パブコメ

趣旨:
私は以下の理由により、「特定秘密の保護に関する法律案」に反対します。


(1) 本法律案は、法律の趣旨そのものが民主主義に反するものであり、国民の知る権利を著しく損ないます。

民主主義国家において、その国民が判断を下すためには、情報は可能な限り多量に流通する必要があります。
民主主義国家とは、国家の運営に関する情報を国民が共有し、その利害を自ら判断することにより機能するものなのです。

ある情報が国家の利害に関わるか否かを定めるのは公務員ではなく国民です。この本質が、この法律案にはまったく反映されていません。

また、対象となる特定秘密に対する恣意性が高いため、情報の私的な公開に対する萎縮をもたらすことも大きな問題です。これは国民の利益に著しく反します。


(2) 本法律案は日本の人権問題を悪化します。
本法律案は、対象となる特定秘密に対する恣意性が高く、罰は厳しいものとなっています。

このことは行政当局、警察、検察の裁量を増大しますが、こうした裁量が諸外国からも指摘される人権問題であることに注目していただきたいと思います。

裁量は行政当事者には有難いものですが、国民からは何が罪であるのか不明瞭で、行動の自由への制限となります。つまり裁量を喜ぶのは行政当事者だけであり、公共の利益には著しく反します。

また、行政に裁量があるということは、逮捕と起訴が恣意的におこなわれる可能性を増大します。これは大きな社会問題になりつつある冤罪の問題を悪化させ、国民の国家への信頼を悪化させることに繋がります。

さらに言えば、恣意的な秘密の公開を罰することは、実害のないものを罰する、ということでもあります。これはあってはならないことです。


(3) 本法律案は公務員の汚職を奨励します。

未公開の情報には、その本質的な価値の有無にかかわらず、それが秘密であるという一点だけで、金銭的な価値が生じます。

本法律案が施行されれば、秘密であるべき情報、秘密にすべきかどうか議論を呼ぶような情報のみならず、秘密であるべきでない情報を公務員が私的な利害により恣意的に隠蔽し、後に私的に利用することを許すことになります。

昨今の冤罪問題等の進展を見る限り、行政組織による組織的な情報の隠蔽と私的利用も心配されるところです。こんなものを心配しなければならないことは国民として不幸なことですが、これが杞憂であるとは、私は残念ながら考えておりません。

そのような無用の権限を行政に与えることを、私は国民として許容いたしません。


(4) 本法律案は国際的な恥辱であり、日本の国際的地位や収支を低下させ、人材を喪失し、未来に禍根を残します。

日本が民主主義国家として現代的な文明を進めようとしているか、逆行させようとしているかについては、国際的に、特に将来日本に来訪しようとする高度人材や、日本への投資を考慮する投資家に注視されています。

人権を、個人の自由を制限して行政を拡大するような非文明的態度を、世界的な大国の政府が取ることは、端的に言って恥ずかしいことです。しかし、それは恥や尊厳の問題だけでなく、国際的な収支にも関わる問題であるということに注目していただきたいと思います。

日本が高い能力をもった人材を吸引できるか、排出する方に回るかは、自由な個人の住み心地がどれだけ良いかに依存します。「文明を逆行させる国家」というイメージは、日本という国家への尊敬を著しく損ね、将来の大きな禍根となります。


(5) 本法律案は文明の歴史的傾向を逆行させようとする無意味な挑戦です。

現代の西欧型文明には、個人の能力が拡大し、民主主義が増進し、政府の相対的な役割が小さくなっていくという歴史的傾向があります。これは歴史の流れであるばかりでなく、可能な限り多くの国民が満足できる社会を目指すという、公共の福祉の増大の歴史からも導かれる必然です。

すなわち、個人の活動に国家の活動が左右されるようになることは、水が低きに流れるように自然な動きであり、文明の進展に伴って必ず起きてくることなのです。

情報の統制を国家が一手に握れる法律を作ろうとすることは、個人の能力の増大という、必然的で望ましい社会変化に対する無用の挑戦であり、その罰則が厳しいことは、無用の不幸を増やすものとなるでしょう。

日本が反文明的、反民主主義的な国家の道を歩むことを、私は望みません。

本法律案が守ろうとしている秘密の価値よりも、国民の自由の方が、はるかに重要であると私は信じています。



結論
以上のことから、私は「特定秘密の保護に関する法律案」に全面的に反対し、手直しでなく廃案を望みます。