どこに住めば満足か

読んだ。2023年9月にスターリンクを確保して突然世界と繋がったアマゾンの孤立部族であるマルボ族が、他の全世界と同じようにインターネットが引き起こす問題にぶつかって内部で意見が対立している、という記事。NYTの翻訳なのかな。

courrier.jp

これらは全部オレらが見てきた景色。「世界へようこそ」という感じ。

ネットに気を取られっぱなしになっちゃうこともそうなんだけど、辺境が中央と繋がることでコミュニティがバラバラになっていくのも見てきた景色。沖縄本島周辺離島の多くには橋がかかっているが、橋がかかって便利になることで人口が増えた島は存在しない。「ストロー効果」というやつで、意識の中にあるものの中心が変われば人は新しい中心に向かって移動していく。

アマゾンの孤立部落のように、貨幣的な生産がゼロの隔絶先住民族社会は絶えず必死に働いてようやく生きていける地域にある。ダラダラしてても暮らせる現代社会に接触した人は、かつて世界の中心だった場所が実は辺境だったと気づいて村を出ていく。

先住民族文化を維持することで収入等を得られ、それが現代生活を維持するに足るレベルで分配される人以外には村で生きる余地はなくなる。普通に暮らしてた村の皆さんはまあ不幸になると言っていい。

世界と接続したがるのはそこが辺境であることを既に知ってた人たちで、たぶんその人たちは困らない。医療等の必要な情報に容易にアクセスできるようになるメリットはもちろん、閉じ込められて気が狂いそうだったところに風穴が空いてすばらしい気分になってるに違いない。

自分のことに引きつけて考えると、オレはどちらかといえばこの困らない人たちの1人であり、辺境であることに気づいて怒る人であり、接続したがる人だ。デメリットの方には、特に若い頃だと見えるはずもない。そもそも普通に暮らしてる人というのが見えてない。だからこうした接続を特に否定する気はしないというか、ここで否定するのはどうなのよとは思う。思うけど、われわれはできるだけ村を出ていく方がいいんだろうなと身につまされる部分がないでもない。

ただ、村を出て先進地域っぽいところに行っても、そこもだいたい村になってて面倒臭いんだよね。もうちょっとマトモに生きたくなる。そうやって出ていくことを繰り返してシリコンバレーまで行っちゃう人もいるし、それもいい感じ。

とはいえそこにもデメリットはあって、つまり「村」をまったく愛する気がなかったとしても、知性というのは人が歴史的に作り出してきたいろいろなものにも興味を持ってしまいがちなので、ひたすら新しいことをやってる地域に移るだけではやっぱり満足度が低くなるんだよね。複雑さや個別性が足りなすぎる。あちこち住んでみて、自分にちょうどいい「先進度」が得られる場所に定住するのがいいのかなと思う。

オレにとっての沖縄はどうか。「日本の中の外国」である開放感と歴史的複雑性の混淆は良い感じ。ただし「先進」度はかなり足りない。それでも学生として来て以後、動くのがすっかり面倒になる程度には心地よい。たぶん急速に発達していくインターネットを眺めるだけでオレの先進性希求はだいたい満足したんだろう。

友人たちを見ていると、オレと同様に動き回る性質の人は沖縄か北海道、そうでなければ誰も知り合いのいない隔絶した地方に住んでる。故郷に戻る人の方がむしろ例外的であるように感じる。

そんなわけで、東京に戻る気はさらさらないけど国外まで行くのはしんどい。そういう人には沖縄や北海道はかなり「ちょうどいい」ように思える。

マルボ族の若者が安住の地を見出せることを願っているよ。