私は慶良間の者なのです

加齢とは焦点がぼやけた状態が普通になっていくことだなー、と思う今日このごろ。

文字を追う目は文字を認識しただけで満足するので印刷のカスレみたいなのが気にならなくなった。

話題になってるニュースについて「あれかな」と思ったときも、本気で固有名詞を思い出す必要はない。皇族のなんとかさんが駆け落ちすると聞いたときにこのように検索したが、フツーに出てきた:

"さま アメリカ" - Google 検索 

むかし読んだ物語を思い出したくなったときも、題名や著者名といったインデックス情報は必要がない。ぼやけた焦点の中にぽっかり浮かんだ印象的なフレーズを検索すれば、その手がかりから手繰り寄せることができるものだ。

"私は慶良間の者なのです" - Google 検索

田宮虎彦『沖縄の手記から』は、中学の国語の教科書で抜粋を読んだ小説だ。オレが沖縄本島の西に浮かぶ慶良間諸島(けらましょとう)を知ったのは、この作品がはじめてだった。

教科書の抜粋では、主人公の軍医がたどりついた壕に取り残されていた看護婦の少女、當間キヨとの出会いと別れ、後にその死を知る場面のみが描かれていた。

「私は慶良間の者なのです」は、慶良間諸島沖縄本島に先立って米軍の侵攻を受け、守備隊も住民も子供まで一人残らず全滅したと聞いたキヨが、ここはすぐ米軍の侵攻を受けるから一緒に南部に移動すべきだ、きみにも家族があるだろう、と説得する主人公の話を聞かず、病棟壕に残ると強情に言い張る場面で出てきた言葉だ。

沖縄で暮らし、戦史を紐解くようになってみると、集団自決の犠牲が出ている慶良間の島々も、統計的に見れば全滅には程遠かったことがわかり、ああ…と思った。キヨが自暴自棄になる必要などなかったのだ。

もちろん南部への移動や、その後の戦闘の中で生き残れたかどうかを考えると、非常に危ない。沖縄戦では一般の民間人の死亡率すら四人に一人もあったのだ。

しかし必然に吸い込まれるように死んだ人の、その必然が「戦場の霧」にすぎなかったという虚しさは、防がれねばならないものだと強く思ったものである。

そうしたことを思い出し、いったいあの物語はどんな経緯で書かれたものなのか、まずは全体が読みたくなって古本を注文した。元になった手記も読みたいところだけど、これは辿れるかどうか。