朝の受難

また朝早く起きてしまった。数週間前にプールで鼻の粘膜を痛めて以来、朝のくしゃみがすごい。

ここのところ段々と日の出が遅くなってきた。6時はまだそんなに明るくない。昨夜は雨が降ったようで、あまり暑くないので庭に出た。大量の落ち葉を裏山に捨てたい。

人のこないビーチの潮間帯に溜まった芥のように、あるいは北海道の海岸に溜まった海藻のように、庭の横手に土手状に溜まった落ち葉を、ライトグリーンの熊手と黒い箱型のちりとりと、それに空いた野菜プランターで集めて捨てる。

30分ほどかかって作業を終えると、さすがに暑くなった。沖縄は日較差が小さく、昼間も夜も28℃から32℃くらい。今朝は涼しい方ではあるけど、上半身裸の腹に汗が光る。

大丈夫だ。水風呂が入れてある。

こちらでは夏の間、水道の水の蛇口をひねってもお湯が出る。昼間暑くても水道だけは冷たい関東地方とは大違いで、朝方にぬるくともなんとか水である液体が出てくるくらいで、特に夕方から夜にかけては完全にお湯が出る。

それでも湯船にこのお湯を入れて、風呂の蓋は開けたまま、換気扇もつけたままにしておくと、冷房した室内からの乾燥した空気が流れ込んで湯だったものを蒸発させ、気化熱を奪って水にしてくれる。1日置くと、室温より5℃くらいは冷たくなる。

体に熱が溜まってるとき、暑さが我慢ならないとき、ゆっくり本を読みたいときは、この水風呂に後頭部までよくひたし、ダラダラするのが夏の至福。

そんなわけで、今朝も家に入って手を洗い、本と着替えを用意して、いそいそと脱衣場へ。パンツを脱いで風呂場のドアを開けると…

風呂の中に大きなゴキブリが浮いて死んでる!!!!

あまりのショックに考えました。

「ゴキブリの質量は数グラム単位。風呂の水は100L単位。5桁も違ったら『無』だから大丈夫じゃね?」

しかし、風呂の底にある黒い粒たちを見たときに私の希望は潰えたのです。断末魔のゴキブリが漏らした大量のウンコや!! どんな菌が溶けてるかわかったもんじゃねえ!!!!

いや、この水風呂には入るたびに盃一杯程度のハイターが入れてあります。きっとそんなものだって殺菌できてるはず…

そういった葛藤にオレの意識が囚われかける前に、オレの手は風呂桶の栓に繋がる鎖をバン!と引っ張っておりました。

さすがのオレにもこいつは無理だったw

すべてを水に流し、かけるだけで風呂が洗えるという触れ込みの洗剤をスプレーして、いまは絶賛放置中。

シャワーが比較的冷たかったことだけが救いですよ!!

 

 

 

投票行動の制御、またはそれを無効にする方法

組織票というのが昔からまったく理解できない。特に、電力会社はどこどこに入れるから何票、みたいな、大企業の票が読めてしまうことに強烈な違和感があった。

これは「マトモな人間であれば秘密投票の仕組みも意味も知ってるし、投票の強制が違法であることも知っているのに、唯々諾々と従ってしまうのはおかしい」という感覚に由来するものだ。

若いときのオレの結論は「そういう会社は入るのが大変だろうとなんだろうとバカの集団だ」である。オレが就活とかやったことがないのはこのためである。脳の弱い人達の間で生きていけるとは、とても思えなかった。この考えは今でもかなり正しいと思っている。

しかし、いま観察に基づいて「票が読めるということ」を考えると、もう少し見えてくることがある:

  • 半強制的な「お願い」で投票するのは、ある「割合」の人間であり全員ではない(全員がバカじゃない)が、その割合はほぼ一定なので読める
  • 強制してくるような相手に本当に同調して入れるバカ(お人好し)は少なくない
  • 選挙のプロは、頼まれて投票「した人・しなかった人」が非常にわかりやすいらしい。次は「しない人」を除くので、読みは非常に正確になる

最後の話がポイントである。 これはむかし宮崎学か誰かの本で読んだ、現金が飛び交うような離島の選挙の話にあり、非常に印象に残っているのだが、こういうことである。

  • ある陣営からお金をもらって本当に投票した人は「目が合うとニヤッと笑う」「手を下ろしたまま小さくピースする」などのサインを送ってきがち
  • 投票しなかった人は目をそらす、話題を変えようとするなど、逃げの姿勢になりがち

「なるほどー!!」
オレは大変よく納得した。
「ここをハックすれば嘘つき放題じゃん!」


嘘つき放題かどうかはともかく、ここからわかることがある。「バカの集団」は、そこまでバカだらけというわけではなく、「人間関係がクローズドだと嘘がバレがちだから言われたことに従っておく人が多い」というだけのことなのだ(それもバカだと思うけど)。

Wikipediaのエントリを見ると、日本の秘密投票制度は

  • 他事記載の禁止 自書式投票の秘密投票では候補者の氏名(比例選挙の場合は政党名)以外の他事記載をした票を無効票としている
  • 投票所 投票所には投票の秘密を確保できるだけの設備がなければならない
  • 投票用紙 投票用紙は外部から透視されるおそれのない材質を備えたものでなければならない
  • 陳述義務の否定 選挙人が何人に投票したか陳述する義務はない

といった事項により保証されている。これは要するに:

  • 個人の投票内容を本人以外が知る方法がない
  • 嘘をついてよい

ということだ。

しかし、現代日本の実情を考えれば、これではまったく不十分である。

投票を強制する側が上記のように人間関係にべったりと張り付いた「知り方」を使ってくるのであれば、実態に合わせて、もっと積極的な防御を教育すべきだろう。つまり:

  • 投票について聞かれたら嘘をつくべきだ

である。

「投票にまつわる個人の秘密」を「積極的にウソを付くべきゾーン」とするのだ。エイプリルフールみたいなものだと思えばいい。(出口調査の人が困るって? 知らんよ。あんなのは開票速報が速く出したいという商売の都合にすぎず、付き合う義理なんかない。そもそも他人の投票内容を知りたがること自体が本来褒められるようなことではなく、ほとんど反社会的な行為である。メリットもあるから協力しないでもない、というだけのことだ。)

そして、嘘を付くべきだと教育するのであれば、きちんとバレない嘘の付き方も教育したほうが良い。だって投票を強制したがる側は常に強い立場、強制される側は弱い立場にあるからだ。嘘がバレたら報復が待っているではないか。これは「嘘をつくこと」が積極的に推奨される世の中になったとしても解決しない問題である。

だから、嘘を付く方法が普及したとしても、それを暴く方法も出てくるだろう。いたちごっこになる可能性はある。

それでも基本的には、彼らが知ろうとする方法、そのノウハウを逆転させることで、嘘を突き通すことができる。これは教育する価値のあることだ。 今のところは:

  • 「ニヤッとせよ」
  • 「ちゃんと投票しましたよと言え」
  • 「とにかく肯定的ゼスチャーを与えよ」

といったことである。徹底的に欺き通す方法を大々的に教えるのだ。

えっ? 子供が嘘をつくようになるって? その咎は、投票内容を知りたがる者たちにあるだろう。お前らが知りたがらなければ、こんな教育は必要ないんだぜ。

だいたい、こうした「嘘をつくノウハウ」って、大人になればなんとなく分かるものではあるよね。それでもバレちゃうのは、相手がプロだと思ったり、上司だったりすると、萎縮して嘘がつけなくなるからだろう。

大事なのは「バカは呑んでかかるべきである」という心構えの方なのかもしれない。

参考文献

上記の話が載ってる本、これだったような違うような…。立ち読みだったので手元にないのだ。

どサヨクから見た野党内閣

オレは生物学者であり、人間という生物をわりに外から眺めるクセがある。これが身体化しているために、コミュニティの中の自分の位置みたいなものには、まあ自然に気になってしまう部分はあるものの、本当には興味がない。

だから、オレにとっての「当たり前の考え方」とは、「日本人として当然」みたいな身体的なものではなく、「生物としての人間はこう感じ・考えるのが自然」という客観基準に近いものになる。

そのうえに、知的生命体(≒霊長)として、まっとうに生きていきたい。という願望が加わる。生物としての人類のどのような歪みをどのような意識によって修正すれば、それが可能であるか。ということに興味がある。人間のバイアスを見るのが大好きだ。

このように、「人間としての当たり前」を基準に考えて物を言う人間は、日本では「どサヨク」という扱いになる。

ところがオレは、経済学を学んだ市場原理主義者でもある。個人で一番儲かるの株だと思っている。

「みんなのため」に生きるのではなく、個人の自由を最大限に尊重する方向性を、その害悪となる副作用を除去して、どうにかうまいこと実装したいオレは、自分の頭の中の分類では「(修正)新自由主義者」だったりする。

まるで正反対だ。

しかしもちろん、これはオレの認識がズレているのではない。日本社会がナチュラルに極右にズレているために、すべての当たり前の自由人は日本では「どサヨク」に分類される、というだけのことだ。枠がギン!と右にずれて、みんなが左側に積み重なる感じ。

さて、まもなく選挙である。自民党支持の人や、本当のところ政治に興味のない人はよく言う。「政権を任せられる野党がないから消去法で自民党ですよ」と。

しかしこれは、数年以内の短期で成果を出さなければゼロ、という不思議な評価法である。政治は時間がかかりすぎるので若者には向いていないから禁止なんです、という高校教師の同じ口から、同趣旨の発言を聞いたことがある。政治って長くかかるの?すぐ成果がいるの? どっちなん?

実際のところ、政権交代は政治の中では比較的高速に変革をもたらすことができるものではあるが、前政権までの案件を「居抜き」で引き継ぐ必要があり、膨大な後始末と方向転換への説明が生じるので、すぐには成果が出ないものなのだ。(これは逢坂議員が民主党政権時にメールマガジンで述懐していた。)衆参のねじれなどがあれば、早い成果はまったく期待できない。選挙民の方にこそ粘りが必要なのである。

そんなわけで、オレみたいな人間が、選挙の際にいつも思っていることがある。

自民党人間性を学習させるより、野党に政権運営を学習させるほうがずっと楽

である。

これは実は、実績としても当たっている。野党(反主流派)の政権が安定した長期政権になったことは戦後の憲政史上一度もないが、野党内閣が実現するたびに、日本が良い方向に向かう種が蒔かれているのだ。90年代の細川政権〜村山政権では判を押したように国側勝訴だった環境訴訟で逆転が相次いだのを覚えている。

民主党政権は色々な実験もできて、非常に良かった。事業仕分けにしても、高速道路の無料化にしても、あのまま正しく発達していたら、実に面白いことになったと思う。無料化した高速道路に料金所を残して利便性を低下させるのでなく、出口を増やして渋滞の発生しやすさ(需要の増大)に対応できてればなー、などと思う。

(あとやはり、震災のときに自民党だったらと思うと、本当にゾッとする。民主党のオープンな姿勢のおかげで、福島で起きていたことの大部分は腑に落ちたし、カンさんのリーダーシップで最悪の事故が防がれた。)

政権運営も、次第に上手になっている。非主流派政権は

  1. 片山内閣: 1947年5月24日~1948年3月10日。292日
  2. 細川内閣~村山内閣: 1993年8月9日~1996年1月11日。合計888日
  3. 鳩山内閣~野田内閣: 2009年9月16日~2012年12月26日。合計1200日

と、成立するたびに長くなっている。野田内閣は良くも悪くも自民党政権みたいな「身動きの取れなさ」を体現しててどうかと思ったが、あれで自民党に取り替えたのは国民の方の失敗だ。

さて、1.の片山内閣である。この内閣は日本国憲法施行後初の内閣であり、初の社会党内閣であった。その仕事について調べてみたところ、「不安定ですぐ倒れたダメな革新政権」という、母から教えられた印象とはかなり異なっていたので驚いたことがある。Wikipediaの『片山内閣』を見てみよう:

片山内閣時には、公務員の「公僕」化を目指す国家公務員法の制定、内務省を解体・廃止し、新たに国家地方警察と、全国に約1600の自治体警察を設置する警察制度の改革[注釈 12]、労働省の設置、失業保険の創設、封建的家族制度を廃止を目標とした改正民法の制定、刑法改正、臨時石炭鉱業管理法(通称「炭坑国家管理法」)等が実現した。

どれひとつを見ても、封建的専制国家から個人主義民主国家に向けた重要な制度改革である。いまなら1つ通すだけでも1政権かかるだろう。片山内閣はたった300日の時間の中で膨大な仕事をしており、現代の「いくらかは文明的な日本」の枠組みは、ほぼ彼らが実装してくれたと言ってもよいくらいだ。環境が圧倒的にそれを許した。

こうして歴史を振り返るとよく分かる。日本国はまず、もっとちゃんと文明化civilizeするべきなのだ。civilizeとは、個人主義を前提とした「ideaのバトルロイヤル」が社会全体で実装されていることだ。民主制やサイエンスが、社会システムにどれだけ組み込まれているかということだ。

文明化すると、各自が全力を出せる。これは「生物としての人類であるわれわれ」にとって気分が良い、というだけのことではない。現代では、そうしないと繁栄できないのである。

われわれは高度成長期に戻ることはできない。昔とは環境が違うのだ。イノベーションの進展に従い、個人の能力が増大の一途をたどっているために、システムが個人主義をサポートするようにならないと、その成果を十分に活かしきれない。周囲には活かしきっている国がたくさんあるので劣後していく。

ヘルジャパン文化で育ったわれわれがナチュラルに選択してしまう全体主義的組織の生産性は、現代においては非常に低い。過去1/3世紀間に、日本が「不況の緊急避難」で選択した方策がことごとく機能しなかったのは、これが原因である。

しかし同時に、引きこもりの国の住民であるわれわれは、一人ひとりの世界が広くて深い。これを活かせるようになれば、未来はまだまだ明るい。メイカーな皆さんを見ても、絵師の皆さんを見ても、「日本で平凡な能力」は「世界で食えるレベル」である。

いまの日本の喫緊の課題は産業構造の転換である。戦後から高度成長を経て1985年までが40年。それからまもなく40年になるが、われわれはいまだに40年前の武器で戦っている。勃興する労働人口が存在しなければ成立しない輸出工業国として有利な戦後の体制(実質的には戦時体制)を続けている。フリーランスは個人でも普通にやっていけるからやるものではなく、人生でなんとなく追い込まれてやる特殊なものであるままだ。

この期に及んでも「就職先は公務員がよい」「大企業ならなんとかなりそう」という人が少なくないのは、システムが壊れているからだ。

「コミュニケーション能力」が同調強制力でしかない、合意形成がこれほど下手くそな日本人が、組織に頼ろうとする姿は滑稽ですらあるが、システムが壊れているのであれば、心理的安全は組織でしか得られないではないか。彼らは不幸と不幸の中から、よりマシなものを選ばされているだけだ。

身分制のような大組織偏重は能力の浪費である。

個人にフィーチャーすれば、もっともっと成長余地がある。それをサポートする仕組みは社会システムの変革によってしか得られない。一般の国民がこれを目指す唯一の手段は、選挙で制御できる政治を変えることだけだ。

…ところであなた、もしかして、投票すらしなかったんですか?…

 

参考文献

1940年体制の呪縛

小日本主義個人主義

どれも読みやすくて面白いですよ(百間のが一番難解というレベル)。

UNIXを教える仕事をした

知り合いに頼まれて、ちょっとUNIXの初歩を教える授業をした。

ちょっとといっても結構がっつりで、入ってきたばかりの、だいたいは家にパソコンがないという素人の学生に、2ヶ月間・23日・2コマずつで基本を教え、ちょっとしたツールをシェルスクリプトで作れるような、いわば普通のUNIX使いにしてくれ、という要望である。

一応の教科書は指定されたのだが、自分で買って読んでみたところ、あまり良くなかったので使わなかった。「これはリファレンスに使ってください」ということにした。

代わりに使ったのは、自分が真に優れていると思う本、Kernighan & Pikeの『UNIXプログラミング環境』である。1984年初版、対象はVersion7 UNIXと非常に古いので、内容は全部作り直しだ。全9章あるが、Cでツールを作り出す6章以降はいらないし(9章なんてtroffの詳細だぜ)、5章で作るツールはかなり古臭いので、ここは考え方や用法を使うのみ。実質的にはawkの魔法を見せる4章までである。

それでも200ページほどの内容を現代的に組み直す必要があった。古い部分を捨てたり、新しいもので置き換えたり(bashすげえ)、gitのようにまったく違う体系を組み込んだりして、毎回の資料を作っていった。

まったく条件が違う部分もあって、たとえば学生は1人1台のLinuxノートPCを使っており、VAXやテレタイプ端末やTSS端末は使われていない。多人数で同じマシンを使うことがないから、他のユーザーのログインしてくる様子をうかがうような部分は使えないし、ユーザー間のコミュニケーションも行われない。キーボードも現代のパソコンのものなので、2日目の授業ではCapsLockをCtrlに置き換える作業をさせ、Ctrl-?で操作する体系を教えた。デバイスもファイルであることを示すのは

cat /dev/input/mouse0 | od

をやらせた。

補った部分もある。『UNIXプログラミング環境』ではさらっと触れられているだけの、シェルのコマンドライン解釈順序などは、ソースを調べて詳細に解説する必要があった。ディレクトリのパーミッションの詳細も、ソース以外に解説がなかった。

そんなこんなで、作業量は膨大だし、進行に合わせて組み直すので、最後まで非常に大変だった。午前中に授業、午後に翌日の構想をして必要な情報をDynalistに書き下し、翌日の朝4時からKeynoteに落として8時すぎに家を出る…などということを毎週やっていた。ひどい自転車操業である。しかしまあ、おおむね良い授業になったと思う。

全体的な雑感を書いておく:

  • 手を動かさせないと寝る。
  • 進行が速いと付いてこられない学生が寝る。遅いと出来る学生が寝る。
  • 復習回では対象の学生ほど寝る。

学生は高校を出たての若者がほとんどなので寝る。若いということは、睡眠時間が多く必要であるということであり、また、眠くなる時間が遅くにずれるということだ。だからこれは朝9時半という授業開始時間が早すぎるのであって、学生のせいではない。11時くらいからやりたいのだが、普通の学校はそうはなっていない。わりに困る。

復習は何度か入れた。おさらいをするのは、基本のできてない学生のために、同じことをもう一度繰り返しているつもりだった。しかし、進行速度は出来ている学生があまり退屈になってもいけないので、速めになる傾向がある。そうすると意図していなかった事が起きる。

わかっていない学生ほど寝るのだ。

逆に、できてる学生の方が「あっ、ここ落ちてた!」と食いついてくる。

つまりはどうなるかと言うと、クラス内の格差を縮めるつもりでやった復習授業が、格差を広げることに繋がるのである。

すげえ難しい。

プログラムは意図した通りには動かず、書いたとおりに動く。

学生も、こちらが意図した通りには学習しない。与えられた条件に反応して学習する(または、しない)だけなのである。

伸びられる学生には立ち止まらずに思い切り伸びてほしいし、遅い学生もきっちり拾っていきたいのだが、おおむねその中間の中途半端な線を行くしかない。ここには改善の余地がある。

さて、いまは最後の試験の採点中である。コンピュータ分野の「プログラムを作って問題を解決する問題」には、こちらの意図とまったく違った回答が来るのが楽しい。

こうした試験で、教えた内容がどれだけ入っているかの確認を取るのはなかなか難しい。こちらの用意したハードルは飛んでくれず、自分で作ったハードルを飛び越えてくるのだ:

  • あまり使われない、こちらが知らない機能を使って解決してくる学生がいる。正規表現を工夫させようと思ったsedの置換問題で、sedのsコマンドの数字フラグを使って置換位置を指定して解決した学生がいる。すごいじゃん。
  • 問題文の隙を突いて「仕様は満たすけど、それは無いだろw」という回答を書いてくる学生もいる。同じsedの問題で、「置換前文字列」を「置換後文字列」に丸々置き換えた学生と、全部削除してechoし直した学生がいた。なるほど1行だけを書き換えるのに、正規表現を抽象化する意味はないですよねw
  • 意図とは違うものの、これまでに教えたことをしっかり使い、よりシンプルな解を書いてくる学生もいる。

最後の話はこうである。awkを使って英文テキストの中の単語の文字数の統計をとらせる問題を出した。これは行の中でループを回し、各単語のlength()を配列に入れ、最後にプリントすればよい。

と思ったのだが、trにより単語間のスペースを改行に変換することで1行1単語のストリームを作り、それをawk '{print length()}' にかけることで1行1数字のストリームにして、これをsort | uniq -c | sortすることで、答えを出してきた学生が多数いる。

問題をより広い視点で捉えた上で、awkを使う、という仕様も満たしているではないか。きわめて優秀!!!である。

そして、こういうのを見ていると、多くの学生が「普通のUNIX使い」になった気がする。問題を広い視点で捉え、解決のみにフォーカスして答案を書いてくるというのは、シェルスクリプトで道具を自作するような授業の意図に、よく応じている。

授業でも「動くものが正解。最適化は後から計測してやれ」と教えてきたので、多くの答案には良い成績をつけた(まあ、動かないのを貼ってくる学生もおりますが)。

教える者が教えられる、という言葉があるが、本当にその通りである。ものすごく勉強になった2ヶ月間でした。

謝辞

ソースを調べて厳密な仕様を知りたいときに瑞慶覧辰さんに一方ならぬお世話になった。bashなどの新しいプログラムは地味にたいへん機能豊富で、かつ安全な書き方がしてあるために行数が膨大だ。それで、短く簡潔なVersion 6やVersion 7のソースを参考にしていたところ、昔のCで書かれたシステムはシステムで、行数こそ短いものの、簡潔極まりない書き方で変数も略号だらけ、処理を追うのが大変で持て余すことが多かった。そこに瑞慶覧さんが「どれどれ?」とやって来て、一瞬で理解してささーっと解説してくださるという月光仮面ぶり。すごいハッカーとは聞いていたが、目もくらまんばかりの実力を目の当たりにして感動した。ありがとうございます!

参考文献

授業をするにあたって下敷きにした本や読み返した本、さらには読み聞かせした本を参考文献として挙げておく。

Kernighan, Brian W. and Pike, Rob .  1984UNIXプログラミング環境    石田晴久監訳 1985.

UNIXの考え方を知るのに、これに勝る本は無いと思う。こちらは85年に出たASCII版(2冊持ってるw)。

こちらは上記の新版。内容は変わっていない。新品を買いたい人に。

 

竹内郁雄. 2017.  プログラミング道への招待

チューリング完全を教える際に、Ritchieのwhile言語について、この本から孫引きした。他にもいろいろ参考にした部分がある。

 

Lions, John.  1976.   Lions' Commentary on UNIX   岩本 信一訳  1997

夜中にはなぜかこれを読んでいた。

 

上田ら 2021.  シェル・ワンライナー160本ノック 

この本はツールの使い方がオーソドックスで、よい用例が多い。

 

Graham, Paul. 2004.  Hackers and Painters  川井史朗訳 2005.

ハッカー学校だったので、ハッカーのエッセイを読み聞かせた。

ここで挙げたのは、内容を使用したか、授業の方向性に影響を与えた文献である。ほかにもJoel on SoftwareSICP、『ライト、ついてますか』『揚げて炙ってわかるコンピュータのしくみ』などを用意したが、実際に使うには至らなかった。これらも使いたいものである。

改版履歴

2022-07-01 初版

2022-07-02 構成を少し変えて加筆

現代人向けの平和教育

慰霊の日の前後の沖縄は平和教育週間といった趣になる。小学校の読み聞かせでも、沖縄戦や平和にまつわる本を読んでくださいというリクエストが来る。

沖縄では、地域のどこで戦闘が行われた、ここの人たちはあそこにある壕にこもった、といった口伝を伝える形で、内地より100倍くらい濃い平和教育が行われている。

戦後も80年が近づき、戦争体験者の高齢化により一次話者を失いつつあるものの、こうした活動の持つ本質的なリアリティには圧倒されるものがある。

また、たとえば「ひめゆりの塔」には、何月何日にどこまで移動した、誰々(個人名)がどこでどんなふうに亡くなった、という記録が数多く記されている。こうした日数、経過時間、距離といった情報は「数字による体験化」を生む。

描写だけではわからない実感が出ることは、体験しか本当には理解できない人間にとってたいへん重要である。

しかし、こうした「現場のリアル」一本槍で沖縄戦を伝えることについて、それを初めて知った大学生の頃から、オレは何かしら本質を外しているような感触を持っていた。

もちろん、沖縄戦が生活の場で行われた戦争であること、身近な場所で身近な人が犠牲者になったことが、その悲劇の本質のひとつであることは間違いない。

しかしこれらは、本質的であるもののいわば現場だけの「横軸の本質」であり、全体の様相を提示しきれていないように思えるのだ。

全体を示すのに必要な「縦軸の本質」は、沖縄戦が沖縄の防衛のためではなく、国体なる抽象的な価値の防衛のためにおこなわれたものである、ということだと思っている。

日清日露から第一次大戦、シベリア出兵など、日中戦争までの日本の戦争は、防衛の名を借りた帝国主義的欲望の発露にすぎない。

ロシアの脅威を除くための緩衝地帯が必要と言いながら、それと無関係な台湾に兵を進め、朝鮮半島の植民地化では飽き足らずに満州国という傀儡国家を作ったことは、つまるところが領土的野心である。このことは当時も小日本主義を唱える石橋湛山らが指摘している。

日米開戦だけはこれらと違う。日米開戦は、国内の力のバランスがあちらに傾き、こちらから押され、外交に失敗し…と、誰の意志でもなく成り行き任せによって生まれた、誰から見ても最悪の結果である。

そして、終戦前にしきりに言われた「国体の護持」という特殊なキャッチフレーズは、こうした開戦の経緯を反映している。それまでに叫ばれた八紘一宇だの大東亜共栄圏だの悠久の大義だのといった愚にもつかないキャッチフレーズと、終戦前に強調された「国体の護持」とは、少し性質が違ったものである。

ひとつには、「国体の護持」、という言葉があまり勇ましくないことがある。それまでのキャッチフレーズと違い、「国体の護持」には前進、発展、永遠、といったイメージがない。いわば後ろ向きのキャッチフレーズなのだ。

もうひとつには、「国体の護持」をする当事者が為政者であり、国民ではないということがある。これは為政者の内部的な価値観であり、彼らは他人ではなく自分にこれを語っているのだ。

国体の護持なる言葉の本質はここにある。「国体の護持」とは、大本営から御前会議に至るまでの日本の中央部が持つ、変化への恐れの素直な発露なのだ。日常を継続したいという、いわば地に足のついた欲求を言葉にしたものである。

地に足が付いているというのは、それに価値があるという意味ではない。欲求として、より根源的であるというだけのことだ。より動物的な欲求であるがために、いざ言葉として表現されたときに、より強い方向性を生むということである。

当時、国体とは何かという定義はどこにもされておらず、これを護持することにどんな意義があるのかは明確に言語化されていなかった。それが何かを答えられたような者は居なかった。純粋な「言霊」であるとも言える。

そして、沖縄は大本営にとって護持すべき国体の一部ではなかった。国体護持のための縦深戦術陣地のひとつでしかなかったのだ。

これは結果的にそうなったという話ではなく、1945年1月の帝国陸海軍作戦計画大綱に:

四 皇土防衛ノ為ノ縦深作戦遂行上ノ前縁ハ南千島小笠原諸島硫黄島ヲ含ム)、沖縄本島以南ノ南西諸島、台湾及上海付近トシ之ヲ確保ス

 右前縁地帯ノ一部ニ於テ状況真ニ止ムヲ得ス敵ノ上陸ヲ見ル場合ニ於テモ極力敵ノ出血消耗ヲ図リ且敵航空基盤造成ヲ妨害ス

と書かれたときには、それが陸海軍の間で同意されるレベルで、既に事実であった。

大本営が沖縄守備の第32軍から兵力の相当な部分を引き抜いて台湾に回したことも、「軍官民共生共死の一体化」という方針で沖縄政府や民間を徹底的に巻き込んだことも、沖縄のためではない。前縁防衛の「コスパ」を上げるためである。

彼らには、沖縄県民を守る気など一切なかった。そんなことを歯牙にもかけないことが、むしろ常識であった。

(そして実のところ、日本の国土全体が、彼ら中央の人間にとって、長い長い縦深陣地でしかなかった。国民を守る気など一切ない。そうした空気を肌で感じていた小松左京が、本土決戦の起きたパラレルワールドで動員された学徒部隊「黒桜隊」での主人公の体験を描いたのがデビュー作『地には平和を』である。)

この間読んだものに、いまの若者はみんなが決めたことに弱い、それを必ず守らなければならない、背くことはできないと考える傾向にある、という話があった。

これは昔からの日本人の宿痾、「空気の問題」と呼ばれているものに非常に近いのだが、現代はさらに強化されているという。

たしかにそれは、若者と話すたびに感じることである。舌を巻くほど優秀な人から、学業的には残念なカテゴリーに位置づけられる人まで、彼らは異様に行儀が良い。空気を壊したがらない。

それは、よく言われるように「失敗を恐れている」と言うよりは、自分の失敗があらわになることで、場の雰囲気が壊れることを恐れているように見える。場の雰囲気にこそ敏感なのだ。

教えている教室で非常によく感じるのは、たとえば多くの学生が「自分だけがわかっていないと思ったこと」を質問できないということだ。「わかった?」と聞くと「わかりました」と答える。しかし、まったくわかっていない。こちらから少し突っ込んだ質問をすると一瞬で破綻する。しかし、何度同じことを繰り返しても彼らは言う。「わかりました」と。

もちろんこうした行動も、日本文化の宿痾のひとつであり、昔からの日本人の傾向といえばそうかもしれない。しかしオレはそうであるとは信じていない。いまの若者文化の「そつのなさへの撞着」は異様である。

ところで、ここには男女差がある。もちろん例外は少なくないのだが、空気を壊さずに疑念を表明するコミュニケーション言語を持っている女子は、まだ素直に自分の考えを口にできる傾向があるのだが、ストレートな言葉で表現しがちな男子たちは、この行儀の良さを内面化してしまっているところがある。

若者が現状に従順で疑念を表明しないことは、社会にとってきわめて危険である。それは変革を阻害する。おかしな現状を変革しようという方向性すらあやふやなれど強い意志、というのは、歴史的には若者の特権であり、その表明により社会がちょっと不安定になり、エスタブリッシュメント(オッサン)に都合の悪いことがいくらか起きたとしても、トータルでは全体が得をする。しかし、そうした道は現状ではかなり閉ざされている。

そして疑念を表明しないことは、社会全体だけでなく、彼ら個人の問題となる。中央の「みんな」と自分との立場の違いを理解せず、なんとなく自他を同一視して、押し付けられたことを「決まったこと」だと従い続ける者は、安易に作られた虚構の構造にやすやすと組み込まれ、やすやすと殺されてしまう、あるいは少なくとも、食い物にされてしまうのである。

現代は個人の能力が増大し、「中央のみんな」にもしっかりした人権感覚を持っている人はきわめて多い。むしろ、地方より中央に多いだろうとオレは思っている。

しかしながら、人間の行動を規定するのは人間関係である。立場だけが人を作る。個人的な人格等とはあまり関係なしに、人間は行動を縛られるのだ。そして人間性とは思考よりも行動によって規定される。

だから、構成人員と話せばマトモな常識人ばかりなのに集団としての行動が非人間的な「キチガイ集団」は、古今東西どこにでも存在する。大日本帝国はそのひとつの例だが、現代の日本国がそうならない保証はまったくないというか、たとえば入国管理局の異様な人権無視のように、時代はすでに危険をはらんでいる。

「中央のみんな」に属する人間は、中央での立場構造のくびきから逃れることはできない。彼らはいざとなれば非情な決定を下す。そして中央と地方の人間関係の近さ(馴れ合い)は、利害対立が起きたときにそれを隠し、中央の立場のみを押し通す隠れ蓑にしかならない。政権の役に立っていれば沖縄の利害を忖度してもらえると思っている者たちは、そこのところを勘違いしている。対等でない関係ができてしまえば、強者は何も理解する必要がないのだ。

立場の違った者の利害に巻き込まれずに要求を通すには、馴れ合わない俯瞰の目と、逆説的だが相手の立場に立って利害関係を考える想像力が必要である。

だいぶ話が遠回りした。

こうした構造を踏まえていくと、現代の沖縄に必要な平和教育とはどんなものか、いくらか見えてくるのではあるまいか。

平和教育は、「ぜったいに避けたいエンドポイント」を体験のリアリティで伝えるとともに、「なぜそれが起きたか」を俯瞰の視点で見せ、「立場が違えば正義は違う」という歴史的事実を踏まえさせた上で、「それを認識するには個人の独立が必要である」という自覚の促進まで踏み込む必要があるし、またそれが可能であるように思うのだ。

実現はどのようにでもできる。教える側が自覚を持つか否かである。

参考文献:

納骨堂であった慰霊塔、慰霊碑、ガマといった「沖縄人の戦跡」が、時代とともにどのように扱われ、それはどのように変容してきたか。そこに働いた力はどのようなものだったか。ということを克明に追った博士論文。

6月23日でいいんですか?

6月23日は沖縄県の「慰霊の日」です。

今日は沖縄県の学校は休み。県庁も休みかな。みんな正午に黙祷したりして、戦没者を偲んでいる。みんなが戦争の愚かさを思い出し、語り継ぐ重要な日。

ではあるんだけど、オレは6月23日が慰霊の日であることに納得がいかない。

6月23日って色んな意味で無難ではあるんですよ。無難ではあるけど、もしオレが決めていいんだったら、この日だけは避けたい、と思うような日でもあるのです。

なぜなら、この日に死んだのは主に沖縄県民ではなく(県民も死んでいるがもっと多数が死んだ日はいくらでもあり)、県民に迷惑をかけまくって逃げた大日本帝国陸軍第23軍司令部の主要メンバーだから。

慰霊の日を定めることも、その日を公休日にすることも、語り継ぐべきことを語る節目の日にすることも大賛成なんだけど。

他に良い日がないし、この日を象徴として積み重ねてきたんだから、これからもそうしておくしかない日ではあるんだけど。

そんな話です。

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6月23日を慰霊の日とすべき理由はいろいろある。

例えば、昭和20年6月23日は、沖縄戦における組織的戦闘の終了日とされている。県民の間でも、民間人犠牲者がこのあたりから減った実感があるかもしれない日、ではある。

例年の梅雨明けが6月20日あたりで、急に季節が変わって気分が一新するため、昭和20年もそうだったな、という記憶と結びつけやすい日、でもある。

日本国内で公式な戦闘終了日のように扱われている日であり、いろいろと通りが良いのもわかる。

しかしオレは思う。本当にこの日でいいんですか? と。「慰霊の日」を、ここに定めるんですか? こんな日に? 趣味が悪すぎない?? と。

実のところ、昭和20年6月23日は、大日本帝国陸軍第32軍司令部の牛島司令官・長参謀長らが、すべてを放棄して勝手に自殺しただけの日である(22日説あり)。

彼らが司令官牛島満大将名義で18日に出した、最終命令、というのがある:

親愛なる諸子よ。諸子は勇戦敢闘、じつに3ヶ月。すでにその任務を完遂せり。諸子の忠勇勇武は燦として後世を照らさん。いまや戦線錯綜し、通信また途絶し、予の指揮は不可能となれり。自今諸子は、各々陣地に拠り、所在上級者の指揮に従い、祖国のため最後まで敢闘せよ。さらば、この命令が最後なり。諸子よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし

翻訳しましょうね。

「大好きな君たち。みんなよくやった。3ヶ月頑張って、もう任務完了だ。君らの頑張りは歴史に残る。ただ、戦場はしっちゃかめっちゃかで連絡もつかなくなって、オレはもう指揮できない。あとはその場で上級者に従い、各自で最後まで頑張ってね。これが最後の命令です。捕虜にならずに死ぬんだよ。」

組織的戦闘が終わったとされる6月23日だが、この日に戦闘がピタッと止んだわけではない。最終命令の日付からも明らかなように、6月15日すぎには日本軍にはまともな抵抗能力がなくなっていた。戦闘は既に下火になっていたということ。

そして重要なのは、32軍司令部は米軍に対して降伏したわけでは決してなく、勝手に自殺して消滅しただけだということ。残存した日本兵は隠れて生活を続け、機会があれば米兵を襲撃し、反撃にあっては民間人を巻き添えにした。

こうした「散発的抵抗」は、日本兵が降伏を信じなかったために8月15日ですら終わらなかった。公式に「戦闘状態が終了」したのは9月初旬である。

司令部が勝手に崩壊して残存勢力が迷惑な武装集団になる現象は、フィリピンをはじめとする日本軍占領下の島々で、しばしば繰り返された。占領地に安全な基地を建設した米軍にはほとんど影響がなく、民間人に迷惑をかけ続けて彼らは生活した。

降伏宣言を出せない日本軍の無責任な臆病さが、この現象を頻発させた。

慰霊の日って、誰を慰霊すべき日なの? 全犠牲者を、というのはその通りなんだけど、この日に定めてるってことは焦点があるよね。主に誰を慰霊しているの?

ちなみに、戦略持久を無視した無理な総攻撃で兵力を失って首里失陥を早め、最終命令の最後に「諸子よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし(「捕虜にならずに死ぬんだよ」)」と書き足したのは、この日に牛島司令官とともに自決した長勇参謀長である。

えっ、こんなやつを「県民が」慰霊するの? 無能かつ義務を果たさない臆病な卑怯者を? 死んだ日を記念日にして? まじで?

するんですよ沖縄県民は。沖縄戦で死んだ全員を慰霊する日として定めたから。
馬鹿な参謀長どころか、県民を直接殺した米兵だって慰霊する。沖縄戦の犠牲者は全員慰霊する。これはそういう日なのです。

あーモヤモヤする。

しかし、そうしたモヤモヤ感を持つべき日、でもあるのかもしれない。

そしてこういうことを書いているうちに、南北戦争のリパブリック讃歌にある

As he died to make men holy,
let us die to make men free,
While God is marching on.

が思い起こされた。最後に勝つまで連戦連敗だった北軍の兵が負けてなお歌っていたことを昔アシモフのエッセイで読んで以来、おりに触れ蘇るフレーズ。

let us die to make men free. 人間を自由にするために死のう。

逆ではなく。

今日はそういう日です。

「帰りの会の世界」を生きそして死ぬ

「資本主義批判」みたいなやつをオレはまったく信用してなくて、というか、素人の浅墓なたわごとだと思っている。


投資の果実を投資者が直接得なくてもよいのであれば、もっともリターンがでかいのは教育投資。政府がシステム的に子供にカネをつっこめば本人の人生の充実という形で得られるリターンは非常に大きく、そのおこぼれの税収アップだけで政府はやっていける。みたいな考え方を市場経済が嫌いな人はやりにくいのでもったいなく思う。


科学とカネ勘定は人生の両輪である。


カネ勘定の問題がわかるというのは生物としての人間がわかるということにほとんど等しく、資本主義が生き残るという現状は、ヒトという種の作り出す社会の「計算結果」であり、どうしようもなくビビッドに現れている単なる表徴である。批判しようがどうしようが、それはそこにある。

 

もちろん、生物としての必然を客観視してそこに人為的な調整を加えうる、というのは人類の強烈な強みであり、市場を調整することで全体最適を制度化することが sapiens たる人類には(理論的には)可能である。

 

ただ現状のように、カネが流れてくるようになった場所に偶然立っていた人間がカネを握り、カネという結果を得ることで自分の実力を過信し、カネにより権力にも影響を及ぼすことができる社会で、カネを取り上げる施策が可能であるとはとても思えない。

 

たとえば自民党は二代目アホアホ経営者のお仲間集団であり、それらしいことをなあなあに言い含めるのが好きで上手だし、庶民はそういうのにとても弱い。全体最適は制度化しない。

 

小学校が解体される時代にならないと、こうした帰結がもたらすせせこましい社会が変わることはないのだろうと思っている。

 

国民性は小学校で作られ、われわれは今も「帰りの会」の世界に生きている。たとえ理性と議論がまともな結論を出したとしても、「先生」の鶴の一声がすべてを覆すことにわれわれは耐えてしまう。自分たちで不安な未来を選び取るだけの胆力がない。そうした国民性が変わるには、小学校が消滅し、個々に選び取る教育が普及するのが最上だと思う。

 

それまで待っていられないのであれば、小学校に関わる大人を増やすことで学級運営の呪いを解き、小学校を民主化する、という方法も存在する。(「学級運営の呪い」とは、学級崩壊により授業が成立しなくなることの不利益が他のすべての不利益より大きいという教諭間のコンセンサスにより保たれている非人間的学級運営慣行のすべてである)。

 

関わる大人は高度化しなければならない。教育学部出身者の教育法以外の知識はほぼすべてが一般人レベルで、学校には、そして教育委員会には、もっと現代的な知性が必要だ。数学嫌いだった教師に算数を教えさせるから、掛け算順序のような不毛な問題が起きる。

 

小学校はもっとも数の多い学校であり、多数の人間を配すには多量のカネが要る。

 

しかし、この投資を無駄だと思うのはカネ勘定のできない人で、教育投資のリターンがどれほど優れているのか身を以て体感しているはずの国家公務員たちが、あるいは収支を合わせるのに汲々とし、あるいは下手の横好きの一般的投資に走って、いずれも結果を出せていないのは、要するに彼らにはカネ勘定ができていないためだ。

 

科学とカネ勘定は人生の両輪である。それは政府の運営にもっとも必要な資質でもある。

 

しかし、「科学」を手に入れるには学問への傾倒が、「カネ勘定」を手に入れるには市場での経験が(できれば身銭を切ってひどい目にあった経験が)必要だ。どちらもハードルが高く、どちらも持ってる人はだいたい黙って満足に暮らしている。

 

政府の運営に関わる人達に科学とカネ勘定を無理やり注入するのがいいのか、制度を改めて在野のこうした人たちを活用するのが良いかといえば、目的達成が容易なのは圧倒的に後者だ。

 

しかし日本では制度が抜本的に改まることはないし、「無理やり注入する」方の策がとられたとしても、注入できた「ことにする」員数主義のショートカットが横行し、けっきょく何も変わらずに終わるだろう。小学校が解体される時代まではこれが続く。

 

さて。小学校が解体されるまで100年、その教育で育った子が社会の中枢に至るまで50年として、150年後くらいには、もしかしたら日本も少しは変わるかもしれない。

 

しかし、あなたが生きている間に変わることはない。「帰りの会の世界」を生き、そこで死ぬしかない。

 

大多数が政治に無関心な社会とは、こういうものである。