『感電上等! ガジェット分解のススメHYPER』レビュー

楽しい本を頂いたのでレビューを置いておきます。

概要

安いガジェットを分解すると、その機器の企画や設計の背景、使われている技術、設計・製作された場所の文化など、非常にさまざまなことが体験的に理解できる。巷には百均ショップなどに安価なガジェットが溢れており、分解を始めるハードルは低い。本書はガジェット分解に興味のあるビギナーに向け、使用する工具とその背景や、事故を防ぐための安全措置などの必要な知識を与え、また分解の魅力を伝えようとするものである。筆者らは分解の実践を重ねたエキスパートであり、その知見は初心者のみならず経験者にも興味深い。

目次

  1. 分解はパンクだ
  2. 分解は実践だ
  3. 分解は応用だ
  4. 分解は冒険だ
  5. 分解は対話だ
  6. 分解は文化だ

内容

1章 分解はパンクだ

ガジェットを分解している人たちが、どんな考えで実践しているのかを軽く紹介し、実際に使っている工具類をその背景となる考え方とともに対談形式で見せていく。

2章 分解は実践だ

分解を実践する。ギャル電きょうこ氏による分解入門とリミックス例、山崎雅夫氏による百均ガジェットの分解を通した興味の充足の様子を見せていく。

3章 分解は応用だ

鈴木涼太氏による複数のデバイスを分解比較する例や、秋田純一氏による半導体チップの解析例を通じ、設計文化や製造システムの理解を楽しむ。

4章 分解は冒険だ

失敗対談、オームの法則PSE認証、技適の話を通じ、リスクの冒し方について考えていき、分解により「その製品がスペック通りに作られているか」を検証するプロセスを見せる。

5章 分解は対話だ

定点観測で変化のあったガジェットや、動作の理解できないものを分解して知見を得る山崎雅夫氏の記事と、そうした比較検証的な考えの実践が容易な電気街の紹介から、各国の工場や電気街の紹介を扱った章。

6章 分解は文化だ

ネットで見られる分解を扱うサイトの紹介から自分でやった分解を発信するノウハウ、仲間探しまで。


感想

生物学者はその育成過程で解剖を訓練する。解剖とは生物を分解し、内部を詳細に観察してスケッチすることだ。現代では写真が非常に容易に撮影できるので実地の研究でスケッチを用いることは多くないが、詳細な観察をおこなうには目視だけでは足りず、スケッチに起こしてみるべきだと考える人は実は少なくない。これを称して「考えるな、見よ」という。簡単に理解したと思って見落とすものも、スケッチすることで気づくことができる。

同じことが機械の分解にも言える。部分を非常に詳細に見ていくことが、全体の理解に繋がるのだ。分解して構造を理解する、基板をモジュールに分割して理解する、わからなければチップまで分解する姿勢は、理解をひたすら深めていく手段となる。その理解は当該部分だけでなく上部構造に、そしてついには文化におよぶ。本書はそのための入門書である。

分解はエンジニア気質のある人がよく通る道だった。一定以上の世代では、子供の頃に自分のおもちゃを分解したり、家電製品を勝手に分解して怒られた(あるいは、そっと戻すのに成功したり、壊れたものを直して褒められた)経験のある人も多いと思う。

昔は電子回路が高価だったので、たいていの製品が目で見て理解できるスイッチとモーターや歯車や機械的なリンクで構成されており、それで全体の仕組みが完結していた。電熱を使った製品も見たり分解したりすれば理解できる物が多く、例えば炊飯器の多くは釜に押し付けるスプリング付きの磁石スイッチとバイメタルで構成されていた。「マイコン直火炊き」がキャッチフレーズになったのは、マイコンの入った炊飯器がほとんど無かったからである。

複雑な動きをするおもちゃにも理解可能な仕組みが内蔵されていることを、私は1975年か6年にバンダイ「コンピューターカー」を買ってもらって知った。これはキャタピラで動く宇宙探検車のような車両の床下に細長い命令カードを突っ込むことで、カードの左右に切り込まれた凹凸の命令に従って左右のキャタピラが動くという玩具だ。右のキャタピラだけが回れば左旋回、左だけなら右旋回、両方動けば直進となるので、あらかじめプログラムした通りの動きをする。*1。構造的にはカードを進める仕組みと、カードの凸部が当たると車輪が回るスイッチが左右にあるだけだが、小学校に上がるか上がらないかの自分には非常に新鮮だった。左右別々に回るモーターを動かすために、バネで押されて戻るスイッチを飽かず押し続けていたものである。

当時はおそらく、子供だけでなく大人も、構造を理解する楽しみを広く共有していた。教育玩具に「メカモ」のような機械構造を自作するものが多かったのはそのためだと思う。こんなに楽しいんだから自分の子供にも味わってほしいよね、ということだ。

現代の子供はあまり分解しない。子供に与えられるものを含め、高価な製品が増えたせいもあるが、私はどちらかといえば、ハードウェア製品でもソフトウェアで多くの機能を実現していることが増えたせいだと思っている。何を分解しても基板と少々の入出力装置と電源まわりがあるだけで、全体を理解することができないために、あまり面白くないのだ。

全体を理解できないのがつまらないのであれば理解できるようにしてしまおう。楽しいよ。

というのが本書の趣旨である。と私は思っている。なぜそう思うかというと、本書には回路技術者の「あたりまえ」が実は詰まっているからだ。

たとえば、電子回路は機能するモジュールの組み合わせで作るので、たとえ基板は1枚でも、機能モジュールを見分けてしまえば理解しやすい。このことは回路設計者には自明だが、設計したことがない人には実はぜんぜん無い視点だと思う。こうした知識は本書ではごく自然に使われているし、考えてみれば当たり前のことだということがわかるようになっている。つまり、人間は理解可能な単純なものを組み合わせて複雑なものを作るものであり、製品技術者もそれは同じであるということだ。

そしてそこには文化のスパイスが混ざってくる。使われていない回路パターンや筐体穴やはバージョン違いの製品のためであることが多いが、どんなものをどのくらい流用するかは文化によって相当違う。本書では中国深圳の文化がよく扱われているが、アメリカもずいぶんおもしろい。企業間の差が大きく、それぞれが基板を通してまで激しく自己主張してくるからだ。3ComNICと無名のNE2000クローンでは同じ10BaseのEthernetでも基板の厚みからして違ったし、Appleのロジックボードにはスティーブ・ジョブズが美観上の文句をつけていた。こうしたことも、理解できるからこそ面白い。

私はむかし米軍払い下げ品店でコンピュータの部品を買ってきて使うことがよくあったが、用途のまったくわからない拡張カードなども置いてあり、たまに買ってきて観察してスケッチし、使ってあるチップをネットで調べるなどして楽しんでいた。

(ガジェット分解でスケッチまでする人は多くないと思う。スケッチは人間の常識では捉えられない連続的な構造や現象を理解できるようにする手段であるのに対し、ガジェットは人間が設計したものであり、回路基板はデジタルなものを意識して作られ、現象は離散的だからだ。しかし分解はサイエンスとなりえ、観察者のドキュメントは残されるべきであり、その文脈では「スケッチ」もひとつの手段となる気がしている。)

本書の電気街の紹介はソウル、台北、香港、バンコクホーチミン、クアラルンプール、シンガポール、デリー、モスクワにおよぶ。将来的にはアフリカで設計された製品などもよく目にすることになるだろう。われわれに理解できない文脈を持った製品はたくさん出てくるはずなのだ。

そんなときでも心配はいらない。まったく違った文化で作られたものだとしても、分解し、チップの型番を調べ、回路の中のモジュールを理解し、わからないチップは炙って磨いて観察すれば、おそらくほとんどのものが理解できてしまうだろう。

そしてそうした手順のほとんどすべてが、この薄い本には詰まっている。これは類まれな凄さではないでしょうか。

謝辞

本書は著者の一人である秋田純一さんからご献本いただいた。興味深い本をありがとうございます。

余談

本書の書名冒頭「感電上等!」についてはソフトイーサ登大遊氏による2004年の興味深い記事がある。筑波大学が各分野で全国の変な人ナンバーワンを吸収するAC入試という制度があるのだが、このAC入試合格者に、小中学校時に故意に近い感電を経験した人の割合が異常に高いというのだ。私は情報系でなく人文系のACの友人がいるのだが、その人も子供の頃に感電を経験しているそうである。

*1:旋回した角度に数字を割り当てれば、これは加算器であり減算器となるので、コンピュータを内蔵していない機械式のコンピュータであると言えないこともない。まさに「コンピューターカー」である。