る命令などからも伺われるのだが、主人公は当時の一般的な若い軍医士官にすぎず、そのことに非難がましいものを記していない。軍の命令は動かぬものであり、自分が興味を持てる思考のフレームの外側にあるのだ。

この小説の、こうした再現性の高さには驚きを感じざるを得ない。

  • 細かい事実が間違ってない。その上で、それはこう見えただろう、というのがそのように描写されている。
  • 当時の人の感じ方や考え方もリアル
  • 当時の人物の一人称の世界がきっちり閉じていて、下手な「後世の見方」や、当時の人が知り得ない数字などが注意深く排除してある
  • これらにより、読者はきわめてリアルな人物に憑依して、昭和19年夏の沖縄に連れて行かれる
  • そのまま20年9月の武装解除まで地獄に付き合わされる

細部の事実が行き届いているだけでなく、当時の二十代の青年の思考の形や、その人たちがたどった精神的な動きまで再現し、それを一人称で再現しきっているのだ。現代ではまったく顧みられない小説家だけど、田宮虎彦の物凄い力量を感じる。

これは「当時見たこと、思ったことをそのまま投げ出してある」ように感じられる小説であり、手記をそのまま小説に組み直したようにしか思えないような手触りがある。

しかし実際にはこれは田宮の創出した仮想世界であり、読者は彼の手の上で主人公の視点を追体験しているにすぎない。

なぜなら、当時の沖縄で感じたことをそのまま手記に残せたり、まして持ち帰れた人は皆無で、後から書いたものには必ず現代の価値観での見方や、言い訳じみた夾雑物が入るからだ。手記をそのまま組み直しても、こうした作品にはなりえないのである。

沖縄以外であれば、当時の人が当時書いたものがそのまま残されてる例はある。学徒兵たちの遺稿集『きけ わだつみのこえ』を読むといい。彼らがどういう人達だったか、何を見ていたか、どのような思考のフレームに囚われていたか、その上でどんな言葉を残そうとしたかがよくわかる。

しかし、読まれることを前提とした遺稿と、自分のために書き残す手記は別のものだ。そして自分のための手記ですら、物事を正確に記録するとは限らない。手記には筆者の見たそのままのものではなく、筆者が興味を持ってピックアップしたものが書かれるのだ。これを小説の描写に再構成するには、その時の心情の聞き取りと事実の調査を徹底的にやる必要があるが、思い出すたびに壊れていく記憶を、どうやって保存してこのような形に再現したのかわからない。

そして『沖縄の手記から』には、『きけ わだつみのこえ』 の、その先が書かれている。

筆致は平和な時期から一貫して変わらないまま、主人公は行動がだんだんおかしくなり、あらゆることに無感動になり、すべてをどうしようもないものとして眺めるようになる。読者はそれを体験させられる。読んでいてさえ、そうなることが当たり前のように思えてくる。ときどき感じられる違和感が、自分が空腹・脱水・虚脱的な状態にないことを知らせてくるのみである。

なんなんでしょうね、このリアリティ。これぞ私小説の究極という感じがする。

日本で発達した私小説という形式は、作者が自分の体験したことをそのまま書くもののことを言うので、作者≠主人公という時点で、定義的にはこれは私小説作品ではない。

しかし、私小説の目指したものは自己視点の徹底によるリアリティであり、他人の視点を本当にリアルに追体験することだ。

ヒトは体験したこと以外は本当には理解できない社会性動物である。ゆえに他人の視点に憑依する疑似体験のために作られた方法が古代から多様な形で存在する。近世に生まれたその大きな発明品が、散文による小説である…というのはオレの持論だが、それを突き詰めた作品がここにある。

どうやって書かれたのか本当に不思議な小説なんだけど、88年に亡くなった作者は、この作品について何も語ってないみたい。ネットで調べられる範囲には、その痕跡すら残っていなかった。

いろいろ惜しいなー、と思う。と同時に、これを抜粋して国語の教科書に載せた人がいるというのも凄いことだと思う。

目の焦点はぼやけ、記憶ばかりが鮮烈になるのが加齢であるが、ときにこのような作者を新しく発見できるということもある。

Amazonの単行本のページに価格がなかったので前回の新潮現代文学(22)を購入したのだが、「すべての出品を見る」をクリックしたところ、ちゃんと売ってる本屋があった。こちらならこの究極VR作品が送料込み1500円ほどで買える。オススメです。)

pyperclipというツールを教えてもらった

pyperclipはコマンドラインクリップボードを扱うツールだ。

同じことをやるMacのpbcopy/pbpasteは知ってたけど、このPythonモジュールはプラットフォーム非依存で便利。ただしテキストのみという制限がある。

インストール

Pythonの入った環境で:

$ pip install pyperclip

とするだけ。

使い方

まあ、普通に操作する場合は、これはCtrl-CとかCommand-Cでやればよい。ただ、自動生成したデータをパイプで受け取ってクリップボードに入れる、なんてことがしたい人には便利。後述のように自前のフィルタにかけた内容をクリップボードに返すときにも使う。

パイプで受けるような場合は、モジュールをコマンドとして使うpython -mというのを使う。つまり python -m pyperclip -cとする:

$ echo "Hello, neko" | python -m pyperclip -c
$

これでHello, nekoという文字列がクリップボードにコピーされた。Ctrl-Vとかやると貼り付けられる。

クリップボードの内容を読み出すのはpasteコマンド

コマンドラインで使いたければ python -m pyperclip -p とする:

$ python -m pyperclip -p
Hello, neko
$

クリップボードの内容が出力された。

クリップボードシェルスクリプトで編集する

このツール、どう便利かというと、シェルスクリプトのパイプとクリップボードが繋がるのがよい。

シェルスクリプトのパイプが繋がるということは、クリップボードの内容をsortコマンドで並べ替えたり、重複をuniqで排除したりすることができるということだ。

また、sedawkで文字列置換フィルタを書いてる人はそれが全部活かせる。

$ python -m pyperclip -v | [フィルタ] | python -m pyperclip -c

の形式で、クリップボードの内容を定形のフィルタにかけて一瞬で編集し、またクリップボードに戻すことができる。べんり!

定形フィルタをダブルクリックで実行する

さらに、上記の "python -m pyperclip -v | フィルタ | python -m pyperclip -c" のコマンドをシェルスクリプトとしてセーブすると、ダブルクリックするだけでクリップボード内容を定形フィルタにかけて編集することができる。べんり!!

Macの場合

シェルスクリプトをそのままデスクトップ等に置けばよい。

Windowsの場合

シェルスクリプトをそのままダブルクリックしても動かないが、wslを呼び出すバッチファイルを用意すればよい。

クリップボードの数字をソートしたいものとする。

まずはsort.shというファイルに

python -m pyperclip -p | sort -n | python -m pyperclip -c

と書く。

$ cat sort.sh
python -m pyperclip -p | sort -n | python -m pyperclip -c
$

(sort -nは数の順にソートするオプションで、これを指定しないと辞書順ソート(34, 53, 23, 10, 8, 6を一番左の数字を見て10, 23, 34, 53, 6, 8とソートする)になってしまう。)

次に、sort.batというファイルに

wsl bash sort.sh

とだけ書く。

$ cat sort.bat
wsl bash sort.sh
$

このsort.shとsort.batを両方ともデスクトップ等に置いておく。(sort.batの中でパスを指定することでsort.shの置き場所を自由に変えることができる。)

さて、クリップボードに数字の並び:

34
3214
65
2
64
23
4

をコピーする。

これをソートするには、sort.batをダブルクリックする。

ウィンドウが一瞬出て消えて、これで既にソートが完了して結果がクリップボードに入っている。

Ctrl-Vで貼り付けてみよう。

2
4
23
34
64
65
3214

楽ちん!

これはちょっと簡単すぎる例だが、テキスト仕事の人は書式を整える単純作業(見出しの先頭には*をつける、など)が発生することがしばしばあって、しかも全体には適用したくないとか、複雑だから置換ウィンドウに入力するのがダルいとかがいっぱいある。

pyperclipを使うと、そういうものを定形のフィルタに追い出しておけるのである。

私は慶良間の者なのです

加齢とは焦点がぼやけた状態が普通になっていくことだなー、と思う今日このごろ。

文字を追う目は文字を認識しただけで満足するので印刷のカスレみたいなのが気にならなくなった。

話題になってるニュースについて「あれかな」と思ったときも、本気で固有名詞を思い出す必要はない。皇族のなんとかさんが駆け落ちすると聞いたときにこのように検索したが、フツーに出てきた:

"さま アメリカ" - Google 検索 

むかし読んだ物語を思い出したくなったときも、題名や著者名といったインデックス情報は必要がない。ぼやけた焦点の中にぽっかり浮かんだ印象的なフレーズを検索すれば、その手がかりから手繰り寄せることができるものだ。

"私は慶良間の者なのです" - Google 検索

田宮虎彦『沖縄の手記から』は、中学の国語の教科書で抜粋を読んだ小説だ。オレが沖縄本島の西に浮かぶ慶良間諸島(けらましょとう)を知ったのは、この作品がはじめてだった。

教科書の抜粋では、主人公の軍医がたどりついた壕に取り残されていた看護婦の少女、當間キヨとの出会いと別れ、後にその死を知る場面のみが描かれていた。

「私は慶良間の者なのです」は、慶良間諸島沖縄本島に先立って米軍の侵攻を受け、守備隊も住民も子供まで一人残らず全滅したと聞いたキヨが、ここはすぐ米軍の侵攻を受けるから一緒に南部に移動すべきだ、きみにも家族があるだろう、と説得する主人公の話を聞かず、病棟壕に残ると強情に言い張る場面で出てきた言葉だ。

沖縄で暮らし、戦史を紐解くようになってみると、集団自決の犠牲が出ている慶良間の島々も、統計的に見れば全滅には程遠かったことがわかり、ああ…と思った。キヨが自暴自棄になる必要などなかったのだ。

もちろん南部への移動や、その後の戦闘の中で生き残れたかどうかを考えると、非常に危ない。沖縄戦では一般の民間人の死亡率すら四人に一人もあったのだ。

しかし必然に吸い込まれるように死んだ人の、その必然が「戦場の霧」にすぎなかったという虚しさは、防がれねばならないものだと強く思ったものである。

そうしたことを思い出し、いったいあの物語はどんな経緯で書かれたものなのか、まずは全体が読みたくなって古本を注文した。元になった手記も読みたいところだけど、これは辿れるかどうか。