壊れた社会システムは自分で直すのが民主制の前提です

この事件について。

mainichi.jp

県警は警視庁の指示に従い、警視庁は官邸に従います。米軍関係者の犯罪を隠蔽して対策を妨害するのは公共の福祉に反します。公共の福祉に反することを指示するのは、すなわち争点を作りたくない自民党による選挙運動にすぎません。機密費の選挙利用と同じ、立派な汚職です。

日本にはこうした隠蔽すら「オカミの都合」とか「大きな目的のためにはしょうがない」と捉える人が多いですが、それは民主制の市民が取るべき態度ではありません。民主制(democracyの訳語として民主「主義」というのは実態を反映していないので制度としての民主「制」という言葉を使っています)とは市民が制度の建て付けを引き受けるものです。すべてを自分で知った上で自分で判断することを妨げられたら怒らねばなりません。代議員を選んだら全部お任せではないのです。

沖縄県警の職員がこうした不正をリークしなかったのも大きな問題です。これも、「内部統制が効いている」、のように肯定的に捉える人がいるようですが、まったくそうではありません。公共の福祉と組織の都合がバッティングした時には公共の福祉にそう必要があります。組織の都合に従う態度は、ナチスホロコーストを支えた「凡庸な悪」です。

組織の都合とはその組織を制御する誰か個人の都合であって、集団に人格を見るのは典型的な大脳のバイアスです。公共の福祉と衝突すると判断できるなら、本来は迷うところですらありません。

個人は究極的に自らの良心にのみ従うしかありません。そうでなければあなたも簡単に悪人になります。

日本文化では、組織の都合を自動化・内面化することで、反射的に・いつの間にか、この凡庸な悪に染まる人が非常に多いです。そして後で苦しみます。

自業自得といえばそうなんだけど、そうやって責任を個人に帰していると、これを強制する文化が存在することの悪を見逃してしまいます。制度を自分たちで変えていく必要があります。