最初から「本物」を買う人

若い頃、ちょっと年上の金持ちな友人が「とにかく最初から本物を」とクソ高い機材を勧めてくるのに反発を感じていた。90年代のSONYに勤めてバイクはドゥカティMacも一番速いのを使ってて、仕事もメチャできる人。

オレは、そういう派手なことをするより安いものでも地道に自分でいじってどうにかしてこそスキルが身につくし、そもそもそんなもん買うカネなんか無いですぜ、と思っていたわけです。

ところが、この年までジタバタといろんなことをやってみると、あれがいかに当を得たアドバイスであったか実感しちゃうことが多くなった。高い「本物」には、たぶん借金したりローンを組んででも買う価値がある。

「本物」を最初から買うと:

  • ちゃんと使えないともったいないし恥ずかしいので本気で取り組む
  • 機材の改善に気を使わずに手段として扱えるようになる
  • 結果が出ないときに自分のやるべきことが見えやすい
  • 使ってて腹が立つということがなく楽しさが続く
  • 結果、初期衝動で思い描いたことに邁進できる

という素晴らしい道が待っている。そしてこういうのは若者がやるべきことだよなーと思ったりする。トシ食うと恥ずかしいとかぜんぜんないし。だから、あの人があの時代にあのタイミングで言ってたことは100%正しい。

とはいうものの、おっさんになったから高い機材を買うのは無駄、ということはまったくない。

認識してなかった視点として:

  • 飽きたら売り払える(実質無料)

というのがかなりデカい。高い株ほどよく騰がる、というのは邱永漢の名言だけど、機材にも似たところがあって、高いものは値落ちしない。唯一無二の最高機種になると、むしろ値上がりしたりする。だからこれは「本物」にしか付いていないオプションだ。

まあ、オレは相変わらずクソお買い得なものについつい気を取られて「勉強」時間を長いこと過ごさないと気がすまないような生活をしちゃってるんだけど(ずっと自営業でローンとか組めたこともないし)、残りの人生が少なくなるにつれて平気で高いものを買うようになってはきた。

実感に行動がともなうようになるには時間がかかるなあ…と思いつつ、周囲には小学生レベルからむりやり「本物」を使わせようとがんばっている。

本年度の子供教室終了

オレが小学生向けの証明の導入として使った論理がそのまま書いてあるページを見つけた。前に検索したときは存在してない感じだったので、メジャーじゃないことにちょっと驚いたのだが。その論理とは、正多面体が5種類しか存在しないことをオイラーの多面体定理を使わず、また不等式を明示的に使わずに示すやつだ。

jhs.js.doshisha.ac.jp


今年の教室は11月12月の2ヶ月6回しか開催できず、正多面体を作りながら証明の導入をやる、ということはできなかった。証明とはなにかを明確にしないと証明のありがたみもわからないので2週くらいは必要だけど、今年これに使えたのは0週である。

今日は最終回というか、学校に負担をかけない形の閉会式だけやってくださいと言われて、しかたがないので写真をプリントしていった。開催できた6回、および、12/24に屋外完結のピザを作る会をやったので、写ってる人数分をプリントし、一人分ずつ小袋に入れて持っていった。あと、3Dプリントしたパズルやオブジェ的なものを1人あたり大小2つ配ろうと思い、20ばかり持っていった。

ところが来たのは6年生の3人だけである。学級閉鎖が5年生をはじめあちこちで出てるため登校してない子がいるのと、1月2月に開催できなかったことで習慣が消滅し、忘れられた感じ。ワクチンのあった今年度の方が昨年度よりも受けた影響は大きい。

来てた3人はピザ会にも来ていた子たちで、プリントしていった写真も多かった。最大限に楽しんだからこそ今日も来たし、写真にもよく写っているのだと思う。

これから中1になると足を引っ張られることも多いけど、根拠のない自信を持つこと。きみたちは大丈夫です。という話をし、3Dプリント品は1人2個とはいわず山分けにした。パズルで周囲の大人を困らせるといい。それがキャラ立てになる。

来年はもうすこし沢山やりたい。

f:id:kamosawa:20220224155531j:plain

キーボード掃除

f:id:kamosawa:20220225111222j:plain

並びが判らなくなりがちなあたりの記録写真

カフェで仕事ができなくなったので家で仕事をしてますが、冬は寒いので座敷のMacを使ってます。

集中するために机を片付け始めたのが11月だったかな? 冬も終わろうという2月も中旬になって、ようやく目に入る範囲に何もないような状態が作れました。

f:id:kamosawa:20220227151349j:plain

オレ史上最高にキレイなデスクをゲット

で、そうなると気になるのが2018年3月に購入して以来掃除してなかったキーボード。

こいつはKB Paradise V80という製品で、まあ悪いものではないんですが、自分としては特に愛着があるわけではなく、昔愛用してた98Vキーボードに似た感触のCherry-MX Speed Silverというキースイッチがあると聞き、使用製品を検索して試しに買ってみたというものです。Windows機で1、2年使ってたものの、親指シフトキーボードに切り替えて死蔵していたところ、Macで使ってたSunのType-5が壊れたので復活という経緯。

最初、マイペットをちょっと吹いて拭き上げて完了と思ったんだけど、試しにキーを1個外してみたら、猫の毛やホコリやわけのわからないゴミがギッシリ! そのまますべて外し、キートップはすべてマジックリンをちょっと入れた水に浸け置き。本体は古歯ブラシでゴミをほじくり出し、洗剤を吹いてマイクロファイバークロスで拭き上げ。

気がついてなかった汚れも全部落ちて全体に良い色が戻って居した。分解・組み立ての結果、スペースバーが変な音を立ててたのが直ったりもして、なかなか満足です。

さて次はいつ掃除するのだろうか。

Kingroon KP-3を譲渡

f:id:kamosawa:20220225101338j:plain

今日のKP-3

1年ちょっと前に購入したKingroon KP-3を友人に譲ることにしました。

KP-3は深圳市龐科技有限公司の作った3Dプリンタで、造形容積18x18x18cmのX軸片持ちボーデン機。Prusa miniの基本設計を踏襲しつつ、リニアシャフトではなくアルミ押し出し材を使用することで低コスト化を実現。Amazonでは一時1,5000円で販売されており、複数買いが流行った機種です。6台買ってプリントファームを作ったなんて話を聞いて、このお値段ならと2台目のプリンタとして購入。

組み立ても一体になってるX軸Z軸を本体に差し込んで固定するくらいで簡単、大形のダイヤルのおかげでZ高さの調整も簡単で、何も考えずにちゃんとプリントできる良い機械です。

ウチの機械は付属のマグネットシートがいまいち使いにくいのでPEI鋼板に替えてあること、ヒートブレイク冷却ファンと造形物冷却ファンが共通で能力が小さいのでヘッド周りのカバーをTH3Dのモデルに交換し、別々のファンを付けてあること、オートレベリング用のセンサを取り付けてあるあたりが主な改造項目。あと細かい改造多数(MicroSDリーダの上が空いてて間違えて差すと中に落ちるのでアダプタを付けたり、フィラメントホルダーが非常に使いにくかったのでZ軸上部に取り付けたり、裸の電源の金属ケースの角が机に刺さるので足を作ったりした)。

手をかけたマシンで、造形品質も悪くないのですが、2021年末にPrusa i3 MK3S+が届いたため使用頻度が激減。なにしろMK3S+は初層の定着を見る必要もないくらい造形が安定してるので、使い心地が良すぎます…。うるさくもないし。

もちろん、急ぎで多数の出力をする時は何台あっても嬉しいものではあるんですが、それでもメイン機と大型機(TRONXY X5SA)があればかなりカバーできるし、最初に買ったZonestar P802QRみたいに古すぎるわけでもないので、KP-3は試してみたい人に譲るのが良いかなと思いました。

元箱はありませんが、マニュアルを発掘したので一覧に載ってた付属品一式を揃え、予備の造形シート類を揃え、空スプールにお試しフィラメントを巻きました。5000円ならだいぶお買い得だと思う。

活用してもらえたら嬉しいですね〜。

オミクロン株でよくわかる米軍基地問題

沖繩でオミクロン株ダダ漏れ。ついに米軍から!

一人の行動が槍玉に挙げられてる東京とは桁が2つばかり違うぜ。

それでももちろん、米軍は平常運転です:

www.okinawatimes.co.jp

"県内で初めて新型コロナウイルスのオミクロン株の感染が確認された17日、感染した基地従業員が働く金武町のキャンプ・ハンセンのゲート前では米軍関係者が基地外を出歩く姿が見られた。米国から同基地に到着した隊員99人の感染も確認され、住民や基地従業員からは感染対策の徹底を求める声が上がった。

 17日夜、同基地のメインゲートは車や米軍関係者が行き交った。近くにある社交街ではバーやクラブの音楽が響き、基地の外に出た米軍関係者が飲食をして盛り上がっていた。

 米軍属の50代男性は「クラスターの情報は米軍関係者で共有されているが若い米兵は基地外でマスクもしない。正直コントロールできていない」と明かした。

 町内の80代の男性は「感染者がこれだけ出ても、いつも通りの光景。感染者が確認された部隊だけでなく、米軍全体で隔離やマスク着用などの対策を徹底してほしい」と憤る。"

-----

感染者が出ても米兵はめっちゃ街に繰り出してるし、マスクもしていないという話。

実際どうなのかといえば、現象としてはたぶん完全にこの通りで、これは米軍の平常運転です。オレが自分で金武に行って確かめたわけじゃないけど、まず間違いのない話で、むしろ、さもありなん、という感じ。

えーっ!? と思った人もいるかもしれませんが…。

こういうのこそ、基地問題における「文化の違いの押し付け」というやつですよ。

米軍はワクチン接種率も高いし、基本的に検査でOKの人しか基地の外には出てきていないはず。検査でOKでお休みであれば、外に出る権利があるから、それを「自粛」とか普通はしないです。また、彼らは自分が安全だとわかっていたらマスクを拒否します。だって自分は感染してないし、基地の外も安全なんでしょ? なんでこんな気持ち悪いものを付けなきゃいけないの…? ということ。

米兵には米兵の論理があるし、自分の感染対策は十分だと思っており、実際高い蓋然性で安全なわけです。でもそれは地元の論理とは大きなずれがある上に、COVID-19では人間の感覚が当てにならず、確率的に漏れて実害が出がち。「事故」は起きる。

人間だから、自分らの感覚で万全にやった対策で漏れたときは「しかたがなかった」と思い、押し付けられた論理で漏れたら「いわんこっちゃない」と思うもの。

たとえそれが、実験的に比較したわけではない主観的な違いだとしても、結果がダメなら「あいつらは本来的にダメだ」と思うわけです。

基地を容認してほしいと願う保守派の政治家や馬鹿なネトウヨの人たちは、文化の違いを楽しめとか簡単にいうんだけど、まあ、このレベルのギャップが細かく延々と続くことに耐えられる人はそんなに居ないんですよ。ひとつひとつは小さいんだけど、どこまで行っても出てきて、わりとキリがないもので。

違いを楽しめる人は楽しむのが良いし、混ざるのも楽しいもんです。オレはぜんぜん楽しい方だったりもする。

けど、そういう楽しさって自分が異邦人のときに自覚的にやるから発生するもので、無防備に生活してるところに持ってこられると、けっこう削られる場合もあります。留学生をたくさん預かるとだいたい慣れるけど、難しいことも多いです。

望まれない隣人を望んでない人たちに押し付けて、

「ギャップを楽しめ」とか
「米軍と共存してるメリットを活かせ」

とか言ったって、

「何様だよ」

という反応しか返ってこないのは、まあ、当然だと思うんだよね。

(オレみたいな混乱大好きのちょっとおかしなコスモポリタンではなく)ごく普通の人たちが普通の生活を営んでいる場所に、ぜんぜん違った文化の若者がドバッと大量に注ぎこまれ、ろくにコントロールされずに勝手に振る舞う。

コントロールしろと言ったら、できてる、と返ってくる。事故が起きてもろくに補償もしない。犯罪者が出ても組織的に隠されて、犯人は本国に帰っちゃって何も償わない。

どうすかこれ。全体的に「我が物顔に勝手にのさばってる」感じでしょ。

基地問題、ずーっとこれです。

でもこれ、「文化の違い」なんです。

押し付けるもんじゃない、というの、わかっていただけるんじゃないでしょうか。

子供かカネか

みたいな話はよく見るんだが、どうにも解せないというか、いつまでも議論が深まらないので不思議に思ってることがある。

つまり、コストとベネフィットで考えると子育ては割に合わなくて云々…を言う人たちの言説は、最終的に我々は全員死んでしまうという事実から目を背けてるんじゃないのか、ということだ。

人生は幸福量の増大を目的とする。これは現代文明の最大公約数的同意事項だと思っているのだけど、反面、人生には究極的には等しく意味がない。1万年前の地球と1万年後の地球を比べれば、人類の爪痕はおそらく観測可能であるだろう。しかし、そこに個人の痕跡は存在しない。そもそも、残っていようがいまいが何の違いもない。我々は誰もが即座に死んでも構わない生を生きている。

だから逆説的に、個人の中に生ずる執着だけが生きる意味として残る。幸福の追求というのは、実はそういうことだと思う。

カネは墓には持っていけないので、あたかも客観基準であるかのように語られる損得も、詰まるところは自己満足にすぎない。子供ってそういうのの外側にあるよね…? というのが中年の実感である。

そして子供が居ると、行く末に興味がわく程度には執着が生まれるような感触がある。永続する執着が残ることが最終的な価値ならば、カネよりは子供なんだろう。

晩年に実効性のない誓詞を取ることに汲々とした豊臣秀吉のように、それまでの評価が一変するほど愚かなことを最後の最後にやる人がいるが、あれはその時の自分の価値観の中で、後世の目から見た毀誉褒貶とか、自分の人生を作品として完成させることよりも、子供が何より大事だったのだろうと考えると、少し納得感が出る。

そんな風に、「生物としてのヒト」が形而上的な「人格」を上回る場面が、いずれ来るのであれば、先回りして生物の「自然」に乗っかり、子供を作っちゃっても悪くないんでないかな、と思うんだよね。あと、トシを食うと自分の中に謎がぜんぜん無くなって、あとはトボトボと歩いていくだけみたいな感じになるんだけど、子供ができると自分のモードが変わったりするのも観察できて飽きない、というのもある。

まあ、子供を残したからと言って、自分という人格の何かが残るわけでもないんだけどね。これもやはり、完全には満たされることのない自己満足を求める行為にすぎない。たんに遺伝的サポートがあるから満足度が高いかも、というだけのことだ。

やはり自分自身を電脳化しないとアカンようである。しかし、電脳化した人の執着って、どこに向かうのだろうか。

 

 

陰謀論者を擁護する

読んだ。

gigazine.net

記事によれば、陰謀論を信じる人は:

  • ランダムなパターンから意味のある図形を見出す傾向がその他の人より高く
  • 高等教育を受けておらず
  • 批判的思考スキルが低く
  • 論理の欠陥を見つける能力が低い可能性が示されている

らしい。

…ここまでバカ呼ばわりされて、自分の信念を「陰謀論であると認める」人は居ないんじゃないかと思うんだけどね。誰得記事だw

あと、傾向としてはその通りであるにしても、例外はいくらでもいる。MIT卒でシリアルアントレプレナーのスティーブ・キルシュという人がいるけど(インフォシーク創業者)、この人の論理の欠陥を見つける能力が低いとは誰も思わないだろう。しかし彼は反ワクチン、などというレベルまで行ってしまった陰謀論者である。

www.technologyreview.jp

思うんだけどね、こうした傾向を持つ人がこれほどたくさん居るというのはむしろ、この傾向になんらかの適応的意義があるためだと思うんだよね。

上の記事で挙がってる4つの性質のうち、後ろの3個は後天的なものだ。しかも同じものを示している感じがある。論理能力が低いために論理の欠陥を見つけられず、批判的思考ができない、というのはありそうなことである。これは成人教育でも補えると思う。

残ったひとつ、最初に挙げられてる、「ランダムなパターンから意味のある図形を見出す傾向が高い」というのは、しかのさんが『サはサイエンスのサ』で書いてた、『インフルエンザと魂かなしばりの術』の話に通じるものがある:

 科学ってのは、とりあえず、この世界を最も正確に描写できる方法だと思われているよね。でも、そのやり方は、ゲゲゲの鬼太郎の必殺技、「魂かなしばりの術」みたいなものだ。

 この術は、強すぎて鬼太郎も敵わないとか、人間に憑依していて直接攻撃できない妖怪を倒す時に使われた奇計なんだよね。

 どういうものかというと、まず鬼太郎は画家の扮装をして、倒すべき妖怪の家を訪れる。

 で、あなたは強くてかっこよくて素晴らしい、ぜひ肖像画を描かせて下さいと頼むのね。おだてられていい気になった妖怪はそれを許可。鬼太郎は、あなたの好きな色は? とか、好きな食べ物は? とか質問を一つしては紙とか石に点を打ち、点描のように肖像画を描いていく。

 ある数の点を打ち終わったとき(個数は適当みたい)、鬼太郎はその点を素早くつないで絵を完成させる。すると、妖怪の魂は、絵の中に封じ込められ、あとは紙を焼くなり石を井戸の底に投げ込んで終了〜。

 科学ってのは、まさにこんな感じで、世界に対して、実験や観測などの形で質問を投げかけ、一つずつ点を打っていく行為なんだよね。点一つだけでは、世界はほとんどわからないけど、たくさん点を打つうちに、なんとなくそれっぽい絵が浮かび上がってくる。

そしてこれは、書いてある通り、科学について記述したものなんだよね。

なぜこうなるか。まず人間の脳には、どんなものにもパターンを見出してしまうバイアスがある。

"幽霊の正体見たり枯れ尾花"

というけど、ヒトのパターン認知が歪んでるのは、危険なものを避けるためにパターンを高速に検出するためのショートカットの仕組みがいっぱい組み込まれているためだ。

そしてこの性質は、おそらく自然環境での進化の中で発達したと考えられるわけだけど、人間社会の中でも非常に役立つ能力だったりする。現代のヒトという生物は、自然界より人間社会という環境に強く適応した生物なんだけど、この性質に関してはどちらの環境でも非常に有利なわけ。

人間社会でこれが有利になるのは、敵から逃げるためではない。「他に先んじて確信する」ということが大事だからだ。パターンを見出す能力というのは、ここに効いてくる。

この株が騰がる、という情報を掴んだ人の中で得をするのは、「情報を見て」「その株が騰がる前に買った人」だけだし、ラーメン屋をやって儲かるのは、ここでラーメン屋をやったら儲かる、という「発想」を持つだけでなく、実際に「行動」して投資した人だけなのだ。

これはたとえばサイエンス分野でもおなじことだ。あることを世界中で同時に発見した人がたとえば10人いたとしても、発見者として記載されるのは最初に論文を出した人だけである。つまり、その発見が真実だったとすれば、十分だと考えるに至る材料の数が少ないほど有利である(論文がアクセプトされるだけの説得力は必要だが)。

行動するには、なけなしの資源を投入するには、必ず確信が必要だ。

そして、商売なんかの場合、偶然が作用する領域はとても大きい。たいした材料がなかったとしても、最初に確信して投資して狂ったように働けば、そこそこの確率で成功してしまうものだ。

だから、成功するには確信能力「だけ」でいいことが多い。「確信能力」には単独で価値があるということであり、だからそこには進化的バックグランドがあるはずだ。

最初の記事で出てた陰謀論者を記述する「他の人には見えないパターンを見出しやすく」「それを盲信する」という能力が、成功するのにどれほど大事か考えてみるとよい。教育レベルとは相対的なものであり、受けてきた教育がふっとんでしまうようなレベルの確信を持っていてこその大成功なのだ。

たとえばスティーブ・ジョブスなんか、めちゃめちゃ良い例なんじゃないかしらね。十代にして起業により巨万の富を築いただけでなく、手術で治る癌を放置して死に至ったあたり、面目躍如という感じ。

こうした無根拠な確信は大成功と陰謀論の両方に必要なもので、片方だけを取り出すことは、もしかしたらできないのかもしれない。確信能力が高ければ高いほど、教育レベルの高さを圧倒しやすくなるから。

年をとって陰謀論者になる人が多いというのも、遺伝的レベルで支えられてる確信能力が、大脳にむりやり載せた「教育」や「最新情報」を圧倒するからだと考えれば、無理のないことだろう。

たぶん、陰謀論を信じちゃうような人は、日常生活のありとあらゆる部分に、根拠のない確信を抱いてる。特定の陰謀論について着目した場合にのみオレらの目に付くんだけど、生活のもっと広い範囲が確信に満ちているはず。

それはなかなか幸せな生活であると思うし、そういう人が経済を回し、オレらを養っているのである。

…てなことを、オレは確信しているよ。

 

10年前の本になっちゃったけど面白くてオススメです。