サンドボックスの中で思考実験をやるのがSF、物語をやるのが異世界転生モノ

なんか見た。https://www.comic-earthstar.jp/detail/sumou/ おもしろいねー。

いま本屋で、軽い読み物(マンガやラノベ)のコーナーに行くと、転生モノは「一大ジャンルを築いた」と言うより、むしろ「デフォルトが転生モノ」くらいの勢いで隆盛してる。

この現象も、オレにはネットによる可視化の副作用のひとつであるように見える。ネットが現実世界の隠れた貧困を、専門家の視点を、地方と都会の対比を、それぞれの立場の人たちの生の声によりリアルに可視化した現代とは、すなわち世の中の複雑さが全部見えてる時代である。こうした現実が突きつけられた上で、書き手が神の視点を持って物語を操るのは物理的にも不可能に近い。どこかに必ず瑕疵があり、それは必ず指摘され、後知恵により作家にも理解可能である。

異世界モノはこの簡単な解である。転生異世界というサンドボックスの中に押し込めて話を作れば、リアリティの問題は生じない。多くの物語が「ゲームの世界に転生しました」という体を取っているのも、より狭いサンドボックスを求めてのことだろう。物語には話を作れるだけの複雑さを持った世界があればいいのだ。

今起きてるのは「作家の "お話の舞台としての現実" 離れ」ということだ。