地方単独でのロックダウンは無理

友人が現在の沖縄の流行状況に憤っている。

彼は学習塾を営んでいるが、ほとんどロックダウン状態でオンライン授業を余儀なくされている。小さい子供が居るが、保育園は休園で、おうち保育が長期に渡る。沖縄の常で親御さんは頼れるはずだが、これは感染対策上は非常によろしくないことなので、やっていないかもしれない。奥さんもあまりリモートワークの効かない正社員なのでワンオペ育児になる場面も多いはず。そんな状態でオンライン授業って…。

こうした窮状も、今度の流行ではほとんど必然となってしまっている。デルタ株は子供の感染が非常に多く、先週(8/9-15)の状況分析によれば4138人の新規陽性者のうち未成年が23%を占める。若年での中等症、後遺症の発生率も低くないので、感染はどうしても避けたい。となれば、やはり必然的に、このような形になってしまう。

しかしそれにしても、今回の流行は長い。沖縄は春の流行(4波)が下がり切る前にゴールデンウィークによる流行(5波)が来て、これがアルファ株主体だったために大爆発した。7月に入って新規感染者が100人を切るようになり、まだ下がりきらない、もうちょっと、とやっているうちにデルタ株が来た。アルファ株をはるかに超える大、大爆発的流行となって、最近ようやくピークが見えてきたように感じるところ。

彼は言う。2週間くらい完全にロックダウンしてほしいです、と。国がお金をくれないなら地方債を発行するとか、地域通貨を作ってでも、なんとかして欲しいものです、と。

たしかに、デルタ株の終息にはどうしても活動を止めるしか無い。それにはちゃんとした補償が不可欠であり、国がやってくれないなら勝手にやるしかない…という論理は、まったくその通りだと思う。

しかし、日本の予算構造というのは地方の独立的な動きをほとんど封じる形になっている。そもそもの流れとして、税は国税で大部分を回収するし、巨大な国債は金融行政と一体になった国にしか起債できず、地方は国からの配分を受けるしかない構造だ。

地方税や県債は県の予算の柱の一つではあるものの、これらは全体のせいぜい数割。地方単独でそんな大きなことができるわけがないですよ…なんてことを言っても通じるわけがないので、具体的な数字を調べてみた。

沖縄県の現在の予算の規模感は:

となっている。言うまでもないことだが、予算のほとんどは既に使いみちが決まっており、自由に転用することなどまったくできない。補正補正で4300億も出費しているが、これは2年分の予算の1/4以上だ。

これに対して、ロックダウンに必要な支出はどの程度になるか。

支給のスピード、誰もがどうにか協力してくれそうな額であること、2週間は生きられること…といったことを考えると、「10万円をもう一度配る」が現実的であるように思う。これでも日給7千円でギリギリの額だろう。

それで付帯作業に予算をつけず(ブラック)、ギリギリの額で支出するとすると:

  • 146万県民に10万ずつ配ると1460億(予算の18.5%)

である。はい解散。

いやこれ、どう考えたって無理だよね。

  • 特別予算は出ない。
  • 県債は過去の実績の7%程度を既に超過。
  • それどころか県の措置があるならと、国の休業補償が止まる可能性もある

という状況で、地方債にしても地域通貨にしても、こんな規模で出せるはずがない。

前述の友人が県議に問い合わせたところ、災害対応目的での県債発行を働きかけている、とのこと。しかし、それでいくら捻出できるのか。大盤振る舞いで2~300億絞り出したところで焼け石に水というか、一発で効く荒療治はできずに財政が悪化し、国への依存度をさらに高めるだけだ。これは選べない道ではないだろうか。

やはり、国の介入なしにロックダウンは不可能なのである。日本では。

デルタ株は自然鎮火しない山火事のようなものである。医療拡充では間に合わない。ワクチンによる「不燃化」も間に合わない。罰則ベースのロックダウンは生活を破壊する。だから補償によるロックダウンが不可欠なのだ。

国がやるしかない。地方の選択肢を奪い、自分たちで政策を選択してきた者の、これは義務である。

にも関わらず、国のやっていることは見えない。メッセージもない。

東京すら見殺しの状況で、沖縄はどうなっていくのか。