ブルックリン

フィラデルフィア美大を卒業した姪から電話がかかってきた。彼女は最近結婚したのだが、聞くとニューヨークに住み始めたという。どのへん?と聞くとブルックリン。マンハッタン!? と思ったけどそれはオレの勘違いで、地図を見れば隣のロングアイランド。まあほとんどマンハッタンみたいなもんですよ!

住む場所はニューヨークのクライムマップを見て一番安全なとこを選んだんだよね、しかもめちゃめちゃ安いアパートメントで、2ベッドルームの1800スクエアフィートで1800ドルだよという。フィートは30センチちょいなので、平方メートルに直すにはゼロを1個取って1割は引かない…くらいで換算できる。つまり170平米のアパートメントで25万とか。100平米あたり15万てNYCとしてはビビるほど安い!! てか東京より安いのでは?

ブルックリンといえばアシモフの育ったあたりだよなあと思いながら聞いてたら、安全なのは昔ながらのユダヤ人地区だからなんだよね、だからシナゴーグとかあるし、長ーいヒゲのおじさんとかいるよという。

えっ、それってモロにアシモフの育った地区なのでは。アシモフは2歳のときにロシアから移民したユダヤ人で、博士号を取って就職するまでブルックリンのユダヤ人地区の外れに住んでいたのだ。

ブルックリンがマンハッタンだとオレが勘違いしてたのも、アシモフがエッセイでマンハッタン育ちみたいなもんだとよく書いてたからなんだけど、『アシモフ自伝』には父がオーナー・店長・神を務めるキャンディストア(コンビニの前身みたいな独立系便利店)の店番を逃れたくて勉強しまくり、小説を書きまくる様子がよく書かれている。

調べてみると、*1 アシモフが育ったのはブルックリンの東の方で、姪のアパートは西の方だから8kmくらい離れてる。つまり子供の頃のアシモフの住んでいた地域ではない。しかしアシモフ父は収益拡大を目指して運営するキャンディストアをだんだん大きくしたために家族は数度の引っ越しをしており、アシモフが戦時中に家族やニューヨークを離れて化学者としてニュージャージーの研究施設に赴任する前に住んでいた最後のアパート/キャンディストアは、姪のアパートから3kmくらいしか離れていないのであった。すげえ!!!

アシモフの書いたものを読む限りブルックリンという地区の印象はあまり良くない。自伝を書いた70年代にはブルックリンは非常に犯罪の多い地域になっていたようで、夜中に一人で歩き回ったことを、今から見れば驚異的だが当時は安全だった、みたいな書き方をしてる。

膨大な科学エッセイの中にもブルックリンに触れているものがあるのだが、自分のクローンが居ればさらにたくさん本が書けるかといえばそんなことはない、私はスラムを脱出するために書きまくったが、クローンの一人ひとりに脱出すべきスラムを与えることができるのだろうか、みたいな書き方だ。エディ・マーフィの大好きなコメディ『星の王子ニューヨークへ行く』(1988年)でも、路上に置いた引越荷物が一瞬で消えるメチャメチャ危ない地区だったし。

そんなわけで、その後ニューヨークの下町も安全になったという話を聞いても、オレはなんだか不安のある地区のようなイメージを持っていた。

ところがどっこい。いまや一番安全な地域とは!!

訪問することになったので、アシモフの育った地域を観光したりできるかもしれません。地域と人とはなんの関係もないとは思うんだけど、同じ空気を吸えると思うだけで(同じじゃないけど)すげーワクワクする。