大喜利の国

読んだ。

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オレはこういうの、裏切りというほど悪意があるとは思ってなくて、たんに無能なんだと思ってる。

たとえば、変異株の伝播速度とワクチンの接種速度の競争になるのは春から明らかだったのに、ずーっとどっかしら変なことやってるのは、やっぱり自民党の指導部が感染症の性質をまともに理解できてないからだと思う。彼らは最高の情報を得られる立場にありながら、専門家の言うことを話半分に聞く。

供給のドタバタについては、危険度順の地域接種からコネ順の職域接種に軸足を移したのがそもそもの間違いだと思うけど、同じコネ順でも、たとえばオリンピック関係の人たちをめちゃ早期に優先接種するくらいの有能さは、あっても良かったんじゃないかと思う。ボランティアの人たちが既に棄民扱いで見ていられない。

河野太郎自民党の中では説得力のある方だと思うけど、彼ですら「現状を正しく説明する」というよりは、「うまいこと言えば言い抜けられる」をやりがちなのが困る。

たとえばモデルナとの守秘義務がという言い訳は、たぶんtwitterでツッコまれた誰かに対しては有効だったんだろうけど、本当に単なる言い抜けだった。これは「なぜ政府レベルでも情報を伏せ、地方に無駄を強いたか」という話なんだから、守秘義務の話は関係ない。情報を伏せられてた出先機関や地方役人なんかから見れば、バカバカしい限りだろう。

で。

この、どんなことでも「うまいこと言う」を目指してしまう思考の偏りが、感染症対策のようなサイエンティフィックなトピックで、彼らが(われわれが)無能になる原因に思われてならないんだよね。うまいこと言うには本質を外す必要があるから。

これを逆方向から証明してるのが、「うまいことしか言わない人」がもてはやされて、司会者やコメンテーターとして重宝される風潮だ。世の中に有能な人は山ほどいるけど、当意即妙の空気を読んだコメントを連発できる反射神経の持ち主だけがテレビでは生き残る。

われわれは、たとえばお笑いとかで「うまいこと神経」を鍛えすぎてるがゆえに、ベタベタの胸のすかない事実を言う専門家の言うことを正面から受け止めきれないところがある。これはたとえばノーベル賞受賞者の報道なんかを見ても明らかで、対象となった業績の時代背景や科学的な位置づけ、どうしてそれが画期的かなどを正面から取り上げた、一般にわかるような報道ってぜんぜんない。

 これも本当に危険だと思うんだよね。「うまいことしか言わない人たち」って、どんなトピックに対しても常に本質を捉えてるような顔をしてるけど、専門性はぜんぜんないから(あるいは、普通の専門家同様、自分の専門しか知らないから)、印象的な情報から普通の人が導きがちな間違った解説を、高い説得力で供給してしまう。

ぎりぎりの事実を正面から見据えて取捨選択して積み上げない限り、自然の本質なんか見えてこない。そしてわれわれが相手にしているウィルスによるパンデミックとは、妥協も疲れもなく単に環境に合わせて増えたり減ったりするウィルスと、どんな対策をしても統計的にしか反応しない人間社会という、まさに自然物同士の関係によって生まれるものであり、自然が見えない人が資源配分していては、うまく対策できないのも当然のことだろう。

(ちなみに、それを言うなら、いまや多様な価値観に支えられた社会そのものが自然物だから、昔ながらの日本人を支配することに特化してる旧来の支配層のスタイルそのものが時代遅れだ。)

トランプのジョーカーが強いのは、「道化だけは王様を笑い者にしてよい」という決まりがあったからだと聞いたことがあるけど、あれは「ジョーカーはホントは3にも負ける札である」という形でバランスが取られてる。日本の現状はうまいこと言う順で序列を築いてるくらいなので、カードゲーム以下だ。