方向転換に必要なもの

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定性的には正しそうだけど定量的に検討すればおかしい、というのは非常に陥りやすい罠だと思うんだけど、

「集団免疫を獲得できると期待していましたが、集団免疫アプローチでは事態に対処できないことがわかりました」と記者団に語った

と、あやまちを認めて方針を変更した。ほんとすごい。

これが日本で無理な感じがするのはなんでだろうと考えるんだけど、

  • 無謬の前提がある。
  • MOTTAINAIが発動する。

あたりかなと思う。

前者は、大きな方向性の変更が「だれかの責任」になるということ。

後者は、サンクコストが捨てられないということ。別の方向が見えたら「今後かかるコスト」で数量的に比較されるべきだが、それまでに投じたコストに意識が持っていかれて判断が鈍る。というか、「それを捨てる」ということに宗教的忌避感がある。無謬の前提すらMOTTAINAI感覚の正当化として出てきてる感がある。

「早すぎる最適化」ってのも日本の宿痾だと思ってるけど、戦術の硬直をもたらすものという視点で見ると、かなり深刻なひとつであるような気がする。

にゅー、わーるど、うえいふぉーゆー

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昨日の話の続き。見落としに気づいた。

集団免疫戦略が機能しない理由として挙げられていたのは、集団免疫を獲得する過程が長すぎるという話だった。医療資源が乏しいので一度に感染していられる人数が限られ、人口は多いので集団免疫を獲得するには長い期間がかかる。

この高山医師の投稿を見て見落としに気づいた。集団免疫率(収束に必要な免疫)はR0の逆数をパラメータとした式だったのだ:

何人が免疫を獲得すれば収束していくか(集団免疫率)は、基本再生産数(R0)を用いて (1–1/R0)×100 と計算されます。R0とは「ある感染者が免疫のない集団に入ったときに直接感染させる平均人数」のこと。麻疹のR0は 12~18 とされており、集団免疫率は 92~94% と計算できますね。

 

"新型コロナウイルスのR0は 1.4~2.5 と試算されていますから、日本に住んでる人の 29~60% が感染すれば終息に至ると理論上は考えられます。"

 

つまり、R0が小さければ集団免疫の成立に必要な人数そのものが減る。2より下にできれば半分の人数で済む。1.4なら(1-1/1.4)*100で28.57%。3割の感染で済む。

ただし希望が出たわけではない(ここ陰鬱なとこ)。3割でも桁が変わるほどの変化ではないのだ。3千数百万の患者は十分めちゃめちゃに多い。日本の人口と医療資源で計算されたバージョンで示された36ヶ月が半減して18ヶ月になっても、めちゃめちゃ長くて壊滅的なのは変わりがない。

さらに陰鬱なのは、R0がウィルスの特性だけでなく、人間側のいる場所や行動で変わる値であることだ。いま全力の自粛自粛で抑え込んでいる状態でR0が1.4(集団免疫率で29%)になっていたとしても、閉じた空間なら6だとか(https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14197)、ダイヤモンド・プリンセスの当初の値は14.8だったという話がある(https://www.ncc.go.jp/…/safe…/about/kansen/040/COVID-19.html)。

注意をやめればR0が上がるのであれば、われわれは平常の行動に戻ることができない。つまり、今のような行動を何年も続ける必要がある。

そしてこの高山医師の投稿には、もはや封じ込めは不可能であるという認識が含まれている。現場のプロの肌感覚なんだから、たぶん無理なんだろう。昨日の記事でおこなわれていた提案は「やりたいけど無理」ということになるだろう。

そんなわけで、「われわれはこれまでとはまったく違った世界に突入した」と認識するのが正しいように思う。波乱の時代の幕開けだ。業績予想とか全部役に立たない。

ある意味チャンスですよ。

カーブを平たくするんじゃない、やめろ!

以下はJoscha Bach氏の"Don’t “Flatten the Curve,” stop it!"の全訳である。著者への翻訳許可は申請中である。

これはたいへん説得力のある議論だ。ピークカット戦略は定性的にしか語られておらず、定量的に検討すれば実は非常に危険である、という話。

オレもピークカットしか無いだろうと思ってきたんだけど、この話に大きな穴を見つけることができない。より詳しい方に検討していただきたい。

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カーブを平たくするんじゃない、やめろ! 

Joscha Bach

COVID-19の患者負荷について、以下のようなグラフの様々なバージョンを見てきたことだろう:

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他にもたくさんあった。これらのグラフには共通点がある:

  1. 軸に数字がない。どのくらいの患者があると医療システムがあふれるのか、また流行がどのくらいの期間続くのかについて、判るようにはなってない。
  2. 現在の医療システムでも患者の相当な割合(2/3、1/2、1/3など)に対処できるが、緩和策を取ることで、1日あたりの感染数を対処可能なレベルに引き下げることができる、と思わせるようになっている。
  3. 現在中国やイタリアで見られるような厳重な封鎖なしに切り抜けられる、そんなことはしなくても、(感染が40%から70%に広がることで)集団免疫を獲得するまで長期に引き伸ばしつつ、個体群全体に広がるままにすればよいと言おうとしている。

このカーブは嘘である

これらの示唆は危険なほど間違っており、実行した場合には信じられないほどの苦痛と困難につながる。軸に数字を置いていき、これを理解してみよう。

医療システムの容量はどのくらいある?

これは難しい質問であり、このような短い記事では回答できない。合衆国には約924,100の病床がある。1000人あたり2.8だ。カリフォルニアには1.8しかない。ドイツのような国には8ある。韓国には12ある(それでも彼らの病院システムは過負荷になっている。)これらのベッドのほとんどは使用中だが、臨時のものや(たとえばホテルや学校の体育館を使用)、軍、州兵その他の組織の戦略資源を使用することで増やすことができる。

中国のデータを基にすると、COVID-19の患者の約20%が重症で入院が必要と推定できる。ただし数多くの重症例で、自宅での適切な加療(酸素、静脈注射、隔離など)により生存している。

より重要なのはICUの床数で、これはいくつかの推定によれば100,000床ほどもあるといい、うち約30,000床が使用できる。全COVID-19患者のうち5%程度は集中治療を必要とし、なければこの人たちは全員死亡する。ICU床数の増床はある程度は可能だが、敗血症、腎不全、肝不全、心不全、重症肺炎などに対処するための機材を好きなように増やすことはできない。

この式の重要な項に人工呼吸器がある。重篤なCOVID-19患者の死因の多くは肺への感染だ。感染により呼吸ができなくなるだけでなく、組織の多くが破壊されることで血液の十分な酸素化ができなくなることもある。こうした患者の生存には挿管や機械的呼吸器が必要で、ECMO装置(血液を直接酸素化する)まで必要なこともある。全患者の6%で人工呼吸器が必要だが、各病院の既存の人工呼吸器をすべて出せば、これらは160,000台がある。さらにCDCには8900台の人工呼吸器が戦略備蓄されており、必要とする病院に配備できる。

人工呼吸器の数を医療資源の限界の近似値とみなした場合、われわれは最大170,000人の重篤患者を同時に治療できることになる。(集中治療室の患者すべてが人工呼吸器を必要とはしないし、人工呼吸器を必要とする患者のすべてが集中治療室にいるわけではないが、両者はかなりの部分で重なっており、ともに介入がなければ死亡する。)

感染者数はどのくらいになる?

封じ込めをしなかった場合、ウィルスは風土病となり、指導的感染症学者のMarc Lipsitch(ハーバード)やウイルス学者のChristian Drosten(ベルリン大学病院)によれば、われわれがある程度の集団免疫を獲得するまでに人口の40%から70%が感染するとの見積もりである。(そしてなんと、この免疫がどのくらい持続するかは不明だ。すでに多数のCOVID-19株が観測されているが、キャリア数が膨大なのでさらに増えるはずだ。)アメリカの人口(3億2千7百万)の40%から70%なら1億3千万から2億3千万だ。それでは人口の55%(中間の値)が3月から12月の間に感染すると仮定しよう。1億8千万人に着目することになる。

軽症・無症状のケースについては?

この騒ぎの初期には、外部の観察者の多くが中国での感染者数に非常に懐疑的であり、非検出の軽症・無症状ケースの規模について隠蔽があるかもしれず、だから死亡率は報告されているよりずっと低いのではと考えていた。Bruce Aylward率いるWHOの中国派遣団が、それが事実ではないことを見出した。Aylwardは、十分な資源を持っている場合の中国の検査は非常に徹底的であり、感染症例の見逃しはごく一部であろうと主張している。(COVID-19は軽症・無症候性でも感染性があるので、これは重要だ。)

重症者数はどのくらいになる?

1億8千万のうち、80%は「軽症」となるだろう。一部はまったくの無症状で、多くは2週間続くインフルエンザ様の病気にかかり、中には肺炎になる者もいるが、通常は2~3週間で自然回復する。20%ほどは重篤化し、生存には医療支援が必要となる。重症例では回復に3~6週間ほどかかる。また、6%は自発呼吸ができなくなるため、挿管や機械的呼吸器が必要になるだろう。武漢(5.8%)と中国の他の地域(0.4%〜0.7%)の死亡率の差の多くは、重篤ケースのケア能力の差から来るものだ。
人工呼吸器に繋がれた場合、集中治療室から出てくるまでに4週間程度かかることが多い。この回転率の悪さよ! これを推定値としてセットすることで、同時に何人が医療資源を必要とするのか計算可能である。

数字付きのグラフ

2020年末までに55%のアメリカ人がCOVID-19に感染し、その6%(1080万人)がどこかの時点で人工呼吸器を必要とすると仮定したうえで、さらにモデルを正規分布(最初に指数関数的に急激に増加し、多くが感染または免疫獲得することで平坦になり、回復が進むにつれて次第に降下する、左右対称のベル型曲線)で単純化すると、次のグラフが得られる:

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グラフの底の方にある茶色の直線は: 人工呼吸器と集中治療床数の限られた備えだ! 赤で示したカーブにはCOVID-19の全患者ではなく、そのう

ちたったの6%、人工呼吸器に4週間繋げられなければ死んでしまう人々しか含まれていない。このシナリオでは、ある日に加療が必要な人数の最大値は、なんの緩和策もなければ、約300万人となるのだ! このカーブを平たくするのに必死にならざるを得ないのは明らかだ。なぜなら、これは今年の大半で患者の大多数が挿管や集中治療の必要性評価すら受けられないことを意味するからだ。

医療資源の限界以下に抑えるには、正規分布をどのくらい横伸ばしする必要があるの?

「カーブを平たくする」という考えは、手を洗い、病気になっても家に留まることを積極的に続けるなら、ウィルスが風土病化して40%から70%の人々に感染するのを防ぐ必要はないし、医療システムが患者負荷に耐えられるように感染の広がりを抑えることができることを示唆する。これは1080万人の患者が存在するが、同時には17万人以下となる場合の正規分布曲線である:

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COVID-19の感染率を我々の医療システムに適合するところまで抑えるなら、流行は10年以上の期間に広げる必要があるのだ! (ずっと左には比較のため緩和なしの場合の分布を置いた。)この期間内に有効な治療が発見されることについては確信しているが、あなたも感じが掴めただろう: 新コロナウィルスの感染力を管理可能なレベルまで引き下げることは緩和策だけでは簡単に達成可能ではなく、封じ込めが必要である。

私のカーブが正しいわけではない!

この封筒裏計算は、適切なシミュレーションでもなければ起きていることの優れたモデルでもない。そうであるかのように引用しないこと! 実際には、病気の広がりが正規分布に従うことはない。カーブのふくらみの主要部は左側にあり、右側には長い尻尾が続くのだ。有効な緩和策(公の集会、会議、不要不急の旅行を避けるなど)はいつでも存在する。このモデルはICU滞在期間の長さによって大きく変わる。これを短くできれば、資源を同時に必要とする人数は減り、カーブのピークは下がる。肺炎中の炎症とは戦って重症例を減らすことができるかもしれない。利用可能な医療資源は必要に応じて時とともに増加するだろう。規制が撤廃され、新しい治療法が開発され、そのいくつかが有効だろう。近未来のある時には、飛行機に乗ったり重要な公共の建物に入る前にはチューブに息を吹き込む必要が出るかもしれない。COVID-19、H1N1、あるいは通常型のインフルエンザが気道にいれば、数秒で小さなディスプレイに表示されるのだ。とはいえ私の主張の要点は、我々の運が尽きたとか、人口の6%が死ななければならないとかではない。封じ込めが不可避であること、それを遅らすべきではないこと(なぜなら封じ込めが遅れれば、より効果が低く、より高価になり、追加死亡数を増やすことになるからだ)にある。

封じ込めは機能する

中国は封じ込めが機能することを示した: 武漢の完全封鎖は飢餓にも暴動にも繋がらず、多数の患者が他地域に広がることを防止できた。これにより必要地域への医療資源の集中が可能になった(たとえば武漢湖北省に10000人以上の医師を追加派遣できた)。アウトブレイクの中心である武漢は、今では新規患者が1日10人未満となっている。湖北省の他の地域では、新規患者の登録がもう1週間以上ない。このウィルスを止めることは可能なのだ!

中国は自らの教訓に学んだ: 湖北省の封鎖後、他の地域は最初の患者が見つかるやいなや効果的な封じ込め策を実施した。同じことはシンガポールと台湾でも起きた。韓国は最初の30件を非常によく追跡していた(31人目の患者が教会の集会で1000人以上に感染させてしまった)。

何らかの理由により、西側諸国はこの教訓に学ぶことを拒否した。ウィルスはイタリアで広まり、負荷により医療崩壊が起きた。リソースはあまりに少なく、危機地域からのレポートによれば、高齢者やガン、臓器移植、糖尿病の既往歴がある人が救急救命へのアクセスを除外されるほどであるとのことだ。アメリカ、イギリス、ドイツはまだこうした局面には達していない。これらの国々は「カーブを平たく」しようとしている。病気を阻止するためではなく、広がりを遅くするためだけの、効果のない、やる気も感じられない策を講じることによって。

厳重な封鎖策の実施に必要な資源を持たない国はあるだろう。広範な検査、検疫、移動制限、旅行制限、労働制限、サプライチェーン再構築、閉校、重要な専門職で働く人々の子供のケア、防護材料や医療サプライの生産と流通といったものが必要なのである。これは、ウィルスを締め出せる国とそうでない国が出る、ということだ。数ヶ月以内に世界はレッドゾーンとグリーンゾーンに分かれ、レッドゾーンからグリーンゾーンへの旅行はほとんど止まり、それはCOVID-19の有効な治療が見つかるまで続くだろう。

「カーブを平たくする」は、アメリカ、イギリス、ドイツ向けの選択肢ではない。カーブを平たくしようと友達に言うんじゃない。封じ込めを始めてカーブを止めよう。

ベーシックインカム待ったなしじゃん

日本を実験場にするつもりない、税収踏まえ国債発行=麻生財務相 - ロイター

[東京 10日 ロイター] - 麻生太郎財務相は10日の参院財政金融委員会で、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う経済対策として、渡辺喜美委員(みんなの党)が予算総則を修正して100兆円程度の国債発行を求めたのに対し「日本の金融市場を実験場にするつもりはない。税収などを踏まえて国債発行の規模を考えなければならない」と述べた。

麻生氏は官僚の言うことをよく聞くスポークスマンである。

給与生活者や年金生活者の数を考えたら円の希薄化は避けなければならない。これは現状なんとか機能してる不幸最小化戦略である。

いまインフレが起きてないのは、市場を非常に人為的に歪めることで、国債価格とその格付けを維持してるからだ。売出し、買取、需給のすべてに政府の手が入っており、その結果、順調に消化され、取引量は少なく、価格は高止まりで維持されてる。国債は国の信用度を示すバロメータというのが世界経済の常識なので、国債が大丈夫なら円は大丈夫だという錯覚がまかり通ってる。いわば政府による通貨価値ハックがおこなわれているわけだ。

ところがこれを自然現象と捉えて「インフレは起きない、なぜなら起きてないから。だから、もっと国債発行を」って言う人たちが、長年に渡り入れ代わり立ち代わり現れてきた。昔リフレでいまMMT。金融緩和すれば経済成長するという考えだ。

緩和策は一時的に足りなくなった需要を補うには有効な方法で、景気循環による経済悪化に対しては正しい政策だ。バブル崩壊直後の日本経済を救うには恐らくもっとも有効な方法だったけど、実際には正反対の金融引締めで大惨事を起こした。

緩和万能主義は、この歴史に対する反省が強すぎる人たちが起源と思われるが、現在のそれは現状のデフレのみを根拠に、インフレを起こすことで成長することを目標にしてるように見える。

インフレ成長論の核は、予想されるインフレが手許現金の将来価値(低下)と現在価値を比較させて支出を促すことによる需要増にある。あちこちに溜め込まれたお金で物を買わせるというわけだ。

しかしその考えは時代遅れだ。金融資産は増加傾向にあるものの、全体の需要を増加させられる性質の貯蓄は、もはや失われた。

日本の貯蓄率は80年代の15%前後から大きく低下し、2014年にはマイナスになっている。これは消費増税前の需要増によるもので2017年には2.1%に回復したが、それも一時的なもので、貯蓄をまったく持たない世帯も多い。

企業による内部留保も需要には向かわない。それはまず第一に、資金需要がないからだ。投資すれば儲かる事業もなしに、どうして企業が闇雲にお金を使うものだろう。

そもそも論として、資本主義下で企業に成長を促し、お金を溜め込ませないメカニズムとして重要なのは、金融政策ではなく株式市場を通した企業公開だ。ROE自己資本利益率)が低ければ経営効率の低さを問われて経営者が交代させられる。この当たり前の企業統治を「買収防衛」の名のもとに封じているのだから、経営者が「万一の備え」で内部留保を増やすのは当然だ。インフレで多少損をしても、それが問われることはないのだ。

こんな国で、インフレによる需要増なんて、どうやったら起きるというのか。

デフレを続けてもジリ貧なことは、この四半世紀にみんな嫌というほどわかってる。しかしそれは政策的なものなんかではない。ひとえに潜在成長率の低下が、つまり、産業構造の陳腐化が原因だ。「投資したら大きくなるような産業」がないから、老化分だけ経済が縮むのだ。デフレは原因ではなく結果にすぎない。

そしてインフレのみで成長することはできない。これも産業の陳腐化があるからだ。儲かる産業が存在しない状態で規模だけを拡大しても、非効率な産業が保存されるだけである。

いまの日本でインフレによって起きるのは、賃金、年金生活者の実質収入の低下と、それにともなう生活水準の低下だ。

賃金はずっと上がっていない。特に第二次安倍政権以後、団塊世代の本格引退、円安による実質収入低下に「神武景気以来の長期好況」まであったのに上がらなかった名目賃金が、産業構造の変化もなしに上がるはずがない。インフレで自動的に上がったりはしないのだ。

つまり、産業構造の変化なしにインフレだけ起こしても、貧しくなるだけである。ジリ貧の道だ。

(というわけで、財務省の人たちは緩和万能主義の人たちを基本的に相手にしてこなかった。これは緩和政策を何度も試して効果がないことを実感してることもあるし(2000年代前半の緩和もアベノミクスの異次元緩和も無意味だった)、自分たちの通貨価値ハックがいかに人工的かを彼らが一番わかっていることもあるだろう。人為現象を自然現象と間違えて騙されてくれてる相手に、コメントなんか出す意味はない。

ところが最近、このニュースのように、警戒心をあらわにしたような反応が、ときどき出るようになってきた。これって多分、政権内部でも、財政規律を無視して政府がお金を使おう、という勢力が一定の地位を占めるようになってるから。敵を騙すにはまず味方からと思ってたら、ホントのことが言えない「味方」に攻撃されるようになって悲鳴を上げてるのではないか。)

また、現状の体制で実際に国債をアホみたいに発行した場合、非常にどうしようもない官製事業に全部回ってしまうことになる。日本が形を変えることはない。これはちょうど、麻生氏が首相だったときのリーマンショック財政出動の無内容さをなぞることになる。財政が悪化し、産業構造はよりいびつになり、インフレの危険が増すだけで、潜在成長率はまったく上がらないというお馴染みの悪夢だ。

つまり、いまある選択肢は、1.デフレで苦しむ、2.インフレで苦しむ の2択だ。どっちにしても逃げ場はない。

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…長い前置き。ここまでがオレのこれまでの現状認識である。

しかし今になって、降って湧いたような「需要の欠落」が生じた。コロナ騒ぎだ。つまり、いままさに緩和策が必要になっているのだ。

需要の欠落とは、経済構造が変わっておらず、供給側(生産する側)の能力に変化がないのに、なんらかの理由によって強制的に買う側が居なくなることだ。普通は景気循環により起きるが、今回のように人工的な需要欠落もある。自粛騒ぎによる観光、イベント、飲食、移動の激減は、絵に描いたような需要欠落だ。

日本の需要がどれだけ失われたかは、まだはっきりしない。まだ終りが見えないからだ。100兆円の国債発行を要求する人がいるなら、すでにそのくらい欠落する見込みがあるのかもしれない。

ここに需要を足そうとするとき、日本で普通の先例主義ならひどいことになる。10年前と同じように、官僚がしまい込んでたガラクタプロジェクトを埃を払って持ち出して、いらないものに「投資」するからだ。これにより需要はある程度持ち直すが、財政は非常に悪化する。

緩和万能主義の人たちは「なんでもいいからお金を使うことが大事だ」というけど、繰り返すがそんなことはない。駄目な「投資」は本当に財政を蝕む。中国の地方政府が勝手に作ったベッドタウンの廃墟と、その地方政府の困窮、中央従属化の動きを見るがよい。

日本でも地方自治体はきっちり破綻している。破綻は地方自治体に通貨発行権がないからだ、国は違う、という反論もあるが、たとえば「夕張円」経済圏で「夕張債」をどれだけ発行できただろう。国との違いは、破綻までの時間の長さというパラメータだけなのだ。

回収できない投資は財政の信用を損ない、次の投資を止めてしまう。「なんでもいい」なんてことはまったくない。

市井において、財産が失われる原因は浪費ではない。間違った投資である。飲み食いで1億円使うのは容易ではないが、傾いた事業への追い金で1億損するのは簡単だ。

公においても同じだ。これ以上の間違った「正しい投資」で財政を、ひいては円価値を毀損するのは非常に危険である。「かんぽの宿」のような箱物から「クールジャパン」関連の事業まで、日本の役人の下手の横好きの投資下手をなめてはいけない。

それでちょっと提案があるのだが、需要を足すときに、「単に消費に回す」というのはどうだろうか。

大量の国債発行でお金を調達し、それを全部、個人給付に突っ込むのだ。

  • 緩和主義の人たちが言うように需要は足す必要がある状況
  • でも集中的な投資は全部失敗する

だったら、市井の個人一人ひとりに支給して消費してもらうことで、実際に需要のある産業に投資してもらえばいいではないか。「完全分散投資」といってもよい。

これは、財政規律を無視して国債発行したときに、あまり不幸が増えない道でもあるのだ。実態的にはインフレ分を所得保障する形の資産課税になるからである。インフレでもっとも毀損されるのは「動けない現金資産」だ。給与や年金も名目学に硬直性があるので(=インフレでもなかなか上がってくれないので)、これに頼った家計はインフレ時に損をするが、家計分は給付で補われるということだ。

また全体的には資産逃避が起きたり、役所による非効率分もあるので経済全体としては損をする。

しかし不幸は増えない。これが重要である。こうした給付を行うと仮定しよう。

これだけ大規模な需要欠落が起きたからには、誰にどれだけ給付するかという話は、いくらでも紛糾するだろう。

たとえば今回、「フリーランスの休業補償は最大4千いくら」という話が出てるけど、実際にフリーランスであるオレは、これを時給のことだと勘違いし、あまつさえ「少ないな」と思った。

フリーは間接費が膨大に発生するものであり、その「収入」が持つ意味は企業における「売上」と同じことである。つまり企業における売上と人件費の関係と同様に、フリーランスの収入というのは給与所得者の名目賃金の3~5倍の額を必要とする。

ということは、フリーにとっての時給4000円とは、どうかすると1/5の時給800円くらいの感じを受ける額なのだ。これが日給、しかも最大だというのだから、役人との意識の違いには目を見張らざるを得ない。

こうした生活セクターによる意識の差異、認識の差異はいくらでも存在するので、「妥当な支給額」について全員の言い分を聞くことはとてもできない。細かい計算の事務コストも膨大になるだろう。

給付の方法は「一律支給」しかありえないではないか。

さてここに、ベーシックインカムというシステムが存在する。誰にでも一律の金額を与えることで最低限の暮らしを保証するという方法だ。実装はたとえば「給付付き税額控除」による。一定額を支給し、それを足し合わせた収入から所得税を取ることで、収入の少ない者は給付を受けるが、収入の多いものは納付税額が増えるので相殺されて実質的には支給がないのと同じになる。支給額に変化はないので、生活保護にある「働いたら負け」の逆インセンティブは存在しない。

ベーシックインカムがもたらすのは1. 生活の安定 2. 将来の見通しの向上 3. それにともなう発言の自由 である。どれも現代の日本人に足りていない本質的なQoL向上である。

デメリットは、社会に一定の不安定をもたらすことだ。意見の違う相手を我慢する必要がなければ、人はいろいろなものを辞めることができる。SF作家のアイザック・アシモフがボストン大で干されたときに喝破したように、「言論の自由は2語で表現できる。すなわち "outside income" だ。」

従業員の服従に支えられたブラック企業は崩壊する。忍従に支えられた大企業も瓦解して、小さなスタートアップがたくさん生まれるだろう。大企業出身者だからといって、起業に向く人が多いわけではない。「まだテイクオフできないんだ」といいながら、ダラダラと非効率に続ける人が山のように生まれるだろう。

しかし、誰一人として食うには困らない。これがベーシックインカムの世界だ。

そして、そうした集団からは、次代を担う産業が必ず生まれる。安心してる日本人の創造性の凄まじさと、事業の当たり外れが確率的なものであり試行回数が増えればその数も増えるという2つの事実から、オレはこれを確信してる。

誰かの事業が当たれば、それは潜在成長率をわずかに押し上げる。それが真似され、大きな流れになれば、日本の経済は新しい産業を得る。すなわち、数十年ぶりに実際に経済が上向くことになる。これが続けば、潜在成長率は大きく上がり、不幸はますます減るだろう。

人口の減っていく日本では、もはや集団戦は無理である。個人の内面世界の充実を非常に重視する「人格主義の職人国」で、価値観がこれだけ多様化した時代に、大組織で何ができるというのか。

日本の潜在成長率を上げるには、もう個人に給付して創造性を解き放つくらいしかないのではないか。人口減、労働人口激減、激甚な高齢化。いままで通りにやっていては、これまでの産業構造の維持すらできないのだ。これまでの「正解」なんてひとつも通用しない世界に入っている。

だから、今回の大混乱を契機に、いきなりベーシックインカムに行ってしまう、というのが一番よい。これはいつやっても良い結果が得られそうだけど、今回の、にっちもさっちも行かない状況こそ、ものすごく良い機会であるように思う。

混乱はある。でもやる価値もある。それも本質的な価値だ。

悪くないんじゃないですか。

検査アレルギー

COVID19の検査について、やたらにしてもらいたがる風潮も良くないのだけど、「軽症者にはすべきでない」で固まっちゃってる人たちにも危うさを感じる。

医療崩壊につながるのは軽症者を重症者同様の施設に入院させるという対応があるからであり、検査で陽性者を見つけること自体にはメリットがある。公益的には感染規模がわかったり、クラスタが追えたりする。個人にとっては、伝染させないようにより気をつけることができたり、重症化したときにすぐに正しく入院できたり、なにより大事なことに、中途半端な気分から脱することができる。中途半端さのストレスは強いので、こうしたことは無視すべきではないように思う。

出来ることがない、というのは医者の側の韜晦みたいなものだ。薬がないから積極的に治療できないというのはたしかだけど、検査にメリットがないというのは言いすぎだ。

検査後の対応が時代遅れなら、そっちを直せばいい。

メリットもある。しかし、いまの日本のシステムだとデメリットのほうが大きい。これが現状なだけだ。状況が変わったときに、そのことを忘れていないことはきわめて重要だと思う。

均質な世間

読んだ。

news.yahoo.co.jp

広報として重要なことは、工場や配送センターに在庫はあっても「輸送などサプライチェーンの問題で簡単には店頭にならべることは難しいこと」「供給されるまで、少し時間がかかること」「そのうち解消される問題であるということ」、つまり、この物流の問題であることを淡々と情報提供し、理解してもらうことが重要になります。

 この社会現象の解決策は、安易にデマのせいだ、踊らされる人々が悪いなど社会不安を煽ることではなく、都市物流に課題がある事実を丁寧に説明し、現在の状況と見通しを伝えていく、落ち着いた報道です。

 

トイレットペーパーの話です。

ウチは今回、「トイレットペーパーは確かにどこにもない。コンビニで見つけたけど買っておくか?」と聞かれたときに断ったりしている。

自分的にはそっちの方が当たり前の対応なのだが、まあ、世間的に当たり前ではないことはわかっている。

オレがそういう結論を出したのは、以下のような判断材料があったからだ:

  • 上記の都市物流問題を知っており、回復にかかる時間もわかる
  • 残数および1ロール日数から何日持つかを概算できる

これらをもとに、20日くらい持つから、まあ沈静化してるでしょ、という判断をした。

ただ、そうした判断を行動に移せたのは、次のような心理条件を持っていたからでもある:

  • みんなが右に行ったら左に行きたいという天邪鬼の心
  • 先安観のあるものなんか買いたくないという相場の心
  • 紙が切れてて水で洗った経験
  • 「なんで買っておかないの!」と怒られる不安がない

こうしたものがみんなに備わっているとは思えない。特に最後がなー。

記事では「都市物流の問題を淡々と伝えろ」と言ってるけど、それには上の方の判断材料を持ってることが必要だ。でも、そういう材料を自然に集めちゃう人って、下の方の心理条件をなんとなく持ってると思うんだよね。

マスコミの人たちにそういうものがあるとは期待できない感じがする。そもそも今回の騒ぎは、マスコミの人たちの不安がみんなに伝わってるようにも見えた。

つまり、マスコミの人たちこそ、

  • 現代の都市物流の常識を知らず
  • 自分ちがあと何日でペーパー切れになるか把握できず
  • 相場に関係なく足りないものは買わねば!と思っており
  • みんなと同じことをやりたがり
  • 紙がなきゃ拭けない!という気分で
  • 家の在庫が切れてたら怒られる(または怒る)

のではないか。

「不安を取り除く報道をしてください」と言われた本人が不安となると、どうしても限界があるんじゃないですかね。

せっかく世間が空騒ぎしてるんだから何かを始めよう

「コロナでストレスでイライラしてる人」ってのが、どうやらひとつの社会問題になっているらしい。たしかに考えてみれば、買い溜めに走るとかってストレス反応っぽいよね。

しかし、せっかく休みなんだから、新しいことを始めると楽しいと思う。やってみたかったけどやってなかったこととか、いっぱいあるでしょ。休校騒ぎなどで学習コンテンツが大量に供給されてるので、眺めてるうちにちょっとやってみたくなったりもしませんか。

オレはこの10日くらいで、

  • SikuliX(画面を実際に見た感じでクリックとかコピペとかしてくれる自動化プログラミング環境)
  • NEUTRINO(新型の実用レベル無料ボカロ)
  • Blender(無料で実用レベルの3Dモデリングソフト)

と3つほどやってみてる。眺めてて気になったものに手を出してみると、あんがい簡単に出来るようになる、というのが続いてる。それぞれ数時間くらいで一通りツバをつけといた感じで、ぜんぜん実用レベルではない。

f:id:kamosawa:20200305124401p:plainBlenderで作ってみたマリオのスター

だけど、このくらいやると、たとえばプロの方々がどうすごいかがわかるくらいにはわかる。気になったらいつでも追求できるし、きっと後で発想の元になる。そもそも数時間ほど未知のことに集中して、それで成果が出るのって、かなり楽しいんだよね。

もしかしたら、世間がなにかに気を取られてると思うと、逆に落ち着いて遊べるのかもしれない。誰もおまえを見てないというリラックス感覚。

ちなみに、オレは別に休みになってるわけではないw もともと一人でこもってやる仕事なのだ。

だけど、新しいことができる気分のときは、やっておくのがおトクな気がするんだよね。

まずは投入してしまおう。