80年代にGNUのCopyleftというものを雑誌『ログイン』で知った。90年代にLinuxを使い始めたあたりでその中身を知り、それからだいたいオープンな方向を気にしながら生きている。同世代にはそういう人が少なからず居ると思う。
オープンソース原理主義者はオープンなもの以外を認めない。オレはMITライセンスなどを通じた「現実的対処」というのもよく利用したので、あんまり偉そうなことは言えないところだが、オープンなものを使うことで生じた富が世界を豊かにしていることは十分に認識しており、またサイエンスやデモクラシーの本質はオープン性にあると考えるので、オープンであることを基本的な善のひとつだと思っている。
世界的に見ても、オープンであることは特にインターネット上では普遍的な善だったと思う。学術ネットワーク由来のインターネットの一般開放後、インフラのオープン性に引きずられるようにしてオープン性が地位を獲得した。
ただ、インターネットというオープンなプラットフォームの上で商売する者たちがオープンな見かけを保っていたのは、それがマイクロソフトの「邪悪さ」へのカウンターカルチャーとして発達したからという面もある。オープンでありながら商売として成り立つ、という状態を美徳としなければ、「あの邪悪な」マイクロソフトと同じになってしまうのだ。
しかしこの「オープンなものを使うことで生じた富」のコントロール権は、もちろんまったくオープンではない。
Googleはgmailをリリースするとき、ありあまるほどの容量を無料で付けた。写真の容量も当初は無限だった。これらは今は有料化されただけでなく、保存容量単価が上昇する傾向にある。インフレにかかわらずHDDなどのストレージ機器の原価は低下し続けてるので、これらは単なる経営上の値上げだ。またGoogleはデフォルトの検索エンジンであることに多額のお金を使っており、これはオープンな精神の正反対を行く。
AppleはApple][の時代からクローズドでピカピカのものを高価に販売したがる会社で、これはスティーブ・ジョブスが組み込んだDNAだ。OSにNeXT由来のBSD UNIXユーザーランドを持っているからといってオープンなものに親しみがあるわけではない。iPhoneが特別なスマートフォンだったのは最初の10年くらいだが、今もブランドの維持により高価格を保つ。OSの更新は性能がゆっくりとしか上がらないマシンたちを買い替えさせる陳腐化のために行われている。現在の富は囲い込みの成果でしかない。
Dropboxはクラウドストレージの良いところを安価に提供した先駆けだ。ネット上のストレージにどこからでも、どのデバイスからもアクセスでき、しかもバージョンを戻すことが出来るというのは、アイディアではなく実装として優れていた。自前サーバとrsyncとバージョンコントロールを使って似たものを再現できると思ったものの、一人でそれをするよりサービスを使った方が楽だし、オープンな人たちが寛容なポリシーで運用してるなら安心だろうと思っていた。いまのDropboxは無料では3台までのデバイスしかリンクできず、有料プランは容量が少しずつ増えたものの20年経っても値下げされることがなかった。上場以来時価総額はずいぶん上がったが、哲学的には進歩してない。オープン性からの富を囲い込んだだけだ。
富はオープンなものから生まれ、囲い込まれ、貧しくなっていく。
こうした推移にはアメリカのビジネス特有の事情がある。つまり「常に成長している姿を見せる必要がある」ということだ。
上場から10年ほど、Amazonは経常赤字を垂れ流しながら高い株価を保つことで有名だった。成長企業とは将来にわたり価値を増やすことが「予想」されている企業であり、その将来価値が(現在価値に割り引かれて)株価に反映されるものである。だから高い株価には正当性がある。
そして高い株価は経営上の自由を意味する。株式交換で他社を買収したり、ストックオプションで報酬を支払うことが可能であるため、企業の現在価値より高く評価された株価とは企業を実態よりも優れたものとして実在させるのだ。
このため経営者には株価を実態よりも高く保つ強いモチベーションが生ずる。成長しきった企業の実態に株価が反映されるということは、株価が下がるということだ。これは企業価値を保つことで多額の報酬を得ている経営者にとっては金銭上の損失に繋がりうるだけでなく、個人的にも極めて不名誉で恥ずべきことだ。また、経営上の自由が損なわれることである。
このため、成長しきった企業も成長企業のような顔をする必要がある。
たとえば「世界市場を制覇した小売業」には、大きな成長余地はない。日本人の8割がAmazonを使っているとしたら、顧客数を2倍にすることは物理的に不可能だ。大きく成長する手段は顧客一人あたりの売上高成長と利益成長となる。つまり、
- 顧客1人あたりの利益率を上げる
- 顧客1人あたりの単価を上げる
- 顧客1人あたりの経費を下げる
である。
利益率を上げる手段としては「安物を高く買わせる」「分不相応に高価なものを買わせる」「利益率の高いセクターのものを買わせる」などがある。単価を上げる手段としては「生活全体の購買における比率を上げさせる」「間違って買わせる」「無駄なものを買わせる」「分不相応に高価なものを買わせる」などがある。経費を下げる手段としては「従業員の待遇を下げる」「安価な輸送手段を追求する」などがある。
どれも「世界を悪くしてでも利益を上げる」ということに繋がっている。
インターネットを使って効率を上げた小売業が顧客である消費者に商品を安価に販売する動機は、それが売上高成長をもたらす間だけしか存在しない。最終的には利益を「成長」させる必要があるし、競合を市場から退場させた後にそれを止める者はない。
独占は不公正な市場を生む多数にとっての悪だが、便利で安心であることも確かだ。そして経営者には、顧客と従業員が我慢できるギリギリまで扱いを悪くする「強い動機」がある。ここのところの不均衡に気付いてしまうと、なんかもう付き合っていられない気分になる。
そんなわけで、オレは基本的にオープンなものを使う。インターネットはオープンな規格で出来ており、クローズドなアプリケーションの大部分にはオープンな代替物が存在してるので、案外困らない。3DプリンタもPrusaだ。ぜんぜん困らない。
ただしこれは自分にしか適用不能な方針だ。オープンなものが「めんどくさい」のも確かで、知識のない人には使いにくい。本当に成長中のプロプライエタリ製品を使うと得をしがち。
そしてインフラについては安定性が大事なので、オープン由来のNASなんかは悪くないと思っている。なのでコンピュータに強いとは言えない友人にはSynologyを勧めていた。
…のだが、Synologyはもう利益成長を目指すことにしたらしい。
gigazine.net
さすがにもう、いいかなと思った。こういうとこは応援しない。最初からオープンなものでいい。つまりNextCloudしか勧めないことにする。クラウドストレージの便利さってだいたいカンストしてるし、導入もそこまで難しいわけじゃない。
便利に発達させたアイディアで起業する人たちは応援したいが、オープンに保つ努力をしないならいずれ視界から去る。それなら最初から付き合いたくない。バカバカしいくらいオープンであることにこだわってることが重要だと思う。
ちなみに、カネを払いたくないわけではない。好き放題に毟られる「可能性」が存在し、あとから色々検討することになるのが面倒なだけだ。導入が少し面倒でもオープンソースなソフトを使って後顧の憂いを無くしたいということである。
大人はカネで解決して時間を節約すべきだけど、そのためには市場で2番目の選択肢を残しておく必要がある。
オープンソースソフトって、常に2番目的な位置にあると思うんだよね。
