6月23日でいいんですか?

6月23日は沖縄県の「慰霊の日」です。

今日は沖縄県の学校は休み。県庁も休みかな。みんな正午に黙祷したりして、戦没者を偲んでいる。みんなが戦争の愚かさを思い出し、語り継ぐ重要な日。

ではあるんだけど、オレは6月23日が慰霊の日であることに納得がいかない。

6月23日って色んな意味で無難ではあるんですよ。無難ではあるけど、もしオレが決めていいんだったら、この日だけは避けたい、と思うような日でもあるのです。

なぜなら、この日に死んだのは主に沖縄県民ではなく(県民も死んでいるがもっと多数が死んだ日はいくらでもあり)、県民に迷惑をかけまくって逃げた大日本帝国陸軍第23軍司令部の主要メンバーだから。

慰霊の日を定めることも、その日を公休日にすることも、語り継ぐべきことを語る節目の日にすることも大賛成なんだけど。

他に良い日がないし、この日を象徴として積み重ねてきたんだから、これからもそうしておくしかない日ではあるんだけど。

そんな話です。

----
6月23日を慰霊の日とすべき理由はいろいろある。

例えば、昭和20年6月23日は、沖縄戦における組織的戦闘の終了日とされている。県民の間でも、民間人犠牲者がこのあたりから減った実感があるかもしれない日、ではある。

例年の梅雨明けが6月20日あたりで、急に季節が変わって気分が一新するため、昭和20年もそうだったな、という記憶と結びつけやすい日、でもある。

日本国内で公式な戦闘終了日のように扱われている日であり、いろいろと通りが良いのもわかる。

しかしオレは思う。本当にこの日でいいんですか? と。「慰霊の日」を、ここに定めるんですか? こんな日に? 趣味が悪すぎない?? と。

実のところ、昭和20年6月23日は、大日本帝国陸軍第32軍司令部の牛島司令官・長参謀長らが、すべてを放棄して勝手に自殺しただけの日である(22日説あり)。

彼らが司令官牛島満大将名義で18日に出した、最終命令、というのがある:

親愛なる諸子よ。諸子は勇戦敢闘、じつに3ヶ月。すでにその任務を完遂せり。諸子の忠勇勇武は燦として後世を照らさん。いまや戦線錯綜し、通信また途絶し、予の指揮は不可能となれり。自今諸子は、各々陣地に拠り、所在上級者の指揮に従い、祖国のため最後まで敢闘せよ。さらば、この命令が最後なり。諸子よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし

翻訳しましょうね。

「大好きな君たち。みんなよくやった。3ヶ月頑張って、もう任務完了だ。君らの頑張りは歴史に残る。ただ、戦場はしっちゃかめっちゃかで連絡もつかなくなって、オレはもう指揮できない。あとはその場で上級者に従い、各自で最後まで頑張ってね。これが最後の命令です。捕虜にならずに死ぬんだよ。」

組織的戦闘が終わったとされる6月23日だが、この日に戦闘がピタッと止んだわけではない。最終命令の日付からも明らかなように、6月15日すぎには日本軍にはまともな抵抗能力がなくなっていた。戦闘は既に下火になっていたということ。

そして重要なのは、32軍司令部は米軍に対して降伏したわけでは決してなく、勝手に自殺して消滅しただけだということ。残存した日本兵は隠れて生活を続け、機会があれば米兵を襲撃し、反撃にあっては民間人を巻き添えにした。

こうした「散発的抵抗」は、日本兵が降伏を信じなかったために8月15日ですら終わらなかった。公式に「戦闘状態が終了」したのは9月初旬である。

司令部が勝手に崩壊して残存勢力が迷惑な武装集団になる現象は、フィリピンをはじめとする日本軍占領下の島々で、しばしば繰り返された。占領地に安全な基地を建設した米軍にはほとんど影響がなく、民間人に迷惑をかけ続けて彼らは生活した。

降伏宣言を出せない日本軍の無責任な臆病さが、この現象を頻発させた。

慰霊の日って、誰を慰霊すべき日なの? 全犠牲者を、というのはその通りなんだけど、この日に定めてるってことは焦点があるよね。主に誰を慰霊しているの?

ちなみに、戦略持久を無視した無理な総攻撃で兵力を失って首里失陥を早め、最終命令の最後に「諸子よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし(「捕虜にならずに死ぬんだよ」)」と書き足したのは、この日に牛島司令官とともに自決した長勇参謀長である。

えっ、こんなやつを「県民が」慰霊するの? 無能かつ義務を果たさない臆病な卑怯者を? 死んだ日を記念日にして? まじで?

するんですよ沖縄県民は。沖縄戦で死んだ全員を慰霊する日として定めたから。
馬鹿な参謀長どころか、県民を直接殺した米兵だって慰霊する。沖縄戦の犠牲者は全員慰霊する。これはそういう日なのです。

あーモヤモヤする。

しかし、そうしたモヤモヤ感を持つべき日、でもあるのかもしれない。

そしてこういうことを書いているうちに、南北戦争のリパブリック讃歌にある

As he died to make men holy,
let us die to make men free,
While God is marching on.

が思い起こされた。最後に勝つまで連戦連敗だった北軍の兵が負けてなお歌っていたことを昔アシモフのエッセイで読んで以来、おりに触れ蘇るフレーズ。

let us die to make men free. 人間を自由にするために死のう。

逆ではなく。

今日はそういう日です。