AI vs. 教科書を教えられない教師たち

読んだ。英会話学習アプリで使われてるAIの例を具体的に見せてくれてるのが面白い(GPT-4搭載の意味はあんまり出てないかな)。

business.nikkei.com

「フリートーク」ではもっとダイナミックだ。AI講師「一番すごいスポーツ選手は誰だと思う?」、記者「マイケル・ジョーダンです」、AI講師「それはどうして?」、記者「ブザービーターが多かったから」、AI講師「確かに。でもそれだけじゃないと思う。他に好きなエピソードは?」……と、会話が途切れない。「買い物」の場面では、値引き交渉を持ちかけることすら可能だ。

 

 自分が言ったつもりの単語とは違う単語で認識されてしまうこともあるが、そういうケースは自身も発音に自信がない場面のことが多かった。要は「アプリが悪いのではなく自分の発音が悪いだけ」ということ。AI講師の臨機応変な対応を目の当たりにすれば、英会話学習のツールとして付加価値を感じる人は多いかもしれない。

 

(中略)

 

日本代表のヤン・キンジュシェンコ氏は「人間の講師と同様の自然な顧客体験を目指している。(オープンAIの技術は世界で)トップクラスの性能で、リアルな会話を生み出せると判断した」と言う。

GPTが言葉の繋がりから次の内容を形成していくプログラムであることを考えると、「学習内容を教える」という意味では人間の教師は一般的に不要になる感じすらする。

コンピュータの良いところはパーソナライズがたやすいことだ。「先生AI」は一人ひとりの理解度や学習進度のでこぼこ、抜けてる知識を細部に渡って覚えてて忘れない。こんなことは1対集団で教える伝統的な学校授業では完全に不可能だし、個人指導としてすら人間教師には非常に困難だ。

ただこう、優れた教師から受け取るものって学習内容だけじゃないんだよね。渡辺由佳里さんの『才能を殺さない教育』に出てくる数学教師、タチアナ・フィンケルスタイン先生みたいな強烈な個性と説得力を機械化できる感じはぜんぜんしない。そこまでは行かなくても、その学問特有の哲学的な部分を伝えて学習者の考え方を変革する人がいる。そういうものがAIで伝えられないなら、世代を経るにして知性が後退していくことになる。

とはいうものの、オレが大好きなアメリカンな大学初年級教科書を見ていると、哲学的な部分がうまいこと教科書に盛り込まれてるではある。そうやってAI教師の教育内容にうまいこと実装されていくと考えれば、学習内容を伝えるだけのAIじゃダメだ!とは言えなくなるだろう。

あと教師には「居場所を作る」という役割がある。小学校の副担任制なんかは、教室に複数の大人を配すことで逃げ場所を作ってる。集団学習のほうが有効だけど、大人の目は多いほうがいいらしい。この部分は今より手厚くできるかな。

いろいろ考えてみるけど、どうやら「教師」は激減するだろう。多数の「子供社会管理者」と、教えることではなくカリキュラムを作成することで価値を出す少数の人が残る。え? いまとあんまり変わらないって??

さらには、カリキュラム作成の部分も統計的にだいたい見当がついて、AIが代替するかもしれない。「教える」という行為自体が、人間にはできないブラックボックス的なスキルになるのかもしれない。

え? いまとあんまり変わらないって???

人類はどうなっていくのか。いやー面白い面白い。