ご自由にお持ちください

再生ダンボール素材を使った原価9ドルの自転車が出来たみたい。盗む必要がないほど安い、という考案者の言葉は少し違うと思うけど、盗まれてもあまり痛手ではないほどには安い。


物が安くなっていくと何が起きるか。まずは気軽に買われるようになる。コストとベネフィットのバランスがベネフィット側に傾けば需要が増えるということ。そして、他のことに転用されたり簡単に捨てられたりしやすくなる。アイテムの貴重さは同種のアイテムのなかでの位置づけに依存するので、たとえ品質を落とさずに低価格化したものでも大事にはされない。


自転車がそのような商品になってから実は結構長く、上の自転車も記事のように売価が60ドルから90ドルであれば、これまでの自転車より圧倒的に安いというわけではない。


とはいうものの、需要があれば価格は必ず低下する。これは量産効果やコスト低減のイノベーションが進むこと、競合によりプレミアムがはげ落ちていくことの両面から起きるので、水が低きに流れるのと同じくらい確か。売価は現在の原価である9ドルを超えて下落し、将来的には一台500円くらいになるかもしれない。


自転車がここまで安くなると、無料に近い貸し自転車ができるかもしれない。これは、豊富に供給しておおざっぱに管理し、無くなったり壊れたものはどんどん入れ替える手法が使えるようになるから。こんなことを考えるのは、沖縄の海洋博公園でやっている鷹揚な傘の貸出システムを見ているから。

美ら海水族館の傘

美ら海水族館のある海洋博公園の敷地は非常に広く、水族館、マナティ館、ウミガメ館、オキちゃん劇場、さらには海洋文化館(とそのプラネタリウム)、熱帯植物園といった施設が点在している。水族館に一番近い駐車場から入り、水族館からオキちゃん劇場までしか見ないようなコア部分だけの観光でもオープンスペースを数百メートル歩く必要があり、雨が降ったら傘が欲しい。


そこで海洋博公園は、2000年代後半(2007年頃?)から敷地全体にまたがる傘の無料貸し出しを行なっている。駐車場にも正門にも水族館などの施設の出入口にも配布と回収の傘立てがあり、きれいな透明白のビニール傘が大量に置いてある。傘の貸し出し所というイメージはなく、同じ傘がずらっと並んだ大きめの傘立てが雨の日に出てくるだけ。ほとんどは無人で、水族館出口のような場所にだけ、どうぞ持って行ってください、と声をかけるために人が配置される。


無料貸与の傘によくあるような、古びたものを無理やり使っている状態ではなく、足りなくなってることもない。サインなども一切不要。真新しい傘を持って行き放題ということ。


これに必要な傘の数を概算してみる。美ら海水族館の入館者状況によると、入館者の平均は23年度の8月平日が10151人、土日祝日が9085人。(ちなみに年間の入館者数はここ数年非常に増加して年間300万人を超えてるけど、これは1日8千人強ということであり、ハイシーズンでも何倍にもなるわけでなく、かなり平準化していると言える。)ピークのお昼ごろには1700人程度が入館していることがわかる。この人数で一斉に使うとすると、駐車場と水族館出口にはそれぞれ人数分が必要で、予備に1代わり分程度必要として、5000本くらいか。


損耗率を1日5%とする。沖縄県の雨日数は気象庁観測部「気象庁年報」を引いてるページによれば2008年で114日、総務省統計局 『社会・人口統計体系』 (2008)を引いてるページによれば142日(年度不明)。大きく見積もって150日なら7回半入れ替わるので、年間5000x7.5=37500本ということになる。


これにかかるコストはというと、ビニール傘は国内の安い卸で一本あたり80円程度なので、中国から直に何千本という単位で買えば50円以下になるはず。この場合の1年の傘代は187万5千円。お役所仕事補正をかけて1本200円くらい出していたとした場合750万円。この程度のコストだとハンドリングの人件費の方がずっと多くなるものだけど、あまり管理してないので専業でたくさん雇う必要はない。雨日を150日、労働強化量を最大10人/日、バイト一人あたりの人件費を年間300万円とすると、300x10x0.4=1232。合計で多くて年間2000万円程度。これを入館者数の300万で割ると6.7円程度となる。傘の単価を200円と置いたので、3.3%程度の「雨保険」を払って利用していると考えることができる。


事業者側としては結構なコストになるんじゃない?とも感じられるけど、あそこは入場者数が300万人を超える人気施設。入場料は大人定価の1800円から子供"4時からチケット"の420円まで幅があるけど、グッズや飲食の収入もかなり大きいので、客単価で2000円といったところか。つまり2000x300万=60億程度の売上があり、利益も十分に上がっているので、予算全体から見れば0.何%かになり、負担は小さい。傘の使い放題というのは体験するとずいぶんホスピタリティの演出に役立つというか、すっかり気に入ってしまうサービスなので、宣伝費と考えても高くはない感じ。*1


そしてこうした方法は、傘の単価が安いものだから可能なことだ。損耗率は管理を努力すればある程度までは楽に下がるけど、一定よりも下に保とうとすると急速に手間がかかる(=人件費が増える)ようになるから。たとえばいま5%の損耗率を半分にするのにこれまでの2倍の人件費がかかるとすると、200円の傘の場合:


損耗率2.5%: (傘: 5000x3.75x200で) 375万円 + (人件費:1232x2で) 2464万円 = 2839万円
損耗率5%: (傘:5000x7.5x200で) 750万円 + (人件費)1232万円 = 1982万円

となり857万円の損。総コストはほとんど1.5倍。
でも1000円の傘となると:

損耗率2.5%: 1875万円 + 2464万円 = 4339万円
損耗率5%: 3750万円 + 1232万円 = 4982万円

となって643万円の得。そして総コストは4982万→4339万に改善する。

ちなみに人件費を半分にして損耗率を5%から10%とした場合(同じコストカーブになるかどうかは怪しいけど、まあ仮定)、1本200円なら134万円の損、1000円なら3134万円の損でコストが8千万円ほどになる。単価が高ければ、手間をかければ損耗率が下がり、損耗率の悪化はそのままコストに響くという、いうなれば「普通の」コスト構造に戻ってしまう。傘で無理にそれをやれば、無くしたりすることに非常に敏感な、ギスギスした文化が出来上がるかんじ。

自転車の場合

自転車は限られた場所で乗るものではなく移動手段なので、返すインセンティブが無ければすぐに一台もなくなってしまう。とはいえ強力に管理したとしてもある程度の損耗は不可避。


返却を確実にするインセンティブ設計のひとつにデポジット制がある。借りる際にいくらかの供託金を預け、返却時に返金するというもの。


しかしこれをあまり確実にしようとしてデポジット額を上げすぎると、利用者にとっては初期投資が大きくなり、傷など付けて文句を言われては、と萎縮して利便性が小さくなるので、利用者数を稼げなくなる。


1台あたりの管理コストは利用者総数に反比例する。利用者数を増やそうとデポジットを低額にすると、必然的に返却率が下がる。返却率が下がれば貸し出し物の価格に応じた損耗コストが発生する。つまり、利用者数を稼いで管理コストを薄く分散し、しかも損耗コストを低く抑えたい場合、1台あたりの価格が安いことが必要になる。そして500円の自転車があれば、非常に安価で柔軟な料金体系が可能になる。貸出料100円、デポジット200円なら、3回以上で元が取れる。


これだと放置が増えそうなので、貸し出しの手続きを簡素化し、デポジットの返金を誰に対しても行えるようにすることで、第三者が回収してデポジットで費用を取り戻すようにしてみよう。これについてもデポジットが高額だとデポジット狙いで盗まれたりするので、貸し出し・返却が出来る場所を増やす必要があるかもしれない。とはいえこれは管理コストの増大を意味するので、ここにどれだけ費用がかけられるかは実証が必要なかんじ。


ところで現状の東京での自転車利用の実態を見ると、管理コストは今の試算なんかぶっちぎって非常に高い。


東京都の資料、「「駅前放置自転車の現況と対策―平成23年度調査―」について 調査結果の概要」によると、自転車の乗り入れ台数がもっとも多いのは三鷹駅の12,018台とのこと。この三鷹駅武蔵野市のページによれば、放置自転車は即時・即日撤去となっているので、周辺住民は放置しない環境と考えられる。JR東日本の「各駅の乗車人員」によれば三鷹駅の乗車人員は平均89,295人なので、13.5%程度の人が自転車を利用して駅に来るということになる。


三鷹駅の駐輪場のコストは、一例として「北口自転車駐車場」の場合で1日1回100円、定期なら半年間3300円(学生、屋上)〜10800円(一般、1階と地下1階)であり、他の駐輪場も大差ない。一人あたり年間6600円から21600円で、ここには738台の自転車が入るので、少なくとも年間600万円程度の売上はあることになる。


これほど多くの人がこれほど高い利用率で使っているというのに、ちゃんと管理された駐輪場とはこれほど高価なものだとは。一台ずつの区別をする必要すらない簡単な管理であれば、もっと思い切り価格を下げた上で、一般商店やコンビニなどに委託して貸し出し・返却を可能にするなど、小規模な分散管理の費用をまかなえるかもしれない。

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ここのところ「物を所有せず利用する」というスタイルがいろいろ考案されているのは少し不思議な気がする。計算能力が安くなり、緻密で安い管理ができるようになったことは確かだけど、工業製品の価格低下も進んでいるので何かを使ってみる費用は安くなっているし、所有しないことに熱心なのはお金に不自由な庶民というよりむしろお金持ちの側に見える。


ひとつ思いつくのは、ものに縛られない自由を多くの人が求めるようになったということ。もうひとつは、より寛大に、より気前よく振る舞うシステムを構築して、自分以外にもそうした自由を与えたいという心意気。新しいスタイルで考えなおすことで新しいアイディアが出ることも多いので、それが楽しいという面もあるとは思う。でも、個人の力を増大し、みんなに自由を与える動きなのだという勘のようなものが働いているような気がしてならない。

おまけ: ザトウクジラ召喚

ちゅら海に行ったらガチャガチャやらんとね。

*1:海洋博覧会記念公園管理財団の情報公開資料を見ると、首里城公園と合計で100億円程度の売上となっていたので、上の試算は当たらずしも遠からずだろう