定性的には正しそうだけど定量的に検討すればおかしい、というのは非常に陥りやすい罠だと思うんだけど、
「集団免疫を獲得できると期待していましたが、集団免疫アプローチでは事態に対処できないことがわかりました」と記者団に語った
と、あやまちを認めて方針を変更した。ほんとすごい。
これが日本で無理な感じがするのはなんでだろうと考えるんだけど、
- 無謬の前提がある。
- MOTTAINAIが発動する。
あたりかなと思う。
前者は、大きな方向性の変更が「だれかの責任」になるということ。
後者は、サンクコストが捨てられないということ。別の方向が見えたら「今後かかるコスト」で数量的に比較されるべきだが、それまでに投じたコストに意識が持っていかれて判断が鈍る。というか、「それを捨てる」ということに宗教的忌避感がある。無謬の前提すらMOTTAINAI感覚の正当化として出てきてる感がある。
「早すぎる最適化」ってのも日本の宿痾だと思ってるけど、戦術の硬直をもたらすものという視点で見ると、かなり深刻なひとつであるような気がする。