インドカレーを楽に作りたい

雑にインドカレーを作る方法を探索しています。いわゆるバターチキンカレーとかの、ペースト状の野菜で肉を煮込んだ基本的なやつが好きなんですが、この種のカレーはタマネギのすりおろしたのを炒めるとこが非常に面倒なので、ここを省力化したい。

ここのところよく使っていた方法は、荒く切ってミキサーに突っ込んでペースト状にしたタマネギを、炒めずにどんぶりに入れて電子レンジにかけ、10分ほど加熱することで水分を飛ばす方法です。この方法は焦げ付いたりしにくく、基本的に放置できるので、「ぜんぜん火が通らないのに強火にすると焦げ付きやすいドロドロを延々とかき混ぜ続ける」という苦行からは開放されます。

ただこれも、まだちょっとめんどうくさいです。一度に調理できる量が丼の大きさに規制されること、端のほうが乾いちゃうこと、ときどき混ぜるなどしようとすると、丼も熱々になってるので案外手間がかかります。

それで今週は、薄い輪切りにしたタマネギをそのまま油に突っ込み、弱火数十分放置で素揚げにしてみました。揚がったタマネギはなかなかきれいな飴色の物体に仕上がり、弱火なのでちょっと焦げたところも焦げくさくありません。

これを他の野菜(人参、大蒜、生姜)とともにミキサーに掛けると、おおむね均一の野菜ペーストができあがりました。

あとはこれを鍋に入れ、安いぶつ切りの鶏とトマト缶(ダイスカット)を加え、さらに全体と同量の水を注いで混ぜ、コリアンダーシード、クミン、ターメリック、胡椒、唐辛子類を入れて火にかけます。

半分に煮詰まったら、塩で味を整えて出来上がりです。

皿に盛ってから、シナモン、カルダモン、ナツメグクローブ等の「甘い」スパイスを振り掛けて出しましょう。うちではこのへんのスパイスを混ぜたものを仕上げ粉として冷蔵庫に常備してあります。

なかなかおいしいですよ。

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できあがり

 

サンドボックスの中で思考実験をやるのがSF、物語をやるのが異世界転生モノ

なんか見た。https://www.comic-earthstar.jp/detail/sumou/ おもしろいねー。

いま本屋で、軽い読み物(マンガやラノベ)のコーナーに行くと、転生モノは「一大ジャンルを築いた」と言うより、むしろ「デフォルトが転生モノ」くらいの勢いで隆盛してる。

この現象も、オレにはネットによる可視化の副作用のひとつであるように見える。ネットが現実世界の隠れた貧困を、専門家の視点を、地方と都会の対比を、それぞれの立場の人たちの生の声によりリアルに可視化した現代とは、すなわち世の中の複雑さが全部見えてる時代である。こうした現実が突きつけられた上で、書き手が神の視点を持って物語を操るのは物理的にも不可能に近い。どこかに必ず瑕疵があり、それは必ず指摘され、後知恵により作家にも理解可能である。

異世界モノはこの簡単な解である。転生異世界というサンドボックスの中に押し込めて話を作れば、リアリティの問題は生じない。多くの物語が「ゲームの世界に転生しました」という体を取っているのも、より狭いサンドボックスを求めてのことだろう。物語には話を作れるだけの複雑さを持った世界があればいいのだ。

今起きてるのは「作家の "お話の舞台としての現実" 離れ」ということだ。

ヒトという種の弱さを知ってテキトーに

ヒトの脳はあまり合理的ではありません。論理を積まずに直感で判断すると、大事なことを簡単に間違えるようにできてます。この種の「合理的判断からの逸脱」のうち、誰でも同じ方向に間違えるものをヒトの認知バイアスと言います。見たり聞いたりしたものの受け取り方の偏り、という意味です。

自然は合理的に動いてるのに、ヒトの脳が自然を偏った形で受け取るのは、まず第一に、生物というものが偏った存在であるからです。

生物進化とは生存した者の持つ性質を残すだけの篩であり、合理的判断よりは生存のための短絡回路を持つ者が残ります(短絡回路が「進化」しやすい)。怖いものを見たら全力で逃げたくなり、逃げられなくなったら反撃したくなる、というよく知られた心理はこの例です。

第二には、ヒトは自然環境ではなく人間社会の環境で生きていることがあります。この「人間社会」とは現代の億単位の相互作用するヒトで構成される現代社会ではなく、長く長く続いた旧石器時代の最大人口150人レベルの村のことです。

こうした人間社会に(というか、それを反映したヒトの心の中に)だけ存在し、自然環境には存在しないものが実はたくさんあります。たとえば「絶対」というのはヒト特有のバイアスで、絶対的な神を信じて戦うとか、敵対者を絶対的な悪と思い込むようなことを、他の生物はしません。

現代社会の問題の多くは、文明の発達によって、つまり、ヒトが増殖し、交通が発達し、情報が高速高密度で伝達され、共通性が認識されることによって、バイアスよりも合理性の方がずっと利益が大きく満足度も高い状況になっているにもかかわらず、「自然に」振る舞うことでバイアスに支配された行動を取ってしまうことから生じています。

この弊害は最近とみに顕著で、特に震災からこのかたの日本で、軋轢が非常に大きくなっているように感じます。つまり、「自然に」「本音で」生きてきた人たちと、「科学的に」「建前を大事にして」生きてきた人たちの対立が深まっていることが観察されます。

ここで興味深いのは、前者のいわば「自然派」の方が、はるかに不合理な認識を持ち、常に間違うため充足することもなく、閉じた生き方をしがちであることです。自分の感じた通りに生きたい、幸福への希求が強い人だからこそ、間違い放題に間違わされて不幸になるのです。

こんな環境で、本当に幸福な人というのは生じうるのでしょうか。

オレは自然派であるが故に科学を志向するというタイプですが、科学を志向し知識を蓄積し行動を変えていくことで得られる納得や満足感は大きいものの、本当に自分の望んでいるようにやっているのか、という疑問と軋轢は常に自分の内側に存在します。心を開放すると変なことをやらかすし、開放しないと納得がいかない。やらかしを責められるのは、あるいは責められそうに感じることは嫌である。でもその心配は杞憂かもしれない。

こうした二律背反の中を長いこと生きてきての今の所の結論は、「自分の歪みを認識することで、本当の望みを知ることができる」です。

自分の歪みの一部は多くは生物あるいはヒトであることに由来し、逃れようがないので、頭の中でそれらを足し引きするのです。21世紀になって脳のバイアスに対する知識がわかりやすく解説されるようになったので、それを知り自分の感じ方に適用するのがよいと感じています。以前紹介した池谷裕二さんの書籍なども良いですし、twitterbiasbotのフォローもオススメです。

自分の歪みがいかに逃れようのないものかを知っていくと、他者のバイアスもいくらか勘定に入れられるようになるので、いまそこで何が起きているかを見通しやすくなります。こうした心理に、他者を勝手に推し量る傲慢さを感じる方もいるかも知れませんが、自分の判断力の正確性は(唐突な話だけど)株を買ってみるとよくわかります。

話が脱線しましたが、オレがやらかしと開放のバランスを取って楽しく生きるために特に気をつけるべきだと思う、ヒトの認知の不完全性は次の3つです:

  • パーフェクトを目指す
  • 量の見積もりや比較が苦手
  • 相関と因果の混同

これらのバイアスをキャンセルするため、オレは逆のことを心がけています。これを「テキトーな生き方のための三カ条」とでも名付けましょうか:

  • いい加減で諦める
  • おおまかに数であらわす癖をつける
  • だいたいのことは偶然だと心得る

めちゃめちゃテキトーに生きているようで笑っちゃうけど、まあそれぞれ解説します。

いい加減で諦める

知識を掘るときは、根本のプリンシプルを絶対に外さないで、逆に細かいことはどうでもよいという態度を取ります。

パレートの法則を持ち出すまでもなく、ひとつのことをパーフェクトにするまで他のことに取り掛からないのは非常に不利です。特に、スキルの習得などゴールのない分野では、パーフェクトにこだわると永遠に次のことに取りかかれません。

逆に、どんな分野でも80点くらいならすぐに取れるものです。80点では役に立たないかもしれませんが、100点ではなく95点を目指しましょう。これは根本のプリンシプル+アルファくらいの知識です。

将棋で言えばアマ12級くらい。これは「小学校のクラスで1番」くらいにはなれるけど、本気でやってる人にはまったくかなわないくらいの実力です。

おおまかに数であらわす癖をつける

これは定量化の第一歩です。情報を量に変換し、自分の知ってる量と比べるのが目的であります。料理のレシピを材料に対する塩分と捉えるアプローチがあって新鮮に感じたことがあるが、量を率に、率を量に変換してみるのも、ざっくりとした、しかし本質的な理解を助けます。

これをやるときは、あまり精度を上げようとしない方がいいです。わかっている概算値を適当に当てはめて、桁違いになっていなければOKくらいの気分で進めます。そしてその状態を自分の見える景色に変換します。

たとえば、子どもの貧困率は13.5%と聞いたとしましょう。人口に対する割合は自分の小学校のクラスに当てはめるのが理解が速いです。「40人学級の13.5%は、えーと、12.5%が1/8だから5人ちょっとが相対的貧困という世界か…」と換算して、そのクラスの日常を思い浮かべます。

さらに、「うちの市の人口は10万くらいで子供の率をざっくり20%とすると2万の1/8くらいで2500人くらいは貧困家庭か」などと換算できたらサイコーです。どんなことでもそのように自分の実感可能な数に変換できるようになると、数字の実感的理解が速いです。(ちなみに沖縄県の子供貧困率は全国平均よりかなり高く30%程度なので、40人クラスで12人くらい、市内で6000人くらいになります。)

だいたいのことは偶然だと心得る

これは「OOのあとXXが起きたからOOはXXの原因」と考えず、「OOのあとXXが起きた、しかも3回続けて。でも偶然かもしれない」くらいの勢いで、物事の関係を偶然側に寄せて見ることです。

これは三カ条の中でも特に難しいやつです。なぜなら、現代生活で入ってくる情報は、そのほとんどが他人を通じてもたらされるものなので、必然的に情報をくれた人のバイアスが反映されるからです。

噂話は独り歩きするし、ニュースは事実だけを伝えないし、伝言ゲームは正確に伝えろと言ってるにも関わらず入力とまったく違ったものが出力されます。そして生物とは存在しない因果を勝手に類推するものであり、ランダムなタイミングで与えられた報酬にはランダムなジンクスを編み出します(スキナーの鳩)

入ってくる情報にバイアスが掛かった状態で、情報を貰ってる自分自身にもバイアスがあるのだから、現代人が世のすべての現象に因果を見出し、さまざまな陰謀論に染まりがちなのはむしろ当然のことです。

こうしたバイアスをカットする方法として、医薬品の治験では二重盲検法という手順が用いられます。治験では当該医薬品投与群とプラセボ投与群が比較されますが、このとき治験に参加した患者だけでなく、薬を投与する医師も、投与している薬が実際の治験薬なのかプラセボ薬なのかを知ることがないようになっています。医師のちょっとした態度などで患者が投与薬を知ることがないようにしてあるわけです。

自分に入ってくるさまざまな情報に二重盲検法を適用することは不可能ですが、それに近いことはできます。「XXによりOOが起きた」的なストーリーを見出したら、それがいかに当然のものに見えたとしても、実は偶然起きているという場合のストーリーを考えてみるのです。

「いくらなんでもXXの(あのバカ男の・外国勢力の・ワクチンの・昼間食った刺身の)せいだよね」と自然に思ったことに対しても、「実は単にOOの(自分の体の・自分の文化の・睡眠の・水分補給の)調子が悪かったから」というストーリーは立つものです。どちらが本当に近いかは誰にもわからないけど、どちらも100%確かなことではないはずです。

そうやって必然と偶然を相対化して見積もる癖を持つと、見えてくるものはいろいろあります。社会で起きてることだけでなく、自分の傾向も見えやすくなります。

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「テキトーな生き方」について長々書きましたが、これらは実際には意識的楽観だとか客体化だとかが必要な手順であり、ヒトの心には不自然な行動なので、あんがい難しいものです。

こうした抑制を外したくなったら、酒を飲んでクドクド絡むのではなく、絵を描いたり楽器を鳴らしたりプラモデルを作ったりして、心が求める完璧を与えてやるのが良いように思います。アートとは徹底的に心に沿ったものだからです。

ともあれ、テキトーに生きて行こうではありませんか。

COVID-19の治療薬って耐性株の心配が少ないはず

昨日見た記事。

www.asahi.com

SARS-COV-2の標的は細胞表面に提示されてるACE2タンパクです。ウィルス表面にあるトゲトゲ(スパイクタンパク)は、このACE2タンパクに結合するようになってる。この結合によってウイルスは細胞に取り付き、中身を注入して増殖する。

ファイザーやモデルナのmRNAワクチンは、このスパイクタンパクだけを体内で大量に合成し、それに対する抗体を誘導することでウィルスへの免疫を獲得する仕組み。

それに対して上記の薬品は、スパイクタンパクへの結合性がヒトACE2タンパクよりはるかに高くなっており、スパイクタンパクを飽和させることで細胞への取り付きを防ぐことで作用する。

そんで、これを紹介してた方が書いてたんだけど、

つまり、人工的なタンパクを使って飽和させてると、たまたまヒトACE2タンパクに少しばかり結合しやすい変異を持ったウィルスが存在したときに、そのウィルスばかりが増殖するので、逆にヤバいのではないか…という懸念です。たしかに当然考えられます。

ただ、昨日のやつを書いてて気がついたんだけど、このウィルスの変異って感染のごく初期に起きたものしか伝播しえない。なぜなら発症前後の数日間が感染の大部分を占め、隔離後の二次感染はほとんど起きてないから。

これは、たとえば治療薬がウイルスの遺伝子の変異を促すものであったとしても、その変異した系統が伝わる機会は少ないということ。すなわち、耐性株の出現はきわめて稀であることが期待できるのを示す。

もちろん医療がまともに機能しておらず、隔離なく重症語の二次感染出まくり…という場所があれば別です。

あれ? そういう場所でこそ、ワクチンよりも治療薬で解決しようとする場面が多い気がするな。予防医療は知識を必要とするものであり、自然な人間は調子悪くなるまで何も考えないものだから。もしかしたら結構ヤバいかも…。

とはいえ、SARS-COV-2では通常の感染症より耐性株が出にくいのも確かだと思います。上記の薬も、ちゃんと管理すれば重症化防止薬として十分使えると思う。

重症化形質が中立に近いことで、弱毒化しにくくなってることと裏腹に、こうした性質が導き出される(机上では、だけど)のはおもしろいです。

ウィルスこわい(進化生物学的に)

COVID-19の恐ろしさにはいろんな要素があるんだけど、進化生物学者から見て非常にデカいものの1つは、「感染を主に発症前後の数日間に起こすため、症状の重さが選択的に中立に近い」です。

つまりこのウィルスは、感染症の常識的進化パターンといわれる「感染力が上がりながら症状が軽くなっていく」に合致しにくいと思われるのだ。

通常の感染症の病原体が、感染力を上げながら症状が和らいでいく(弱毒化する)のは、症状が軽くなることが、感染力の増大につながるからだ。

感染力は「一人の感染者が感染させる人数の平均値」である。つまりこれは、感染様態やウィルス量だけでなく、感染期間の長さと感染者の行動によっても規定されている数字だ。症状が軽くなることで病原体を排出する感染者が動き回れるようになり、病原体を撒き散らすことが「感染性の高さ」の一部になっているわけだ。

どんな形であれ「感染力が強い株」は広まる。

つまり、本質的には感染力が強くなることだけが自然選択にかかる形質であり、症状が軽いことは、この感染力を強める間接的なパラメータ(行動できる感染者数やその元気さ)でしかない。「症状が軽くなる」は、本質的な自然選択形質ではないのだ。

それではなぜCOVID-19は弱毒化しないのだろう。

COVID-19の場合、無症状の期間に4割、発症後に6割の感染が起きるとされているのに対し、重症化は発症後1週間あたりから起きる。これは重症化がウィルス単独の作用ではなく、免疫系の暴走に伴って起きることだからだ。

重症化や死亡が起きるときには感染させるイベントは終わってるから、ウィルスにとっては、重症化はべつにぜんぜん必須なものではない。彼らに悪意はない。

しかし通常の感染症のように、「重症化させる」という性質が短期間に淘汰され、「感染力が上がりながら症状が軽くなっていく」が起きるためには、「重症化させないことによってより速く広がる変異株」が従来株に勝利する必要がある。

ところが、COVID-19にはそんな変異株は存在しない。なぜなら「重症化させないことで速く広がる」ようにはなってないからだ。これが上の「症状の重さが選択的に中立に近い」の意味である。

中立化するなら減るんじゃないの? と思う方もいるかもしれない。みなさんの常識には、自然選択的に中立になった機能は衰えていくものだ、というのがあるだろうから。たとえば洞窟で世代を重ねた生物が白くなるのは、カモフラージュに効いていた色素を発現させる酵素チェーンの一部が壊れて色を失うからである、という説明を知っているのではないか。

しかし、洞窟で色を失う突然変異が保存されるのは、突然変異が起きた個体が起きいてない個体に比べて生存上不利になることがないからにすぎない。色素を失ったほうが有利ということも普通はなく、色素持ちと色素なしのどちらの遺伝子の方が優占的になるかは、ほとんど偶然による。

洞窟の生物たちが時間の経過により必ず色素を失うように見えるのは、個体群規模がきわめて小さいために、優占的な遺伝子がコロコロ変わりやすいこと(「サイコロを振ったらすべて1だった」の期待値は、振ったサイコロが3個なら1/216だが、1個なら1/6だ)、そして一度の突然変異で広まらなくても、何度でも広まるチャンスがあるということがあるためだ。

SARS-COV-2ウィルスには、これは当てはまらない。

まずこのウィルスはコピー数が多い。感染者一人の持つウィルス数だけを取っても、すでに洞窟生物群集全体よりはるかに(たぶん何桁も)大規模である。このため突然変異(コピーミス)が起きたとしても広がりにくいのだ。そして個体の中で広がった突然変異は次の感染者に伝えられなければならない。そうでなければ患者の治癒をもって消滅する。この伝達の機会が感染初期に限られていることから、COVID-19の変異株の発生する確率は非常に低い。

  • 感染のごく初期に発生し
  • 他への感染が成立した

突然変異のみが保存されうる。

そしてこの突然変異が世界のCOVID-19個体群全体に広まるには、感染性が強い必要がある。進化的に中立な性質など広まる余地がないのだ。

COVID-19の重症化が進化的に中立であるということを、イコール、洞窟生物の色素のように衰えやすい性質である、と考えることが適切ではないのはこのためである。

実際に、地理的な壁を超えて世界中に広まることができている変異株はもれなく「より強い感染力」を持っている。元々のSARS-COV-2は基本再生算数R0が2.5と言われていたが、アルファ株のR0は3.75、デルタ株に至っては5程度だという。

そしてこれまでの常識に反し、アルファ株もデルタ株も以前の株より重症化しやすくなっている。デルタ株に至っては、アルファ株の2倍程度の入院リスクだという。

この2つが同時に起きることは「ウィルス量の増大」で説明がつくのだ。何の矛盾もない。COVID-19に関しては、弱毒化は必然ではない、ということだ。

いまのところ、感染症学者含め、みんなこれまでのウィルスと同様に考えているように見える。「いずれはウィルスも大人しくなり集団免疫も成立して『普通の風邪』になる」と思っているようだ。

しかし、このような機序で進化するウィルスの場合、「感染性とともに重症化率が上がっていく」という恐ろしいシナリオも考える必要があると思う。この場合の対策は? ワクチンが打てない人をどうやって守るの? ワクチンはいつまで効くの? 病棟は? もしやどんどん足りなくなるの?

みなさんどう思いますか。

ただちに大量の水を飲め

海兵隊のいいとこばかりは描いてない海兵隊マンガ『まりんこゆみ』。沖縄在住者としては「あっちがわ」の考え方とか雰囲気がわかるのが興味深い。

原作者に「女性として海兵隊に入隊して活躍した人」を迎え、かつ「日本の高校から海兵隊に行った人(男性)」からの取材により作られた作品なので、「日本の女子高生が海兵隊に!」という日本オタク向けキャッチーさとかどうでもいいレベルでリアルです。

まりんこゆみ(1) (星海社コミックス)

軍事とも政治とも社会とも関係のない日常的な話題も、もちろん色々入ってて(というか、そっちがメイン)、そのひとつに、海兵隊は水分で健康を確保してる、というのが繰り返し出てきます。

1日4Lくらい水を飲めとか、新兵訓練に水を飲むのがあるとか、調子悪くて医務室に行っても水を飲めで追い返されるとか、めちゃめちゃ水に依存してる感じがある。

それであの元気を保ってるわけですから、まあ説得力はあるわけです。XXの水! のたぐいのいわゆる謎水商売が成立するのは、お金を出したため飲む水の量が増えて健康が増進するため、という話もあるくらいで、水って大事なんですよ。

オレも10年くらい前にナハマラソンのための暑熱順化トレーニングに参加したとき、水分をガンガン摂ることで夏でも意外なほど楽に走れるというのを経験してます。水を十分飲めばいける!

だから昨日もその調子でやってみたわけですが、事前に1Lくらい飲んだにもかかわらず20分位でへばってきて…まあ、もうちょっと水分が必要でしたね。おそらく事前に失ってる水分が多かった。

で、この海兵隊の水分摂取基準というのを見ると、なかなか強烈で、あれほど馬鹿みたいに体を動かしながら「無色透明をよしとする」なんですね。

ちょっと走ったり寝て起きたりしただけで茶色になるオレらの生活と比べて、どんだけ入れたり出したりしてるんだ、という。

下の判別表は海兵隊Dehydration Urine Color Chartという、脱水状態をおしっこの色で判別するための表を野上氏が訳したもので、オレもトイレに貼ってます。

元のやつにはdrink 1/4 liter or 1/2 liter if you are outside or sweating とかいろいろ書いてあるんですが、日本人の日常生活向けとしてはこちらが必要十分です。

水を飲んでも飲んでも無色透明にはなかなかならないし、危険領域はずいぶんすぐ来ます。このくらいなら大丈夫かなと思うんだけど、チャートを見ると明らかにマズい。正常性バイアスでズレやすいものだということで、かなり役に立ってます。

トイレに貼ろう!

 

デルタ株解説@BBC

デルタ株についてのBBCの動画解説。日本語字幕付き。わかりやすいよ!
  • 症状はこれまでのと違う。味覚嗅覚障害は減って鼻水頭痛が増えてる。
  • 感染力はアルファ株(これまで普通に「変異株」と呼んでた感染力の強いイギリスで見つかった株)の、さらに1.6倍
  • 入院に至るリスクが高い(アルファに比べて2倍程度)
  • ワクチン2回接種により入院抑制(重症化を防ぐ)効果あり
  • 年齢別でワクチン接種率の低い若年層で広がってる
ちなみに東京でデルタ株はいま(数日前のデータだと)5%程度の広がり。感染力の差により置き換わっていきますが、R0=5と言われているので、あっという間に置き換わっていくことでしょう…。