Twitterとtwitter

"twitter"というのは、人間同士が交流するためのプラットフォームの種類の名前であって、単一の会社の持ち物ではないな、と思うようになった。それは一方的なフォロー/フォロイー関係、短文、コミュニティの非接続性などにより規定されるものである。

システムというのは人間が作るものなんだけど、このtwitterという形は、Twitter社の発明品というより、「発見品」であるように見える。自然対数の底eのように、狙って掘り出されたではあるものの、元々自然の中に埋まっていた論理存在であるように思えてならない。

オレの見方を取れば、"Twitter社"というのは、この"twitter"という鉱脈を偶然に掘り当てた山師にすぎない。

彼らがtwitterの価値を正しく理解できず、正しく拡張することに失敗し続け、有利な立場を濫用することしかできていないのは、そのためである。日本の「ツイッター社」に至っては、まったくの問題外で、単なる集金機関にすぎない。だから今回のような騒ぎになるのだ。

また、このtwitterという論理存在の価値は、正しく取り出せなくても莫大なのだ。だからTwitter社はいつまでも寄生を続けることができる。twitterの潜在価値は浪費され続ける。

歴史的には、「価値を正しく量れない者が支配する公器」は支配を逃れる。民衆、というのがそもそもそうした存在であったことを別にするにしても、たとえば企業再生というのも、そのようなプロセスだ。潰れる会社からは価値ある部分が切り売りされる。あるいは、再生者がそれまでの経営者を追い出して、市場価値を最大化できるように、つまり本来の価値に見合った価格がつくように、全体をプロデュースする。

とはいえ支配は強力だ。twitterの場合、ネットワーク効果(すでに使ってるユーザーの存在が魅力を高める)が巨大であるという特徴がある。このためにライバルが育たず、ダメな経営陣が負けることがない。もしかしたら、世界に生き残れるtwitter(一般的名詞として小文字)は1つだけかもしれず、だとしたら、すでに唯一のtwitterのオーナーとなっているTwitter社がライバルに負けることはない。

あとは再生屋が現経営者を追い出す際に使う手法くらいか。莫大なお金を払って辞めていただく「ゴールデンパラシュート」というやつだ。ただこれも、Twitterの価値がすでに大きすぎるので、買い取れるところがないかもしれない。

まあ最近は、勝手に潰れる、に望みが出てきたようにも見える。見切りをつけて逃げ出す人が、ずいぶん増えているからだ。しかしこのプロセスには長い時間がかかり、強烈な品質低下をともなうだろう。

はーやく潰れろTwitter社♪

フレー!フレー!かっとばせ!!