國場家の人々

めちゃめちゃ沖縄ローカルな話ですが、まとめたので公開しておきます。

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Introduction 國場幸之助と下地幹郎

國場幸之助という国会議員がいる。73年生まれの48歳、自由民主党所属の衆議院議員(3期)で自民党副幹事長である。

沖縄のゼネコン大手、國場組の創業家に生まれ、一族の先達に倣って政治を担当する…ようにハタからは見えるのだが、昔からなんだか違和感があった。

まず、選挙にあまり強くない。沖縄で國場組のバックアップがあればだいたい楽勝なのではと思えるのだが、20代で県議選に出た時こそトップ当選しているものの、衆議院で初当選するまでにずいぶん落選してるし、その後も不安定だ。現在3期目とはいえ初当選以外の2期は比例復活である。

また、スキャンダルが多い。それも酒がらみのケンカとか不倫騒動とか、議員がやるこっちゃなさそうなことをやる。

決定的に違和感を持った記事が宮古毎日新聞のこの記事だ:

 下地幹郎氏の復党認めず 自民県連 http://www.miyakomainichi.com/2020/11/134562/

“下地氏の復党については10月27日、國場組の國場幸一会長や大米建設の下地米蔵会長らが「保守・中道大同団結で強固な保守政治を作り選挙で結果を出さなければならない」として、同氏の復党を求める県内14企業・団体連名の要請書を県連に提出した。また、11月12日には、國場会長など経済界有志が下地氏の復党を念頭に「保守合同」を求める1万2428社の署名簿も県連に提出している。”

下地幹郎というのは、宮古島発のゼネコン、大米建設の創業者の息子で、やはり衆議院議員。6期目ながら無所属。昔からとにかく権力クレクレ的な動きの目立つ人で、当初入った自民党対立候補の支援をして離党勧告されて辞め、次に民主党の推薦で当選。国民新党に潜り込んだと思えば、いつのまにか幹事長になり、代表だった亀井静香を解任して民主党政権での入閣を果たす。ところが2012年に落選すると国民新党からも離れ、維新の会に入って比例復活当選…と思ったら、IR汚職中国企業から100万円貰ったことを認めて維新の会を除名処分。それでも議員は辞めずに現在無所属という人だ。

(まとめてみるとスゲー。2014年には知事選にも出てたり(3位・供託金没収)、とにかく機会があれば表に出てくるし、カネに糸目をつけない。ちなみに大米建設は辺野古の埋立工事で無茶苦茶やってる会社

さて最初の記事。なんで違和感を持ったかといえば、國場幸之助と下地幹郎って衆議院沖縄一区で当選を争うライバル同士なんだよね。2009年に國場幸之助が落選したとき彼を阻んで当選したのは下地だし、2012年に国場が初当選したときは下地が落選してる。さらにここ二期は、共産党赤嶺政賢が選挙区当選、国場と下地は仲良く比例復活という冴えない状況で、保守同士とはいえ存在を争うレベルの敵のはず。なのに國場組が下地を支援するってどういうこと?

調べてみたところ、國場組の創業一族國場家が割れていた。

Background 國場一族の系譜

國場組は幸之助の祖父、国場幸太郎(1900-1988)が1931年(昭和6年)に弟の幸吉、幸裕、幸昌、幸仁とともに興した会社である(下2人は当時未成年なため正式な創業メンバーではない。このためかWikipediaの見出し等に混乱が見られる)。

当初は日本軍の基地建設を中心に請け負って大きくなったが、敗戦後の昭和21年に沖縄に戻った幸太郎が建設業を再開してからが現法人の元になっている。

昭和24年の知花橋架設工事を皮切りに米軍基地、官庁、さらには民間の大規模建設工事を請け負い、後には映画・観光・海運にも進出して多角化した。(國場組ホームページ『國場組物語』)

1970年には弟の幸昌が自民党から当選、6期16年を務めて沖縄振興のパイプ役となり最盛期を迎える。

これを受け継ぐ2代目世代の主たる人物は幸太郎の長男幸昇(二代目社長)、次男で幸昇の異母弟幸治(三代目社長)、幸吉の息子幸一郎(国建創業者)、幸昌の息子幸一(六代目社長・現会長)だった。

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國場家の系図(鴨澤調べ。初代幸太郎の父幸直より書く)

Current Status 現状

ところが、バブル後の不良債権処理の中で幸昇が逮捕、残りの3人が社長・副社長・専務となるも銀行からの指導により更迭。最終的には一番年下の幸一以外の3人が表舞台から姿を消してしまう。

4人の中で、もっとも優秀なのが幸治と言われていたが、幸治は幸一との権力闘争に敗れて会社を去り、財産まで奪われた。(常井健一『沖縄県知事選と「國場組」』2014)

幸治を追い出した幸一が國場組の現会長國場幸一、追い出された幸治の長男が現衆議院議員國場幸之助である。

幸一は幸治を國場組のA級戦犯だとか、幸治の作った借金を自分が返したとか言っており、現在の國場組は幸昌の3人の息子、すなわち幸一(会長)、幸也(沖縄ゼロックス会長)、幸伸(リゾート事業トップ)がグループの実験を握っているという。(常井2014)
つまり、幸之助はもともと國場組をバックに持てるような立場ではなかったのだ。

しかも幸之助が衆議院に初当選した2012年当時、それまで下地幹郎をサポートしてた國場組を、幸之助の政治の師匠・古賀誠が翻意させて支援をもらっている(常井2014)。

それによって得た初当選だが、幸之助は離党勧告をほのめかされると公約を破り、辺野古への移設を承知する。このことが2014年の県知事選での保守分裂に繋がり、國場組は金秀グループの後塵を拝すようになる。

さらには2018年からの、酒や不倫など国会議員にあるまじきトラブルの数々。

そりゃ見限られるよね…。

國場幸之助も下地幹郎も比例復活で衆議院議員となっているものの、方や自民党副幹事長、方や無所属と、二人の立場には大差がある。幸之助の方がずっと安定している。

ところが、肚の据わり方、抜け目のなさ、主張の強さ等、保守政治家としての適性は、明らかに下地幹郎の方が上である。

國場幸之助は比例復活頼りでは自民党での立場が弱く、頭数扱いになってしまうのを脱する必要がある(初当選時がもっともそれに近かったが、自分で立場を投げ捨てた)。

下地幹郎は国政の場では色物・常習の裏切り者扱いで味方が少ない。

この微妙なバランスが保たれている限り、沖縄1区はオール沖縄(実は半分は自民党を抜けた保守政治家)の勝ちやすい状況が続く。それこそ國場組が崩したい構図だということだろう。

國場組の支援を失ったことで、同族経営の利益誘導にまみれていない國場幸之助の方が、むしろ沖縄の利害を代表しやすいかもしれない。基地が発展を阻害し続ける沖縄では、保守も土建屋政治ではいられない。

Acknowledgement 謝辞

國場家の人間関係についてもっともクリティカルな情報は、常井健一『沖縄県知事選と「國場組」』だった。本文書は常井2014を読むための補助線と考えていただいてよい。

國場家の事情を理解するには、同家の名乗頭である幸の字の飽和攻撃にもゲシュタルト崩壊しなくなることが一番大事で、次に創業者幸太郎をめぐる人間関係の理解が大事だった。弟たちの誰が何をやり、誰の親なのかを理解するのに苦労した。この意味で系図は特に役に立つはずである。