文明の発達はヒトの選択形質のすべてを中立化する

…って、わざわざ理解されにくいタイトル付けたがるオレおつかれ。


ここでは文明とは何か、社会とは何か、ということについてのオレの認識みたいなもんを書きます。ひらたく言えば、文明は勝手に発達し、人類はどんどん困ったことが減って楽ちんに生きられるようになっていき、にもかかわらず不幸をこじらせる人も増える、という話をします。


最初にこのことについて考えたのは、畑正憲の『ムツゴロウの青春期』か何かに出ていた駒場寮の中での議論(夫人への手紙の抜き書きか何かで出てた)を読んだ中学生の頃。これは「文明の発達は不幸をもたらすばかりではないか」といった話になり、参加していたほとんどの者が「文明は悪である」という結論に傾いたところで、「この中で盲腸にかかったことのあるものは手を挙げろ」と問い、「君らの半分は苦しみながら死んだはずだ。それでも文明は悪か」と尋ねたという話。議論に結論が出たか出なかったかは忘れました。


オレはこれに割と感銘を受けたのだけど、それは自分が文明に懐疑的な時期だったからだと思います。小学生の頃から旧仮名で百輭とか偏読していたオレにとって、現代日本とはマトモな文学作品も生み出せない不出来な社会だったし、ゴッホだのモーツァルトだのといった有名で重厚な作品の芸術家は遥かな昔にしか存在してないのだから、文明が発達するに連れて芸術は衰退するものであり、人類の残せるものなんて芸術くらいなんだから、それが生み出せない現代の文明社会ってダメなんちゃうか、もしや人類って衰退してる?と考えていたわけです。ところが芸術の衰退と引換に、大きな不幸がどんどん減っているということに気付かされた。


これは内向きで自然志向のオレがラッダイト的にならないで済んだ原体験のひとつです。ヒトにとって残す価値のあるものは何か。たくさんの人を死に投げ込むだけの価値があるものは本当にあるか。どんな基準で測ればいいか。そういったことを考えるきっかけになりました。(ちなみに芸術の衰退についてはずいぶん後まで気づきませんでしたが、分野の初期に自由に縦横に才能を発揮できる「天才」が出やすく、その後は先人の影の中を歩まざるをえないこと、時代を経ないと評価が本当には定まらないので、現代に凄いものが出たとしても気づきにくいことが30すぎてからわかりました)


それとは別に、この話にはもうひとつ本質的なポイントがあります。盲腸炎にかかっても現代なら死なないので、盲腸炎にかからないように頑張る必要性が小さくなる、ということです。


生物学を学ぶようになってから知った概念のひとつに”進化的に中立”というのがあります。もともと木村資生という人が酵素分子にダーウィニズムでは説明できないほど多型が多いことを説明しようとして導入した概念で(分子進化の中立説)、ひらたくいえば、世代を超えて残る遺伝子とは個体の繁殖に有利な形質(性質)だけではなく、大部分は可もなく不可もない遺伝子である、というものです。不利にならない形質の遺伝子は進化的に「中立」であり、これは自然選択を通じて積極的に広まるわけではないが、他に強烈に有利な遺伝子が無ければ残り続けるのです。(残り続けるということは、集団内の確率的浮動(=偶然)やボトルネック効果のいたずらにより優占的になることもある)


これは言われてみれば当たり前のことで、たとえばDNAではATCGの4種類の文字から3文字取って1つのアミノ酸をコードするから、4^3=64種類のコード(コドン)が書けます。ところがこれを使って実際に書いてあるのはたった20種類のアミノ酸のコード(+開始コード、終始コード)です。同じアミノ酸を別のコードで示す書き方がたくさんあるわけで、それらの文字は遺伝子内で入れ替え可能だし、実際にわりとランダムに入れ替わってることを見てもわかります。つまり、個体の繁殖にあんまり関わらない部分では遺伝子は浮動可能なのです。


さて、ある形質が中立化しているということは、それを持つ個体にとって、その形質を持ち続ける必要がなくなる、ということです。洞窟内で世代を経た魚の眼が「退化」したり、色が白くなったりするのは、眼球があってもなくても、体の色を黒くしてもしなくても選択圧がかからない(「死にやすさ」が上がらない)ため、目が見えなかったり色がおかしかったりといった、地上であれば致命的な突然変異でもそのまま残る、ということです。(よく「目を捨てたほうが有利だからこうなった」みたいな説明がされますが、これはおそらくそういうことではなくて、死にやすさが変わらなくなるために数の多い変異が目につきやすくなる、ということです。)


で、これをさっきの「現代なら死なないので盲腸炎にかからないように頑張る必要性が小さくなる」ということに当てはめてみると、現代においてはたくさんの病気や異常に対抗する遺伝子は中立化されている、ということになります。もちろん病原体を含む広義の寄生者の側の進化は速く、免疫系が大きなダメージを受けるような変異は残りようがありませんが、それでも昔であれば簡単に死んだような体の弱さは、いまや繁殖に影響がありません。


あ、すぐ繁殖繁殖言うから品が悪いように感じる人もいるかも知れませんが、生物学は個体の成功を「適応度」、つまり子供の数で測ります。子供さえ残せば成功です♪ というわけ。実際にはこれをもうちょっと厳密にした「包括適応度」のが一般的な概念で、自分の遺伝子を確率的に共有してる子供たちをその共有度で重み付けして全部足し合わせます。自分の子供は0.5、兄弟の子供なら0.25、従姉妹の子供なら0.0625…といった具合で、この合計が1を超えてればあなたは生物として成功、下回ってれば失敗です。


はー、つづく。