自然とのたたかい

SNSを見てると、「けしからん」ニュースが次々に流れてきます。

たとえば以下のように離島が危険にさらされてる状況がある中で:

ryukyushimpo.jp

 わざわざ訪れた人が居たらしい、なんて話が出るわけです:

www.okinawatimes.co.jp

こういうのを見て、反射的に「なんで離島に行ったんだ」みたいに思うのは自然な反応です。この見出しにも、そういうニュアンスが含まれてる。

でもホントのところ、人間にとって、こうした行動を防ぐことは不可能です。「決まってた仕事で行く必要があった」とか、「前々から計画してて、このタイミングでないとできないことがあった」とか、いろいろあるんです、きっと。

自然界に合わせて人間の行動を変えることは本当に難しいです。荒れた海のダイビング事故で死ぬ人は昔はたくさん居ました。そんなの危ないに決まってるし、それは誰にでもわかる。だけど毎年死ぬ。そういう悲劇を見てきた人も死ぬし、「そういうことしてると死ぬよ」って警告してた人が、まさにそれをやって死ぬ。だから業界でルールを作る必要が出る。そのくらい難しいものです。

こうした不合理な行動をやってしまうのは、自然界で起きていることを、大脳というさまざまなバイアスのある計算機を使って解釈してるからです。

「愚かな事故」というのは実は、「ヒトという生物の当然の行動」で起きます。

コロナについていえば、たとえば「自分だけは罹ってない」という「確信」があり、「いまやらなきゃ台無しになる仕事」があったとき、行動を変えられる人なんか、まずいません。確信があれば前進するに決まってるじゃないですか。

でも自然はそんな人間の「思い」と無関係に、完全に無関係に動いてます。ある人が自分の判断に確信を抱いていたとしても、その行動の結果がどのように出るかは、事前の確率に従います。偶然大丈夫なこともあれば、偶然ダメということもある。

同じように危険なことを3回続けてやったとします。たとえば「荒れそうな海に潜る」こと。これで実際に海が荒れる確率を50%、全体で10%の確率で死ぬものとします。これは猛烈に危険な行動です。

このような行動を3回続けて取ったとき、死なない人は0.9^3=0.729の約73%、悪天候にすら遭わない人だって0.5^3=0.125の12.5%もいます。「なんだ、危ないって言われてたけど大丈夫じゃん! 」という経験を、案外多くの人がするわけです。

そしてこれは潜った人の能力とは関係のない、純粋に確率的な事象にすぎません。

だけど当事者になれば思ってしまうものです。「危ないと言われていたけど、これに関しては自分の勘は当たるようだ。なぜならXXだから(XXには、経験者だから・よく考えてるから・対策してるから・鋭い直感が働くからetc...が入る)。」と。

ヒトは自分が「偶然大丈夫」を3回続けて引いたのだとは思えません。これはほとんど不可避で、たとえば科学的、客観的に考える癖を身に着けている科学者が、専門外のことで非常にくだらないジンクスを信じてたりするのを見ても、よくわかります。ランダムな出来事同士に関連性を見出し、ストーリーに仕上げてしまうのは人間の脳が持って生まれた傾向です。ここから逃れられる人はいません。(「スキナーの鳩」というオレの大好きなエピソードがあって、こうした非合理なストーリー構築機能が鳥類の脳にまで遡ることが示唆されてるので、興味のある方はググってみてください。)

それでは事故を避けるにはどうしたらいいでしょうか。「オレと行けば絶対に大丈夫」と心から言ってくれるベテランと潜れば大丈夫でしょうか。

違います。この恐ろしいサイコロを振らないのが一番です。人間の脳がどのように判断を誤るかを知り、それを踏まえた行動をするということ。

というわけで、冒頭のニュースのような「不合理な行動」を見て思うべきは「アホがいるな」ではなくて、「脳の歪みって怖いな」です。

アホい行動に罪はない。同じような状況なら同じような行動を取るように、人間というものが作られているだけ。

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コロナ対策は「自然との戦い」です。交渉もできなければ不意打ちも通じず、包囲しても浮足立ったりしない。疲れて攻撃が緩むこともなければ情けをかけてくれることも期待できない。というか、あちらは人間に敵対してるわけですらない。

ヒトには大脳という不合理な要素があります。これは自然を理解するには邪魔なだけだけど、社会を通して「不合理なほど頑張る」ことを可能にしてるものでもあります。対策は大脳の弱さでなく強さを生かしたものの方が効果的でしょう。

歪みを知り、歪みに負けず、歪みを使って勝ちましょう。

…この「自然に勝つ」という見方ほど歪んだものはないんだけどね。でも効果的なんだわ。