消費減税って失業者にはあんまり意味がないよね

消費税の減税を「コロナ対策下の適切な経済政策」のように唱えている人は随分いるけど、なんだか的を外してる気がしてる。

消費税減税が効くのは購買意欲に対してだ。ところが今後の推移を考えると、購買意欲の有無に関わらず、最低限の消費しかできない人が多数出る。なんの落ち度もない人たちが不幸になることを防ぐために社会システムはあるので、これは救済すべきだ。また社会不安はコロナ対策を失敗に追い込みかねない。

この状況に対処できる政策が必要であり、それはベーシックインカムだよね。というのがこのエントリの趣旨である。消費減税どこいった、という感じだけど、書いてたらこうなった。

COVID-19対策の影響

コロナウイルス疾患COVID-19には、医療崩壊を非常に招きやすいという危険性があり、現在有効な対策は封じ込めのみである。

この状況は、a. 治療薬またはワクチンができるか、b. 重症患者を治療できる医療資源が飛躍的に増えるかしない限り、集団免疫が獲得できるまで続く。

医療崩壊を起こさない感染数では、集団免疫の獲得に非常に時間がかかるので、実質的には治療薬やワクチンができるまで封じ込め策を続ける必要がある。期間は早くて1年半以上が見込まれている。

封じ込め策は産業に大きな影響を与える。1年以上続く封鎖は観光や旅客運輸セクターを壊滅する。興行は費用構造が悪化する。産業構造で言えば、一次産業には小さな影響しかないが、二次産業は需要低下によって甚大な被害を被る。三次産業はまちまちで、ここには通販、物流など業績が上向くことが期待されるセクターもある。

資産価値の毀損も甚大になる。業績不振による株価低迷、商品相場低迷によって高レバレッジファンドが破綻し始めている。これに端を発する信用収縮の影響は甚大である。また不動産については、テナント撤退による利回り価値の低下も深刻になることが予想される。堅実なのはゴールドくらいであろうか。

ライフスタイルは変わる。これほど長期にわたって生活が変化すると、その少なくとも一部が社会に定着する。特に社会の不合理によって普及が妨げられていた生産性向上策(リモートワークなど)は、コロナ対策が終わっても元には戻らない。

個人に対する影響は大きい。まず産業が破壊されるため、多数の失業者が出る。これは既に観光バス運転手の大量失業といった形で実現してしまっているが、労働需要そのものが減少するため、社会に広く広がるものと予想される。

社会不安は大きい。失業、生活不安、感染不安、移動の不自由はすべてストレスを増大させる。しかも出口はなかなか見えない。

これはコロナ対策を失敗しやすくする。自暴自棄に出歩く「無敵の人」は一定の割合で出現するだろう。そこまで行かずとも、社会にうっすらと悪意を持つ人の数は増えるだろう。これはストレスに対する正常な反応であるからだ。そもそも悪意がなくとも、長期間のストレスに耐えられなくなる人は多数出るだろう。ところがコロナ対策に重要なのは、社会のすみずみまでの協力である。対策なしにうまくいくとは考えにくい。

経済政策は、上記のすべて、あるいは可能な限り多くの項目に対処できるのが望ましい。

消費減税の効果

収入を奪われ、先行きも見えない人が、消費税分が割引かれたくらいで物を買うようにはなるとは考えにくい。むしろ消費を常に最小限に抑え、少しでも余裕があれば貯金するという行動が自然になる。

つまり消費行動の大きな部分について、消費減税は意味を持たない。

仕事の激減が常識となると、消費減税で消費を増やすことができるのは、すでに財を成した者だけだ。人里離れた田舎の別荘や、東京在住者の自家用車所有は増大するだろう。税収がある程度補われることが期待できるだろう。

しかしこれは産業全体にとって、非常に小さな意味しかない。

消費減税がいま社会に必要なこととは思えない。

他の政策は?

生活を成り立たせるだけなら、生活保護の拡充も有効だろう。たとえば申請を簡単にしておくとよいかもしれない。

しかし生活保護をメインの経済対策に据えることはできない。これは大部分の人には使いにくく、事務コストも大きく、産業変化のポジティブな面を損なうことが予想されるからだ。

生活保護は裁量が大きく、減額されることが多い。収入があればその分を差し引かれるだけではない。予想外の基準を適用されることで必要な行動がとれなくなる話もよくあるのだ(進学・奨学金などでよく聞く)。

社会的に低く見られる面もあるため、忌避感も強い。生活保護の利用者が減るのは良いことだと考える者もあるが、需要を追加するための経済政策の執行規模が小さくなるのだから、これは悪いことである。

また、労働への逆インセンティブも大きい。収入分は差し引かれるので、働かない方が得なのだ。

産業構造が変化するなら局所的には労働需要が生ずるものだが、この逆インセンティブがあると、新産業への労働移転を減らしてしまう。これは新産業の生産性に悪影響を及ぼす。

そして事務コストの大きさの影響も無視できない。過剰な事務コストは、日本では「自治体公務員の過労」という形で出る。ただでさえ足りない現場の余力を取られるのは望ましくない。

生活保護はコロナ下で失業が大きく増えた場合にも経済政策の柱にはなりえないだろう。全体的に筋が悪いのだ。

 

経済対策として必要なのは、まず第一に生活が成り立つようにすることだ。しかしそれだけではなく、先行きの不安をなくすことも必要だ。人間は心が出した予想で動くものであり、先行きに不安がなければ今を平穏に過ごすことができるからだ。

やっぱベーシックインカムだよね 

この状況にもっともよくフィットする経済政策はベーシックインカムである。

ベーシックインカムは、最低限の生活費を全員に支給する政策だ。実装方法はいろいろ考えられているが、オレは給付付き税額控除(負の所得税)が良いだろうと考えている。これは一定額を給付しつつ、所得税の計算においてはこの額を収入に合算する、というものだ。このようにすると、非課税世帯には給付額の100%を、課税世帯では所得税率を減じた額を給付するのと同じ効果がある。(フリードマンが最初に提唱したアイディアは固定所得税率と併用した給付だが、ここでは累進課税を維持したバージョンを使う。)

ベーシックインカムには次のような作用がある:

  1. 最低限の生活が成り立つ
  2. 収入が絶える心配がなくなる
  3. 以上を労働意欲を削がずに達成する

まさに生活の保証と先行き不安の解消に効いてる上に、産業の変化を後押しするではないか。

 

1.は社会不安によく効く。鬱に一番よく効く薬は現金だ、といわれるくらい、生活資金の不安は心に悪い。これを緩和することは、社会の活力を保ち、犯罪率を下げるのに非常に有効だろう。

また、現金を補って社会を明るくすることは、防疫措置としても有効である。感染爆発を防ぐには長い封鎖が必要だが、人間の普通の心はこれに耐えられない。

この封じ込めが成功するには、社会の広い協力が欠かせない。「国は何もしてくれない」と思う人が出ては駄目で、全員に「あなたを見捨てませんよ」というメッセージを出す必要がある(もちろん「メッセージを出す」とは口だけで良さげなことを言うことではなく、行動でその意志を伝えることを指す)。

お金を配ることは、不安を取り除くだけでなく、協力を促す強いメッセージになる。

コロナ対策の成否を金銭的価値に換算することは容易ではないが、リスク学は損失余命に換算することでリスクを定量化し、比較することを可能にしている。

リスク学分野の長老、中西準子氏の『環境リスク論』(1995年岩波書店)ではこれを水銀リスクの排除を例に取って論じているが、カセイソーダ製造工程のそれ(がん等量1人あたり200億円)と乾電池のそれ(同2.5億円)を比較し、「大体今のわが国の環境対策として妥当なレベルは、一発がんリスク等量削減の費用が数億円以下ということになろう。」としている。ここで「がん等量」とは、10年間の余命損失を指す言葉である。

新コロナウィルスの重症リスク、死亡リスク、人口に占める割合はすべて高齢者が大きいので、死者を高齢者(死亡時の損失余命平均15年、人口に対する割合0.5)、中年者(損失余命平均35年、人口に対する割合0.4)、若年者(損失余命平均55年、人口に対する割合0.1)と仮に重み付けしてみると、全体の平均損失余命は27年、がん等量の2.7倍である。妥当とされる「数億円(時代が進んだことによる命の価値の増加は考慮しないものとしている)」を、安く済んだ乾電池の1人等量2.5億円より少しおおきく3億円で代表すると、新コロナウィルスにおける1人あたりの妥当な対策費用は、3x2.7=8.1億円ということになる。

というわけで、コロナ対策の成否にたとえば10万人の追加死亡がかかっているとした場合、妥当な対策費用は 10万 x 8.1億 = 81兆円 である。人口あたりで見ると、各国の対策規模はこれより大きいが、この規模の対策が妥当と考えられていることに得心が行く。

 

2.の「収入が絶える心配がなくなる」は、1.の生活保証の効果を増強する。また、産業振興の文脈が持たせられる。

これは、収入の見通しがついていれば、貯金を使い切ってもよいことを納得できることによる。不要不急なもの、あるいは、不要不急とされているが実は不可欠なものに、お金が使えるのだ。

FORTUNE500の経時変化を紐解くまでもなく、21世紀は不要不急こそが主要産業だ。数年間の防疫のために、これを潰すことがあってはならない。

生活不安のあるとき、癒やしはもっとも必要でありながら、もっとも諦められやすいものだ。収入が保証されていれば、癒やしにお金を使うこともできる。心の安定に大きな効果があるだろう。

それだけではない。先行きの保証があれば、個人のクリエーターも安心して自分の世界に打ち込むことができるようになる。これは将来に渡って大きな財産になるだろう。

生活の見通しが立っていれば需要にも供給にも良い影響をもたらす、ということだ。

 

3.の逆インセンティブ防止は、ちょっとわかりにくいかもしれない。これは追加の収入にあっても、実質給付がほとんど減らないことによる。(額面給付に至っては収入に関わらず一定だ。)

No.2260 所得税の税率|所得税|国税庁 によると、所得区分ごとの所得税率は以下の通りである:

所得税の速算表
課税される所得金額 税率 控除額
195万円以下 5% 0円
195万円を超え 330万円以下 10% 97,500円
330万円を超え 695万円以下 20% 427,500円
695万円を超え 900万円以下 23% 636,000円
900万円を超え 1,800万円以下 33% 1,536,000円
1,800万円を超え4,000万円以下 40% 2,796,000円
4,000万円超 45% 4,796,000円

これは控除後の所得による表なので、ベーシックインカムがあればそのまま加えることができる。

まず表にはないが、収入が103万円以下であれば非課税となるので、60万円を差し引いた43万円以下の年収しかない人は60万円をそのまま受け取ることになる。

所得が4000万円超であれば、所得の4000万円を超える部分に対して45%の税率が課される。60万円の給付は55%である33万円と同じことだ。ここまでは簡単だろう。

それでは収入が増える場合を考えてみよう。

所得110万円の人が60万円の給付を受けて所得170万円になるとき、そこにかかる税率は5%なので、実質的には57万円の給付を受けたことになる。

この人が翌年に収入を増やし、150万円の所得があったとする。増えた収入は40万円。給付の60万円を足し合わせた合計額は210万円だ。この場合、給付のうち45万円分には税率5%が、15万円には10%が適用される。すなわち実質給付は45*0.95+15*0.9=42.75+13.5=56.25万円の給付だ。実質の給付は7500円減るだけである(額面の給付は60万円のままだ)。

これはもっと大きな変化でも、小さな変化でも同じだ。実質給付額は逓減するが、収入を増やす努力は常に正しく収入を増やす。これなら労働意欲をくじくことがない。

労働に対する逆インセンティブがないことは生活保護に対する大きなアドバンテージである。新規の労働が給付を大きく減らすことがないので、労働市場への副作用を小さくしてくれるのだ。また、「生活を保証すると怠ける」などといった声に反論することもできる。

バラ色?

ベーシックインカムと同じくらい優れた副作用を持つ予算措置をオレは知らない。減税よりも、生活保護よりも、もちろん株価の維持よりも、ずっと有効だと思う。

もちろん、この政策のコストは巨大である。国民一人当たり年間60万円を支払えば、年間75兆円くらいかかる。コロナ対策には81兆円以上の支出が妥当であるとしても、丹念では意味がない。収入見通しを明るくしないベーシックインカムは、あまりお得ではないかもしれないのだ。また、年金などの社会保障制度を統合するなどの案はすべて強烈な反対を受けるだろう。苦難の道だ。

しかし今回の新コロナ防疫は社会を変える。コストはいずれにしてもかかるし、小出しに逐次投入すれば、あっというまに数百億になるだろう。

オレはベーシックインカムが一番合理的だと思う。賛同者が増えることを期待したい。

COVID-19の怖さがわかりにくいと気づいてから考えたこと

違和感の始まりはちきりんさんのこのエントリだった:

chikirin.hatenablog.com

内容をまとめると、

  • まだ死者の多くない新コロでここまで心配するのが不思議だった
  • 専門家の中に警鐘を鳴らす人がいることがわかってきた
  • 専門家が言うんだから本当に危ないんだろうと結論づけた

という趣旨だ。

オレが不思議に思ったのは、これほど聡明な人が、危険性を自分で理解せずに、専門家が言ってるんだから危ないはず、を結論としていることだった。

ちきりんさんは毀誉褒貶あるけど、自分の見たことを材料によくよく考え、普通の人が見えないところまで見てくる点では間違いがない。各種の統計や株式・商品市況のデータをきちんと見るだけでなく、店舗に足を運び、テレビにまとめられた情報の裏側を推察し(テレビは基本的に良質な情報を集めてくる。集めた情報を「馬鹿な人向け」にまとめ直してしまうだけだ)、最終的に自分の肚に落ちたストーリーとして語る人だ。

そんな書き手が、人任せの理解で「どうやら危ないらしいです」と言っている。これはけっこうな違和感だ。だって自分は、理解がそれほど難しい話だとは思っていなかったから。

普通に見れば、COVID-19がインフルエンザより危険な点は明白だ。

  • (インフル同様)悪くなれば死ぬのに加え
  • 基礎免疫がないので感染の広がりが速く
  • このため重症者が医療資源の容量を超え、あふれた患者が死ぬ

である。

ところが細部に立ち入ってみると、これが案外と説明しにくかった。友人と話し合ってみて気がついたのだが、インフルエンザとの差異は、実は非常に微妙なところにある。聡明な人が丸投げみたいなことをするのも当然のことだ。

オレも疫学は素人だけど、生物学を学んだ者の中では数学に忌避感がない方ではあるので(得意とは言ってないw)、自分の理解の範囲で解説を試みてみよう。

新型インフルエンザとの違い

それでは考えてみてほしい。たとえば新型インフルエンザ(2009年のH1N1など)と比べた場合、COVID-19は何が違っているのだろう。

みんなが免疫を持たない点は同じだ。致死率は同じか、少し高い程度だ。基礎免疫がなく広がりやすい点も同じ。感染力(基本再生算数)はインフルエンザのほうが大きいくらいである。要するに、同じようなものに見える。

ところが実際にはCOVID-19の方が、新型インフルエンザよりもずっと医療崩壊を起こしやすいと認識され、だから恐れられている。これはなぜだろう。

「より医療崩壊を起こしやすい」理由として、オレが考えつくのは次の3点だ:

  1. 軽症・無症状の割合が高いため、基本再生算数の分散varianceが大きい(ただし極端に大きくはない)
  2. 治療薬がないため、重症化率を下げることができない
  3. ひとたび重症化した患者は医療資源を長期間(2-4週と言われている)専有する

1.は専門家会議がアナウンスして批判された「若者は特に注意してくれ」にまつわる話だ。あの説明では批判はあって当然かも知れないが、彼らは正しいことを言っていた。

危険の本質は、高い割合で存在する無症状者に感染性があることだ。

基本再生産数とは、1人の感染者が何人の二次感染者を出すかを表現する値である。これは病原体の特性である程度決まるが、状況や人々の行動によっても変化する。

この値は、多数の症例を1つの値で代表した「一人あたりの平均値」である。分散とは、複数の値を代表する平均値があったとき、個々の値が平均値からどれくらい外れているかを示した値である。

感染症の基本生産数の分散が大きい、というのはオレの独自表現だが、たぶんプロにも通じるだろう。これは患者の誰もが同じくらいの二次感染者を出すのではなく、大多数の患者が以後の感染をまったく引き起こさないのに対し、二次感染を繰り返し起こすような患者が存在する、ということである。

こう書くと「スーパースパレッダー」の話かと思うだろうが、そうではない。スーパースプレッダーとは「病原体の特性から普通には考えられないほど多くの他者に感染させた患者を数学的に定義したもの」であり、こうした患者・状況が存在すると、分散はとても大きくなる。COVID-19の場合、スーパースプレッダーの存在はあまり言われていない。

そうではなく、通常の2次感染者数の期待値の範囲の中で、「比較的多数を感染させる患者」が「数多く」存在しうるのである。これは特定しにくいという点で、スーパースプレッダーよりも怖いかもしれない。女王アリが1匹の種よりも複数女王が分散する種のほうが駆除しにくいのと同じだ。

 

2.は過去の、あるいは手遅れになったインフルエンザと同様の危険性だ。COVID-19では「重症化=(インフルエンザにおける)手遅れ」なのである。これがあるので、ICUに入りうる患者の割合は高く保たれる。これは3.とも関わって危険性を増大する。

 

3.はターンアラウンドの問題だ。

たとえば、重症化してICU入りする患者が1日100人出る病気があるとする。患者がICUを出られるようになるまでの期間が平均で3日であれば、その地域のICUベッド数は300で(ギリギリだが)足りる。ところがこの平均値が4日であれば、ICUベッド数は400必要になる。300しか無ければ、あふれだ患者(400-300=100)は全部死ぬ。4日目ごとに100人死ぬので、1日あたり平均値では100/4=25人ずつ死ぬ。5日かかるなら4日目と5日目に100人ずつ死ぬので、200/5=40人ずつ死ぬ。これは"(患者発生数-ベッド数)/回復日数"という式で表現できる。

(もちろんこれは非常に単純化したモデルですべてが不正確だ。たとえば患者の回復は確率的事象だ。しかし人数レベルに着目したとき起きる結果に大きな違いはない。)

平均20日かかるのであれば、(2000-300)/20=85で約85%が死ぬ。

しかもこれは重症化する患者数が100という一定値の場合である。感染症において、人口の大部分が免疫を持たない段階の場合、患者数は指数関数(e^at)*n(nは基本再生算数R0を項とした値、tは日数、nは初期患者数)で増え、それに比例した重症者が出る。掛け算に足し算で対抗するようなものだというか、さらに大幅に分が悪い。

それぞれの要因への対策

COVID-19に特有の危険を述べた。

  1. 基本生産数の分散が大きい
  2. 重症化率を下げる方法がない
  3. 重症期間が長い

このうちいま現在できることは1.の基本生産数への介入だけである:

  • 接触を避ける
  • 消毒を徹底する(手洗い・ドアノブ拭いなど)

といったことだ。なんだそれだけかよ、という感じだが、よく言われるように、われわれに出来ることはそれほど多くない。

ところが、無症状感染の割合が高いことを前提にすると、もうひとつあるのに気がついた:

  • (自分が感染を起こしていという前提で)マスクを常用する

である。日本人が「エビデンスがない」と言われながらも儀式のように続けてきたマスクが、実は爆発的流行を止めているかもしれないのだ。びっくりだ。

しかしこれは無症状感染からの二次感染の予防措置として非常に有効であろう。マスクは感染者からの二次感染の防止にこそ有効な手段だからである。

(現在の日本の流行レベルの低さを説明できる要因って、ほとんどこれくらいしかないように思うのだが、いかがだろうか。)

 

2.の重症化率については治療薬待ちである。大急ぎで進められているが、治験プロセスに不可欠な時間もあるので、これには1年はかかるだろう。

治療薬ができると、感染しても重症化を防げるので、危険性は大きく減る。そうすると対策がおろそかになって感染者数は増えるだろうが、それにより起きるのは集団免疫の獲得だ。

これがもっとも本質的な対策となる。1.の基本生産数への介入は、ワクチンがなければ経済への悪影響を伴うので、無限に続けることはできない。「薬ができるまでの辛抱だ」が合言葉になるだろう。

 

3.の重症期間を短縮にもっとも有効なのも治療薬である。ただし他の対策として、ICUベッド数で表現していた「医療資源」を増やすという手がある。

たとえば、現在は数が少なく管理に専門家が必要で増やすことが出来ないと考えられている人工呼吸器を、どうにかして増やすというのが考えられる。

つまり、a. だれにでも簡単に使える機器に代替し b. 量産する ということだ。

これは「呼吸管理の専門家を急造してあとで冷遇する」よりずっとよいように思う。

こうしたゲームチェンジングな対策を日本人はたいへん苦手なのだが、きっとどこかで起きることなので、日本でもやっておくとよいだろう。

まとめ

このウィルスの危険性の細部は、危険性を理解しているつもりの人にさえわかりにくい。

「COVID-19は確かに非常に危険である」と捉えていた(プロを除く)人たちの多くが、医療崩壊を引き起こすこのウィルスの特性を明確には意識していなかったように思う。

たとえば、集団免疫を獲得するまで感染を低いレベルで抑えれば数ヶ月で片がつくという、いわゆる"flatten the curve"が成立すると思った人は、オレを含めて全員、その時点では、このウィルス独特の危険性を正しく認識していなかったことが明らかだ。

このウィルスは勘違いを起こしやすい。そして勘違いして対策を緩めると、予想外の(指数関数的な)患者数増加により多数の死者が出る。これが共有すべきストーリーだ。

なかなか難儀なことだが、薬ができれば解決するはずである。

それまで1年がんばろう。おまもりのマスクを忘れずに。

非科学政治の限界

各国のコロナ対策、特にイギリスやドイツから出てくるメッセージを読んでいると、政治の形と、それを担う政治家のバックグランドに意識がゆく。日本の政治家が見劣りする、というだけの話ではない。過去の日本の政治家とは何が違ったかと考える。

宮澤さんあたりまでの自民党と今の執行部メンバーの一番大きな違いは、「これを絶対に大事にする」という、本人の心に刻み込まれた価値観の有無だろう。

刻み込まれた価値観とは、行動を掣肘する定規のようなものだ。戦場をくぐった中曽根康弘、同じく予備学生だった安倍晋太郎、戦前の大蔵官僚だった大平正芳宮澤喜一、極貧から土木を軸に身を起こした田中角栄。彼らには自分の価値観が刻み込まれていた。

確たる価値観を持つ相手には、哲学のぶつかり合いという形での異議申し立てや、すり合わせの意味での議論が成り立つ。

ところが、もともと大事にしてるものがない相手には議論ができない。依って立つところがなければ、どこまでも撤退できる。こうも言えます、ああも言えますと無限に逃げ回り続けるだけで相手は疲労していく。これが昨今の国会の実態だろう。

「地盤がMOTTAINAI」だけで人生が決まってた二世議員たちには、自分の価値観を涵養する機会は無い。時代が強制する嵐のような経験も、深く傾倒した学問も持てない。そもそも強烈な体験からは切り離されて育つのだ。彼らはいつもキョロキョロして「立派さ」を取り繕おうとする。しかし自分の中に大事なものがないので、前人の踏襲という形でしか行動できない。野卑な言動や強権でごまかそうとするのも同じだ。自分というものがないから、それを持ってた人たちが突発的にやらかした目立った行動を、外形的になぞるしかないのだ。

普段はそれでも成り立つかもしれない。それは立場の維持にはとても役に立つからだ。しかし、未知の場面において前人は参考にならない。ふだんなら決めてくれる官僚も決めてくれない。「これがボクの価値観なんじゃないかな」と一部の者が採用してた「伝統」なるものには実体がない。そのことに気がつけるほどは伝統というものを深く見てもこなかった。立ち尽くすことしかできないのは必然だ。

彼らは他国の首脳が持つ科学というツールも持っていない。

専門家を軽視し、集合的に扱っておいて「総合的に判断する」。それは専門性を持たない彼らがアイデンティティを保つ手段である。科学は専門家社会で重んじられる体系であり価値観だ。軽視している相手の哲学を自分の内側に取り入れられる人は、なかなかいないだろう。

周囲で知恵を授けてくれる官僚も同じだ。これは政治家と同様のジェネラリスト重視な職業的バイアスもあるが、よく言われるように、マジョリティが法学部出身者で占められていることも大きいように思う。

法学部的価値観は自然科学と同様に論理を用いる。ただし、その相手は自然ではなく人間であり、それが作用するのは形而上的な人格に対してである。

法体系は論理の集合であり、そのすぐ外側のメタな部分を切り離して考える。こうした切り離しは、その体系を共有する人間同士を律するには非常に優れているが、論理が実態を反映することを保証不能にする。

そんな雑な方法論が21世紀に通用するはずがない。現代とは未知の物事の次々に起きる世界であり、それは自然そのものであるからだ。

自然に対して法は適用できない。

日本の統治のもっとも時代遅れな点はここにあるだろう。

科学は自然を相手にする。論理は理解のためにある。組み立てた論理がうまく適用できない場合、間違ってるのは自然ではなく論理の方である。集合的な、あるいは動物としての人間は自然物であり、科学が適用できる。

科学の本質は公開だ。それはデータを共有し、思考をぶつけ合い、多数の専門家が検証することで進む。間違った方向に進んだ場合は、公開物を後から再検証することで、どこでどのように間違ったかわかる様になっている。それはデータの品質のような細部についても規定する。定性的より定量的、単発的より経時的、単なる数字よりは割合を反映したものを、といった基準が培われる。

つまり科学とは、確実に前進するための方法そのものだ。

自然の理解にどうしても必要だったこの方法が、為政にも利用可能であることは、おそらく特に意識されていたわけではない。「知の自由競争」という価値観が、民主主義と科学という2つの場所に根付き、双方から歩み寄って現代に結実しただけだ。

定量化して全体の景色を見えるようにする。問題を特定する。人に依らずに解決を進める。こうしたプロセスの細部を理解できる為政者だけが、21世紀にも不幸の少ない国を作れる。

日本の為政者がせめて、アジア文化の強さを発揮してくれればよいと思う。すなわち「横並び意識と模倣」だ。

もちろん結果だけ模倣すれば済むという話ではない。科学者出身の政治家に交代すべきだ。しかしそんなことをしている暇は今はない。結果すら模倣しなければ、非常に多くの人が不幸になることは、いまわかっていることから明らかだ。

われわれには選択肢がない。

今後の選挙では、この無力感を常に思い起こそうと思う。

方向転換に必要なもの

www.technologyreview.jp

 

定性的には正しそうだけど定量的に検討すればおかしい、というのは非常に陥りやすい罠だと思うんだけど、

「集団免疫を獲得できると期待していましたが、集団免疫アプローチでは事態に対処できないことがわかりました」と記者団に語った

と、あやまちを認めて方針を変更した。ほんとすごい。

これが日本で無理な感じがするのはなんでだろうと考えるんだけど、

  • 無謬の前提がある。
  • MOTTAINAIが発動する。

あたりかなと思う。

前者は、大きな方向性の変更が「だれかの責任」になるということ。

後者は、サンクコストが捨てられないということ。別の方向が見えたら「今後かかるコスト」で数量的に比較されるべきだが、それまでに投じたコストに意識が持っていかれて判断が鈍る。というか、「それを捨てる」ということに宗教的忌避感がある。無謬の前提すらMOTTAINAI感覚の正当化として出てきてる感がある。

「早すぎる最適化」ってのも日本の宿痾だと思ってるけど、戦術の硬直をもたらすものという視点で見ると、かなり深刻なひとつであるような気がする。

にゅー、わーるど、うえいふぉーゆー

www.facebook.com

昨日の話の続き。見落としに気づいた。

集団免疫戦略が機能しない理由として挙げられていたのは、集団免疫を獲得する過程が長すぎるという話だった。医療資源が乏しいので一度に感染していられる人数が限られ、人口は多いので集団免疫を獲得するには長い期間がかかる。

この高山医師の投稿を見て見落としに気づいた。集団免疫率(収束に必要な免疫)はR0の逆数をパラメータとした式だったのだ:

何人が免疫を獲得すれば収束していくか(集団免疫率)は、基本再生産数(R0)を用いて (1–1/R0)×100 と計算されます。R0とは「ある感染者が免疫のない集団に入ったときに直接感染させる平均人数」のこと。麻疹のR0は 12~18 とされており、集団免疫率は 92~94% と計算できますね。

 

"新型コロナウイルスのR0は 1.4~2.5 と試算されていますから、日本に住んでる人の 29~60% が感染すれば終息に至ると理論上は考えられます。"

 

つまり、R0が小さければ集団免疫の成立に必要な人数そのものが減る。2より下にできれば半分の人数で済む。1.4なら(1-1/1.4)*100で28.57%。3割の感染で済む。

ただし希望が出たわけではない(ここ陰鬱なとこ)。3割でも桁が変わるほどの変化ではないのだ。3千数百万の患者は十分めちゃめちゃに多い。日本の人口と医療資源で計算されたバージョンで示された36ヶ月が半減して18ヶ月になっても、めちゃめちゃ長くて壊滅的なのは変わりがない。

さらに陰鬱なのは、R0がウィルスの特性だけでなく、人間側のいる場所や行動で変わる値であることだ。いま全力の自粛自粛で抑え込んでいる状態でR0が1.4(集団免疫率で29%)になっていたとしても、閉じた空間なら6だとか(https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14197)、ダイヤモンド・プリンセスの当初の値は14.8だったという話がある(https://www.ncc.go.jp/…/safe…/about/kansen/040/COVID-19.html)。

注意をやめればR0が上がるのであれば、われわれは平常の行動に戻ることができない。つまり、今のような行動を何年も続ける必要がある。

そしてこの高山医師の投稿には、もはや封じ込めは不可能であるという認識が含まれている。現場のプロの肌感覚なんだから、たぶん無理なんだろう。昨日の記事でおこなわれていた提案は「やりたいけど無理」ということになるだろう。

そんなわけで、「われわれはこれまでとはまったく違った世界に突入した」と認識するのが正しいように思う。波乱の時代の幕開けだ。業績予想とか全部役に立たない。

ある意味チャンスですよ。

カーブを平たくするんじゃない、やめろ!

以下はJoscha Bach氏の"Don’t “Flatten the Curve,” stop it!"の全訳である。著者への翻訳許可は申請中である。

これはたいへん説得力のある議論だ。ピークカット戦略は定性的にしか語られておらず、定量的に検討すれば実は非常に危険である、という話。

オレもピークカットしか無いだろうと思ってきたんだけど、この話に大きな穴を見つけることができない。より詳しい方に検討していただきたい。

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カーブを平たくするんじゃない、やめろ! 

Joscha Bach

COVID-19の患者負荷について、以下のようなグラフの様々なバージョンを見てきたことだろう:

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他にもたくさんあった。これらのグラフには共通点がある:

  1. 軸に数字がない。どのくらいの患者があると医療システムがあふれるのか、また流行がどのくらいの期間続くのかについて、判るようにはなってない。
  2. 現在の医療システムでも患者の相当な割合(2/3、1/2、1/3など)に対処できるが、緩和策を取ることで、1日あたりの感染数を対処可能なレベルに引き下げることができる、と思わせるようになっている。
  3. 現在中国やイタリアで見られるような厳重な封鎖なしに切り抜けられる、そんなことはしなくても、(感染が40%から70%に広がることで)集団免疫を獲得するまで長期に引き伸ばしつつ、個体群全体に広がるままにすればよいと言おうとしている。

このカーブは嘘である

これらの示唆は危険なほど間違っており、実行した場合には信じられないほどの苦痛と困難につながる。軸に数字を置いていき、これを理解してみよう。

医療システムの容量はどのくらいある?

これは難しい質問であり、このような短い記事では回答できない。合衆国には約924,100の病床がある。1000人あたり2.8だ。カリフォルニアには1.8しかない。ドイツのような国には8ある。韓国には12ある(それでも彼らの病院システムは過負荷になっている。)これらのベッドのほとんどは使用中だが、臨時のものや(たとえばホテルや学校の体育館を使用)、軍、州兵その他の組織の戦略資源を使用することで増やすことができる。

中国のデータを基にすると、COVID-19の患者の約20%が重症で入院が必要と推定できる。ただし数多くの重症例で、自宅での適切な加療(酸素、静脈注射、隔離など)により生存している。

より重要なのはICUの床数で、これはいくつかの推定によれば100,000床ほどもあるといい、うち約30,000床が使用できる。全COVID-19患者のうち5%程度は集中治療を必要とし、なければこの人たちは全員死亡する。ICU床数の増床はある程度は可能だが、敗血症、腎不全、肝不全、心不全、重症肺炎などに対処するための機材を好きなように増やすことはできない。

この式の重要な項に人工呼吸器がある。重篤なCOVID-19患者の死因の多くは肺への感染だ。感染により呼吸ができなくなるだけでなく、組織の多くが破壊されることで血液の十分な酸素化ができなくなることもある。こうした患者の生存には挿管や機械的呼吸器が必要で、ECMO装置(血液を直接酸素化する)まで必要なこともある。全患者の6%で人工呼吸器が必要だが、各病院の既存の人工呼吸器をすべて出せば、これらは160,000台がある。さらにCDCには8900台の人工呼吸器が戦略備蓄されており、必要とする病院に配備できる。

人工呼吸器の数を医療資源の限界の近似値とみなした場合、われわれは最大170,000人の重篤患者を同時に治療できることになる。(集中治療室の患者すべてが人工呼吸器を必要とはしないし、人工呼吸器を必要とする患者のすべてが集中治療室にいるわけではないが、両者はかなりの部分で重なっており、ともに介入がなければ死亡する。)

感染者数はどのくらいになる?

封じ込めをしなかった場合、ウィルスは風土病となり、指導的感染症学者のMarc Lipsitch(ハーバード)やウイルス学者のChristian Drosten(ベルリン大学病院)によれば、われわれがある程度の集団免疫を獲得するまでに人口の40%から70%が感染するとの見積もりである。(そしてなんと、この免疫がどのくらい持続するかは不明だ。すでに多数のCOVID-19株が観測されているが、キャリア数が膨大なのでさらに増えるはずだ。)アメリカの人口(3億2千7百万)の40%から70%なら1億3千万から2億3千万だ。それでは人口の55%(中間の値)が3月から12月の間に感染すると仮定しよう。1億8千万人に着目することになる。

軽症・無症状のケースについては?

この騒ぎの初期には、外部の観察者の多くが中国での感染者数に非常に懐疑的であり、非検出の軽症・無症状ケースの規模について隠蔽があるかもしれず、だから死亡率は報告されているよりずっと低いのではと考えていた。Bruce Aylward率いるWHOの中国派遣団が、それが事実ではないことを見出した。Aylwardは、十分な資源を持っている場合の中国の検査は非常に徹底的であり、感染症例の見逃しはごく一部であろうと主張している。(COVID-19は軽症・無症候性でも感染性があるので、これは重要だ。)

重症者数はどのくらいになる?

1億8千万のうち、80%は「軽症」となるだろう。一部はまったくの無症状で、多くは2週間続くインフルエンザ様の病気にかかり、中には肺炎になる者もいるが、通常は2~3週間で自然回復する。20%ほどは重篤化し、生存には医療支援が必要となる。重症例では回復に3~6週間ほどかかる。また、6%は自発呼吸ができなくなるため、挿管や機械的呼吸器が必要になるだろう。武漢(5.8%)と中国の他の地域(0.4%〜0.7%)の死亡率の差の多くは、重篤ケースのケア能力の差から来るものだ。
人工呼吸器に繋がれた場合、集中治療室から出てくるまでに4週間程度かかることが多い。この回転率の悪さよ! これを推定値としてセットすることで、同時に何人が医療資源を必要とするのか計算可能である。

数字付きのグラフ

2020年末までに55%のアメリカ人がCOVID-19に感染し、その6%(1080万人)がどこかの時点で人工呼吸器を必要とすると仮定したうえで、さらにモデルを正規分布(最初に指数関数的に急激に増加し、多くが感染または免疫獲得することで平坦になり、回復が進むにつれて次第に降下する、左右対称のベル型曲線)で単純化すると、次のグラフが得られる:

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グラフの底の方にある茶色の直線は: 人工呼吸器と集中治療床数の限られた備えだ! 赤で示したカーブにはCOVID-19の全患者ではなく、そのう

ちたったの6%、人工呼吸器に4週間繋げられなければ死んでしまう人々しか含まれていない。このシナリオでは、ある日に加療が必要な人数の最大値は、なんの緩和策もなければ、約300万人となるのだ! このカーブを平たくするのに必死にならざるを得ないのは明らかだ。なぜなら、これは今年の大半で患者の大多数が挿管や集中治療の必要性評価すら受けられないことを意味するからだ。

医療資源の限界以下に抑えるには、正規分布をどのくらい横伸ばしする必要があるの?

「カーブを平たくする」という考えは、手を洗い、病気になっても家に留まることを積極的に続けるなら、ウィルスが風土病化して40%から70%の人々に感染するのを防ぐ必要はないし、医療システムが患者負荷に耐えられるように感染の広がりを抑えることができることを示唆する。これは1080万人の患者が存在するが、同時には17万人以下となる場合の正規分布曲線である:

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COVID-19の感染率を我々の医療システムに適合するところまで抑えるなら、流行は10年以上の期間に広げる必要があるのだ! (ずっと左には比較のため緩和なしの場合の分布を置いた。)この期間内に有効な治療が発見されることについては確信しているが、あなたも感じが掴めただろう: 新コロナウィルスの感染力を管理可能なレベルまで引き下げることは緩和策だけでは簡単に達成可能ではなく、封じ込めが必要である。

私のカーブが正しいわけではない!

この封筒裏計算は、適切なシミュレーションでもなければ起きていることの優れたモデルでもない。そうであるかのように引用しないこと! 実際には、病気の広がりが正規分布に従うことはない。カーブのふくらみの主要部は左側にあり、右側には長い尻尾が続くのだ。有効な緩和策(公の集会、会議、不要不急の旅行を避けるなど)はいつでも存在する。このモデルはICU滞在期間の長さによって大きく変わる。これを短くできれば、資源を同時に必要とする人数は減り、カーブのピークは下がる。肺炎中の炎症とは戦って重症例を減らすことができるかもしれない。利用可能な医療資源は必要に応じて時とともに増加するだろう。規制が撤廃され、新しい治療法が開発され、そのいくつかが有効だろう。近未来のある時には、飛行機に乗ったり重要な公共の建物に入る前にはチューブに息を吹き込む必要が出るかもしれない。COVID-19、H1N1、あるいは通常型のインフルエンザが気道にいれば、数秒で小さなディスプレイに表示されるのだ。とはいえ私の主張の要点は、我々の運が尽きたとか、人口の6%が死ななければならないとかではない。封じ込めが不可避であること、それを遅らすべきではないこと(なぜなら封じ込めが遅れれば、より効果が低く、より高価になり、追加死亡数を増やすことになるからだ)にある。

封じ込めは機能する

中国は封じ込めが機能することを示した: 武漢の完全封鎖は飢餓にも暴動にも繋がらず、多数の患者が他地域に広がることを防止できた。これにより必要地域への医療資源の集中が可能になった(たとえば武漢湖北省に10000人以上の医師を追加派遣できた)。アウトブレイクの中心である武漢は、今では新規患者が1日10人未満となっている。湖北省の他の地域では、新規患者の登録がもう1週間以上ない。このウィルスを止めることは可能なのだ!

中国は自らの教訓に学んだ: 湖北省の封鎖後、他の地域は最初の患者が見つかるやいなや効果的な封じ込め策を実施した。同じことはシンガポールと台湾でも起きた。韓国は最初の30件を非常によく追跡していた(31人目の患者が教会の集会で1000人以上に感染させてしまった)。

何らかの理由により、西側諸国はこの教訓に学ぶことを拒否した。ウィルスはイタリアで広まり、負荷により医療崩壊が起きた。リソースはあまりに少なく、危機地域からのレポートによれば、高齢者やガン、臓器移植、糖尿病の既往歴がある人が救急救命へのアクセスを除外されるほどであるとのことだ。アメリカ、イギリス、ドイツはまだこうした局面には達していない。これらの国々は「カーブを平たく」しようとしている。病気を阻止するためではなく、広がりを遅くするためだけの、効果のない、やる気も感じられない策を講じることによって。

厳重な封鎖策の実施に必要な資源を持たない国はあるだろう。広範な検査、検疫、移動制限、旅行制限、労働制限、サプライチェーン再構築、閉校、重要な専門職で働く人々の子供のケア、防護材料や医療サプライの生産と流通といったものが必要なのである。これは、ウィルスを締め出せる国とそうでない国が出る、ということだ。数ヶ月以内に世界はレッドゾーンとグリーンゾーンに分かれ、レッドゾーンからグリーンゾーンへの旅行はほとんど止まり、それはCOVID-19の有効な治療が見つかるまで続くだろう。

「カーブを平たくする」は、アメリカ、イギリス、ドイツ向けの選択肢ではない。カーブを平たくしようと友達に言うんじゃない。封じ込めを始めてカーブを止めよう。

ベーシックインカム待ったなしじゃん

日本を実験場にするつもりない、税収踏まえ国債発行=麻生財務相 - ロイター

[東京 10日 ロイター] - 麻生太郎財務相は10日の参院財政金融委員会で、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う経済対策として、渡辺喜美委員(みんなの党)が予算総則を修正して100兆円程度の国債発行を求めたのに対し「日本の金融市場を実験場にするつもりはない。税収などを踏まえて国債発行の規模を考えなければならない」と述べた。

麻生氏は官僚の言うことをよく聞くスポークスマンである。

給与生活者や年金生活者の数を考えたら円の希薄化は避けなければならない。これは現状なんとか機能してる不幸最小化戦略である。

いまインフレが起きてないのは、市場を非常に人為的に歪めることで、国債価格とその格付けを維持してるからだ。売出し、買取、需給のすべてに政府の手が入っており、その結果、順調に消化され、取引量は少なく、価格は高止まりで維持されてる。国債は国の信用度を示すバロメータというのが世界経済の常識なので、国債が大丈夫なら円は大丈夫だという錯覚がまかり通ってる。いわば政府による通貨価値ハックがおこなわれているわけだ。

ところがこれを自然現象と捉えて「インフレは起きない、なぜなら起きてないから。だから、もっと国債発行を」って言う人たちが、長年に渡り入れ代わり立ち代わり現れてきた。昔リフレでいまMMT。金融緩和すれば経済成長するという考えだ。

緩和策は一時的に足りなくなった需要を補うには有効な方法で、景気循環による経済悪化に対しては正しい政策だ。バブル崩壊直後の日本経済を救うには恐らくもっとも有効な方法だったけど、実際には正反対の金融引締めで大惨事を起こした。

緩和万能主義は、この歴史に対する反省が強すぎる人たちが起源と思われるが、現在のそれは現状のデフレのみを根拠に、インフレを起こすことで成長することを目標にしてるように見える。

インフレ成長論の核は、予想されるインフレが手許現金の将来価値(低下)と現在価値を比較させて支出を促すことによる需要増にある。あちこちに溜め込まれたお金で物を買わせるというわけだ。

しかしその考えは時代遅れだ。金融資産は増加傾向にあるものの、全体の需要を増加させられる性質の貯蓄は、もはや失われた。

日本の貯蓄率は80年代の15%前後から大きく低下し、2014年にはマイナスになっている。これは消費増税前の需要増によるもので2017年には2.1%に回復したが、それも一時的なもので、貯蓄をまったく持たない世帯も多い。

企業による内部留保も需要には向かわない。それはまず第一に、資金需要がないからだ。投資すれば儲かる事業もなしに、どうして企業が闇雲にお金を使うものだろう。

そもそも論として、資本主義下で企業に成長を促し、お金を溜め込ませないメカニズムとして重要なのは、金融政策ではなく株式市場を通した企業公開だ。ROE自己資本利益率)が低ければ経営効率の低さを問われて経営者が交代させられる。この当たり前の企業統治を「買収防衛」の名のもとに封じているのだから、経営者が「万一の備え」で内部留保を増やすのは当然だ。インフレで多少損をしても、それが問われることはないのだ。

こんな国で、インフレによる需要増なんて、どうやったら起きるというのか。

デフレを続けてもジリ貧なことは、この四半世紀にみんな嫌というほどわかってる。しかしそれは政策的なものなんかではない。ひとえに潜在成長率の低下が、つまり、産業構造の陳腐化が原因だ。「投資したら大きくなるような産業」がないから、老化分だけ経済が縮むのだ。デフレは原因ではなく結果にすぎない。

そしてインフレのみで成長することはできない。これも産業の陳腐化があるからだ。儲かる産業が存在しない状態で規模だけを拡大しても、非効率な産業が保存されるだけである。

いまの日本でインフレによって起きるのは、賃金、年金生活者の実質収入の低下と、それにともなう生活水準の低下だ。

賃金はずっと上がっていない。特に第二次安倍政権以後、団塊世代の本格引退、円安による実質収入低下に「神武景気以来の長期好況」まであったのに上がらなかった名目賃金が、産業構造の変化もなしに上がるはずがない。インフレで自動的に上がったりはしないのだ。

つまり、産業構造の変化なしにインフレだけ起こしても、貧しくなるだけである。ジリ貧の道だ。

(というわけで、財務省の人たちは緩和万能主義の人たちを基本的に相手にしてこなかった。これは緩和政策を何度も試して効果がないことを実感してることもあるし(2000年代前半の緩和もアベノミクスの異次元緩和も無意味だった)、自分たちの通貨価値ハックがいかに人工的かを彼らが一番わかっていることもあるだろう。人為現象を自然現象と間違えて騙されてくれてる相手に、コメントなんか出す意味はない。

ところが最近、このニュースのように、警戒心をあらわにしたような反応が、ときどき出るようになってきた。これって多分、政権内部でも、財政規律を無視して政府がお金を使おう、という勢力が一定の地位を占めるようになってるから。敵を騙すにはまず味方からと思ってたら、ホントのことが言えない「味方」に攻撃されるようになって悲鳴を上げてるのではないか。)

また、現状の体制で実際に国債をアホみたいに発行した場合、非常にどうしようもない官製事業に全部回ってしまうことになる。日本が形を変えることはない。これはちょうど、麻生氏が首相だったときのリーマンショック財政出動の無内容さをなぞることになる。財政が悪化し、産業構造はよりいびつになり、インフレの危険が増すだけで、潜在成長率はまったく上がらないというお馴染みの悪夢だ。

つまり、いまある選択肢は、1.デフレで苦しむ、2.インフレで苦しむ の2択だ。どっちにしても逃げ場はない。

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…長い前置き。ここまでがオレのこれまでの現状認識である。

しかし今になって、降って湧いたような「需要の欠落」が生じた。コロナ騒ぎだ。つまり、いままさに緩和策が必要になっているのだ。

需要の欠落とは、経済構造が変わっておらず、供給側(生産する側)の能力に変化がないのに、なんらかの理由によって強制的に買う側が居なくなることだ。普通は景気循環により起きるが、今回のように人工的な需要欠落もある。自粛騒ぎによる観光、イベント、飲食、移動の激減は、絵に描いたような需要欠落だ。

日本の需要がどれだけ失われたかは、まだはっきりしない。まだ終りが見えないからだ。100兆円の国債発行を要求する人がいるなら、すでにそのくらい欠落する見込みがあるのかもしれない。

ここに需要を足そうとするとき、日本で普通の先例主義ならひどいことになる。10年前と同じように、官僚がしまい込んでたガラクタプロジェクトを埃を払って持ち出して、いらないものに「投資」するからだ。これにより需要はある程度持ち直すが、財政は非常に悪化する。

緩和万能主義の人たちは「なんでもいいからお金を使うことが大事だ」というけど、繰り返すがそんなことはない。駄目な「投資」は本当に財政を蝕む。中国の地方政府が勝手に作ったベッドタウンの廃墟と、その地方政府の困窮、中央従属化の動きを見るがよい。

日本でも地方自治体はきっちり破綻している。破綻は地方自治体に通貨発行権がないからだ、国は違う、という反論もあるが、たとえば「夕張円」経済圏で「夕張債」をどれだけ発行できただろう。国との違いは、破綻までの時間の長さというパラメータだけなのだ。

回収できない投資は財政の信用を損ない、次の投資を止めてしまう。「なんでもいい」なんてことはまったくない。

市井において、財産が失われる原因は浪費ではない。間違った投資である。飲み食いで1億円使うのは容易ではないが、傾いた事業への追い金で1億損するのは簡単だ。

公においても同じだ。これ以上の間違った「正しい投資」で財政を、ひいては円価値を毀損するのは非常に危険である。「かんぽの宿」のような箱物から「クールジャパン」関連の事業まで、日本の役人の下手の横好きの投資下手をなめてはいけない。

それでちょっと提案があるのだが、需要を足すときに、「単に消費に回す」というのはどうだろうか。

大量の国債発行でお金を調達し、それを全部、個人給付に突っ込むのだ。

  • 緩和主義の人たちが言うように需要は足す必要がある状況
  • でも集中的な投資は全部失敗する

だったら、市井の個人一人ひとりに支給して消費してもらうことで、実際に需要のある産業に投資してもらえばいいではないか。「完全分散投資」といってもよい。

これは、財政規律を無視して国債発行したときに、あまり不幸が増えない道でもあるのだ。実態的にはインフレ分を所得保障する形の資産課税になるからである。インフレでもっとも毀損されるのは「動けない現金資産」だ。給与や年金も名目学に硬直性があるので(=インフレでもなかなか上がってくれないので)、これに頼った家計はインフレ時に損をするが、家計分は給付で補われるということだ。

また全体的には資産逃避が起きたり、役所による非効率分もあるので経済全体としては損をする。

しかし不幸は増えない。これが重要である。こうした給付を行うと仮定しよう。

これだけ大規模な需要欠落が起きたからには、誰にどれだけ給付するかという話は、いくらでも紛糾するだろう。

たとえば今回、「フリーランスの休業補償は最大4千いくら」という話が出てるけど、実際にフリーランスであるオレは、これを時給のことだと勘違いし、あまつさえ「少ないな」と思った。

フリーは間接費が膨大に発生するものであり、その「収入」が持つ意味は企業における「売上」と同じことである。つまり企業における売上と人件費の関係と同様に、フリーランスの収入というのは給与所得者の名目賃金の3~5倍の額を必要とする。

ということは、フリーにとっての時給4000円とは、どうかすると1/5の時給800円くらいの感じを受ける額なのだ。これが日給、しかも最大だというのだから、役人との意識の違いには目を見張らざるを得ない。

こうした生活セクターによる意識の差異、認識の差異はいくらでも存在するので、「妥当な支給額」について全員の言い分を聞くことはとてもできない。細かい計算の事務コストも膨大になるだろう。

給付の方法は「一律支給」しかありえないではないか。

さてここに、ベーシックインカムというシステムが存在する。誰にでも一律の金額を与えることで最低限の暮らしを保証するという方法だ。実装はたとえば「給付付き税額控除」による。一定額を支給し、それを足し合わせた収入から所得税を取ることで、収入の少ない者は給付を受けるが、収入の多いものは納付税額が増えるので相殺されて実質的には支給がないのと同じになる。支給額に変化はないので、生活保護にある「働いたら負け」の逆インセンティブは存在しない。

ベーシックインカムがもたらすのは1. 生活の安定 2. 将来の見通しの向上 3. それにともなう発言の自由 である。どれも現代の日本人に足りていない本質的なQoL向上である。

デメリットは、社会に一定の不安定をもたらすことだ。意見の違う相手を我慢する必要がなければ、人はいろいろなものを辞めることができる。SF作家のアイザック・アシモフがボストン大で干されたときに喝破したように、「言論の自由は2語で表現できる。すなわち "outside income" だ。」

従業員の服従に支えられたブラック企業は崩壊する。忍従に支えられた大企業も瓦解して、小さなスタートアップがたくさん生まれるだろう。大企業出身者だからといって、起業に向く人が多いわけではない。「まだテイクオフできないんだ」といいながら、ダラダラと非効率に続ける人が山のように生まれるだろう。

しかし、誰一人として食うには困らない。これがベーシックインカムの世界だ。

そして、そうした集団からは、次代を担う産業が必ず生まれる。安心してる日本人の創造性の凄まじさと、事業の当たり外れが確率的なものであり試行回数が増えればその数も増えるという2つの事実から、オレはこれを確信してる。

誰かの事業が当たれば、それは潜在成長率をわずかに押し上げる。それが真似され、大きな流れになれば、日本の経済は新しい産業を得る。すなわち、数十年ぶりに実際に経済が上向くことになる。これが続けば、潜在成長率は大きく上がり、不幸はますます減るだろう。

人口の減っていく日本では、もはや集団戦は無理である。個人の内面世界の充実を非常に重視する「人格主義の職人国」で、価値観がこれだけ多様化した時代に、大組織で何ができるというのか。

日本の潜在成長率を上げるには、もう個人に給付して創造性を解き放つくらいしかないのではないか。人口減、労働人口激減、激甚な高齢化。いままで通りにやっていては、これまでの産業構造の維持すらできないのだ。これまでの「正解」なんてひとつも通用しない世界に入っている。

だから、今回の大混乱を契機に、いきなりベーシックインカムに行ってしまう、というのが一番よい。これはいつやっても良い結果が得られそうだけど、今回の、にっちもさっちも行かない状況こそ、ものすごく良い機会であるように思う。

混乱はある。でもやる価値もある。それも本質的な価値だ。

悪くないんじゃないですか。