ちょっと前に持ちきりだった話題があります。市民団体が行政から借り出した線量計を分解して較正を狂わしちゃった話です。これについては以下が詳しいです: #原発 【これはひどい。】たんぽぽ舎メルマガ内『線量計に細工 分解してみてわかった!』への反応 - Togetter
一般的にいえば、この素人集団がやったことはダメダメです。精密な測定器は製造時に誤差を潰しきれないので、必ず較正が必要で、調整のための仕組みが組み込まれてます。キッチンスケールでも時々ゼロあわせしないと狂ってきたりするくらいなもので、複雑な現象を精密に測定するには精密な較正が必要で、その調整状態自体が資産です。これを駄目にしたのは非常にまずいです。
(較正状態が資産であるというのは、たとえばキッチンスケールのように線形変化するバネを使った測定器なら一次関数で近似でき、傾きは狂わないのでY切片を調整するだけでよいのに対し、高次関数的な測定器であれば数多くのパラメータが同時に正しい値を示す状態を作らなければならず、それにはお金の取れるプロの仕事が、正しい手順と道具が必要だからです。)
でもさあ、自分たちが測定器について知ってて、正しい認識を持っているからって、ここまでみんなで叩くのは、やっぱり変な感じがするんですよね。なぜかといえば:
- 初心者が
- 集団心理と好奇心からぶっ壊し
- それを得々と語る
というのは、少なくとも悪意じゃないから。
彼らは確かに間違いを犯したわけだけど、測定器の基本がわかってないのは素人であれば当たり前です。較正を狂わせたことは「プロ」の人たちから見ればチョーとんでもないあやまちで、その感覚の違いに驚いてみせるというのは実際楽しいことだけど、こんなにみんなで叩くというのは違うなと思います。
オレらがやるべきことは、測定器について話題になったこのタイミングで、測定器についてのイントロをしっかりとやること。遠い大きな話から積み上げて、測定器ラブな人たちの感覚を共有させるに至ることです。
なぜそんなに親切なことをしてあげなければいけないかといえば、初心者とは無限に発生するものであるからです。初心者は敵ではないし、常に自分たちをはるかに超える才能を持ってる可能性があるからです。これが初心者が大事であること、すなわち、初心者向けのイントロがとっても大事であること!の理由です。
初心者が無限に発生するとはどういうことでしょうか。上のtogetterには、震災から2年も経ってるのに反原発の人が測定器の基本がわからないなんて不勉強!という声も強かったようですが、そういうことはよくあるのでしょうか。
これは実のところ、よくあります。「たまにある」どころではなく、「もちろんある」というレベルであります。一般的に言えば、特定の分野に対する初心者というのは本当に限りなく発生するものなのです。メカニズムはいくつかあるのですが、以下のようなことが主因として挙げられるでしょう:
- 若い人が参入してくる
- 人は自分の見たいものしか見ない
- 分野をまたげば土地勘が働かなくなる
- 脳はコピーできない
若い人は常に参入します。2年前に何も考えてない中学生だった人も、今は高校でいろいろ考えていることでしょう。現在の20歳人口は団塊ジュニア世代の6割しか居ませんが、それでも今年120万人が20歳になってます。15歳から20歳の人口なら700万人近く居ます。年平均でこの0.1%の人がちょっと興味を持つという分野があるとすれば、それだけで7千人の初心者が生まれるのです。そして時の流れはとっても速く、ブームが終わった分野への流入すら止まるところをしりません。
二番目は大事なところです。人は興味のあることにしか意識が向きません。「最近コレが気になるなと思ったら途端にあちこちで話題になり始めた」という経験は、どなたもしたことがあると思いますが、これはそれまで話題になっていなかったのではなく、あなたが気づくようになっただけです。興味の無いことは意識に拾われず、目にしたとしても留まることはありません。興味を向けた瞬間に初心者が生まれます。
三番目の要因は、これによって強化されてます。自分があることに詳しくなり、隣接分野も含めて感覚が掴めてくると、その常識に反するものはすべて異常に見えます。しかし離れた分野に行けば行くほど、その常識が見ているものとはまったく別のことに注目した体系が構築されているものです。そこでは何に注目して良いのかすらわからないので、意識が重要なことに向いていきません。自分が知ってると思ってることに隣接した分野を掘ってみると、自分が実は初心者であることを発見します。
四番目の要因は、近くの人が詳しいことに自分も詳しいとは限らない、ということです。わかってるつもりで話題にしていても、実はちゃんと理解してないことというのはたくさんあります。これは前提の共有がおろそかだったり、非常に大事な知識のピースが欠けているのを自覚できない場合によく起きることです。集団においては、場の雰囲気のおかげで判った感じだけが強化されることもあり、知識の共有どころか断絶があるのに気づかない場合すらあります。興味を持って学び始めたあなたは初心者です。
そしてこの人たちのすべてが、優れたイントロを必要としているのです。
原発事故で線量の測定値が話題になっても、測定器の仕組みや、まして内部の「細かいこと」に興味を持つ人は少ないです。「あんなに話題になってたのに!」と思うかもしれませんが、これについてはあなたのお母上が世間の標準値です。
今回の場合は、まず反原発の市民団体ということでリテラシーを期待する声もありましたが、彼らは測定に興味があるわけではなく、自分の安全に興味があるだけです。この場合、測定器に少しでも慣れた人が一人でも居れば需要は満たされてしまいますし、他の人たちには「詳しくなろう」というインセンティブが働きません。そして知的好奇心から無限に調べてみたくなるタイプの人はなかなか集団に属さないし、属した場合にも互いの領域を侵食せずに自分の世界を追求する、というのが一般的です。
忘れてはならないのは、彼らは普通の日本人の集団であり、「イントロが弱い」ということです。脳がコピーされるのでもないかぎり、問題意識の向いてない領域でリテラシーが共有されるとは思えません。
さて、彼らは大きなあやまちを犯し、つるし上げられ、できればリカバリーしたいと願っているはずです。測定器の基本について猛烈な知識欲が芽生えています。この人たちに必要なものはなんですか?
彼ら向けに「正しいイントロ」を書けば、それはこのコンテキストを共有した(この話題を知っている)他の初心者にも、非常に役立つものとなります。もちろんもっと一般的に書いた方が優れたイントロになりますが、話題になったこのタイミングなら、かなり端折って書いても話が通じるのです。
何かが話題になるという現象は、常にリクルートのチャンスです。今回間違った人たちにも、よくわからないけど変だなと感じていた人たちは居るはず。その人たちを突き放すのか、測定器のリテラシーを持った集団として育てるのか、どちらが我々に必要なことでしょうか。
そして後からやって来る無限の初心者たちに向けて、測定器とは間違って使ったらぶっ殺されるもの、と思わせるのと、正しい認識を持ってもらうのと、どちらが大事なことでしょうか。
間違ってぶっ壊しても、たかだか機械です。代わりはいくらでもあります。ちゃんとした認識の人を増えればお釣りが来ると思うよ。
(まあ自分のモノだったらぶっ殺したくなるけどな!)
そんじゃーね♪