自転車とバイオリン

6月に連ツイでいいこと書いてたので、ブログにまとめておく。

6月5日

@kamosawa

鴨澤眞夫@kamosawa

何度か書いてる気もするけど,バイオリン始めて本当にたまげた,いまだに慣れない,覚悟の決まらないことは,あの音のすべてがマニュアル操作で実現されているということ。

posted at 16:45:37

   

6月5日

@kamosawa

鴨澤眞夫@kamosawa

さまざまな表情を持った音は「バイオリンを鳴らせば」「弾く人になれば」「正しいフォームで」「気持ちよく弾けば」「楽譜をちゃんと読み取れば」「曲に慣れれば」「流れに乗れば」自動的に出てくるのではなく,一音ごとに,その音を狙って弾けるようになる必要がある。
www.youtube.com/watch?v=NsWb5N

posted at 16:52:50

   

6月5日

@kamosawa

鴨澤眞夫@kamosawa

違った曲でも同じような音を狙う場面はもちろんたくさんあり,だから経験を積んだ人は初めて見た曲を自分の持っている音ですぐに弾けるということはあるわけだけど,その音は楽器が・伝統が・その人のスタイルが生む必然の音ではなく,その人が選んだ・狙って弾いてる音なんだよね。

posted at 17:02:16

   

6月5日

@kamosawa

鴨澤眞夫@kamosawa

そして,出したいその音が現状の自分に出すことができないものであるなら,普段の形を疑い,妨げになるものを特定し,運指の意識の優先順位を変えるなど,ありとあらゆる手段を使ってどうにか出した上で,反復練習で脳に回路を作る必要がある。

posted at 17:09:45

   

6月5日

@kamosawa

鴨澤眞夫@kamosawa

ここまで降りていって何かを実現する,という機会は大人の普通の生活にはぜんぜん存在しない気がするんだよね。ところがバイオリンレッスンでは,これがおおむね毎週求められる。

posted at 17:13:38

   

6月5日

@kamosawa

鴨澤眞夫@kamosawa

毎週毎週「自転車に乗れるようになる」のと同種の負荷をかけてるわけで(もちろん負荷そのものは自転車スキルよりずっと軽いけど),楽器は大人になってから習うと大変という話の本質はこれかなと思う。

posted at 17:20:38

   

6月5日

@kamosawa

鴨澤眞夫@kamosawa

んで,この「全部マニュアル操作ですやん!」という悲鳴は,自分がこれまで習熟してきたさまざまな分野になんとなく踏み込んできた人が発する不満と同質のものである感じがするのよね。

posted at 17:28:22

   

6月5日

@kamosawa

鴨澤眞夫@kamosawa

オレはそれらの不満に「あたりめーだろ何だと思ってやがったんだ」としか感じてこなかったし,バイオリンの先生もオレに「どうせ近道ないのに魔法みたいに出来ると思うな」と思ってるかもしれない。そしてあらゆる分野で大なり小なり同じことが起きてるのかもしれない。

posted at 17:34:18

   

6月5日

@kamosawa

鴨澤眞夫@kamosawa

だったら分野ごとの向き不向きのパラメータのひとつに「地道なマニュアル操作への納得のしやすさ」があるなー…と思う。

posted at 17:39:01

   

6月5日

@kamosawa

鴨澤眞夫@kamosawa

いや,オレはこのマニュアル操作的な地道なスキル構築を徹底的に避けてきた自覚があるんだけどさ。バイオリンでは絶対に避けられないようになってるの。

posted at 17:40:18

 


 

楽器だってコツを掴めばどうにかなる、と漠然と考えていたのに、ぜんぶ手動で覚える必要があって驚愕したという話から、手動部分があるのはどれも同じかも、と広げている。でも、いまは少し違ったことを考えている。

大人になると、みんな自分の確立したスタイルで仕事をする。「勉強」、つまり、それまで自分にできなかったことを克服してできるようにする活動のスタイルも、いつの間にか決まっているものだ。

勉強する分野が似ていれば、どこに勘所があるかは、ほとんど予想できる。オレの場合、本を読んで学ぶというアプローチが使える分野なら、分野の入門書を数冊ブラウズすれば、著者が何を本質と考えているかわかる。あとは要求レベルに従ってその場で学習するだけだ。

ところがぜんぜん違った分野には、これは当てはまらない。頭でっかちタイプのオレがバイオリンをやるというのは、「しっかり理解する」が大事な分野から「体に動作を覚え込ませる」が大事な分野への転換だ。

本から学べる分野では、その核となる本質的な考え方は何であるかを意識しながら、さまざまな本を見ていくだけで、筋道が大掴みに理解できてしまうというところがある。

オレはこれが得意なので、「やってみる」にためらいがない方だ。いろいろやってみても案外簡単にできるし、最近は難しいことを覚える力も上がってきたように感じるので、昔から興味のあった遠い分野への挑戦としてバイオリンを始めた。

ところがバイオリンの場合、漠然と本質を志向していても、誰もが意識する本質なんてものは存在しなかった。これはおそらく、多数の細かいスキルの集大成で「本質」が現出する部分がないことに加え、体の使い方に個別性が強く、その実現方法が人それぞれであるためだ(同じ身体的分野でも、スポーツの場合は、「これが出来なきゃ話にならない」そして「これさえしっかりしてれば格好がつく」という「本質」が存在し、その実現方法も決まっていることが多い)。

だから「本質は何かとアンテナを立てておく」という、オレの新分野へのいつものアプローチ方法を使うと、本質を外したあさっての方向に行ってしまうのである。

これはたいへん面白い。これまでのアプローチでは呑み込めない分野がある、というのもさることながら、手動で覚えるスキルの粒度と個数が違っているだけで、「これは自分には無理だ」と思いかねないのだ。

今回は自分のアプローチが通用しなかった個別事例だが、これには一般性がある。最初に慣れた分野が違っただけで、将来獲得できるスキル集合が変わるかもしれないのだ。最終的には、ものの考え方や生活のスタイルまでもが違ってくるかもしれない。人間は遺伝的な差異や獲得した考え方だけでなく、獲得スキルによっても別々の存在になっていくのかもしれない。初等教育における言語能力、みたいなとこにも繋がっているかも。