ものごとの受け取り方に関して発見した対称性のひとつ

英語の会話でよく出る言葉に"Please don't take this personal."というのがあります。個人的に取らないでよ、とか、あなたを責めてるのじゃないのだけど、みたいな感じ。アメリカのドラマとかで話がこじれてる場面で出やすい&日本語にない表現なので覚えてる人もいるかもしれません。
これは、何かについて一般論を話している時に、それを「オレのことか!」と思ってほしくない、思われてはたまらない、という感覚の言い方です(これを言いながらあてこする失礼な人もいるのだけど)。

こうした表現が出てくるのは、人間とは一般論を個人攻撃に取りやすいものである、という観察があったからです。先人の慧眼の賜物です。

観察から一般化された事実は、逆用することが出来ます。こうした人間の脳の「不公平さ」、バイアスに気が付くと、オレは反射的に逆用しようと思うわけですが、バイアスを逆用するというのは、人間がそういうものであるなら、それをキャンセルすれば歪みのより少ない目で見ることができる、ということです。
人間とは一般論を個人攻撃に取りやすいものである、という観察を逆用すると、「自分が話を聞いている時に、自分が批判されてると思わないことで冷静に聞くことができる」となります。楽チンです。さらに言えば「世に漂ってるあらゆるネガティブな言辞を自分のことだと思わないことにより、意味のない不快感を減らすことができる」わけです。

んで、これに関してさらに今回発見したというか、ああ、これって対称性あるよなー、と思った図式は、もうちょっと下世話というかベタな話でして、つまり:
一般論を話すとき、個人的に取らない人ほど一般論に聞こえるように話し、個人的に取る人ほど一般論に聞こえないように話す。
ということです。
すなわち:


一般論に取れるように言う人 ⇔ 個人攻撃にしか取れないように言う人
一般論として取る人 ⇔ 個人攻撃として取る人
という対称性です。

もうちょっとわかりやすく言うと、「フツーに喋ってるだけなのに勝手に傷ついてバカみたーい」みたいなことを言う人ほど、一般的な話をしてるときに思い当たることがあると怒り出したりするなー、ということです。
で、こういう人について考えていたら、逆に「人間とは一般論を個人攻撃に取りやすいものである」と定式化できてる人は、話すにしても受け取るにしても、なるべく一般論として考えるなー、と気が付いたわけです。

こういうことに気がつくと、なるべく一般論に落としこんで考えられるようにしたいなー、と思うわけです。ただし一般論に落としこむことで、言葉に力がなくなる、という問題が出てきます。これはこれで:


個人的な話 ⇔ 一般論
言葉の力 大 ⇔ 小
という形で示せます。

で、これをさらに逆用すると、褒め言葉は個人的じゃないと意味がないよね、ということになります。
批判を個人的に受け取るとキツいけど、褒め言葉は一般論じゃ意味がない。だから「褒める時は個人的に、批判は一般論で」、というのが良いな…と思いました。
受け取り方としても、みんなが褒められてる時は自分一人が褒められてると思い込み、自分が批判されてる時は一般論として流すのが楽チンですね。
自分としても心して行きたいと思います。
ていうか、既にやってますね…。