学生の時に勝手にやってたCellゼミで、タンパクの折りたたみ推定の難しさの話が出たことがあるけど、あのときの印象では自分が生きてるうちにコンピュータで何とかなる日が来るとはとても思えなかった。現代科学ってものすごいよね。
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ただこれ、ふつうの人の反応を見ると、タンパクの折りたたみが簡単に解析できるようになることの素晴らしさが、イマイチ伝わってないような気がする。これって単に難しいことがついに出来るようになりましたという一里塚じゃなくて、科学的にも応用的にもメチャメチャ素晴らしいことなんだよね。
たとえば現在ホットなトピックで言えば、SARS-COV2のスパイクタンパクが、変異によってどんな立体構造を取りうるか、なんてのも楽に安価に推定できるようになる。これを総当りでやっておけば、免疫逃避や標的タンパクの変化といった危険な変異を「事前に」特定するようなことができるようになる。いまやmRNAワクチンという技術があるので、事前にプロトタイプワクチンを作っておくとか、臨床試験を前倒しすることも視野に入れられるだろう。まだ存在してない病気に対応したクスリ作っときました~、って、ものすごい未来技術っぽくない?
なんでこれほどインパクトのあることが、そんなに注目されないのか不思議だったんだけど、これ、普通の人ってタンパクがどんなふうに機能してるか知らないから、立体構造の重要性がイメージしにくいのでは? と思い浮かんだので、ちょっと書いておく。例によって例外とかいろいろすっ飛ばした大まかな話なので補足してくれる人があると嬉しい。
細胞が作り出すタンパクは、DNAにコードされた4種類の文字を3文字ずつ取り、その3文字で20種類のアミノ酸を指定して、アミノ酸の数珠つなぎとして製造されたのち、各アミノ酸が持つ電荷の局所的偏りによって折りたたまれ、立体構造を持つ。
細胞が作り出すタンパクは、体を作ることにももちろん使われるんだけど、実は非常に多種多様で量も多い重要なタンパクが酵素だ。
酵素は化学反応を触媒する。
触媒というのは、普通には起きにくい反応を簡単に起きるようにするもので、無機触媒としては白金などが知られてるので、酵素も同じように、反応表面の提供のような機序で働いていると思ってる人も多いだろう。
ところが、酵素の触媒作用はそうではない。酵素はその多くが、標的分子(基質)から特定の分子または原子を切断する形で働く。アルコールデヒドロゲナーゼのような、「XXデOOアーゼ」という名前の酵素が多いのはこのためで、XXのとこには基質名、OOのところには切り離される分子や原子が入る。アルコールデヒドロゲナーゼの場合、XXはアルコールでOOはハイドロジェン、つまり水素だ。
こうした切り離しを行う「活性部位」は、ハサミのような形をしたアミノ酸だ。そして標的分子の特定の場所に、このハサミを持っていくために、各酵素は標的分子の特定の位置にうまくはまるような形状を持っている。
とりついて物理的に切断する、という形で、酵素は「反応を触媒する」わけだ。これはいわゆる触媒とはずいぶん違った印象だろう。
ちなみに、酵素の特徴として、触媒の基質特異性や反応特異性という言葉を聞いたことがある人も多いと思うけど、ここらはこの「特定分子の特定の場所にあるモノしか切り離さない」という性質を抽象的に言ってるだけだ。
さて、きまった分子の決まった反応を促進することで、酵素は生物という分子機械の動作を規定する。生物は分子機械として確率的に動いてるだけなので、動作の確実性を確保するには、必要なタイミングで必要な酵素を必要なだけ作り出さなければいけないし、そのバランスが狂うと身体の機能が損なわれる。
もう大昔の2000年、人間の遺伝子配列をすべて読むヒトゲノムプロジェクトが完成した時代に、「ヒトのDNAの読み取りが終わったといっても、遺伝子コードがわかっただけではぜんぜん役に立たない」、という話がよくされたのを覚えている方もいるかもしれない。
なぜ配列が読めただけでは役にたたないか、ここまで読んだ方はおわかりだろう。どのタイミングでどのコードが読まれ、それがどんな機能を持った酵素として動作するか、配列だけではまったくわからないためだ。
折りたたみ推定が簡単にできるようになると、これが変わっていく。
もちろんご利益は実用分野だけではない。違ったコードで類似の立体構造を持つタンパクが別々の分類群に広く分布しているのが見つかる、などといった、生物進化の様相を見せてくれる新しい分野が出てくるかもしれない。
広がる地平は無限に近い。
これが「科学的にも応用的にもメチャメチャ素晴らしいこと」なのが、おわかりいただけるのではないだろうか。