海軍料亭小松・訪問

前回に引き続き、現代に残る戦前の高級料亭・昭和史の生き証人・海軍と軍港の特殊文化の息づく場所、小松のことです。今回は2014年11月7日の訪問を写真でご紹介します。


小松の住所は横須賀市米が浜通2丁目15です。横須賀中央駅を海側に出ると、駅前を横切って左方に続く繁華な県道があります。この県道からもう一本、駅前で右方に枝分かれする大通りがあるので、こちらに入って100mほど進みます。すると右ななめ前に向かってきれいな繁華街の通りが分岐します。これが米が浜通で、横須賀の古くからのメインストリートのひとつです。500メートルほどのこの道を抜けると、今度は左ななめ後ろから、埋立地の海岸線にそって走ってきた片側二車線の国道16号線が合流します。ここで右折したところが小松です。


この国道は戦後の埋立地を走っています。現代的な大通りで、小松のすぐ前は歩道橋、向かいにはヤマダ電機などがあります。だから当時の小松の前は海でした。庭の前がすぐ砂浜で、沖につけた艦から、艦載艇(大型の軍艦は波止場には付けず、沖合のブイに係留した上で、乗組員の上陸は積んである小さめの船でおこなうことが多いです)で直接浜に乗りあげた長官もあったとか。訪れた客たちは、裏にいくつもあったという風呂に入り、そのまま座敷でくつろげるようになっていました。


私と野尻さんは小松の正面から見ると左側の裏の方にある「ホテル横須賀」から来たので、まずは裏の方から眺めました。二階建てながら巨大な木造建築です。

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裏にマンションが見えますが、これは大正12年に建った小松の最初の建物を解体したあとに建ったものであることを後で伺いました。また、この道はかつていくつもあったという風呂の位置にあたるはずです。


そんな話はまだ知らず、正面に回って左の小さい門から入りました。国道をさらに進めば右側の正門にあたったはずですが、それは中を通っていって初めてわかりました。

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小松は当初明治18年に横須賀・田戸(現在はもう少し内陸だけど当時は海岸沿い)に開業し、大正12年にこの米が浜に移りました。その時のオリジナルの建物に対し、大正14年に玄関部分を、昭和8年に現在残る建物を増築し、全体でコの字形の構えが完成しました。左右の長方形の建物を、中央の玄関部が繋ぐ形です。右のウィングが当初の建物(現在はマンション)、左のウィングが現在の客室です。


玄関で靴を脱ぎます。ここでわたしは左の離れたところにある下駄箱に自分で入れて、土間を靴下で歩いて上がりましたが、おそらく士官はそんなことしない。靴を脱いだままにしておくのが本当だと思います。この玄関部分は大正14年の建物の残る部分です。
スリッパを履き、玄関から左に短い廊下を進みます。

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廊下のつきあたり、左ウィングの付け根のところには洋間の応接間があり、まずはこちらに案内されます。青山さんと有馬さんは先に着いて取材しておられました。室内には、どっしりした古いテーブルに六灯の白熱電球照明。まわりの壁には歴代海軍・海上自衛隊にまつわる写真、色紙や、「ゆきかぜ」の舵輪、揮毫を写真に起こしたものなど、さまざまなものが飾られています。

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お茶を頂きながら少し話していると、準備が整ったとのことで、応接間を出て右の廊下に進み、まずは楓の間という小部屋に案内されました。

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四畳半ほどの狭い座敷で、長官たちが飲んでいるあいだ、お付きの方々が待機していたという部屋でした。


壁には五枚の掛軸が掛かっています。右から東郷平八郎、上村彦之丞、鈴木貫太郎、米内光政、山本五十六のもの。

上村彦之丞は日露戦争当時の第二艦隊司令長官で、短気で喧嘩っ早くて酒豪、兵学校最下位卒業ながら最後は大将に進み、日本海海戦では東郷平八郎の判断ミスを救ってバルチック艦隊にとどめを刺す大活躍という、ジャンプの漫画みたいな人物です。

鈴木、米内、山本は二・二六事件で撃たれたり三国同盟に強硬に反対したりした人たち。海軍左派または条約派といいます。

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三代目による解説


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東郷平八郎の書


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上村彦之丞の書


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鈴木貫太郎の書


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米内光政の書


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山本五十六の書


これらの上の鴨居には岡田啓介の扁額が掲げられていました。

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揮毫の見学のあと、いよいよ隣(玄関から見て奥)にある紅葉の間に案内されます。ここが「長官部屋」です。

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広さは八畳。障子を開けると縁側になっており、庭に続いています。当時はすぐ海です。床の間には見事な花活け、掛軸。座卓は掘りごたつです。

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こちらに控える現女将に、主に建物のことや戦後のことを伺いました。さきほど揮毫の解説をしてくださったのが三代目、こちらでお話を聞かせて下さったのは四代目になります。

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それではまずは突き出しにビールです。ビールは以前フィンランドで造られていたAmiraali、"世界の提督ビール"の東郷平八郎バージョンで、いまは日本麦酒が製造しています。お土産として別に二本頼んで持ち帰りました。

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絢爛な料理の数々

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蕪にほどこされた細工がまたすごい。
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実は最初に入ったときに、うろうろ写真を撮ったりしているうちにみんなが下座に座ってしまい、譲り合いのやり取りも面倒だったので、腹を決めて床柱を背にした一番いい席に座ってしまいました。つまり私の座っている席こそ、おそらく歴代長官が座っていた場所です。というわけで、山本五十六視点の写真を:

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山本五十六は下戸だったので、盃があるのは少し不自然ですかね。
デザートです。

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縁側から想像上の海を眺めます。
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食後は中を見学させていただきました。

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当時の女将、山本直枝さんの夫の実家は材木商で、それぞれの部屋の床柱や落とし掛け(床の間の上の柱)にはさまざまな素晴らしい材が使われています。昭和8年の建物なので築80年以上にもなるのに、壁の崩れや立て付けの不具合がまったく出ていないのにも驚きました。さすが宮大工が普請したというだけあります。



二階に上がります。

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ガラスも当時のままだそうです。板ガラスの製法が現在とは異なっており、すこし波打った感じになっているのがわかるでしょうか。
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大広間です。広さが八十八畳なのは、この増築部分が山本直枝さんの喜寿のお祝いとして造られたためです。

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こちらは最大で二百人ほどの宴会ができるそうです。つまり平均体重60kgとしても12トン、耐荷重では3、40トンあるかもしれません。素人目で見ても、二階にこれほどの大広間を作り、床が抜けないように階下に十分な柱を配し、それでも一階の使い勝手を悪くしていない木造建築、というのは異例に感じます。以前は柔道協会もよく使用していたとか。


床柱です。この巨大さで、なんと紫檀
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欄間はかなり厚手の掘り抜きです。
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階段の手すりは大理石です。
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玄関にはおのおのの靴と靴べらが用意されていました。
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こうしてわれわれは三時間ほどの訪問を終えて小松を辞しましたが、見学中に営業時間を伺ったところ、終業は決まっておらず、お客次第であるとのこと…えーっと、つまり、もっと長々と居ても良かったってこと!?


訪れたメンバーみんなが現代的に貧乏めの物書きで場馴れしていなかったのが災いしました。われわれはこのような高級料亭の本来の客ではなく、勝手がわかってないのです。


それでも旅費と宿泊費用をかけて来るだけの価値があると感じた歴史エンターテイメント、それが小松です。次回こそもうちょっと腰を落ち着けて、さらにいろいろな物を見たり、リアルな歴史体験を重ねるべく、いずれ再訪したいと思いました。


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ブログに載せなかった写真を含め、今回の訪問の全写真をこちらにアップしています。
紹介しなかった額などの写真もあるので、よろしければご覧ください。