数値的な平和学習のための資料

読み聞かせとして「数字で見る沖縄戦」的なものをやっていることは前に書いた。いろいろ漁って出てきたものをメモしてSNSに投稿したやつをまとめて転載しておく。

戦争による人口構造の変化と人的被害の諸相 : 沖縄と「本土」を比較して

昭和20年春を数字で再体験してもらうという趣旨で公的なサイト等を簡単にあたって出てきた数字を教えていたのだが、どうもこの数字が漠然としすぎていて実相が見えにくいと感じるようになった。

たとえば県民人口59万に対して死者12万という数字が言われることもあれば、4人に1人が亡くなったと語られることも多い。59万に対して12万なら5人に1人ではないのか。

ちょっと見ると何が起きているのか分かりにくく、大袈裟に言ってる数字なのでは?と思われそうだが、実はこれは両方ともそれなりに確かな数字である。

  • 59万とは1944年2月の人口調査の数字で、八重山の10万を含んだ人口の総数であり、しかもおそらく軍属などの移入人口も相当数入っている
  • 調査の直後に疎開での転出が数万規模である。内地に学童、大人をあわせておそらく4万人弱(台湾への疎開もあるが、これは主として八重山から)、1945年春に北部への疎開がこれまた数万(2万人程度?)ある。
  • つまり沖縄戦当時の本島中南部の県民人口は40万人代前半と考えられる

40万人のうち12万人が亡くなったなら「4人に1人」より「3人に1人」に近い。しかし3人に1人とは語られない。これは北部や八重山でも戦災による大きな被害があったため。(波照間島は全島民を西表のマラリア猖獗地域に「疎開」させたため全人口の実に1/3が亡くなった)。

それでも「数字で体験」してもらうには、もう少し細かく、犠牲者のプロファイリングがしたい。ところがどこを当たっても、世代ごと男女別被害者数や疎開の細かい数字などが出てこない。

そのうちに見つけたのが大阪大学の紀要 "待兼山論叢" に掲載されたこの論文だ。

『戦争による人口構造の変化と人的被害の諸相 : 沖縄と「本土」を比較して』2019 北村毅

著者は阪大大学院教授で博士論文を書籍『死者たちの戦後誌 沖縄戦跡をめぐる人びとの記憶』の形で出版し沖縄タイムス出版文化賞を受賞した北村毅博士。沖縄戦民俗学の専門家である。

で、これのイントロに、こんな記述があるんですね。(強調鴨澤)

(前略)沖縄戦による被害状況(人的・物的双方)の全体像は、いまだ明らかになっていない。他の都道府県のように、国による戦災調査が実施されることが現在までに一度もなかったからである。

ぎゃー! である。またこれかよー!! と思った。国がまともに仕事をしていない。

米軍占領下にあった沖縄では戦後処理が内地のようには行われなかったので、こういったことはよくある。たとえば農地開放もやられておらず、いまだに地主が大きな顔をしていたりする。いちいち驚いてはいられない…とはいうものの、まさか戦災の調査すら完了していないとは予想していなかった。

だが同じような問題意識で信頼できる学者がおこなった論考があるなら、それは素晴らしいことではある。読んでいこう。

この論文では1944年2月の琉球全体の人口調査と1945年12月の沖縄本島の調査を中心に当時の沖縄本島の世代・男女別の人口を推計、これを実際の値と比較して減少数・減少率を算出している。さらに1955年の沖縄と本土の世代ごとの性比を比較して人口構造の変化を記述している。まさに知りたかった数字が出ているということ。

以下拾い読み。箇条書きは内容の要約。丸括弧でくくってあるのはオレの感想。

全体
  • 沖縄島の人口減少数は10万4663人と推計。推定人口減少率は24.3% (本島(北部を含む)では「4人に1人」でだいたい正しいようだ)
男女比較
  • 人口性比(女性100人に対する男性の数)は1940年89.1→1944年81.7→1945年70.6
  • 人口減少率は女性19.3%、男性30.3%。
  • 21-45歳男性の人口減少率は50%以上。中でも21-25歳男性は60%以上。
  • 内地では1945年当時年齢0-19歳と35-54歳で男女比がほぼ半々(人口性比95以上だが沖縄では95以上は0-9歳のみ (直接戦闘に従事する機会の多かった男性は全世代で大きく減少)

世代比較

  • すべての世代で人口減少数が最大だったのは1-5歳の乳幼児
  • 率は年齢により大きく異なるが45-46年生まれは5割くらい減ってる
  • 高齢者の減少率も非常に高く、81歳以上女性の55%を筆頭に76歳以上の半数が亡くなっている
  • 近年言われるようになった「災害弱者」世代の人口減少は戦災でも著しかった

(これ、えらいショッキング。日本兵と共有した壕で赤ん坊を殺された話は物語としてよく語られるが数字で裏付けられるとは! そして消えていってしまう高齢者!!)

内地との比較

  • 「本土」では人口減は大都市圏がほとんどで地方では増加している場合も多い
  • 全体の減少率は0.7%
  • 人的被害は徴兵年齢男性に偏り227万人余り
  • 「内地」の死亡者数は約30万人、1944年人口に対する死亡率0.4%
  • 本土の各都道府県の戦災死者の割合は広島の4.4%、長崎県1.8%、東京都1.3%が大きい
  • 広島ですら23人に1人。沖縄県は5人に1人。

(内地の数字も十分ショッキングなのに沖縄を外挿すると桁が違う…)

現在に及ぼす影響

  • 1945年、46年生まれが極端に少ないために前期高齢者の割合に応じて支払われる国の財政支援交付金が極端に減り、年金財政を圧迫(637億円余り)。

(制度が対応してないのは戦災がきちんと調査されていないからでは?)

全体の感想

これ、そのまま読み聞かせたいです。でも小学生向けではないし長すぎるので収まらない。平和学習モードの読み聞かせは今週までだけど、シミュレーションの内容を変えないといけない気がする。

戦争の「犠牲」のリアリティー:当事者不在の政治の行く末にあるもの

上の論文の関連。

synodos.jp

沖縄戦犠牲者の少なくとも3/4が選挙権を持っていなかったという指摘は実に示唆的だと思う。老人の始めた戦争で死ぬのは若者。選挙に行こう。

わが郷里で「もうひとつの沖縄戦」があった 学童集団疎開/澤宮 優

note.com

集英社文庫のnoteの「あなたの隣にある沖縄」の第11回。八代出身のノンフィクションライター澤宮優が沖縄県から熊本県への学童疎開の実際について書いたもの。

" 学童集団疎開と言えば、対馬丸(つしままる)事件はよく知られているが、同じように疎開船で九州へ行き、終戦の後も生活した子供たちがどのような体験をしたのかはこれまで語られることはなかった。"

とあるように、学童疎開者はみんな対馬丸で沈んでしまったかのような印象を持ってる人も多いと思うのだけど、実際には九州各地に向けて送り出された学童疎開は5500人。対馬丸で亡くなった800人以外にも数多くのエピソードが生じた。

インタビューから再構成された疎開生活の様子。疎開から戻るあたりも必読。

続・沖縄戦を知る事典: 戦場になった町や村

市町村誌の調査に基づく地域ごとの戦災の特徴を一冊で知ることができるのを目指して最近刊行された書籍があるとのこと。これももうちょっと早く知りたかった。

ryukyushimpo.jp

この本のことはこの記事で知った。民俗学では地域図書館で市町村誌を掘るのは基本調査のひとつで、これも自分でやる必要があるかもと思ってた仕事が先にやられてて嬉しい例。学者が入ってちゃんとまとめてくれてるのは本当にありがたい。