見ない聞かない話題にしない

アルジェリアの事件の被害者の名前を公表するしないに関して、報道の姿勢と態度が話題になっているようです。実名匿名の話についても書きたいことはあるのですが、それはひとまず措きます。ぼくが気になったのは、このアナウンサーが何々と言ったとか、この番組はこうだったとか、この会社までこうだったから失望したとか、そんな話題をtwitterでたくさん見るようになっている今の状態です。

なぜ気になっているのかといえば、これがまったくの逆効果だからです。悪名は無名に勝り、話題になってるダメな報道は探されて見られます。そして多くの人が話題にすれば、より多くの人の関心を引きます。批判が彼らに力を与えているのです。

ジャーナリズムは民主主義に必要不可欠な要素です。民主主義が機能するには、さまざまな重要な事柄について多くの人が認識を共有し、問題点を把握した上で、それを解決するためのどの方策を選ぶのが良いか意見を持つ必要があるからです。情報が広まるためにも、為政者が自分の個人的利益に反する情報を隠蔽しないようにするためにも、第三者が勝手に広める必要があるのです。

現代の日本のボトルネックは、実はこの部分に集中している、というのがぼくの見方です。政治に力がないのは個々の国会議員や地方議員の資質や能力が非常に把握しにくいためであり、司法が行政から独立していないのは彼らが互いに依存しあっているのを糾弾できていないためであり、予算執行が不適切なのは予算の内容を把握できないためであり、これらはすべて情報共有がうまくいっていないため、だからです。

新聞やテレビといった、いわゆるマスコミは、情報を共有させたり問題を認識させたりする能力があまり高くないにもかかわらず、「あの人が話題にしているこれが載っているものを見たい」というネットワーク効果や、既存の業者にのみ格安で電波の使用権が保証されるといういわゆる電波利権により、非常に強い生命力を保ってきました。他国でどんなに優れたジャーナリズムが存在していようと、日本にはこれだけしか無かったし、こんなものでも無いよりはずっとマシだったのです。

しかしながら昨今は、インターネットの発達、計算力の向上、個人ジャーナリズムの勃興、市民の科学知識の増大により、次第にマスコミが「本当に」不要な時代になってきた、と感じています。

ぼくが「本当に」そのように実感している背景には、前提としてのインターネットの存在に加えて、個人として名前を出して発言しているジャーナリストが食えているように見えることと、データジャーナリズムの発達があります。政府のやっていることを、みんなが勝手に生で見ることができるようになってきたのです。

ここまではイントロです。ここから本題。

マスコミの発する情報を、みんなで無視しませんか?

「好きの反対は無関心」です。ティム・オライリーの『海賊版は累進課税』にもある通り、批判よりも話題にされないことの方がダメージが大きいのです。

話題になりさえすれば商売は成立します。感情の振れ幅は関心の高さであり、それは容易に反転します。反感を持つ人の感情を直接反転させる必要すら無くて、誰かの反感を買えば、それに対する反対意見が出てくるのがヒトの群れの特性です。反対意見の人たちに買ってもらえれば商売が成り立つ、つまり「炎上がご馳走」なのは、不特定多数を相手にした商売では当たり前なのです。まして実体を売る必要すらない広告ドリブンの媒体ではそれが顕著です。

だからマスコミが商売できなくなっても困らない、と思う方にお願いです。ぜひマスコミを無視して下さい。マスコミのダメな部分が話題になっているときに、それを探して批判するのではなく、「見ない聞かない話題にしない」を実行して欲しいのです。

これは直感に反する行動ですし、なんだか困る気もするかもしれません。しかしながら、ぼくは新聞を25年くらい取っていないし、それで困るのは靴を洗ったときくらいです。テレビは子供の時から嫌いで、ずっと持ってません。ネットで誰かが言及リンクを貼っても、それがマスコミのサイトであれば我慢してスルーしています。それで困ることは、まあたまにはあるんですが、個人的には我慢出来る程度だと思っています。ごく個人的ですが、マスコミから切り離されても困らない、という実例はあるのです。

マスコミに所属するすべての記者が悪いと言っているわけではありません。個人の差は常に集団の差より大きく、非常に優れた記者の方々が存在していることは存じています。また、非常に優れた番組を作っている方々や、素晴らしい作品が発生する場合があるのも知っています。

そのうえで、現代の日本のこのマスコミ、という商売の形式が消滅しても構わないという方は、ぜひ彼らのニュースを無視して下さい。これは個人個人の行動であり、ゆっくりとわずかな効果しか期待できないものなので、途中で辞めたり、嫌な時だけ見ない、などといった方法でもまったく構いません。

しかしそれでも、批判するのではなく無視する、という行動が彼らの本質的なダメージになることを知り、思い出した時にはそれを実行して下さい。