日本的陰惨さはいつ消えたのか

戦前の日本のことを扱ったものを延々と読んでいる。「これは今もまったく変わらんなあ」と思うこともたくさんあるものの、「さすがにこれは無いわ、日本も文明化してるわ」と思えることも山ほどあるのは嬉しいことである。

たとえば、いまや、日本的陰惨さ、というものはフィクションの中にしか存在しない。些細なことをどこまでも詰めていきリンチに至るとか、毎晩延々と続く理不尽極まる制裁に耐えるとか、そうしたことに美しい存在が突然巻き込まれるとか、それらすべてが逃げられない関係の中で続くといった、江戸時代的な、昭和初期的な、赤紙招集的な、思想犯拷問的な、内ゲバ殺人的なものは、もしくは、樋口一葉的な、大杉栄的な、安徳天皇的な、鎌倉武士的な、局中法度的な、その他生々しすぎて書きたくないような時代の下った諸々的なものは、社会の表舞台から姿を消した。

これは、そうしたすべてが根絶されたと言っているのではない。現代には、少なくとも、命が一番大事で犯してはならないものである、という社会的同意があるということだ。こうした同意が社会に普及していることはとても大きく、命が本質的にはどうでもよかったかつての社会とは一線を画している。どの年代に潮目が変わったのか、振り返ってみると境目が見えず、ちょっと不思議だ。

こういうことを書くと、戦後の社会変化のためだ、命が地球より重いとか言い出したあれだ、というような、いわば教科書的な感想を抱く人もいるかもしれないが、それはそうではない。

思い起こせば、少なくとも昭和の続いてる間は、名誉が・仕事が・国家が・貞操が・etc...が命よりも大事である、という意識は社会の本音の部分に抜きがたく存在し、そのための(他人の)死を称賛する意識は通底していたように思う。そして命の軽視は、転じて他者の尊厳の軽視となっていく。

現代はまったく違っていて、上記のような死を本気で称賛する者はいない。社会の大多数が、そういった死が単に忌まわしいものであることを常識としており、旧来の価値観で当たり障りがなかった称賛の言葉を発する老人などは、一発で白眼視されるようになっている。

とはいうものの、死がエンドポイントの役割を果たすようになったこと自体は、大きな意識の変化の一部にすぎないかもしれない。戦前の話を読んでいて感じる日本的陰惨さの底のなさには、いまや誰もが耐えられなくなっているように思う。

これは軟弱化ではない。文明化である。すなわち、個人の能力が大きくなり続け、自然選択形質のすべてが中立化していき、霊的現象が幻想に過ぎないことが白日のもとにさらされるという状況の中で、自分にとって本当に価値のあるものは何か、ということを皆がよくよく考えるようになった結果である。

そう考えてみると、あの日本的陰惨さというものに誰もが耐えられなくなったその時こそ、社会から陰惨さが姿を消した時期だと言えるのかもしれない。

自分の記憶では、80年代には社会がどんどん明るさを増したことがひとつあるのだが、それとは別に、かなり最近になって、いつの間にやらこの文化的なくびきを脱していたことに気づいたようなところがある。90年代から2000年代のどこかに何かがあるような気がする。

これは昔の日本から見ると夢のようで、こうした社会が現実化しているのだぞ、ということを、本の中の戦前戦中の人に教えてあげたくなる。もちろん、あちらからすれば、遠い遠い夢の国の非現実的お伽噺としか思えないかもしれないのだが。