システムを直す

前のエントリでは、若年層の投票率が実際に低いことを示した。行動に大きな違いがあることは確かのようだ。こういうことには、データが非常に役に立つ。集団間で常識が違っている以上、数字で全体像を把握しないと何もわからない。

こうしたデータは現象を記述するが、その理由を知ることはできない。はてぶやツイッターでたくさんのコメントを貰ったが、ここにも理由が特定できるようなものはなかった。政治にコミットする機会が少なすぎた、という話も、サラリーマンは農家や小売ほど政治が切実でない、という話も、教育の問題である、という話もあって、それぞれ真実を含んでいる感じはあるものの、これらは最良ケースでも単なる"実感"だ。原因を特定したわけではない。

とはいうものの、この問題は、実際には原因を知る必要なんかない。原因を特定しなければ何もできないというのは言い訳で、目的がわかっているのであれば、制度を設計しなおしてしまえばいいだけだ。原因の特定は長期的に使えるシステムには必要ともいえるが、それがわからないから直さなくていいという話ではないし、そもそも原因が複合的で時間的にも変化するのであれば、原因でなく現象に対応したシステムを使うべきである。

利害に関わるすべての人の意見をできるだけ聞き、できるだけ多くの人が納得できるものにお金を使う、というのが民主主義政体の目的だ。それなら全世代の意見を公平に集めるように、システムを直すことは必須だ。1票の格差問題にしても、違憲か合憲かといった裁判所の判断が問題になると主張するような人は、要するに意見反映に格差があったほうが得だからゴネているだけだ。民主主義を機能させることが大事だと思うなら、ただ直すのだ。ネット選挙も小選挙区制も、こうした歪みを直せそうなテクニックであり、それ自体が目的ではない。

興味を持つ人が多くなればなるほど衆愚政治に近づくから、「知らしむべからず」で物事を前に進めてしまえという意見もあるが、これは短期的利益に目を取られすぎているだろう。実のところ、オレも「ものごとは大局的に見て正しそうな方向に進めねばならず、だから選挙で選ばれた人は文句を言われても自分がやるべきと信じたことをしろ」という意見だけど、その他の人に何も見えていないとは全然思わない。能力は一人ひとりで怖ろしいほど違っており、他の分野の能力を、人は必ず見間違う。すべての人の意見を反映されることには意味があるのだ。

ところで、この「衆愚の意見は聞く必要がない」と「選挙で選ばれた人は文句を言われてもやるべきことをしろ」は、似ているけど違う。前者が"政治家や役人はあまり間違わないから任せろ"であるのに対し、後者は"任期があって取り替えが効く人に力を出し尽くさせろ"ということだ。民主主義を前提に、絶対君主の効率を目指すのが代議制である。現代の日本のシステムは、役人がかなりの部分を動かしていて、これは自民党政権でも民主党政権でも同じだということが今回わかったが、これを「ありがたい」と思うのが前者で、「困ったものだ」と思うのが後者だ。

衆愚の意見が反映されないようにするにはどうすればいいか。民主主義をやめる、というのはひとつの考え方かもしれないが、意見が反映される可能性の無い人が居るという状況は誰しも不満だ。そんな状態は身の毛がよだつし、自由じゃない。これを突き詰めていけば、誰の意見も等しく尊重される必要があるのだ。つまり民主主義というのは前提であって、運営に不便だからやめてしまうという方法は、少なくとも長期的には通用しない。海上では船長の意見が絶対なようだが、これはそうでなければ船が沈んで全員すぐさま死んでしまうことがあるからで、このような例を長期的な統治に反映することはできない。オレは自由が大事なので、長期的にこんなことをやられるくらいなら死んだほうがマシだ。だから民主主義は変えられないパラメータと認識し、これが機能するように、自分たちで考えて工夫する必要があると思う。

民主主義が機能するには、なるべく多数の人が事実を正しく認識し、重要性の大小を間違わないことが重要だ。民主主義での報道の役割はこの点においてであり、多くの人にわかるように情報を周知する必要がある。このとき「わかりやすい話題だけ取り上げる」のではなく、「わかりにくい話題を背景からうまく説明してわかるようにする」ことが大事だ。日本のボトルネックは、まさにこの部分にある。

すべてのシステムには目的が存在する。システムが目的を達成していないときは手直しすればいい。

最高裁判所裁判官の国民審査のシステムは、罷免をしない方向にシステムが歪んでいるので、オレは選挙権を持って以来20年以上、ずっと全員に×をつけている。これは個々の裁判官を罷免したくて付けているわけではなく、事前には判決動向などを見て、ああこの人は落とすべきではないなあ、と思いながら、自分の満足は捨てて×を付ける。一人でやると効率が悪くてしかたがないが、みんながこのようにしていけば運用する側が困るので、長期的には変えることができるだろう。

小選挙区制は死票が多い。つまり、自分の入れた候補が当選しない可能性が高い。これはとても不愉快なことだが、このシステムは、政権交代が簡単に起きる上に政権が安定しやすいというメリットがある。安定した政権は「文句を言われても自分がやるべきと信じたことを」できるし、それが失敗であれば「任期があるから取り替えが効く」のだ。政治家は自分のやりたいことが出来る環境で慎重に行動する必要があり、投票者は自分の参加がものごとを変えることがあるという実感が得られるようになる。今は2回しか政権交代が起きてないので、死票の多さにみんながビックリしているが、これは慣れの問題である。