PCR検査、すごくはやいね。

コロナの記事読んでたら、PCR検査で結果が出るまで5、6時間かかります、とあって、とても驚いた。

そんなに速いのか!、と。

PCRでは、DNAの一本鎖をバラバラの塩基と転写にまつわる酵素が入った液に入れ、決まった時間で温めたり冷やしたりを繰り返すことで、転写→二本鎖乖離を繰り返して増殖させる。化学反応だけで進行するプロセスなので、律速する(スピード上のボトルネックになる)部分が、どうしても存在する。オレが知ってるちょっと昔のPCRだと、この増殖プロセスだけで20時間くらいかかってたように思う。

しかも、増殖させれば終わりではない。遺伝子断片を大量に増やしたところで、それは機能するものではない。特定の化学反応とかしてくれないので、試薬を入れると色が変わる!みたいなことはない。他の遺伝子との違いは分子量だけなので、目的の遺伝子が相対的にどのくらい入っているか知るには、電気泳動にかける必要がある。これにも8時間とかかかってたと思う。

ウィルスの検査だと、特異的な遺伝子をひたすら増殖させればいいし、特定の重さのものを見つければよいので単純ではある。それを考慮しても、まさかあそこから何倍もスピードアップしてるとは思わなかった。今回のウイルスはRNAウイルスとのことで、いったんDNAに転写とかしないとダメかもで、たぶん手間は余計にかかってるというのに。ここらの技術の発達速度は、コンピュータにおけるムーアの法則を思わせるものがある。ヒトゲノムプロジェクトが何年も前倒しで終わったのが20年前。あのときも技術の進展に驚いたけど、まだまだ速くなってる。

あと、オレらの学生時代だと、遺伝子を直接読むのはとても面倒でお金がかかるので、細胞内の酵素を取り出して界面活性剤でまっすぐに伸ばして電気泳動する、という方法で表現型の変異を見ることまでしかできなかった。

いまは流行進行中の病気の系統推定が、ここ数週間の変異を考慮しておこなわれ、新聞に載ったりする。このレベルで変異が取れるなら、ちょっと昔にやられた系統分類学の仕事って、全部あっというまにやり直せそうだ。

…なんてことを考えながらニュースを読んでいるのである。だいぶめんどくさいw

日本人の人格的美学ってバカ殿様たちにたいへん好都合だけどそろそろ卒業させてもらってもいいんじゃないの?

ちょっと前に、こんな話が流れてきた。

 

「彼」が起きてきたら、途端にこの体たらくである。

 

全国一斉休校の速報に専門家も「ひっくり返りそうになった」 新型コロナ感染拡大防止のためにどこまですべきか?

 

長い江戸時代の間に構築された日本の文化には「バカ殿の存在」を前提にした部分がたくさんある。殿様がアホでも取り替えるわけにはいかないので、部下が勝手に頑張ることで集団を守るという考え方による。

明確な指示がなくても忖度で良い感じにやっておく、なんてのはその例だし、無払い残業を強要するブラック企業とか、そこまで行かなくても休みを取った人が(管理職が、ではなく取った人が)恨まれちゃう風土とか、「敗戦とは天皇陛下に申し訳が立たぬ」とか、もうほんといくらでもある。職責にかかわらず上司に責任を負わさない、自分らで勝手に抱え込んであげちゃうメンタリティがはびこっている。

そもそも、日本人の美学そのものがそうなのだ。「武士道」みたいなファンタジーにしても、「周囲がどうであれ、上役が腐っていてさえ自分の忠義を貫く」なんて考え方は、腐敗した無能なトップにとっては好都合なことこの上ないでしょう?

ところが、先進国の「ふつう」は違う。彼の国では上の者ほど優秀であるところが日本とは違います、と勝海舟が報告したとおり、トップ層がきちんと選別されている。

だから国同士の争いになると、日本的な方法は、ありとあらゆるところで破綻して大負けする。自然現象を相手にしているときは、日本の政府だけが劣後して、国民が大迷惑を被る。

ちなみにうまくいくときは、システム的な強さではなく、そこに存在した個人がとても優秀だった場合である。再現性はない。

もうそういうの、やめにしないかな、と思ってる。そろそろいいんじゃないですか?

「軽い神輿」を担いでるのが「公選を経てない官僚」というギャグみたいな(民主主義的には悪夢みたいな)図式を捨てないと、みんな納得して死ねない。

上を優秀にしたければ、ダメな上司をちゃんと放逐する必要がある。政治家だったら世襲の人は無条件で捨てておき、アタリが出るまで引き続け、アタリかも、と思ったら、多少のことには目をつぶって10年くらい任につけておくのだ。

まあ、「優秀さ」も難しいではある。日本って現場は優秀だけどマネージャーは壊滅気味なので、日本的な優秀さを持っていると先進国の普通のリーダーにはなれないのでは?と疑っていたくらい。

だけど、これはどうも絶対的な必然ではないというのが昨今のオレの感覚。これは選別の問題なのである。日本にもちゃんと先進国的に優秀な人はいっぱいいる。でもそういうスタイルだと、足を引っ張られて上に行けなかっただけなのだ。これは神戸大の感染症内科を見てもわかるように、組織単位の改革でなんとかなる範囲である感じ。

あと、日本の文化を大幅に取り入れている台湾が、非常にマトモな文明国になっているのを見ると、日本でもなんとかなると思えてくるんだよね。

dot.asahi.com


「だいじょうぶ、日本でもできる。」

そういう「横並び意識」ってのが発揮されないかなー、と思っている。

新しい感染症の中で求められる国際的なリーダーシップ

CoV2、いまんとこまだどうにかなるという可能性もないではないけど、確率的にいえば:

というのが世界のコンセンサスになると思う。

次の段階は、これに対する持続可能な枠組みを作ること。

それがなにになるのかわからないけど、このレベルの感染症にさらされてさえ健全に成長するグローバルな経済活動、というのが目標になる。仕組みを作っとかないと、犠牲者が大勢出るからね。

  • 蔓延を前提に考える
  • ピークを低く抑える
  • 重症者への医療資源を確保する

をふまえたルールを作り、それが守られていれば渡航などは自由にしましょう、ということになると思う。

こういうとこでリーダーシップを取る勇気こそあらまほしけれ。東アジアの人たちってこういうの苦手だけど、東アジアでこそ必要なものだ。

読解力に頼らない教育

数年前から「読解能力が大事」という話がさんざん出てて、そうだそうだと思って前に後ろに考えてるうちに、文字を読んでその意味を解す、というスキルそのものが実はわりに特殊で、スピードも含めると猛烈な個人差が連続体として広がってることに気付いた。すごく読める人はさーっと読んで間違うことがなく、すごく読めない人は単語を拾って適当に繋げてるうちに迷子になる。

そして、かなり読めない人でも、日常生活は普通にこなせる。これは、彼らでも耳から聞いた情報であれば正確に把握するから。耳から意味を取る情報収集は対話的におこなわれ、つねにフィードバックがあるため、スキルにあまりバラつきがないのだ。

ここに着目したことで、読解教育には十分なフィードバックがない、という問題に気が付いたわけだけど、ここをきちんとサポートできるようにするには時間がかかる。

だから、まずはバラつきのないスキルを使って教育することを考えた方がいいのではないか。つまり、教科書をオーディオブックにするのだ。

旧来の教育が「読み、書き、そろばん」で、(計算能力を除けば)文字の利用にフォーカスしたものだったのは、知識の共有方法が文字しか無かったからだ。いまならこんなに不安定なものに頼らなくても、大規模かつ再現的な方法で知識を与えられるではないか。

もちろん、書誌形態も依然として必要だ。読解能力によるボーナスはかなり強烈で、まずスピードがおそろしく速い。文庫本1冊、350ページくらいの物語をわれわれは2時間前後で読むが、それをオーディオブックにすると8時間とかの分量になる。また、同音異字が一瞬でわかるとか、一瞥すれば重要なところにアタリが付くとか、ランダムアクセスできるとか、非常にお得なことがたくさんあって、失えば大きな損失だ。書誌という形態や、それを読み取るスキルの重要性は変わらないので、全部切り替えるのは得策ではない。

でも、知識を得るためのスキルにこれほど大きなバラつきがあり、最低レベルの確保がかなり困難な現状を見ると、これって非常に重要だと思うんだよね。また、話される言葉にも話される言葉特有のボーナスがあると思う。

教科書のオーディオブック化にカネは要らない。ユーチューバーが適応放散してさまざまな分野に散らばり、動画コンテンツが充実していってるんだから、このバリエーションみたいな感じで、各社で教科書朗読チャンネルを作ればいいと思う。第何章何ページ~何ページ、というタグを作って募集するだけでできる。

てか、このくらい価値のあるものだと、勝手にやって怒られたら逆にお願いする、みたいな形でもいい気がする。

科学というシステムを使わない国に前進はない。ただブラウン運動するのみ。

日本の失敗って江戸時代の後半からずっと「科学の不在」で説明がつくと思う。逆に西欧文明の強さって究極的にはこれだけだと思う。

科学ってのは「思いつきでしか行動できない人類が確実に前進するための手順」なんだよね。すべての前進を記録して公開することで、失敗方向への前進にどのような兆候があったか、道のりが参照できるようになる。

科学がないと、前に進もうという努力は方向性を持たず、ランダムなブラウン運動になる。ブラウン運動をいくら激しくやっても、それは温度の高さとして観測されるだけで、前進はしてない。

ブラウン運動が偶然全部同じ方向になれば、なにもないところに風が吹いたり、瓶が突然飛び上がったりする。でもそんなことは起きない。かかわる分子数が多くなればなるほど、運動が統計的に予測される合計に近づいていくから。

瓶を空に飛ばすのが科学です。

「もったいない」という弱点

岩田教授の動画で言及されてた、どうにか口を作って船に乗せてくれた厚労省の人、高山医師だったのね。この高山医師の投稿を読むと、互いにプロとしてベストを尽くしてることがわかる。悪いやつぁいない。

オレが岩田教授の動画を見て思ったのは、最初からちゃんと専門家にやらせろよ、です。橋本岳が「総指揮の自分は承知してなかった」と岩田教授の乗船を批判してたけど、そういうお行儀論でプロを批判できると思うのは間違いなんだよね。どうして最初から岩田教授に指導を仰がなかったんだ、という話でしかない。彼はプロとしてできる仕事をしただけなのだ。

ダイヤモンド・プリンセスの隔離は最初から重要事項だったし、重要性はどんどん上がった。仕切り直して最大限のマトモな体制を築くべきタイミングはあったように思う。

「最初に採用した代用品を豪華にすることしかできない」という日本の組織の悪い癖がここでも出てるんじゃないですか。誰が悪いではない。直すならこの部分だ。

ちなみに、市場と対話して稼いでる人たちがこれに関してよく言うのは、サンクコストという言葉だ。これは英語のsunk costで、sunkはsinkの過去形、つまりサンクコストは「すでに沈んだ費用」ということになる。具体的には、すでに支払ってあり戻ってくることがないコストのことだ。

これがどうして大事なのか。金融商品に引き寄せて説明すると、「あなたが持っている、あるいはこれから買おうとする株は、これからどのような価格になるかという見込みだけで判断しなければならない」となる。

つまり、過去にいくらで買ったかとか、そのときにどんな気持ちだったかとか、どんな経緯で買ったかとかを考えてはならず、将来騰がるなら買い、下がるなら売らなければならない、ということだ。

これは人間には非常に難しい。過去に100万円で買い、いま50万しかしない株には100万円のサンクコストが含まれている。これを売るのか、それとも買い増すのか、買い増した場合にいくらで売るのかは、100万円のことを忘れて判断するのが合理的だ。しかし、人間の脳には、コストを払って入手したものに価値を見出してしまうバイアスがあるのである。かくして、50万円から下がる見込みがあったときに売れる人はほとんどいないし、騰がる見込みがあって買い増し、実際に騰ったときに、たとえば60万円で売れる人はまったくいない。やるべきことは常に、現時点から騰がるか下がるかを考えて売買することだけなのに。

日本の組織って、本当に仕切り直しができないんだけど、これは心理的サンクコストが巨大で、マネージメントが合理的な判断をまったくできないためだ。合理的な判断で仕切り直したときの現場の恨み節が強烈すぎるというのもあるし、そもそもマネージメントが合理的に判断する慣習がないというのもある。

仕切り直しができないと、「小さく始めたプロトタイプを究極的な目標に向けて作り直しながら成長する」ということができない。日本のシステム、特に大組織が作ったそれには、「はじめに導入した模造品が巨大かつ非効率になっていく」という宿痾がある。最近の良い例は消費税だ。消費税は欧州型の付加価値税を元に作られたが、インボイスを最初から導入せずに小規模事業者への特例措置を組み込み、そうしたすべてを保持したままで軽減税率まで組み込んだため、いまや費用のかかる、現場の負担の巨大なシステムになっている。

「慣れたやり方を絶対に捨てない」は、目先の効率低下を避け、限られた資源で一定の成果を出すには非常に有効なやり方だ。

だけど、全体最適に向けて常に浮動することをやめれば、局所最適から絶対に逃れられない。その時点より抜本的に良くなることはないし、後から来た、全体最適の見えてる競合に必ず負けるのである。

それではどうすればよいだろうか。解決は簡単だ。いつも遠い目標を視野に入れ、目先の非効率を許すことである。

ただこれ、できますか?「有能な日本人」ほど、目先の仕事で成果を出すことだけを目指してしまうものだ。

リーダーシップって、こういうところで使うものだと思うんだよね。

社会人の条件

これ読んだ。

georgebest1969.typepad.jp

これに限らない。新型肺炎の蔓延を防ぐには日本社会はこう変わらねばならない、という専門家からの提言を読んでみると、どれも、

「カモサワくらいダラダラとサボりながらすぐに弱音をはいて休むくらいじゃないとダメ」

と書いてある感じがする。

いわく、「よく食べてよく寝ろ。」

いわく、「風邪だと思ったら一週間ほど引きこもって休め。」

いわく、「人混みを避けろ。」

オレは料理が趣味で、睡眠8時間を目指して練習中。ちょっと体調が悪いと何もせずにゴロゴロしてるし、人が多いと疲れるから旅行すら空いてるところばかりだ。

だからといって、「オレの時代が来たぜ」とは、ぜんぜん思わない。みんながこういうダラけた習慣に適応するとは、とても思えない。

だいたい、健康にもほんと自信がなくて、みんながこのくらいダラけないと罹るとなると、オレはもうちょっと休まないと罹るんじゃないか?と疑いにかかる性分だ。まったくオレの時代じゃない。

これは健康で文化的に過ごす社会人のための最低限の条件なのである。

みんな、半年くらい寝て暮らそうぜ。
株はだいたい売りで。