読解力に頼らない教育

数年前から「読解能力が大事」という話がさんざん出てて、そうだそうだと思って前に後ろに考えてるうちに、文字を読んでその意味を解す、というスキルそのものが実はわりに特殊で、スピードも含めると猛烈な個人差が連続体として広がってることに気付いた。すごく読める人はさーっと読んで間違うことがなく、すごく読めない人は単語を拾って適当に繋げてるうちに迷子になる。

そして、かなり読めない人でも、日常生活は普通にこなせる。これは、彼らでも耳から聞いた情報であれば正確に把握するから。耳から意味を取る情報収集は対話的におこなわれ、つねにフィードバックがあるため、スキルにあまりバラつきがないのだ。

ここに着目したことで、読解教育には十分なフィードバックがない、という問題に気が付いたわけだけど、ここをきちんとサポートできるようにするには時間がかかる。

だから、まずはバラつきのないスキルを使って教育することを考えた方がいいのではないか。つまり、教科書をオーディオブックにするのだ。

旧来の教育が「読み、書き、そろばん」で、(計算能力を除けば)文字の利用にフォーカスしたものだったのは、知識の共有方法が文字しか無かったからだ。いまならこんなに不安定なものに頼らなくても、大規模かつ再現的な方法で知識を与えられるではないか。

もちろん、書誌形態も依然として必要だ。読解能力によるボーナスはかなり強烈で、まずスピードがおそろしく速い。文庫本1冊、350ページくらいの物語をわれわれは2時間前後で読むが、それをオーディオブックにすると8時間とかの分量になる。また、同音異字が一瞬でわかるとか、一瞥すれば重要なところにアタリが付くとか、ランダムアクセスできるとか、非常にお得なことがたくさんあって、失えば大きな損失だ。書誌という形態や、それを読み取るスキルの重要性は変わらないので、全部切り替えるのは得策ではない。

でも、知識を得るためのスキルにこれほど大きなバラつきがあり、最低レベルの確保がかなり困難な現状を見ると、これって非常に重要だと思うんだよね。また、話される言葉にも話される言葉特有のボーナスがあると思う。

教科書のオーディオブック化にカネは要らない。ユーチューバーが適応放散してさまざまな分野に散らばり、動画コンテンツが充実していってるんだから、このバリエーションみたいな感じで、各社で教科書朗読チャンネルを作ればいいと思う。第何章何ページ~何ページ、というタグを作って募集するだけでできる。

てか、このくらい価値のあるものだと、勝手にやって怒られたら逆にお願いする、みたいな形でもいい気がする。

科学というシステムを使わない国に前進はない。ただブラウン運動するのみ。

日本の失敗って江戸時代の後半からずっと「科学の不在」で説明がつくと思う。逆に西欧文明の強さって究極的にはこれだけだと思う。

科学ってのは「思いつきでしか行動できない人類が確実に前進するための手順」なんだよね。すべての前進を記録して公開することで、失敗方向への前進にどのような兆候があったか、道のりが参照できるようになる。

科学がないと、前に進もうという努力は方向性を持たず、ランダムなブラウン運動になる。ブラウン運動をいくら激しくやっても、それは温度の高さとして観測されるだけで、前進はしてない。

ブラウン運動が偶然全部同じ方向になれば、なにもないところに風が吹いたり、瓶が突然飛び上がったりする。でもそんなことは起きない。かかわる分子数が多くなればなるほど、運動が統計的に予測される合計に近づいていくから。

瓶を空に飛ばすのが科学です。

「もったいない」という弱点

岩田教授の動画で言及されてた、どうにか口を作って船に乗せてくれた厚労省の人、高山医師だったのね。この高山医師の投稿を読むと、互いにプロとしてベストを尽くしてることがわかる。悪いやつぁいない。

オレが岩田教授の動画を見て思ったのは、最初からちゃんと専門家にやらせろよ、です。橋本岳が「総指揮の自分は承知してなかった」と岩田教授の乗船を批判してたけど、そういうお行儀論でプロを批判できると思うのは間違いなんだよね。どうして最初から岩田教授に指導を仰がなかったんだ、という話でしかない。彼はプロとしてできる仕事をしただけなのだ。

ダイヤモンド・プリンセスの隔離は最初から重要事項だったし、重要性はどんどん上がった。仕切り直して最大限のマトモな体制を築くべきタイミングはあったように思う。

「最初に採用した代用品を豪華にすることしかできない」という日本の組織の悪い癖がここでも出てるんじゃないですか。誰が悪いではない。直すならこの部分だ。

ちなみに、市場と対話して稼いでる人たちがこれに関してよく言うのは、サンクコストという言葉だ。これは英語のsunk costで、sunkはsinkの過去形、つまりサンクコストは「すでに沈んだ費用」ということになる。具体的には、すでに支払ってあり戻ってくることがないコストのことだ。

これがどうして大事なのか。金融商品に引き寄せて説明すると、「あなたが持っている、あるいはこれから買おうとする株は、これからどのような価格になるかという見込みだけで判断しなければならない」となる。

つまり、過去にいくらで買ったかとか、そのときにどんな気持ちだったかとか、どんな経緯で買ったかとかを考えてはならず、将来騰がるなら買い、下がるなら売らなければならない、ということだ。

これは人間には非常に難しい。過去に100万円で買い、いま50万しかしない株には100万円のサンクコストが含まれている。これを売るのか、それとも買い増すのか、買い増した場合にいくらで売るのかは、100万円のことを忘れて判断するのが合理的だ。しかし、人間の脳には、コストを払って入手したものに価値を見出してしまうバイアスがあるのである。かくして、50万円から下がる見込みがあったときに売れる人はほとんどいないし、騰がる見込みがあって買い増し、実際に騰ったときに、たとえば60万円で売れる人はまったくいない。やるべきことは常に、現時点から騰がるか下がるかを考えて売買することだけなのに。

日本の組織って、本当に仕切り直しができないんだけど、これは心理的サンクコストが巨大で、マネージメントが合理的な判断をまったくできないためだ。合理的な判断で仕切り直したときの現場の恨み節が強烈すぎるというのもあるし、そもそもマネージメントが合理的に判断する慣習がないというのもある。

仕切り直しができないと、「小さく始めたプロトタイプを究極的な目標に向けて作り直しながら成長する」ということができない。日本のシステム、特に大組織が作ったそれには、「はじめに導入した模造品が巨大かつ非効率になっていく」という宿痾がある。最近の良い例は消費税だ。消費税は欧州型の付加価値税を元に作られたが、インボイスを最初から導入せずに小規模事業者への特例措置を組み込み、そうしたすべてを保持したままで軽減税率まで組み込んだため、いまや費用のかかる、現場の負担の巨大なシステムになっている。

「慣れたやり方を絶対に捨てない」は、目先の効率低下を避け、限られた資源で一定の成果を出すには非常に有効なやり方だ。

だけど、全体最適に向けて常に浮動することをやめれば、局所最適から絶対に逃れられない。その時点より抜本的に良くなることはないし、後から来た、全体最適の見えてる競合に必ず負けるのである。

それではどうすればよいだろうか。解決は簡単だ。いつも遠い目標を視野に入れ、目先の非効率を許すことである。

ただこれ、できますか?「有能な日本人」ほど、目先の仕事で成果を出すことだけを目指してしまうものだ。

リーダーシップって、こういうところで使うものだと思うんだよね。

社会人の条件

これ読んだ。

georgebest1969.typepad.jp

これに限らない。新型肺炎の蔓延を防ぐには日本社会はこう変わらねばならない、という専門家からの提言を読んでみると、どれも、

「カモサワくらいダラダラとサボりながらすぐに弱音をはいて休むくらいじゃないとダメ」

と書いてある感じがする。

いわく、「よく食べてよく寝ろ。」

いわく、「風邪だと思ったら一週間ほど引きこもって休め。」

いわく、「人混みを避けろ。」

オレは料理が趣味で、睡眠8時間を目指して練習中。ちょっと体調が悪いと何もせずにゴロゴロしてるし、人が多いと疲れるから旅行すら空いてるところばかりだ。

だからといって、「オレの時代が来たぜ」とは、ぜんぜん思わない。みんながこういうダラけた習慣に適応するとは、とても思えない。

だいたい、健康にもほんと自信がなくて、みんながこのくらいダラけないと罹るとなると、オレはもうちょっと休まないと罹るんじゃないか?と疑いにかかる性分だ。まったくオレの時代じゃない。

これは健康で文化的に過ごす社会人のための最低限の条件なのである。

みんな、半年くらい寝て暮らそうぜ。
株はだいたい売りで。

Twitterとtwitter

"twitter"というのは、人間同士が交流するためのプラットフォームの種類の名前であって、単一の会社の持ち物ではないな、と思うようになった。それは一方的なフォロー/フォロイー関係、短文、コミュニティの非接続性などにより規定されるものである。

システムというのは人間が作るものなんだけど、このtwitterという形は、Twitter社の発明品というより、「発見品」であるように見える。自然対数の底eのように、狙って掘り出されたではあるものの、元々自然の中に埋まっていた論理存在であるように思えてならない。

オレの見方を取れば、"Twitter社"というのは、この"twitter"という鉱脈を偶然に掘り当てた山師にすぎない。

彼らがtwitterの価値を正しく理解できず、正しく拡張することに失敗し続け、有利な立場を濫用することしかできていないのは、そのためである。日本の「ツイッター社」に至っては、まったくの問題外で、単なる集金機関にすぎない。だから今回のような騒ぎになるのだ。

また、このtwitterという論理存在の価値は、正しく取り出せなくても莫大なのだ。だからTwitter社はいつまでも寄生を続けることができる。twitterの潜在価値は浪費され続ける。

歴史的には、「価値を正しく量れない者が支配する公器」は支配を逃れる。民衆、というのがそもそもそうした存在であったことを別にするにしても、たとえば企業再生というのも、そのようなプロセスだ。潰れる会社からは価値ある部分が切り売りされる。あるいは、再生者がそれまでの経営者を追い出して、市場価値を最大化できるように、つまり本来の価値に見合った価格がつくように、全体をプロデュースする。

とはいえ支配は強力だ。twitterの場合、ネットワーク効果(すでに使ってるユーザーの存在が魅力を高める)が巨大であるという特徴がある。このためにライバルが育たず、ダメな経営陣が負けることがない。もしかしたら、世界に生き残れるtwitter(一般的名詞として小文字)は1つだけかもしれず、だとしたら、すでに唯一のtwitterのオーナーとなっているTwitter社がライバルに負けることはない。

あとは再生屋が現経営者を追い出す際に使う手法くらいか。莫大なお金を払って辞めていただく「ゴールデンパラシュート」というやつだ。ただこれも、Twitterの価値がすでに大きすぎるので、買い取れるところがないかもしれない。

まあ最近は、勝手に潰れる、に望みが出てきたようにも見える。見切りをつけて逃げ出す人が、ずいぶん増えているからだ。しかしこのプロセスには長い時間がかかり、強烈な品質低下をともなうだろう。

はーやく潰れろTwitter社♪

フレー!フレー!かっとばせ!!

上京日記

2020/02/06

ふつーに仕事してて気がついたら東京行きが明日になっててびびってる。Tシャツ短パンじゃまずいかな。2月だし。

東京でやりたいこと:

  • バイオリンの弓をできれば買う
  • 友人と会う

いまんとここのくらいか。すべて未定。

いや、「東京でやることになってること」があった。法事だ。

父の三十三回忌を中野の寺でやる。

 

2020/02/07

  • 朝空港についてから気がついたんだけど、上着を忘れた。Tシャツで行くことになった。かろうじて短パンではない。折しも寒波が来ており、風も強く、昨日から非常に寒いらしい。
  • 羽田に着いた。たいして寒くない気がする。(まだ飛行機の中だが)。
  • 空港の案内の人にユニクロの場所を聞きながら、 T シャツで来ちゃったんだけど結構大丈夫っぽいですね、と言ったら、無理無理無理無理無理無理って言われた。しかも二人でハモってる。
  • ユニクロで「暖かくてかさばらず、ガサガサもしない簡単な上っ張りがほしい」と言ったら店頭の一番目立つところにあるパーカーを勧められる。売りたいだけかと思ったけど、他を検討してもこれが残ったので買った。
  • 友人宅に向かう。電車の中のマスク率が69%(してないのが17/55)。座ってる人が全員マスクというシートもあって異様だ。パーカーが暑い。
  • 午後は上野でミイラを見た。南米のミイラは布の袋に包まれて墓所に安置されているのだけど、その布包みを模した腕枕(抱き枕の小さいの)という狂気のアイテムがあって買いそうになったけど出てきたら怖いのでやめた。代わりに4種のミイラのついたクリアファイルを買う。これも少し怖いがネコのミイラがラブリー。
  • ミイラの後は科博の常設展示を見た。地下3階の物理展示にハマる。摩擦熱計測の計算が合わないので何度もやってしまった。
  • 科博常設のミュージアムショップも楽しかった。けっきょく閉館ギリまで居て秋葉原のミルクスタンドで甘酒を飲んで帰った。「相転移の世界」という面白そうな企画展をやっていたと知ったのは翌日のことである。

2020/02/08

  • 合羽橋に行ってみた。
  • 食品サンプルの製作体験、塗椀購入(家の椀がボロボロなのでちゃんとした漆の椀を買った)、クッキー型等購入(輸入の製菓道具がたくさん並んでる店がある)、かき揚げを揚げるときの枠購入(初めて見た)、飯台購入(寿司をよく作るので欲しかった)など、だいぶ遊んで楽しかった。
  • 17時をまわると店が一斉に閉まり、ごく一部だけが営業してる状態となる。少し取っつきにくい専門店が並ぶアマチュアのワンダーランド的な感じを含め、昔の秋葉原みたいである。

2020/02/09

  • 法事。友人宅が近いので徒歩で寺へ。参列者は弟夫婦とオレだけである。ただし姪がアメリカから、続いて姉がインドからFacebookメッセンジャービデオチャットで参加した。葬式には当時の事務次官も来ていた父の法事も最後は寂しいものだが、家族は揃ったのでよいだろう。
  • 墓参りのあと弟夫婦と食事。ミイラのクリアファイルを1枚進呈する。
  • 午後はバイオリンの弓を選びに大崎へ(別記事)。
  • さらにそのあと秋葉原へ。ラジオデパートで「いわゆるクリスタルイヤフォン」 を、閉店間際の秋月でオペアンプやLM386を、ツクモのロボット館でハンドニブラーやM5Stack、M5StickV、ケーブル等を買う。
  • 友人がエレキバイオリンと3000円のカーボン弓を貸してくれた。音がほとんどしないので練習し放題である。カーボン弓は安い割に馬毛でコントロールしやすくて悪くない。

2020/02/10

2020/02/11

  • 帰る日だけど新大久保へ。
  • いま新大久保は韓国だけでない多国籍エスニックな街になっていて、最初に入ったJanet Halal Foodという店でどハマリし、アラブ系の留学生への土産に豆を2kgも買ったりした。あとlantern chilliとも呼ばれる灯笼椒や青椒など、これまで日本で一度も見たことがないスパイス類がざくざくあってアホほど買ってしまった。

    dancyu.jp

  • さらに韓国スーパーでも炒め麺や海産物のキムチなど買い込み、韓国料理屋で昼食。たいへん楽しかった。
  • さまざまな荷物を貰ったダンボールに詰め込んで、さらに空港までクルマで送ってもらった。ありがとう。すごく助かりました。
  • あちこちで買い物を楽しみ、荷物を平然と増やしたのは、往復がLCCでなくスカイマークだからである。羽田発着、預け荷物20kg無料、値段は成田発着のLCCと1000円くらいしか変わらない。機会コスト的には、というか預け荷物のお金を払った時点でこちらの方がだいぶ安い。LCCピンチだな…。

そんなわけで久々の東京はなかなか楽しかった。次はいつになるのやら。

弓を選ぶ

先生ご紹介の大崎の弦楽器店にてバイオリンの弓を選びました。

f:id:kamosawa:20200305171457j:plain

弦専門の楽器屋さん。中にはすごい楽器がいっぱい。

店に行く前に電話で予算と訪問時刻を伝えたところ、お店ではすでにその価格前後の範囲の弓をたくさんケースに入れて用意してくれていました。

はじめ、どの弓で弾いてもたいへん弾きやすく、しかもめちゃめちゃに素晴らしい音がしてしまうので、おかしいなと思ってバイオリンの方のお値段を聞いたところ、400万円とのことw

いい音がどんどん出るのはとても楽しかったけど、さすがに参考にならない気がしました。やはり自分の楽器と同じぐらいの値段のやつを出してもらい、改めて弾いていきます。それでもやっぱりめちゃめちゃに素晴らしい音がするので、先生が言ってた「弓の力」は、かなりありそうです。

十数本を試し引きしてみて、かなりいいなあと思った3本からが決められない。値段も倍くらいの幅があるんだけど、とりあえず一番気に入ったのが一番安いやつという…。

困っていたところ、沖縄に送っていただき、自分の楽器と合わせたり、先生の意見を聞いたりして改めて選んでください、ということになりました。高いのでドキドキ。

しかしホントにいい音がしたな、あのバイオリン。

楽器って替えが利かない存在で、その音はその個体からしか出ない、というところがある。機能で言えば「バイオリンの音が正しく出る」で変わらないんだけど、微妙な音の違いは必ずあって、好き嫌い、合う合わないが生じてくる。どんな物でもだんだん安く感じるようになるのが恐ろしいです。