最後の殿様

裳華房という出版社はメルマガで長いこと書評連載をやっている。オレはもともと先日亡くなられた鹿野司さんの連載を読むために取っていたのだが、わりに早くに終わってしまい、一緒にやってた松浦晋也さんのものだけが残ってる。

www.shokabo.co.jp

松浦さんはこの連載でかなり好き勝手な本を取り扱っている。ご自分の興味で掘った本を、読者を意識せずに出している感じ。もちろんジャーナリズムの方らしく文章に芸があって読ませる内容になっているのだが、たとえば最近はずっと満州阿片の人脈を追って読んだものについて書いておられ、このテーマの本に興味を持つ人ってどのくらい居るんだ…? と不思議になるくらい。そしてその勝手放題が面白い。「読書ノート」だから、これでいいんだろう。

今回は阿片とは関係なく、そこから芋蔓で読まれた『最後の殿様 -徳川義親自伝』について。

1973年初版。

オレは殿様っつーとジャパニーズバカ殿文化のことを連想してしまうので、このタイトルには興味が持てない感じがした。

ところがこの徳川義親、抜群に面白い。オレ風に言えば「科学とカネ勘定のバランスが取れてる」素晴らしい合理主義者。

その合理主義っぷりの詳細は連載を読んでいただきたいのだが、たとえば人脈。殿様で貴族院議員かつ生物学者だったため、昭和史を動かした様々な人達と親交があるのは当たり前ではあるものの、その方向性がカオス。

三月事件、十月事件の首謀者である陸軍軍人の橋本欣五郎(1890~1957)、大アジア主義の理論的支柱の大川周明(1886~1957)、東京毎日新聞社社長にして上海の青幇とも通じた麻薬フィクサー藤田勇(1887~没年不詳)、歴史のあちこちに顔を出す右翼活動家の清水行之助(1895~1981)、陸軍軍人の長勇(1895~1945)といった、第57回で取り上げた『特務機関長許斐氏利』にも登場した右翼人脈が登場するかと思うと、社会主義者石川三四郎(1876~1956)、アナーキストの吉田一(1892~1966)、敗戦後に日本社会党の立ち上げに尽力して後に同党委員長を務めた鈴木茂三郎(1893~1970)といった左翼活動家の面々とも親しく交遊し、支援する。

多彩どころじゃない。ド右翼からド左翼までゴロゴロしてて、訪客として鉢合わせしたらどうなったんだと思うレベル。撃ち合い?

"右とか左とかの立場の違いは、単なる方法論の違いであって、共に今の社会を良くすることを目指すという意味では同じではないか、と考えた" ので、右翼にも左翼にも付き合いがあったという。

他にも安達裕章さんによると、戦前の奇術の名手、阿部徳蔵の著作『奇術随筆』の序文を書いていたりするらしい。かと思えば、昭和天皇とは生物学者としての付き合いがあった。多彩すぎる交友関係である。

「今の社会を良くすることを目指すという意味では同じではないか」のような俯瞰的な認識に至ったのは、まず大前提として、 "そもそも天皇に主権があるとした明治憲法は、薩摩と長州がすべての責任を天皇に押しつけて自分達が無責任な形で好き勝手するために作ったものだ" という考えがあったからだという。バカ殿文化の否定である。

腐った政治をどうにかするには何でも使えばいいという考えからか、橋本欣五郎にクーデター資金をぽんと出したりもする。徳川が薩長をやっつけてるくらいの感覚だったのかもしれない。

かと思えば、右翼の理論的支柱という意味では同じようなカテゴリーの北一輝大川周明を比較して、カネの扱い方の具合で大川周明の方を高く評価していたりする。この二人を同列に比較するという解像度の高さも興味深いし、えっ、右翼なのに精神じゃなくてカネで見るんですか? って感じだけど、これはオレには実によく分かる評価軸で、カネの認識が甘い人は周囲の人間の間でしか生きておらず社会の認識が甘いから、社会を取り扱う思想家としてイマイチ信用できないと思う。

この人はたぶん気が合っただろうな〜、と思うのでたいへん読みたい本なんだけど、古本で9000円か…w 沖縄の図書館を検索してみたが、琉大や県立図書館を含めて所蔵がない。内地に滞在したときに一日使って読むしかないかもしれない。