本のレビューを投稿しました

Amazonに秋田純一博士の『揚げて炙ってわかるコンピュータのしくみ https://amzn.to/2EJ9T32 』のレビューを投稿しました。

当初Facebookに書いた感想を手直しして投稿したのですが、AmazonのレビューにはURLを書けないようで、いまのところ非公開にされやがってます。というわけで8月29日現在、こっちが完全版です:

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集積回路のプロの遊びっぷりを見よ!

二時間くらいで一気に読んでしまいました。

著者はニコニコ技術部の「LED点滅用のLSIをつくってLチカをやってみた https://www.nicovideo.jp/watch/sm23660093 」等で有名な金沢大学工学部教授の秋田純一博士です。専門は集積回路ですか、「無駄な抵抗コースター https://www.switch-science.com/catalog/2780/ 」等の遊びのほうが知られてる方。

この著者がコンピュータというものをどのように捉えているかを、ふだんの遊びを通じて垣間見せてくれます。自分はこれをある種のエッセイと捉えました。

揚げたり炙ったりは4章と5章に掲載されてます。

「揚げる」はハンダを溶かして基板からチップを外すプロセスです。ハンダは200℃ちょいで溶けるので、ちょっと熱しすぎの天ぷら油でチップが外れるというコロンブスの卵!

「炙る」はバーナーでチップのパッケージを炭化して中身を取り出すプロセスです。プラスチックパッケージをこうやってキレイに壊せるとは知りませんでした。

 

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チップの中身を取り出して何をするかというと、同じシリーズのチップの世代違いとか(写真はATMega328Pと328PBの比較のとこです)、メーカー品と偽物チップとかを比較する。具体的な方法としては顕微鏡下での計測とデータシート調査、考察です。公開情報と実物からこれほどのことがわかるとは…。

こういう面白さは、実際にやってみた人にしか見えないものだったし、やり方もノウハウに満ちています。道具はごく安く手に入るものですが、知識に基づく試行錯誤がなければ手の届かないものです。それが惜しげなく公開されてます。

この実地調査は上でも書いたように4章と5章、本文150ページのうちの50ページくらい。

残りの部分は何をやっているかといえば、コンピュータという存在に対する"Powers of Ten"です。これは10秒ごとに10倍の距離を遠ざかって宇宙全体を見る/近づいて原子レベルまで拡大していく有名な動画です。子供の頃に科学館の類で見たことがある人も多いと思う。

参考: Powers of Ten 日本語吹き替え付き

www.youtube.com

本書でやってるのは、コンピュータ本体からチップ〜ロジック回路〜半導体〜ソフトウエア〜ビジネスといった具合に、巨視から微視に、また微視から巨視に、行ったり来たりズームして、総合的にコンピュータを理解しようという試みです。

それもサワリだけ書いてあるわけじゃなく、巨視的にはムーアの法則のきちんとした理解、微視的な方はアセンブラの命令が回路的にはどのように実行されるか順を追って解説してたりしてます。しかも難しくありません。まさにプロの犯行ですね…。

コンピュータに限らず、複雑なものを抽象化してブラックボックス化して使うということを我々は日常的に大々的にやっています。ところが抽象化には必ず漏れがあり、漏れたとこから破綻する。

数学では抽象化は完全に行われますが、実際の物理現象の世界ではだいたい極端な条件で破綻が起きます。なにが極端であるかは中身を知らなければわからない。それが自分でできるようになる視点が本書には詰まっています。

技術的なことに興味があれば、本書と同様の動機を必ず持ってるものです(子供の時の分解癖とか)。でも、これだけ突き詰めて細部を知った挙げ句に、これほどざっくり書ける人は他には居ないのではないでしょうか。

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安全と安心についてのメモ

安全と安心は別である、とはよく言われる。何が違うんだろう。

オレに言わせれば起源が違う。

安心ってやつはそもそも、安全っぽい状況に入ると心が勝手に作り出す幻影だ。危険から十分に遠ざかった、味方の人数が十分である、十分な障壁のある住処に入ることができた、などなど、安全らしい状況で心のなかに醸される何かだ。(これらは不安が存在しない状況を示す。動物の活動レベルは不安により上昇するので、行動の必要がない状況になることが安心である、といえるかもしれない。)いずれにしても、安心とは主観的なものであり、個人に属するものだ。

安全はこの逆で、危険がないことを示している客観的な状況を描写する言葉である。

安心には主体があるが安全にはないということだが、これは実際にはどのように違うのだろうか。

例を上げよう。「主観的には安全だったが」、などという記述を見れば、客観的に安全じゃなくて事故が起きる流れだとわかるだろう。逆に「客観的には安心だったが」などと書かれたら、その先がまったく予測できないだろう。

もう一歩進んで「客観的には安心だったが主観的には安全ではなかった」と書いてみようか。

吐きそうになる。まったく意味が取れないからだ。

意味が伝わりそうな記述は「客観的には安全だったが主観的には安心できなかった」であろう。

安全、安心という言葉は、こうして例を出して考えてみると、感覚にきちんと根ざしたものだとわかる。

 

ところが安全と安心は混同され、混用される。

混用が起きるのは、安心を感じているだけの主体が、自分を客観視したつもりで「安全である」と言いたがるからだ。(逆はない。「これなら安心である」と言われると、「オレの感覚を勝手に作るな」という反発があるからだ…ああいや、こういうのありますね。年金制度の宣伝とか。)

ところが感覚的な判断はしばしば間違う。客観視したつもりだけの人が言う「安全」が空虚に響くのは、現代の安全には定量性が必要だからである。

定量性が必要なのは、「安心」という感覚が芽生えた太古の昔とはまったく違った感覚世界で生きているからだ。

われわれは目で見えないくらい細かいものや遠くのものを見ることができるし、放射線だって測定できる。舐めてもわからないほど微量の化学物質だって検出できるし、隣の村より遠くの敵を認識することができる。

これにより、「感覚的には安心できないけど、客観的には安全」という状況が生まれる。

地上で受ける宇宙線程度の放射線被曝は安全だ。1000キロ先で大地震が起きても安全だ。黄色ブドウ球菌が皮膚に何千個もついていることは安全だ。

逆に、「感覚的には安全だけど、客観的には危険」という状況もある。

レーザー光線を見てしまうのは、網膜を焼くほどの光が存在することが感覚的にわからないためだ。感染症の数字が多少増えても平気でいられるのは、人間の数理感覚が鈍く、指数関数的増大が認識できないためだ。

 

感覚的に捉えることは、危険の過大評価や過小評価を生むことだ。これでは「安全」は得られない。

ところが感覚的に捉えていないことに対しては「安心」が得られない。

われわれは数量的に計測し、数式で表現し、グラフを描くなど、人類が脳の外部に拡張した非感覚的な能力により「安全」を捉えているわけだが、これは感覚で捉えられないものを感覚化する作業である。

「安心」がないとリラックスできないので、客観的に安全という状況を認識し、感覚を騙して「安心」回路を働かせる必要がある…というわけだ。

 

安全と安心の齟齬は、文明化した人類の能力の増大に個人の脳が追随できない例であろう。

「安心」って感覚はポンコツすぎて現代人の生活では役に立たないんだけど、脳に組み込みになってて外せない。

逆に「安全」を認識するには脳の外部に拡張された非感覚的能力を使用する必要があり、広い範囲の知識や認識方法を学習する必要があるので、だれもが得られるものではない。

誰もが安心を求めるのは当然なのに、因果な話である。

 

余談。人間の脳の非合理的なバイアスは人類が最大150人のムラに住んでたときに人間関係の問題を高速に処理するためのアクセラレータ回路によるものって話があり(ダンバー数問題)、オレは社会問題の大部分はこれに根があるように感じているのだけど、安全安心の話はちょっと違うかもしれない。

天文素人がネオワイズ彗星を見るには

ネオワイズ彗星(C/2020 F3)を見てきました。昨夜(2020/07/21)のことです。

www.astroarts.co.jp

場所は沖縄本島北端に近い茅打ちバンタです。宜野湾市の家からクルマで2時間くらい。

www.google.co.jp

実は昨日の昼までは、今回の彗星も、見ようとも見られるとも思っていませんでした。
これまでハレー彗星を皮切りに、何度もフィールドに行ったことがあるんですが、下調べが甘かったり天候が悪かったりして見えたことがなく、「またどうせ見える見える詐欺でしょ」「明け方にがんばるのは無理だし、夕方見える頃には暗くなってるんでしょ」などとフテくされた感覚を持ってました。
ところが友人に話を聞いて、ちょっと釣られてみたら、ちゃんと見えてびっくり!
「彗星を肉眼で見る」というのは普通に生活してるとたぶん一生に一度くらいしか体験できないことですし、この彗星も日々暗くなっていく段階。
なので、興味はあるけど…と迷ってる方に向けて、大急ぎで共有しときます。
友人に聞いた情報
  • 等級は低く、森川公園(宜野湾市)では肉眼ではわからないが最新のiPhoneなら映った
  • 土曜の真栄田岬ではよく見えた
  • 北斗七星の左下にあるからわりにわかる 
そしてNoktonのF0.95レンズ+オリンパスOM-Dの写真を見せてもらいました。イオンテールとダストテールが判別できる…!
集めた情報、使った道具
天体望遠鏡メーカーVixenの彗星アプリです。ARとかはないけど、他の星との位置関係がわかります。また、星景内で動いていく様子や地平線との位置関係の変化を日付や時間のスライダを動かしていくことで理解できるという優れものです。 
  • Windy

www.windy.com

(訂正。雨雲レーダーを紹介してたんですが、見てたのはWindyでした。Windyだと雨雲レーダーに映らない薄い雲も表示されます。)

ネオワイズ彗星は7月中旬から「日没後の北西の空に現れてそのまま沈んでいく」という動きをします。なので、8時に北西に雲がない場所に行くのがベストです。 

 
雨雲レーダーでは薄い雲はぜんぜんわからないんですが、ある程度以上の雲が存在してる様子や、その動きがわかります。今回は本部半島の上空が雲で覆われるという情報を参考に、北部まで行きました。
どのサイトのを使ったのかは忘れましたが、どれも気象庁のを使ってるから似たようなものかなと。
車中泊まとめWikiというところが他の一次情報を加工して見やすく置いてあるようです。
自分が行ったのは、このマップで青紫くらいになってる場所、沖縄本島北端に近い「茅打ちバンタ」という海岸沿いの崖みたいなところです。ただし、これは光より雲を抜けたいための選択でした。真栄田岬あたりでも晴れてれば天の川が見えるので、なんとかなるのではと思います。
これは要らなかったです。カメラはスマホ(Xiaomi Mi Mix2S。暗所にかなり強い)も含め、まったく役に立ちませんでした。失敗写真も思い出的にはいいけど、良い写真はプロの人が撮りまくってるので、肉眼を主体にすべきかなと思いました。
 

ほしかったもの

  • 大口径レンズの双眼鏡
口径の大きな双眼鏡(仕様の「倍率X口径」の口径の数字が大きいもの)には集光能力があり、肉眼で見分けられない暗い星が見えます。不思議なもので、双眼鏡で見えると肉眼でも見えるようになりますし、ちゃんと見える光学的手段はあってもいいなと思いました。ニコンの7X50のこれとかは見えすぎてかえって星座がわからないくらい明るいらしい。ほしい。
  • 暗い場所に強いカメラ
やっぱ欲しかったw SONYのアルファ7など、星景撮影に定評のあるカメラがあったら楽しかったろうなあ、と思います。
 

注意

ヒトの目が暗順応するには数十分から数時間かかります。暗い星が見えてるくるまででも20分くらいかかるそうです。スマホやカメラの画面をモロに見るとリセットがかかる(明順応する)ので、どうしても必要な時に限って暗くして見る、くらいがいいと思います。
昔から夜間の観察をする人の間で共有されてる知恵として、赤くて弱い光なら明順応反応を起こさない、というのがあります。スマホにもカメラの液晶やインジケータにも赤いフィルム貼りたかったです。
  • 注目すべきは北斗七星
彗星はかなり暗くぼんやりとしており、視野の中心でマトモに見ようとすると難しいです。
自分の場合、「北斗七星のひしゃくのカップ部分あたりに着目し、視線はその方向のままで左下を注意する」みたいな見方をすると認識できるようになりました。
視野の中心でぼんやりした光が見にくいのは、人間の網膜には視細胞が2種類あり、そのうち色を見るための(光の存在認識にはあまり鋭敏でない)錐体の方が、視野中心付近に集中して分布しているためです。周辺視野には光を感じるための桿体が多く分布してるので、暗い星が見やすいです。 

おわりに

彗星は30年以上も空振りだったので、本当に見えたときは驚きました。

こじらせてる方はいまがチャンスですよ! と言いたくて書きました。

案外ちゃんと見られるので、大急ぎでそそくさと観察、というのはいかがでしょうか。

いま「だけ」がチャンスです!

個人向け給付を使いたいように使うのは義務だろうが

給付の話が具体化してきたら、ああ使え、こう使え、辞退したい、こうしなきゃ、これは間違い、みたいな話がいっぱい出てきた。しまいには「県職員の分はオレが全部使いみちを決めるよーん」なんて知事まで出る始末。

バーカバーカ!!

てめえが一番賢くて一番正しく使えると思ってるやつ、清貧気取りで給付から逃げるやつは、全員大バカ野郎のコンコンチキだ。経済学的文盲だ。

個人に広く浅く給付するメリットは、各人がそれを自分のものとし、自分にとってもっとも適切な使途を、身銭を切って選択できることにある。

足りなくなった需要を、ありとあらゆる細かい配慮で補っていくことは行政にも企業にも不可能だ。多数の個人の選択によるしかない。

そしてここには市場メカニズムによる選別という面もある。灰の中から立ち上がらねばならない未来にとって必要な手順だ。

コストを掛けてバラして配ったものをわざわざ集めたがったり、あたかも「正しい使い方」があるかのように誘導したり、受け取ることを恥ずかしい行為のように扱って空気を作れば、市場を大きく歪めてしまう。未来は指の間から滑り落ちる。コロナ対策は失敗する。頭が悪いとしか言いようがない。

逆に責任を持って使う政治家もちゃんといる。これは偉いと思うんだよね。

和光市長「私は10万円申請 全部地域で消費」ツイートがネット話題「ぐうの音も出ないほど正しい姿」― スポニチ Sponichi Annex 社会

この人の使い方が正解というわけではない。自分の考えを自分のお金で明らかにする、という手順そのものが正しいのだ。こうした市場参加が必要なのだ。

今度の給付は、そもそも制度設計が悪い。お金は回さなきゃ生きない。でも民間セクターでは今後2年ほど収入予測がまったく立たないのだから、予測に働きかけない限り、貯蓄に回る部分が相当出る。むしろ貯金するのが当然だ。

なぜ予測に働きかけるベーシックインカムにしないのか。

無税にしたのも良くない。これは誰かの仕込んだ毒饅頭で、給付を高コストにして1回限りのものとするものだ。また、こうすることで高所得者から回収する方法がなくなるので、辞退が正しいという空気を作ってしまう。

こんな行きあたりばったりの給付では、経済は当然持たない。さらなる対策が必要となれば、今度は「効果のなかった給付」ではなく、官僚や自民党執行部が適当に考えた「正しいこと」にお金が使われるはずだ。

リーマンショック下の麻生政権が出した数十兆円の経済対策には目玉もなにもなく、官僚がしまい込んでたガラクタプロジェクトの大復活大会に金を捨てた。今度も同じことが起きる。安倍ちゃんたちのオトモダチプロジェクトが加わるので、さらに醜悪なことになるだろう。

コロナ騒ぎで起きてることは未来の先取り

コロナ騒ぎでベーシックインカムがまただんだん注目を集めるようになってきた。

以前からベーシックインカム論者の山崎元さんも4/1に書いてるし:

コロナ経済対策が「ベーシックインカム的」であるべき理由 | 山崎元のマルチスコープ | ダイヤモンド・オンライン

最近の柏木亮二さんの記事もある(これは、そもそもベーシックインカムとは何よ、というイントロ解説として、なかなかいいと思う):

【COVID-19】「一律給付」と「ベーシック・インカム」:『みんなにお金を配ったら』|柏木亮二のDX Book Review | 野村総合研究所(NRI)t

ここで語られるべきは、なぜいまベーシックインカムなのか、ということだ。

オレの見立てを言わせてもらうと、コロナで起きてることも、AI化などイノベーションの高速な蓄積で起きることも、突き詰めれば「人類には制御できない強烈な力による社会習慣の破壊」なんだよね。

これが起きると惰性で続けてきたことが消滅し、自分にとって大事なことを考えざるを得なくなる。個人が、特にその習慣部分が大きく変われば、個人の集大成としての社会の価値観も大きく変わる。

コロナによる社会の変化すら、一定の部分は不可逆的だろう。二度と元には戻らない部分がたくさんある。

それでいて収入の見通しも社会状況への見通しも立たない状況である。社会の不安はどれほど高まっているだろうか。

不安が高まれば、人間のデフォルト行動の縮こまりが起きる。社会からダイナミズムが失われ、経済的には需要が最低限まで落ち込む。

コロナではこれがものすごく急激に起きたが、未来においては深く静かに進行する。対応は必須だが、いつまでも昭和風味の方策ばかりで、まったくうまくいってない。

現代の産業の大きな部分は「不要不急」であり、「必要不可欠」の割合は小さい。見栄と行きあたりばったりの消費が経済を支えているので、ダイナミズムが失われる影響は甚大だ。

経済はシステムであり、「必要不可欠」だけを維持しようとしてもそれは不可能だ。崩壊はどうにかして防がなければならないが、そこには元気で自由な消費が必要だ。影響は広く深く、生半可な給付ではこれを補うことはできない。

失われた需要を補うには、広範囲の、無差別の、膨大な給付が必要不可欠だ。

どうせ給付することになるんだから、この問題の本質をかなり解決できる、最良の施策としてベーシックインカムを推す。

これが「なぜいまベーシックインカムなのか」への答えだ。

 

ベーシックインカムは人間を愚かにしない

ベーシックインカムの本質は経済的見通しが立つこと、それにともない自由が得られること、そして給付が労働意欲や創造性を抑制しないことにある。

これはいまもっとも不足している「安心感」と「ダイナミズム」を、ちょうど補えるものになる。

この状況でベーシックインカムを考えるなら、押さえてほしいことがいくつかある。まずは経済的見通しが立ち自由を得られることによる作用だ:

  • 収入不安が減って精神的安定が普及する
  • 転職しやすくなるので抑圧的労働の需要が抑制される
  • 転職しやすくなるので産業構造が変化しやすくなる
  • 自分のやるべきことに向き合う余裕が生まれる
  • 貯金の必要性を減らすため「不要不急」需要をサポートする
  • 機会コストを可視化するため家事やコミュニティ維持など構造的に経済報酬の少ない仕事をサポートする

これらは総じて心が安定し、社会のダイナミズムが増えることだ。

 

そして給付が労働意欲を削がないことの作用である:

  • 「働いたら負け」にならないのでチャンスを逃さない
  • 転職や新分野への挑戦のハードルが下がる
  • 他人の顔色をうかがう意味が減るので対象に集中する

これらは総じて変化への肯定感が高まることだ。不可避の変化をうまく活かすにはポジティブな態度が必要だが、ベーシックインカムならこの状況の中でそれを足せる。

 

「貧すれば鈍す」の言葉のとおり、困窮・縮こまりモードになった人間は、非常に愚かになる。貧乏人は愚かだから貧乏になったのではなく、貧乏だから愚かに振る舞わざるを得ないということだ。

よく言われるのは、貧乏だったら自炊すればいいのに、という話だ。スパゲティ1kgは200円くらいなので、これを3食ペペロンチーノにして食べれば1食あたり30円くらいになる。1日100円で過ごせばさすがに余裕が出るでしょ? という話。

ところがこれは不可能なのだ。学生時代から余裕のある一人暮らしで練習した人はすぐ思いつくんだけど、家で料理をする習慣のない、社会資本なしで育った人で、自炊を始められるほど思考に余裕のある人はほとんど居ない。

金持ちでも貧乏でも学歴のいかんに関わらず、人間なんてわりかし愚かなものである(何不自由なく育ち、何不自由なく暮らしている世襲政治家が恐ろしく愚かなことを見ても明らかだろう)。しかし「持てるもの」であれば、心の余裕によって現代文明の成果を利用しやすい。

ネットで検索すれば自炊入門も山ほどある。家計の見直しもアプリを使えばなんとかなりやすい。ちょっとした余裕があるだけで、いまは人間のデコボコを補ってくれるツールが山ほどあるのだ。生産性を上げるには、つまり、同じ労働で多くの成果を得るには、こうした助けは絶対に必要だろう。

ところが心に余裕のない人は、これらに手を出すだけの余裕すらない。

非常モードの人間は弱いものだ。「追い詰められれば実力が出る」という、よくある考え方は間違っていて、単に視野が狭くなるだけだ。

収入見通しと心の安定については、こんな研究もある:

Money and Mental Illness: A Study of the Relationship Between Poverty and Serious Psychological Problems

深刻な精神疾患の患者に9ヶ月間毎月500SEK(スウェーデン・クローナ。当時のレートで6000円くらい)の可処分所得を給付しただけで、対象群に比べて不安やうつ症状が減り、人間関係も豊かになり、生活の質も向上したという。

 

やる気に関する驚きの科学

ここで、ちょっと無関係に見えるかもしれないけど、ダニエル・ピンクのTEDトーク、『やる気に関する驚きの科学』を見てほしい:

www.ted.com

扱われているのは、報酬と問題解決の関係だ。

  1. 20世紀的な報酬、ビジネスで当然のものだとみんなが思っている動機付けは、機能はするものの驚くほど狭い範囲の状況にしか合わない
  2. If Then式の(これをすればこれを貰えるタイプの)報酬は、時にクリエイティビティを損なってしまう
  3. 高いパフォーマンスの秘訣は報酬と罰ではなく、見えない内的な意欲にある。自分自身のためにやる、それが重要なことだからやる、といった意欲だ。

外的モチベーションは決められた作業を高速化するが、内的モチベーションを殺してしまうのだ。(まとめ部分を転載したが、この動画はおもしろいから見るべし。)

外的モチベーションで動くだけでは単なる労働力になってしまう。これを目指してはならない。必要なのは内的モチベーションの方だ。

そして的モチベーションは生活の安定によりもたらされる。

ベーシックインカムは、これをサポートする。

 

先の見通しが立ち、落ち着いていること。

これは人間が人間としてうまく機能し続けるのに必要な条件だ。貧すれば鈍してしまい、何も生み出せなくなる。逆に安定して自由な人間の、ことに日本人のクリエイティビティは、異常なほどのレベルにあると思う。

ベーシックインカムの優れてるところは、変化のなかった旧石器時代に適応しちゃってる人間の脳を、変化し続ける現代の世界で全開にできることにある。

コロナの感染拡大を防ぐには広範な給付が必要だ。

ベーシックインカムは日本人にベストマッチである。

いまがチャンスなんじゃないですか。

自然とのたたかい

SNSを見てると、「けしからん」ニュースが次々に流れてきます。

たとえば以下のように離島が危険にさらされてる状況がある中で:

ryukyushimpo.jp

 わざわざ訪れた人が居たらしい、なんて話が出るわけです:

www.okinawatimes.co.jp

こういうのを見て、反射的に「なんで離島に行ったんだ」みたいに思うのは自然な反応です。この見出しにも、そういうニュアンスが含まれてる。

でもホントのところ、人間にとって、こうした行動を防ぐことは不可能です。「決まってた仕事で行く必要があった」とか、「前々から計画してて、このタイミングでないとできないことがあった」とか、いろいろあるんです、きっと。

自然界に合わせて人間の行動を変えることは本当に難しいです。荒れた海のダイビング事故で死ぬ人は昔はたくさん居ました。そんなの危ないに決まってるし、それは誰にでもわかる。だけど毎年死ぬ。そういう悲劇を見てきた人も死ぬし、「そういうことしてると死ぬよ」って警告してた人が、まさにそれをやって死ぬ。だから業界でルールを作る必要が出る。そのくらい難しいものです。

こうした不合理な行動をやってしまうのは、自然界で起きていることを、大脳というさまざまなバイアスのある計算機を使って解釈してるからです。

「愚かな事故」というのは実は、「ヒトという生物の当然の行動」で起きます。

コロナについていえば、たとえば「自分だけは罹ってない」という「確信」があり、「いまやらなきゃ台無しになる仕事」があったとき、行動を変えられる人なんか、まずいません。確信があれば前進するに決まってるじゃないですか。

でも自然はそんな人間の「思い」と無関係に、完全に無関係に動いてます。ある人が自分の判断に確信を抱いていたとしても、その行動の結果がどのように出るかは、事前の確率に従います。偶然大丈夫なこともあれば、偶然ダメということもある。

同じように危険なことを3回続けてやったとします。たとえば「荒れそうな海に潜る」こと。これで実際に海が荒れる確率を50%、全体で10%の確率で死ぬものとします。これは猛烈に危険な行動です。

このような行動を3回続けて取ったとき、死なない人は0.9^3=0.729の約73%、悪天候にすら遭わない人だって0.5^3=0.125の12.5%もいます。「なんだ、危ないって言われてたけど大丈夫じゃん! 」という経験を、案外多くの人がするわけです。

そしてこれは潜った人の能力とは関係のない、純粋に確率的な事象にすぎません。

だけど当事者になれば思ってしまうものです。「危ないと言われていたけど、これに関しては自分の勘は当たるようだ。なぜならXXだから(XXには、経験者だから・よく考えてるから・対策してるから・鋭い直感が働くからetc...が入る)。」と。

ヒトは自分が「偶然大丈夫」を3回続けて引いたのだとは思えません。これはほとんど不可避で、たとえば科学的、客観的に考える癖を身に着けている科学者が、専門外のことで非常にくだらないジンクスを信じてたりするのを見ても、よくわかります。ランダムな出来事同士に関連性を見出し、ストーリーに仕上げてしまうのは人間の脳が持って生まれた傾向です。ここから逃れられる人はいません。(「スキナーの鳩」というオレの大好きなエピソードがあって、こうした非合理なストーリー構築機能が鳥類の脳にまで遡ることが示唆されてるので、興味のある方はググってみてください。)

それでは事故を避けるにはどうしたらいいでしょうか。「オレと行けば絶対に大丈夫」と心から言ってくれるベテランと潜れば大丈夫でしょうか。

違います。この恐ろしいサイコロを振らないのが一番です。人間の脳がどのように判断を誤るかを知り、それを踏まえた行動をするということ。

というわけで、冒頭のニュースのような「不合理な行動」を見て思うべきは「アホがいるな」ではなくて、「脳の歪みって怖いな」です。

アホい行動に罪はない。同じような状況なら同じような行動を取るように、人間というものが作られているだけ。

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コロナ対策は「自然との戦い」です。交渉もできなければ不意打ちも通じず、包囲しても浮足立ったりしない。疲れて攻撃が緩むこともなければ情けをかけてくれることも期待できない。というか、あちらは人間に敵対してるわけですらない。

ヒトには大脳という不合理な要素があります。これは自然を理解するには邪魔なだけだけど、社会を通して「不合理なほど頑張る」ことを可能にしてるものでもあります。対策は大脳の弱さでなく強さを生かしたものの方が効果的でしょう。

歪みを知り、歪みに負けず、歪みを使って勝ちましょう。

…この「自然に勝つ」という見方ほど歪んだものはないんだけどね。でも効果的なんだわ。

スペインのベーシックインカム

2020/04/09 update
すいません、これFacebookにだーっと書いたのを「ブログにも載せとくかー」、と下書きにコピペして、直しながらちゃんと調べていったところ、制度的にあまり期待できないものだったことが判ってきたので、ブログへの投稿自体をやめて破棄したつもりだったのが、今日見たら投稿されてた…という記事です。

Facebookの方には「いまいちでした」的なコメントを付けておいたんだけど、こちらの方は自分でも投稿してあったことを知らなかったので、ぱっと見で書いた印象に近いものになってます。

1日置いてあったものを消すのもいさぎよくないというか、読んだ人が戻ってきたら意味不明すぎなのでアップデートしておくことにします。

いまの認識は「いまいちっぽいけど希望は持ってる」といったところです。

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この報道通りの制度を導入した場合に、ベーシックインカム的文脈で一番問題になる点は、家族の状況で変える("mostly aimed at families, but differentiating between their circumstances.")というところです。

これをやると、申請や給付は単純ではなくなり、また勤労意欲への逆インセンティブが生じることになる。日本の生活保護制度と大差ないです。生活保護のない国が生活保護制度を導入するだけでは? という感じ。恒久化する意味もありそうだし。

 

とはいえ、マトモなベーシックインカムになる可能性もあります。

  1. スペインに既にまともな生活保護制度が存在し、これに「加えて」所得補償制度を付ける場合
  2. Business Insider誌の記事に誤訳がある場合

2.は「家族の状況で変える」という記述が間違いだった場合です。

テレビインタビューを扱ったスペイン語の記事の方を見ると、大臣の談話として "mucho en las familias, pero diferenciando las circunstancias" とある。これをGoogle Translateで英語にすると"a lot in families, but differentiating circumstances"で記事のようなニュアンスになります。ところが、後置修飾を多用するラテン語系の言語だと、but以下は単にfamiliesがいろんな状況に置かれてるという意味にも取れるように思うんですね。オレはスペイン語はわからないんですが、同じラテン系のフランス語は少しだけわかります。その感覚だと、後者でもおかしくない感じがします。そもそも談話だし。

まあ、いずれにしても続報待ちですね。

「ヨーロッパはエリートが国を動かし、日本は現場が動かす」

という感触は、よくも悪くも変わらないです。


以下は元々のポスト:


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"We're going to do it as soon as possible. So it can be useful, not just for this extraordinary situation, and that it remains forever," the minister of economic affairs said. ()

わかってらっしゃりすぎで逆にツラい気分になる。

スペインでベーシックインカム導入、しかも恒久的というニュースは昨日か一昨日にちらっと見てたんだけど、「また限定的な話が針小棒大に伝わってるんでしょ」と眉に唾をつける気分、および、期待はずれだったときの虚無感がイヤで読むのを先延ばしにしてた。これな。

www.businessinsider.com

だけど読んでみたら、まあまあマトモなベーシックインカムだ。

  • 自立を助ける数々の施策の一つとして現金給付を準備中
  • 可能な限り早くやる
  • 常に役立つものなので恒久化する

ですと。これならベーシックインカムのメリット:

  • 収入予測に作用して不幸を減らす
  • 給付にまつわる分断を防ぐ
  • 個々人の選択を通した需要の下支え(市場を歪めない補助金)となる
  • 勤労意欲を下げない

といったあたりは享受できそう。また副次的なメリットである:

  • 新産業への移行を妨害しない
  • カネにならない重要な仕事を市場から排除しない

あたりについても心配ない。

とはいえ危なげに見える点もあって:

  • スペインのminister of economic affairsのNadia Calvinoがテレビのインタビューで語ったもの Nadia Calviño: "Vamos a implementar lo antes posible el ingreso mínimo vital"
  • できるだけ早くとあるが導入日はまだ決まってない  < ヤバくない?
  • familyを狙っているがそれぞれの状況で区別      < かなりヤバくない?ほんとにBI?
  • 所得制限つきでuniversalなベーシックインカムではない(弱者救済を早くやることに主眼をおいてて税制をいじってない)

といったあたりは気になるし要注目。実現できなかったり、違った制度になる可能性は、残念ながらまだまだある。minister of economic affairsというけど、それって経産省的な役所では? この人に予算権限あるの? なんてのは日本人としては着目せざるを得ないよね。そもそもニュースのタイトルからして Spain is "moving to" だ。

個人的には、ホントにベーシックインカムらしいベーシックインカムになるか、という点が気になるんだけど、まあこれは、実質的にベーシックインカムとして働くなら名目的な条件が満たされてなくても「スペイン版実装のベーシックインカム」でいいような気もする。

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それにしても、やはりというかなんというか、

「ヨーロッパはエリートが国を動かし、日本は現場が動かす」

んだなー、と。

日本のスタイルは局所最適を達成するには適してるけど、全体最適は見えないようになってる感じがするよね。