陰謀に見るやりがい搾取

ひさびさにパオロ・マッツァリーノ先生のブログを読んだよ。

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陰謀論てアホらしいもんだけど、リアルに陰謀を企む人が居て、それがバレたところがドキュメンタリー番組になってるという話。

見たいー! と叫んでいたら、なんとこれ、ダイジェスト版がYouTubeで公開されているそうで。

 


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そんなわけで視聴しました。とても興味深い。

この田中という事務局長は、リコール運動の取りまとめをしたり、国政選挙に出るときは維新から出るつもりとか、オレなんかとは正反対な思想…かと思いきや、映像から伝わってくる人柄や演説シーンからは、そうした思想性なんかまったく感じられない。ごく普通の頑張るオッサンにしか見えない。

彼はただ後ろ盾が欲しくて高須克弥に近づき、高須の意を汲み、高須の顔を潰さないようにひたすら忖度し、高須のやりたいことを実現してあげることで、自分の望み(衆議院議員になる)をかなえてほしかっただけだ。

でも、逮捕後の高須克弥へのインタビューでは、「彼は真っ黒ですから」などと興味なさげに淡々と語られてしまい、まさにトカゲのしっぽとして切り捨てられている。おそらくは、それが可能なようなスキームを、田中みずから忖度して作り上げておいたんだろう。高須は安全だ。

ところで、昔からオレがまったく理解できなかったことのひとつに、汚職した政治家などが「秘書がやったことですから」などと自分の責任を否定すると、それを秘書が認めてしまう、というのがある(しかも自殺したりする)。あれが本気で理解不能で、全部ゲロっちゃうべきでしょ、と思っているんだけど…。

この構造は一種の「やりがい搾取」なんだな、と今回理解した。

つまりはこういうことだ。もしそれが忖度の上での行動だったとしても、彼らの行動は、少なくとも形式的には、自分で選択、実行したものなのである。そこには擬似的ながら主体性がある。そして意識は形式(行動)に沿って自己正当化するものだから、彼らはそこにやりがいを感じてしまうんだよね。

このビデオにも、密着取材のインタビューアーが

「どこで道を間違えたんですかね?」

と聞いたのに対して、田中が

「間違えたかなあ??? えー???」

と答える会話がある。間違っていないと自己正当化してしまってる。

やりがいが存在すると所有感が出て、自分がやったこと、になっちゃうんだよね。だからこの田中事務局長はたぶん、少なくとも今のところは、高須克弥を恨んだりしてない。自己責任、と思ってるはず。

ハタから見れば明白でバカバカしいほどのこうした搾取構造が、日本では典型的に起き、また時代が進んでも、日本でだけではまったく跡を絶たないのは、日本人に全体を見渡せない、目の前のことだけが自分の世界になってしまう人が山ほどいるからだ。「木を見て森を見ない」は日本文化に、また日本人の思考パターンに強烈に定着してる。

文化的に定着しているものを対症療法的な「対策」で解消することは出来ない。だから客観視のスキルを、教育制度で意識的に育てる必要がある。客観視ができない限り、人間は「原始時代の150人以下の村」から出てこられない。意識がそこに留まる人は、世界をあるがままに捉えられず、ヒトの脳のバイアスに捉えられたまま、社会について間違った判断を下し続ける。

そして客観視には科学的な思考が不可欠である。

元の話題からはだいぶ飛躍してるけど、やはり科学と民主制は不可分であり、成員の教育が必要なものなんだな…と改めて実感した次第。