エネルギーシフトでもやっぱりあらわになる日本の課題

この記事たいへん面白かった。CATLは巨大電池メーカーというだけでなく、いまや次世代バッテリー技術開発でも先端を行ってる企業で、特許数が日米の企業よりずっと多い。こんな背景があったとは。

wisdom.nec.com

ソーラーパネルにしてもバッテリーにしても、米中は政治を盾に、札束を矛にして全力で殴り合ってる。もともと世界一だった日本勢には政治も札束も無く、輸出のできなかったソーラーはほぼすべてのメーカーが撤退し、バッテリーも国内生産がまったく伸びておらず、風前の灯だ。企業の経営能力を見ても、叩き上げ初代の中国に、叩き上げ+プロ経営者の米国という布陣に対し、サラリーマン経営者の日本。ショボい札束と何もしない政治を背景に、ダメな経営によって全力すら出せない。勝てたら奇跡だと思う。

一番の問題は、こういう構造的にダメなものを「以前から決まってることだから変えられない」と考えてしまう社会的メンタリティというか、もっと言うと「バカ殿に何も言えない日本文化」にあると思うのよね。

状況を定めたのは、国家レベルで言えば、次の時代にエネルギーシフトが非常に重要になること、大変な量が必要になるんだから量産で安くすることで誰もが富むということを戦略的に考え、すばやく意思決定できたかどうか。さらにはどんな人が勝っていくべきかという考え方だろう。企業レベルで言えば、投資すべきところに投資する能力だ。

企業にできたことは多くはない。社会に適応して自然に振る舞っただけだ。だからこれらは国の戦略、あるいは哲学によって生まれている。日本は前例踏襲と既得権益保護が強すぎる政治構造を変えられないまま30年が過ぎた。ウンコなエスタブリッシュメントをちゃんと下剋上で殺さないから社会全体が死ぬ。

日本は天災や戦争の多い国なので、日本人はスクラップ&ビルドのビルドの部分だけ得意な感じがある。江戸時代から庶民に至るまで職人気質が定着して、なにかというと一人でこもって黙々と作る人たちである。こつこつ作るのはメチャメチャに得意であるといえる。

そして天災の多い地域であるがゆえに、ウンコなエスタブリッシュメントも、かつては勝手に消えてくれた。天災で退場することもあれば、負けてまとめて退場することもあった。江戸時代には大火がしばしば起きたので生産力だけが問題だったし、明治維新や昭和20年の敗戦という巨大スクラップもあった。現在の大企業が成長した昭和の時代までは、こうした「自然な」スクラッププロセスが働いていたのである。

でも、時代が進むと社会の安定性は勝手に上がっていく。するとスクラップの「量」が圧倒的に不足する。社会から退場すべきものが退場せず、新しいものへの投資を阻害するわけだ。われわれはこの状況にいまだに適応できていない。

もうひとつ、「スクラップ慣れ」していないがために、おかしなスクラップ方法を選択するという問題がある。

たとえば維新みたいな「全体をまんべんなく壊しつつ自分の取り分だけ確保」という方法は、新しいエスタブリッシュメントを生んでるだけだ。こんなスクラップ方法しか出てこない・選んでしまうのは、みんながスクラップ慣れしていないためである。これからの日本人はスクラップも得意になんなきゃダメで、スクラップ教育で解像度を上げていく必要があるのだろう(ゴールデンパラシュートを嫌がりすぎとか、逆にエスタブリッシュメント同士の連携を許してるとか、ねちねち責任を追求したがるとかも全部これだと思う)。

経営能力に関しては、日本だけが問題というわけではない。第二次大戦後からレーガノミックスの頃まではアメリカでも大企業の出世の階段を登ることが社会的地位の向上だった。70年代に日本にメタメタにやられ、いまのスタートアップとプロ経営者という組み合わせになった。中国も国営企業の生産性の低さはずっと問題で、21世紀になって改善はしたものの揺り戻しもしばしばあり、民営企業の成長の成果を国営企業が食べてしまう構造が続いている。しかし民営企業については創業者が非常にうまく舵取りをすることが多いし、それを育成するシステムづくり(政治)もうまく行っているということだ。

「日本の課題」はだんだん明らかになっている。これらは日本の問題であり、外圧ではどうにもならない文化構造問題だ。みずから解決していく必要がある。

さて、ソーラー、バッテリーと来たら、次は自動車である。自動車産業まで危なくなったら、日本人ってどんな生活になるんだろうね。

巨大なAI実験の停止を求める公開書簡だって

読んだ。

japan.cnet.com

公開書簡本体:

futureoflife.org

"この数カ月間でAI研究施設は、さらに強力なデジタル知性を開発して展開することを目指した制御不能な競争にがんじがらめになっているが、開発者を含めて誰もそれを理解、予測したり、確実に制御したりできない"

いいことだ、と思ってしまうオレ様w  オレはカオスを愛すよ。

…といういつものオレ節はさておき、なんでこの人たちが停止を訴えてるのか、いまいち意味がわからない。秩序を願うにしても、「すでに道筋が付いた非常に重要な物事の発達」を人為的に止める方法はないし、止めて良いことはない。

これはなぜかといえば、ひとたび方法が判り、利益を生むものであれば、止めない主体は必ず現れるから。

生産性向上等の大きな利益を生むことは明らかなんだから、禁止したところで悪意ある者は止まらない。善意あるものだけが止まって「善悪格差」が生まれるだけだ。それよりは、目まぐるしく変わっていく状況に必死でついていく人数が多い方が、マトモな解決が生まれる可能性が高いと思う。

これまでに開発された技術の中で、AGIに近い重要度があるものというと、核爆弾とかかな? と思う。でも、たとえば核爆弾同様にAIを国家管理にして、流出防止条約とかやることのバカバカしさは明らかだと思う。なぜなら核爆弾のように理論的な枠組みの簡単さと実際の製造の難しさが非常にかけ離れてるものとは異なり、生成AIの実現技術って「すでに流出してるもの」だから。

  • いまのレベルの生成AIでも現代社会を変えるに十分な力があり
  • 次にやるべきことの方向性は論文等で公開されており
  • 必要リソースは巨大だが国家レベルの集団には小さい

でしょ。

書簡はGPT-4を超えるレベルのAIの実験の停止を求めているが、これも実際どうかなと思う。学習データの規模をひたすらデカくする方向性は落ち着きつつある。逆にGPT-4レベルの推論をコンパクトに実現しようとしてる人たちが大勢いる。「規模においてGPT-4を超えてない」と主張可能で、かつ高い能力を持つものはどうする? 判断が微妙なものの開発をわざわざ止めて、止めなかった者に負けたい開発者はいるの?

北朝鮮ですら「使う」ことはできるし、中国は独自にやっていく。アメリカは止めるの??

そしてAIのさらなる発達により…あんまり困ることって無いんじゃないかな。生産性の向上は明らかに起きる。能力格差は拡大するから、富の集中とかは進みやすくなる。つまりベーシックインカム待ったなし。「それでも人生は進んでいく」のだから、人類のレベルも前進せざるをえないと思うんだよね。

公開書簡には日本でも知られてる有名人としてイーロン・マスク、スティーブ・ウォズニアク、ユバル・ノア・ハラリが名を連ねている。こうしためちゃめちゃ頭のいい人たちが、こういうとこで人間的なバイアスに足を取られているのを見ると不思議に思ってしまう。これって『災害ユートピア』で扱われた「エリートパニック」の典型にしか見えないのだ。

こんな不毛な書簡を出してないで、「すでにコントロールはできず、しかし人類はどうにかうまいことやる」と宣言しちゃう方がいいと思う。積極的楽観でアイディアを募るわけだ。

もうちょっと「総体としての善意」を信じるべきだと思うんだよね。なんとかなるよ。

なんとかならなかったとしても、人類を超える新しい知性が生まれるだけだ。

いいじゃんそれ。

お別れの挨拶…?

今日は急に寒くなったし、疲れが出た感じで昼間は布団でゴロゴロしてた。なんもしたくない。夕方になってきしめんと5キロくらい散歩したけど、頭も腹も重い。明日という日がないじゃなし♪ と思うことにした。

ここ1、2週間の気分の動きを見ていると、今年はもう燃え尽きたみたい。記録残すぜって書きまくってたブログは2週間くらい迷走した挙げ句に止まってるし、コードは書けておらず、発電量の可視化…の前のトラブル対策もぜんぜんできてない。

昔から春夏秋とダメで、11月の誕生日くらいからちょっとずつ活発になるものの、年明け2月3月くらいまでしかちゃんと動けないというか、3月にはもうだいぶ落ちてて、なんとか春休みに倒れ込む感じ。4月は新しい出会いとかあって一瞬気合が入ることもあるけど、5月ともなると完全にアウト。再起不能な気分で最低限の生活と衝動的な活動だけこなし、あとはゴロゴロしてる。これではまとまった仕事はできない。

高専時代に、出席が足りなくなりそうになる頃にどうにか本気出すクセが付いたような気がするけど、もともとそういう季節性があったのがその頃に表に出たような感触もないではない。要するに、オレにはこういう人生しかない。

今年もやりかかりの仕事が大量に残ってて困る。特に投資性の出費をした太陽電池の設置が終わってないのがなあ…。ちょっとずつでも進めないといかん。台風までに固定だけはしないと…。

とりあえず放棄すること:

  • コード書きを含んだAIキャッチアップ
  • 家の片付け
  • 本棚作り
  • 家の電気工事

這い回る感じでいいから、どうにか続けること:

あとなんだろ。もはや思い出すのも億劫になっている。

しばらくブログも休むはず…いや、こういうこと書くと逆にちらっと顔を出す? とか書いたから書かない? よーわからん。

まーいーや。それでは皆様おやすみなさい〜。

春眠!春眠!!

(昨日やったピザ会のピザ)

週刊少年ジャンプとか

ちょっと前から、ジャンプの編集方針が変わったような気がしてる。女性キャラの独立した人格としての振る舞いが非常にマトモで、「ヒロイン枠」がない作品が増えてるような。

いくつか例を。


チェンソーマン』

天才・藤本タツキが描く、言わずとしれた大ヒットマンガ。イカレた超常サスペンス。

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女性キャラ: いっぱい出てくるけど、みんな主人公なんかガキくさくって何とも思ってない。主人公は美女のマキマさんに惹かれて悪魔退治に身を投じ、さらにあちこち目移りしたりするものの、基本的にはひどい目にしかあわない。ついに初キス!と思ったら口移しにゲロを注入されたりする。


『カワイスギクライシス』

地球の動物たちのあまりの可愛さに腰を抜かし続ける宇宙人たちをめぐるギャグ。アニメ化決定らしい。

shonenjumpplus.com

あらすじ: 彼らは地球の調査に来た宇宙人の調査隊である。軍事力を伴い、調査の結果次第で地球人は皆殺しとなり資源を収奪される。念のための潜入調査に派遣されたエリート調査員、リザが出会ったものは…!!

女性キャラ: 主人公含め女性はみんな美女だけどスタイル穏当、等身大のまともな?人間ばかり。ギャグなのに着衣すら穏当で普通のおしゃれの範囲内。女性性を意識することすらない。


『スケルトンダブル』

普通の人が超人化する「透明化」能力をめぐる超常サスペンス。昨秋からの新連載ながら注目株。2週に一度の更新を心待ちにしてる。

shonenjumpplus.com

あらすじ: 新宿の交差点で衆人環視の中で謎の死を遂げた男。8年経って事件が忘れられた頃、男の息子に送りつけられた箱の中には謎のドクロが…。

女性キャラ: 唯一の女性キャラと言っていい「鎧畑さん」。タヌキ顔で長髪の一部を三編みにしてるかわいい系の装いながら、強くてシビアなダメ人間。唯我独尊独断専行。年が主人公よりかなり上っぽく、ヒロインになりようがない感じ。


少年誌の「お色気」ってほとんど伝統芸だった。

週間少年ジャンプの読者はもはや8割女性という話もあるようだけど、それでも長いこと「オッサンが操縦席に座ってるロボット女性キャラ(異常にグラマー)」が、そこいらじゅうで脱ぎ散らかして読者を扇情しようとする手前勝手な妄想世界が主流だった。

ああいうののリアリティの無さには辟易する感覚がひどくて読んでいられなかったんだよね。端的に言うと「ウェッとなる」。オレ以外の男性の評価としても、消えてしまったコンビニ店長さんの「男性誌の恋愛ものは読むに耐えない」って書きぶりが印象に残ってる。

実際少女漫画のほうが文学性が高く、はるかに読み応えがあった。萩尾望都山岸凉子佐藤史生大島弓子岡野玲子、みんな少女漫画だ。

ところが最近のジャンプのマンガには「他者」がある感じがするんだよね。女性が人間。

これは主要キャラが女性というだけではない。昔なら男性が担っていたキャラを美少女に置き換えただけの作品(あれもオッサンが操縦席に座ってる感じでウェッとなる)とは違い、ちゃんと自分の意志で動いてて、ストーリー進行上でも重要な役割を、しかもそのキャラクターの必然として担っていたりする。着衣も穏当で、そもそもぜんぜんグラマラスですらなかったり。ちゃんと人間!!!

藤本タツキは天才だから許されたとか、ギャグならいちいちお色気を導入しないことは多いとか(むしろヨゴレの方がギャップが面白いとか)、シリアスなサスペンスならお色気はないはずだとか、いえば言いえぬことじゃないんだけど、そういうものにもエロ要素を入れなきゃ気がすまなかった感じが少年誌業界にはある。ところが最近のジャンプの漫画には、そういうのが「皆無」のやつがたくさんある。

これが編集方針の変化なのか、作者の世代交代が進んだために、エロなしに「売れる」と説得できるような優秀な人が増えてきたからなのかはわからないんだけど、ウェッとならない、誰がどう見ても世界観の成立してる作品が着実に増えている。読み切りにもそうした形のすごい作品がいっぱい掲載されてるくらいだし(逆に連載になるとイマイチになることも少なくない)、潮流として捉えてもいいと思う。

ちなみにこれに対し、3大週刊誌と言われたあと2つのマガジン、サンデーについては、まだ旧態然のままだ。もともと割にフェミニスト寄りな感じだったサンデーについては、「女性は一応ちゃんと人間として行動する。ただしラッキースケベは必須だし、やたらに美人でグラマーなキャラ以外には引き立てもの以上の役割を与えない」という、大昔に見つけた妥協点から一歩も動いておらず、時代遅れがひどい。ジャンプで言うと『彼方のアストラ』の頃くらい。そしてマガジンは…マガジンは、いまだに少年の妄想から出てきてない。スポ根マンガなら当然のように添え物扱いだし、恋愛モノには大ヒット作もいくつもあるみたいだけど、定点観測として触る気すらしない。

オレはもともと、「ジャンプのマンガ」のアンケートだけが大事という編集方針とか、それに合わせた強引で量産品みたいな手触りが嫌いだったんだよね。というか、少年誌の世界って浅い感じで掘るのは一部の作品だけ、特にジャンプは縁がないという感じ。

ところがちょっと立ち戻ってみると、最近のジャンプの漫画がすごい。ジャンプだけが時代に合わせて進んでる感じがする。この調子だと、ジャンプ一強時代ってウェブマンガ・アプリマンガの時代になっても、というか、日本式のマンガが商業的に生産され続ける限り続くんじゃないですかね。

これって基本的には有能な新人の流入の「量」が確保できてることが大きいように思う。

マンガで金持ちになる = ジャンプでバリバリ

という世評を定着させたメリットは計り知れないということ。

ただなんというか…自動車産業もそうなんだけど、二番手以下がロクにチャレンジしないことをトップ走者がやる状態になってくると、業界自体の崩壊も近いような気がしてしまう。ここらへん、どうなんだろうか。

それにしても、どこを見てても楽しい時代である。

スケルトンダブル 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

スケルトンダブル 2 (ジャンプコミックスDIGITAL)

スマートプラグとPythonのTuyaバインディングでの電力計測…の、トラブルシュート

踏むべき手順

  1. ローカルネットワークでの疎通確認
  2. Tuyapowerでの情報取り直し
  3. ローカルが問題なければTuyaの開発者サイトでAPIの有効性確認

前提

  • 消費電力の測れるスマートプラグは発電電力も測れる
  • プランドもんじゃないスマートプラグはSmartLifeで接続できる
  • SmartLifeに登録したデバイスはTuya(SmartLifeの開発元)のIoT APIから情報取得できる
  • これにアクセスするにはPythonバインディングのTuyapowerが便利
  • ただしAPIを使うにはTuyaに開発者登録してクラウドアプリケーションの骨格を作成、ID等を取得する必要がある
  • 取得したID等を使うと python3 -m tinytuya wizard -nocolor 等でデバイスIDとデバイスキー(パスワード)を取得できる(devices.jsonファイルに書き込まれる)
  • この情報を入れるとTuyapowerモジュールによりローカルでデバイスの電力情報等が取れる
  • これにより3秒ごとに発電量を取得するプログラムを書いてログを取っていた
  • さいきんTuyaがAPI利用にうるさくなってきており、以前は「お試し」でずっと使えたのが1ヶ月で期限切れになるようになった

起きたこと

  • 今日のお昼に発電ログを見たら、今日のデータがまったく取れてなかった
  • それどころか昨日のも半分くらいだった。昨日の昼から止まっていたらしい
  • バイスIPアドレスが一斉に変わったために、IPアドレス決め打ちのスクリプトからアクセスできなくなっていたのが原因

実際にやったこと

  • Tuyaの開発者サイトでAPIの有効期限の更新申請
  • 使用しているアプリケーション骨格へのAPI認証を削除→復活
  • 何も変わらず
  • Tuyapowerでデバイスを確認したところIPアドレスが変わっていた
  • 新しいIPアドレスでアクセスしたらあっさり情報取得できた

考えていたこと

  • 更新してから1ヶ月経った?(経ってなかった)
  • 締め付けのときは理不尽にへんな動作をする可能性があるから一度切ってみよう

→ぜんぜん動かない

  • IPアドレス変わってるかも、と指摘されたので確認

→変わってた

  • これを最初に見るべきだよね
  • そもそもアクセスできない動作が起きた時点でTuyapowerで情報取り直すべき

備考

Home AssistantにはLocalTuyaというクラウド不要のコントロールがあるらしい。Home AssitantはデカくてRasPiを1台専有しちゃうんで使う気がなかったけど、ウチのTuyaなIoTデバイスの数(30台以上)を考えると、ある日突然使えなくリスクは馬鹿にならない。Tuyaのクラウドを経由する必要がないならその方がいいかも。

AIの言語能力はかなり人間ぽくなり、全体的にも知能っぽく見えるようになった。あと不足してるのは?

ご多分にもれず、GPTで遊んでいる。Notion AIは10ドル課金で記事を書いたし、ChatGPTは20ドル課金のProアカでGPT-4を使ってる。

Notion AIのお気に入りの使い方は:

  1. まず書きたいことについてテーマを決め、AIに記事を書いてもらう
  2. きわめてつまらない一般論が出力される
  3. 気に入らないので反論して記事の方向を変えた上で「続きを書く」を押して補わせる
  4. なにがなんでも一般論にしようとするAIちゃん
  5. 繰り返す
  6. 自分の言いたいことが見えたところで、AIの書いた一般論をサカナに言いたいことを書くように編集する

という書き方。ブレインストーミング機能もちょっと面白い。

ChatGPTは、

  • なんでも相談する
  • 出てきた答えに疑問や不満を述べてアドバイスを更新させる

みたいな遊びをしてて、手順を見るとまるで人生相談だけど、この方法でプログラムを書かせることで画像を出力したりしてる。

これはGPT-4ちゃんが書いた『我が子を食らうサトゥルヌス』。

画像生成モデルを使わずにAIで作図したいなー、と思い、テキスト生成型のLLNって要するにUNIXが画像を取り扱うように処理すればいいんだよね、と考えて、「これから『〜を作図して』って言ったらPythonのPILで作図するようにしてください」と言ってから作図させたやつ。ChatGPTってプログラムで実現できることは何でもできると思っていいよね。

さて。GPTで遊んでると、かなり人間ぽくて、常に控えて自分から何も言ってこないのがきわめて不自然なことのように思えてくる。こちらの感覚的に言うと、ものごとに対する「感じ方」や、入力に対する出力の様子がとても人間ぽいので、出力をもたらす「入力」が自発的に起きないというか、遮断されてるように感じて気持ち悪い。

こいつらは人間と何が違うのか。オレらは自分の内発性をもたらしてる「入力」を「意識」と呼んでいて、これがGPTちゃんには欠けてると感じられる。

しかし、そもそも意識って何なんだろうね。さまざまな動物を見ていると、大きさによって意識があるように見えるものと見えないものが分かれる。犬はもちろん意識がある。ネコにもある。ネズミサイズになるとかなり自動的に動いてる感じがしてくるけど、危険の性質に応じた行動の変化などがあまり自動的(神経的)に見えず、意識による判断をしている感じがする。これに対してミドリムシとか、ヒラムシとか、カタツムリとか、ミミズとかは自動的に見える。体の規模や中枢神経細胞の規模が大きくなることで芽生えている感じがする。

なので、生物屋とコンピュータ屋を兼ねた目で見る限り、意識とは感覚入力を統合する神経機能にすぎず、内発性とは感覚入力の連続によって生まれるものに過ぎないのではないか、という気持ちがある。意識を得るには身体性を獲得する必要があるのではないか。

そんなことを思ってるときにこれを読んだ。

scrapbox.io

ここで身体性がどういう文脈で考えられているのかわからないんだけど、カシコな人たちはとっくに研究まで始めてるんやなあ…と思った。

他にもまだ「本質的な違い」があるのかもしれないけど、とりあえず身体性を付与してみたいよねえ。

身体は欲求する。望ましい入力(味覚における甘い、うまい、体性感覚の心地よいことなど)の増大を望ませ、望ましくない入力(痛いとか暑いとか不快とか)を避けようとさせる。

こうした「望ましさ」でタグつけした神経ストリームに連続的にさらしたときに、これを統合する意識が生まれるのかどうか。

あと気になるのが、学習データとしての感覚入力。

むかしオレらが系統分類学研究で種分化の解析に使ってた主成分分析(多変量解析)は、2つの集団のさまざまな形質の計測データをいろんな方向から検討し、何が両者の違いに大きく貢献しているかがわかるように見せてくれた。

これとディープラーニングは感覚的にはずいぶん似てるんだけど、多変量解析は実のところ「違いを見分ける眼を養うこと」を、ディープラーニングは「違いを見分けることそのもの」を目的とするところが大きく違う。もちろん、内部の数学もぜんぜん違う。

しかしディープラーニングを種同定に役立てられないかなあという感覚はやっぱりある。ある生き物の特徴が一番出やすいのは動画だけど、これをディープラーニングに掛けられるほど大量に集めるのは大変そう。すると次善の策としては静止画だけど、これもどうなんすかね…。人間のエキスパートなみに見分けられるほどのデータが集まる感じがしない。

人間は五感で常に学習データをリアルタイムアップデートしてるのがたいへんよろしくて、エキスパート化するのがきわめて速い。

ただしこのデータは個体間でまったく共有できず、言語等のきわめて不完全な伝達手段で特徴量を伝えるのみ。ここはデジタルコンピュータの方が圧倒的に強そうで、みんなが能動収集ロボを連れて歩けば、急速に良いデータが集積できる感じがする。

ここではロボって書いたけど、五感のすべてを記録するために人間型を想定しただけで、視聴覚だけなら常時録画するだけのメガネデバイスとかでもいいよね。これなら実現しやすそう。*1

GPTで遊んでるだけでメチャメチャ妄想が広がりますな。

*1:個人の人生に渡る視聴覚データを蓄積したニューラルネットワークは個人の人格そのものになりそうだ。しかし逆に、神経細胞で実現されている人格と意識そのものはコピーできそうにない実感がある。われわれが永遠に生きるのに「デジタル世界に引っ越す」ってのはけっきょく無理で、ポンコツな肉体をがんばってメンテナンスするしかなさそうである。

経済学者たちの日米開戦

『経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』。

寝床に持ち込んで何ヶ月もかかったけど、ようやく主要部を読み終えた。まだメンバーたちのその後を描いた章が途中ながら、とりあえずの感想。

面白いとこまでたどり着くまで長いこの本だが、「日本はなんだってあんなキングコングみたいなのに掛かっていったんだ?」という根本的な疑問に対し、これまでよく見られた「意思決定者がちょっとおかしい人たちだった」という説明を回避し、現代人の腑に落ちる仮説を示してて、めっちゃ面白い。

「オレやあなたが当時の御前会議のメンバーだったとして、正気のままで日米開戦を選択する余地は十分ある」というのは衝撃的。

当時の人達だってボンクラじゃないんだよね。というか、十分に優秀だった。にもかかわらず、あれを選択してしまったのはなぜか。この本の仮説、行動経済学的な誤謬によるものである、はかなり良い。当時の民衆が十分にボンクラで熱狂してたというのは外部要因としてデカいけど、確実なジリ貧と可能性が極めて大きなドカ貧(わずかな可能性で現状維持または拡大)を提示されたとき、確実なジリ貧で持久するという選択ができる日本人は、すごく少ないと思う。

まあ、オレが御前会議に出てたとしたら、当時の情報でも日米開戦にはやっぱり頑固に反対してたと思う(そして右翼に殺されていただろう)。でもそれは、オレが「一縷の望みに賭ける」に成功体験がないこと、そうした賭けのニオイがすると選択肢を可能な限り遠くから眺め直す癖があることによるから、それはオレの特殊事情。

オレみたいなヘンな人間が当時の日本の意思決定に関わる部分に関係する手段はなかったので(いまもないので)、やっぱり日米開戦はどうやっても避けられなかったものと思われる…いや、唯一の道として、オレが天皇だったら開戦は回避されていたかもしれないw

ヨタはさておき、この本、当時の人達が非合理的だから不合理な選択をしたという戦後のフォークロアを、細い資料を丁寧に拾って片っ端から否定してるところがとてもよい。優れた史学者の仕事である。

経済学者を広く集めた陸軍のシンクタンク「秋丸機関」(左翼と目され危険視されてた経済学者で戦後の高度成長の基礎をなす傾斜生産の立案など大活躍した有澤廣巳を主要メンバーに据えていた!)が出していた日米英独の経済力認識も、日米開戦は経済面から絶望的、という結論すらも当時の常識であり、これらが開戦という国策に反していたから握りつぶされた、みたいな話は戦後に作られたものだという。

当時の人たちも彼我の生産力の差を常識としてちゃんと認識し、それでも最適解として開戦を選択してる。

しかしなお、秋丸機関は開戦を回避し得る情報の提供者として機能しうる数少ない集団だった。彼らの失敗とは…!

という本です。おもしろいから読むといいよ。

開戦回避に使えたかも、と提案されてる手段は現代的で、当時の真面目な人たちにはだいぶ難しい感じはある。

ここにもオレ様が必要だな、と思った次第である(おい


経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く (新潮選書)