どサヨクから見た野党内閣

オレは生物学者であり、人間という生物をわりに外から眺めるクセがある。これが身体化しているために、コミュニティの中の自分の位置みたいなものには、まあ自然に気になってしまう部分はあるものの、本当には興味がない。

だから、オレにとっての「当たり前の考え方」とは、「日本人として当然」みたいな身体的なものではなく、「生物としての人間はこう感じ・考えるのが自然」という外形基準に近いものになる。

そのうえに、個人的に、知的生命体(≒霊長)として、まっとうに生きていきたい。という願望が加わる。生物としての人類のどのような歪みをどのような意識によって修正すればそれが可能であるか。ということに興味がある。人間のバイアスを見るのが大好きだ。

このように、「人間としての当たり前」を基準に考えて物を言う人間は、日本では「どサヨク」という扱いになる。

ところがオレは、経済学を学んだ市場原理主義者でもある。市場を心から信じているし(それは進化生物学ともよく整合すると思っている)、個人が能力に応じてお金を儲けたいなら株だと思っている(普通の収入は能力ではなく立ち位置で決まる)。

「みんなのため」に生きるのではなく、個人の自由を最大限に尊重する方向性を、その害悪となる副作用を除去して、どうにかうまいこと実装したいオレは、自分の頭の中の分類では「(修正)新自由主義者」だったりする。

まるで正反対だ。

しかしもちろん、これはオレの認識がズレているのではない。日本社会がナチュラルに極右にズレているために、すべての当たり前の自由人は日本では「どサヨク」に分類される、というだけのことだ。枠がギン!と右にずれて、みんなが左側に積み重なる感じ。

さて、まもなく選挙である。自民党支持の人や、本当のところ政治に興味のない人はよく言う。「政権を任せられる野党がないから消去法で自民党ですよ」と。

しかしこれは、数年以内の短期で成果を出さなければゼロ、という不思議な評価法である。政治は時間がかかりすぎるので若者には向いていないから禁止なんです、という高校教師の同じ口から、同趣旨の発言を聞いたことがある。政治って長くかかるの?すぐ成果がいるの? どっちなん?

実際のところ、政権交代は政治の中では比較的高速に変革をもたらすことができるものではあるが、前政権までの案件を「居抜き」で引き継ぐ必要があり、膨大な後始末と方向転換への説明が生じるので、すぐには成果が出ないものなのだ。(これは逢坂議員が民主党政権時にメールマガジンで述懐していた。)衆参のねじれなどがあれば、早い成果はまったく期待できない。選挙民の方にこそ粘りが必要なのである。

そんなわけで、オレみたいな人間が、選挙の際にいつも思っていることがある。

自民党人間性を学習させるより、野党に政権運営を学習させるほうがずっと楽

である。

これは実は、実績としても当たっている。野党(反主流派)の政権が安定した長期政権になったことは戦後の憲政史上一度もないが、野党内閣が実現するたびに、日本が良い方向に向かう種が蒔かれているのだ。

自分にとって印象的だったのは20代で見た90年代の細川政権だ。それまで判を押したように国側勝訴だった環境訴訟などの「国を訴える裁判」で、住民側勝訴を生まれて初めて見たのである。「あれ? 裁判所って政権の影響を受けるんじゃん。司法の独立って日本じゃぜんぜん機能してないのでは?」とワクワクしたものである。ここにはハックの余地がある。

直近の民主党政権は色々な実験もできて、非常に良かった。事業仕分けにしても、高速道路の無料化にしても、あのまま正しく発達していたら、実に面白いことになったと思う。無料化した高速道路に料金所を残して利便性を低下させるのでなく、出口を増やして渋滞の発生しやすさ(需要の増大)に対応できてればなー、などと思う。

(あとやはり、震災のときに自民党だったらと思うと、本当にゾッとする。民主党のオープンな姿勢のおかげで、福島で起きていたことの大部分は腑に落ちたし、カンさんのリーダーシップで最悪の事故が防がれたことは強調されるべき成果だ。)

政権運営も、次第に上手になっている。非主流派政権は

  1. 片山内閣: 1947年5月24日~1948年3月10日。292日
  2. 細川内閣~村山内閣: 1993年8月9日~1996年1月11日。合計888日
  3. 鳩山内閣~野田内閣: 2009年9月16日~2012年12月26日。合計1200日

と、成立するたびに長くなっている。野田内閣は良くも悪くも自民党政権みたいな「身動きの取れなさ」を体現しててどうかと思ったが、あれで自民党に取り替えたのは国民の方の失敗だ。

ところで、この3つの政権の中で、内容をこれまで把握していなかった1.の片山内閣について言いたいことがある。この内閣については、昭和9年生まれの母から「不安定で、すぐに倒れた、ロクに仕事もしなかったダメな革新政権」という印象を植え付けられていたのだが、内実はまったく違っていた。

この内閣は日本国憲法施行後初の内閣であり、初の社会党内閣であった。その仕事については、Wikipediaの『片山内閣』の概要を見るだけで非常に印象的だ:

片山内閣時には、公務員の「公僕」化を目指す国家公務員法の制定、内務省を解体・廃止し、新たに国家地方警察と、全国に約1600の自治体警察を設置する警察制度の改革[注釈 12]、労働省の設置、失業保険の創設、封建的家族制度を廃止を目標とした改正民法の制定、刑法改正、臨時石炭鉱業管理法(通称「炭坑国家管理法」)等が実現した。

どのひとつの仕事を見ても、封建的専制国家から個人主義民主国家に向けた重要な制度改革ではないか。このひとつひとつが、現在ならそれぞれ1政権かかるほどの大改革である。片山内閣はたった300日の時間の中で膨大な仕事をしており、現代の「いくらかは文明的な日本」の枠組みのほとんどすべてを彼らが実装してくれたのである。民主化したばかりという環境が、圧倒的にそれを許したのだ。

-----

こうして歴史を振り返るとよく分かる。日本国はまず、もっとちゃんと文明化civilizeするべきなのだ。civilizeとは、個人主義を前提とした「ideaのバトルロイヤル」が社会全体で実装されていることだ。

民主制は党派性の発揮の場ではなくideaのバトルロイヤルだ。最も多くの支持者を獲得した意見が全体の意見となる社会を目指している。サイエンスはideaのバトルロイヤルである。そこでは最も多くのことを説明し、予言する理論を採用することを目指している。

根はすべて同じである。個が全体に合わせることが正しいのではなく、正しい意見が個によって主張されれば全体がそれに習うのが文明である。

これが社会システムにどれだけ組み込まれているかが文明度の尺度だ。

文明化すると、各自が全力を出せる。これは「生物としての人類であるわれわれ」にとって気分が良い、というだけのことではない。現代では、そうしないと繁栄できない。

われわれは高度成長期に戻ることはできない。昔とは環境が違うのだ。イノベーションの進展に従い、個人の能力が増大の一途をたどっているために、システムが個人主義をサポートするようにならないと、その成果を十分に活かしきれない。周囲には活かしきっている国がたくさんあるので劣後していく。

日本文化で育ったわれわれがナチュラルに選択してしまう全体主義的組織の生産性は、現代においては非常に低い。過去1/3世紀間に、日本が「不況の緊急避難」で選択した方策がことごとく機能しなかったのは、これが原因である。緊急避難の際は、理論ではなく、自分の育った文化によって体に染み込んでしまっている方法を無意識的に選択するが、日本人のそれは、自分が我慢すればいいとか、バカ殿様の言うことを黙って聞くとか、みんなに合わせておこうとかは、すべて間違っているのである。

しかし同時に、引きこもりの国の住民であるわれわれは、一人ひとりの世界が広くて深い。これを活かせるようになれば、未来はまだまだ明るい。メイカーな皆さんを見ても、絵師の皆さんを見ても、「日本で平凡な能力」は「世界で食えるレベル」である。

いまの日本の喫緊の課題は産業構造の転換である。戦後から高度成長を経て日本の実質的な力が最高潮にあった1985年までが40年。それからまもなく40年になるが、われわれはいまだに40年前の武器で戦っている。というか、80年前の武器(1940年体制)で戦っている。勃興する労働人口が存在しなければ成立しない輸出工業国として有利な戦後の体制(実質的には戦時体制)を続けているのだ。

また、この期に及んでも「就職先は公務員がよい」「大企業ならなんとかなりそう」という人が少なくないのは、システムが壊れているからである。「コミュニケーション能力」が同調強制力でしかない、合意形成がこれほど下手くそな日本人が、組織に頼ろうとする姿は滑稽ですらあるが、システムが壊れているのであれば、心理的安全は組織でしか得られないではないか。彼らは不幸と不幸と不幸と不幸の中から、いくらかマシなものを選ばされているだけだ。身分制のような大組織偏重は能力の浪費しかない。

個人にフィーチャーすれば、もっともっと成長の余地があるが、それをサポートする仕組みは社会システムの変革によってしか得られない。一般の国民がこれを目指す唯一の手段は、選挙で制御できる政治を変えることである。

…ところであなた、もしかして、投票すらしなかったんですか?…

(2022/12/08推敲・加筆)

 

参考文献

1940年体制の呪縛

小日本主義個人主義

どれも読みやすくて面白いですよ(百間のが一番難解というレベル)。