子供の頃は「米ソ核戦争で人類滅亡」って既定路線のような気がしてた。
なんらかのきっかけにより全面核戦争が起き、ほとんどの人が死に絶えるかもしれない。という空気は社会をうっすらと覆っていた。それはありえないことではなかった。キューバ危機では核のボタンが押される直前まで行ったことを当時生まれていなかったオレは知らなかったけど、大人たちが核戦争を現実のものと認識していることは感じ取れた。「ノストラダムスの大予言」なんて馬鹿馬鹿しいものにみんなが怯えた気分を持っていたのは、あれが1999年7月に世界滅亡という、ありそうなイベントを指していたせいがある。
ところが1999年の10年前、1989年11月9日にベルリンの壁が壊れると、共産圏は崩壊しソ連も消えた。湾岸戦争はやりすぎなほど多国籍軍(米軍)の圧勝で、もう大きな衝突は非現実的に思えた。滅亡しないことが保証された人類はもう前進するだけだと思った。『歴史の終わり』なんて本がベストセラーになった。
2001年に「テロとの戦い」なるものが始まった。「そんなので世界が滅ぶことはないんだから理性と融和でなんとかなるんじゃないの?」というのがオレの当初の感覚だった。泥沼に水を注ぐ者がたくさん現れ、みんな足が抜けなくなった。
それでも2008年に始まったオバマ政権は素晴らしかった。世界恐慌が起きたり日本では震災が起きたりした時期で問題はたくさん残ったし政策の全てに賛成ではない。でも絡まりきった医療保険問題に手を突っ込んで国民皆保険の方向に舵を切ったときには魔法を見てるみたいだったし基本的には良い時代だった。人類が前進してる中で日本だけ停滞してる。ただそれだけのことだと信じられた。
そのまま歴史が進み、2016年に最初の女性大統領が誕生する、と思ったところで逆回転が始まった。 2016年のアメリカ大統領選挙は悪夢だった。ありえないものを見た気がした。2024年のアメリカ大統領選挙は悪夢をこえるひどい現実だった。あの4年間を経験したうえで本当に投票する人間がたくさんいる、という事実に打ちのめされている。
そんなわけで人類滅亡がオレの意識の既定路線のような位置に戻ってきつつある。今度は暴力と排外主義…が致命的なのではない。その中で温暖化対策が無効になり地球が普通の人間には住んでいられない場所になる、という形で現実化することを感じている。野生生物も道連れだ。
全面核戦争は「さすがに誰もが望んでいないから非常に不幸な事故でもない限り起き得ない」と考えることができたが、極端な温暖化は「現実を見ずに否定して対策を拒否する奴らがいれば起きる」もので、数十年後に学習しても手遅れだ。
そしてそれは既に選ばれてしまったのだ。選挙で。