エッセイの書き方

アメリカの国語の授業では定型的な文章の書き方を教えて大量に書かせる、自由に書きなさいなんて言わずに具体的な書き方を教える、こうした文書教育は日本でもあるべきだ」、という議論があります。


このことについては、以前togetterで『アメリカの文書教育』というまとめを作りました。アメリカに留学すると文書教育ギャップにショックを受けるという話から始まり、文書を書くルールを教育し、実践させ、身につけさせることの効果や、それに使われているテキストなどの話のまとめです。


この会話を読むと、書くルールを熟知することで読むことも正確になり、読み違えが減るばかりでなく、書き手のレベルを簡単に測れるようになることがよくわかります。アメリカの知識人というものが文書での考えのやり取りにどれほど優れるかが見て取れて、たいへん興味深いものでした。


さて、書き方を詳しく教える、ルールを教える、具体的に教えるとは、けっきょくどんなことをやっているのでしょうか。こうしたことを知らないで、日本の国語教育になになにを導入すればどうなる、みたいな議論をするのは無意味であるように思います。


このまとめに出てきた本の中に、英語文書の読み書きの基本がぎっしり詰まった、小学生向け(9歳以上向け)の名著、"Everything you need to know about English homework" があります。





実はこれ、いまは普通にアマゾンで買えるので、私も入手して使ってます。

(画像はアマゾンへのリンク)


この本にはジャーナル、レポートなどと並んでエッセイの書き方の章があります(Part 7. Practical Writingの3番目)。そして前回の日記『読書感想文の書き方と自由研究の書き方を公開します。 - はてなの鴨澤』で書いたように、日本の散文中心の自由作文は、エッセイの一種に分類されるものです。


彼我のエッセイの書き方の教育を比較することができれば、その狙いや教育効果の違いを想像しやすいように思います。ですから、この本は教科書ではありませんが、十分に伝わる具体的な例として、翻訳してお見せいたします。(p.103)





エッセイ

エッセイは個人的な意見を表明するものです。エッセイは、強く思うことがあることなら、どんなトピックやテーマで書いても構いません。あなたのエッセイは、学食の食べ物のクオリティについてだとか、あなたがサマーキャンプを大好きな理由について、あなたの感じていることを書くものであってよいのです。あなたの心をゆるがすものはどれもおそらくエッセイの優れたトピックになります。


効果的なエッセイを書くには、あなたの意見や考えをちゃんと書いて、読者がそれを理解できるようにする必要があります。食べ物が素晴らしいとか、キャンプはすごいとか言うだけでは十分ではありません。詳しいことを書くことであなたの意見を補強し、読者があなたの視点を理解するようにする必要があるのです。主張を通すには、引用、ユーモア、誇張と言った表現を使うことができます。

エッセイを書くには
  1. トピックを選ぶ。
  2. あなたの意見の要点のアウトラインを書く(アウトラインについては68-69ページ)。
  3. ざっとした下書きを書く。イントロダクションではエッセイのトピックとあなたの意見を定めましょう。本文ではトピックに関してあなたが感じることの理由を列挙し、あなたの意見をサポートする追加情報や経験があればそれも書きましょう。結論では本文に列挙した理由たちをまとめ、読者があなたの意見に賛同するよう説得しましょう。



ここまで本文。

右側の小さい囲み(上)

エッセイは4つのパーツでできています:

  1. タイトル
  2. イントロダクション
  3. 本文
  4. 結論

右側の小さい囲み(下)

エッセイのトピックは確実に手におえるものを選びましょう。つまり、「スポーツと子供」について書くよりは、「子供のスポーツでの勝利へのプレッシャー」について書くことを考えましょう。

下の囲み

What's the Point? エッセイのさまざまなタイプ

エッセイは長いものも短いものも、深刻なものも軽いものも、事実にのみ基づくものも個人の見解に基づくものもありえます。とはいうものの、ほとんどのエッセイは3つのカテゴリーに分かれます: 解説型、説得型、ユーモア型です。
 解説型エッセイは解説や記述をするもので、説明型エッセイまたは記述型エッセイとも呼ばれます。
 説得型エッセイは筆者の視点を受け入れさせようと、読者を説得し、納得させるように書かれるエッセイです。
 ユーモア型エッセイは解説型エッセイや説得型エッセイで、メッセージを実感してもらえるようにユーモアを使ったものです。





「エッセイ」の章はこの1ページだけです。ほとんどこれだけで、かなりの理解が得られるように書かれているのがわかると思います。


そして、ここで伝えられているのは具体的な手順だけでなく哲学であり、どういう範囲のものがエッセイであるか、どのような要素が必要で、それらにはどのような意味があるか、といったことも理解できるようになっていることがわかると思います。


このように、形而上的な哲学と形而下的な手順を組み合わせることで、深く理解して使いこなし、読みこなすことができるようになる…ということを、さまざまな定形の文においておこなっているわけです。


これはかなり強力な社会基盤であり、知的活動を非常によくサポートする仕組みとして、コミュニケーション効率を大きく向上させているように思います。


ちょっと話が脱線しますが、日本の知的階層は、明治以来ピラミッド的な構造を持ち、その頂点に教養の横溢した文芸評論家(小林秀雄的なもの)がいる、という構造を持っていました。それは文系社会のひとつの形だったわけです。


しかし現代において、そのような構造はほとんど意味を持ちません。専門分野は深く、頂点は数多く、すべてを見渡す教養、などといったものは期待できません。


現代は教養の優れない者が物ごとを決めるからいろいろなものがこぼれ落ちる、という議論もありますが、そもそも教養とはなんでしょうか。教養はセンスに近く、センスより少し「共有された知識体系」に近い言葉だと思いますが、そもそもセンスというのも知識の集まりであり、分野ごとに「教養の体系」「センスの体系」があるように思われます。

専門馬鹿でないものはただの馬鹿である(小平邦彦

の方がずっと正しい世界にわれわれは住んでいます。


これほど価値観が多様化し、専門化が進み、それぞれに豊富な教養を持っている社会では、「文化的多民族国家」となることは必然です。であるならば、自分たちの教養こそ正しい! といがみあうのは詮無いことでしょう。


そんなわけで、互いの送出するメッセージだけでも共通化してコミュニケーションを効率化するという、元祖多民族国家アメリカの方法が、ここにきて非常に役に立つようになっているのではないかと思っています。


みなさんはどのようにお考えでしょうか。

読書感想文の書き方と自由研究の書き方を公開します。

夏休みの宿題用にドキュメントライティングのパンフレットを作りましたので公開します。


これらは地域の教育ボランティア活動で小学生相手のワークショップをやるために書いたものです。日本風の「なんでも自由に書かせる教育」ではなく、アメリカの「文書による情報共有のできる教養人を作る教育」に則ったものになっています。形式を定めることで、逆に自由に書けることを狙っているものでもあります。

読書感想文の書きかた

『読書感想文の書きかた』は、もともとは穴埋め式の読書感想文シートを作ろうとしてできたものです。ネットにあるさまざまな「読書感想文の書き方」を参考に覗いてみたところ、「こうすれば賞が取れる」を目指す動きを感じたので、それは違うだろ、と思い、その後のドキュメントライティングに役立つように、オリジナルなものを書くことにしました。対象は低学年以上です。


読書感想文は日本特有の散文の作文の一種ですが、実用的なレポートと見ることも可能で、その本質はエッセイです。アメリカの文書教育ではエッセイも定型文の一種で、構成や書き方をそのように習います。こうしたことを、パラグラフの構造が定められているのと同じくらい自然な、共有可能な知識として知っているのは重要だと思います。


ですから、『読書感想文の書きかた』では構造を意識するように、イントロ、本文、結論(「はじめ」「なかみ」「おわり」)それぞれの意義をまず定め、読書感想文の場合はこのようにする、という形にしました。


3ページ目は穴埋めです。「はじめ」に穴埋めで本の情報を書き、本文は自由フォーマットでバラバラに書いて並び替え、結論は半分穴埋め、半分自由フォーマットにしてあります。最後に原稿用紙に写していけば完成、としましたが、このドリルのページはちょっとまだ不完全で使いにくいかもしれません。

自由研究は論文として書こう!

『自由研究は論文として書こう!』も、「文書による情報共有」や、その裏にある科学思想「知の自由競争」を意識してもらうように書きました。対象は主として、「自由研究をどのようにまとめていのかわからない」という、研究能力に比べてドキュメンテーション能力の低い小学生と、その親です。


こちらの文書でも、この「はじめ」「なかみ」「おわり」の形式を取っています。論文の「はじめ」はこれ、「なかみ」はこれ、「おわり」はこれ、という書き方です。それぞれの項目にはおおいに意味があり、量もまちまちで、穴埋めドリル的な方法では書ききれないので、文章と例文で項目を説明しています。また、再現性、これまでの知見と得られた知見の区別、引用方法なども意識できるようにしました。


読んだり使ったりしていただいて、フィードバックをいただければ幸いに思います。

百発百中の砲なぞで戦おうとしてはいけない

日露戦争終結時の連合艦隊解散の辞に、こういう一節がある:

武力なるものは艦船兵器等のみにあらすして之を活用する無形の実力に在り百發百中の一砲能く百發一中の敵砲百門に對抗し得るを覺らは我等軍人は主として武力を形而上に求めさるへからす

「武力とは船や兵器だけじゃなくこれを活用する無形の実力にあり、百発百中の砲一門は百発一中の敵砲百門に対抗しうることを自覚し、われわれ軍人は武力を主として形而上的なものとして求めるべきで、そうでなくてはならないのだ。」という意味である。


後年の帝国海軍の「月月火水木金金」といわれた猛訓練の精神的基礎となったこの言葉は、言わんとするところは理解できるものの、全体としては小学生でもわかるくらい間違ってる。百発百中の砲1門と百発一中の砲100門が撃ち合えば、味方の砲は1度の射撃で破壊され、敵の砲を1門破壊したとしても残りが99門もあって、戦力は1%しかダウンしない。完敗である。


これを知ったときは小学生だったので、一番強い動物はライオンか虎かと知りたがるがごとく、「じゃあ何門あったら勝てるんだろう」と思ったりしたものである。そして先日ちょっとこの話題が出たので、長年の疑問を解いてみようと思ってシミュレーションプログラム(末尾掲載)を書いてみた。


このプログラムは以下のようなロジックになっている:

  1. Cannonオブジェクトは命中率と門数(と名前)を持つ
  2. 1回射撃するごとに命中率*門数で的中数が出る
  3. 的中数を敵の数から引く
  4. 一方が0門以下になるまで続ける
  5. 0門以下になったら勝敗、結果が出るまでの射撃回数、勝者の残数がカウントされる
  6. 終わったら集計して率で表示

補給とか疲労とか士気とかは考えず、どちらかが全滅するまでひたすら撃ち合うだけだ。


それではまずは「百發百中の一砲能く百發一中の敵砲百門に對抗し得る」かどうか:

>>> rating(百発百中一門, 百発一中百門, 100)
[0.0, 0.0, 1.0, 1.56, 0.0, 98.44, 100]


結果の読み方は
[引分率, 前者勝率, 後者勝率, 平均射撃数, 前者平均残数, 後者平均残数, 試行回数]
である。つまりこの戦いは、

  • 100回戦って百発一中の砲100門が全勝
  • 平均1.56射で決着
  • 百発一中100門は平均1.56門の損害。

ということになる。まったく対抗しえないw


どれだけあれば勝てるのだろう。砲を増やしてみる。


百発一中の砲は100門のままで、百発百中の砲を2門にする:

>>> rating(百発百中二門, 百発一中百門, 100)
[0.0, 0.0, 1.0, 2.46, 0.0, 95.93, 100]


やはり百発一中側が完勝。でも2.46回撃ち合って4門くらい損害が出るようになった。


3門:

>>> rating(百発百中三門, 百発一中百門, 100)
[0.0, 0.0, 1.0, 3.22, 0.0, 92.78, 100]


百発一中がやはり完勝だけど、3回ちょっと撃ち合える。一中の損害も8門くらい。


4門5門6門までだいたい同じ傾向だけど、7門で変化が出る:

>>> rating(百発百中七門, 百発一中百門, 100)
[0.0, 0.02, 0.98, 11.25, 0.06, 58.09, 100]


なんと、この段階でもう百発百中の砲が2勝してる。平均的には全滅するが、百発一中側も40門も死ぬ。


8門:

>>> rating(百発百中八門, 百発一中百門, 100)
[0.0, 0.19, 0.81, 13.46, 0.63, 42.95, 100]


2割くらい勝つようになり、1門近く生き残る。
「この戦いで我々はほとんど死ぬが、誰かはきっと生き残る。」
という感じだが、2割の勝利のときに平均5門くらいが生き残るんだと思う。


9門:

>>> rating(百発百中九門, 百発一中百門, 100)
[0.0, 0.27, 0.73, 13.78, 1.04, 36.48, 100]


2割7分の勝利。生残率は文字通り「九死に一生を得る」という状態。


10門:

>>> rating(百発百中十門, 百発一中百門, 100)
[0.0, 0.52, 0.48, 14.9, 2.7, 19.11, 100]


突然勝率が5割を超える。生き残りも3割近い。偶然かな? と何度か繰り返してみたところで、普通に試行数を上げればいいのに気づく。100倍の試行数にしてみよう。

>>> rating(百発百中十門, 百発一中百門, 10000)
[0.0002, 0.5365, 0.4633, 15.0892, 2.6123, 18.8742, 10000]


勝率は54%弱らしい。10人中7、8人ほど死んでしまうが、相手を平均80人殺しているので「大戦果だ」と言うかもしれない。


11門になると、かなり勝つ:

>>> rating(百発百中十一門, 百発一中百門, 10000)
[0.0002, 0.747, 0.2528, 14.3739, 4.3114, 9.2199, 10000]


7割5分。平均射撃回数が減ってる。ただし注意してほしいのは、ここまで来ても生残数は半分以下なのである。


12門:

>>> rating(百発百中十二門, 百発一中百門, 10000)
[0.0001, 0.8818, 0.1181, 12.8034, 6.1041, 3.8431, 10000]


9割近く勝てるようになって、ようやく半分以上が生き残るようになった。


…しかし、もちろん米軍は素人でも勝てる作戦をやってくるものである:

>>> rating(百発百中十二門, 百発一中千門, 10000)
[0.0, 0.0, 1.0, 1.7185, 0.0, 985.4562, 10000]


1000門もあれば1:100だった時と変わらず、すばやく掃除されてしまう。


百発百中の砲を練りに練って投入しても、数が少なければすぐに消耗してしまうのに対し、下手くそでも数を十分に揃えれば損害も少ない。


がんばりすぎればリスクが上がるばかりだという感じ。


人間の脳には、新しいものを得るよりも、いまあるものを完璧にすることを選んでしまうバイアスがあるが、軍隊でこれをやるのはヤバい、ということがわかる。


単純なシミュレーションだが、子供の頃からの疑問が解けたばかりか、意外なほどいろいろなことがわかった。たいへん満足である。


cannon.py

#!/usr/bin/env python3.4

import random

class Cannon:
  """cannons with accuracy"""
  def __init__(self, accuracy, num_of_fire, name):
    self.accuracy = accuracy
    self.fire = num_of_fire
    self.name = name

def shoot(cannon, num_of_fire):
  hits=0
  for i in range(num_of_fire):
    if (cannon.accuracy >= random.random()) : hits += 1
  return hits

def battle(a, b):
  _numA = _fireA = a.fire
  _numB = _fireB = b.fire
  shots = 0
  while (_numA > 0 and _numB > 0):
    _numA = _numA - shoot(b, _fireB)
    _numB = _numB - shoot(a, _fireA)
    shots += 1
    _fireA = _numA
    _fireB = _numB
  winner = 0
  if (_numA > 0): winner = 1
  elif (_numB > 0): winner = -1
  return winner, shots, _numA, _numB

def fieldtest(a, b, rep=100):
  results = []
  battles = 1
  while(battles <= rep):
    results.append(battle(a, b))
    battles += 1
  return results


def rating(a, b, rep=1000):
  results = [[0,0,0], 0, 0, 0]
  for win, shots, remA, remB in fieldtest(a, b, rep):
    if (remA <= 0): remA = 0
    if (remB <= 0): remB = 0
    results[0][win] += 1
    results[1] += shots
    results[2] += remA
    results[3] += remB
  result=[ numwin / rep for numwin in results[0]]
  result.extend([ elem / rep for elem in results[1:]])
  result.append(rep)
  return result

エロと自由のこと

少年漫画のエロ表現について議論になってるようなんだけど、なんか違うよなあ…と思うことが多いので箇条書きでメモしとく。

エロと自由について

  • 歴史的にはエロ表現は自由の側にあった。エロの規制は常に人間の自由を認めない権力側によりおこなわれてきたし、額縁ショーに始まるその解禁は戦後の開放の象徴。
  • マンガ表現としても、『ハレンチ学園』などのように、少年漫画だしエロいけどこれはOKである、というコンセンサスのできているものも多い(当時は問題とされたものの、議論がなされたため)。
  • ところが現代日本ではエロの氾濫はむしろ文明への逆行のように捉えられており、表現規制派としてまとめられる人の中に人権派が混じってる(これはこの問題をわかりにくくしている要素)。

女性と自由について

  • なぜ人権や文明を望む人たちがエロに反対するようになったかといえば、エロの開放は主として成人男性向けの自由であり、女性にはしばしば抑圧として働くから。
  • 日本人女性とちゃんと話すと、少女・幼女期に「いたずら」を受けたことがない女性は居ないのではないか、という認識にぶつかることがしばしばある。これは庶民からエリート層までだいたい同じで、何も考えずにすくすく育った男としては戦慄せざるを得ないし、男性側の認識を改める必要があると感じる。
  • 彼女たちのエロを見ない権利、晒されない権利、ひいては情報摂取に主体性を持つ権利を侵害していることに、エロ=自由という荒い認識は無頓着。
  • 根本的に重要なのはすべての人間の主体性。男も女も大人も子供も全部人間で、全員の主体性の尊重を目指すべき。
  • エロに限らず問題があると感じる作品も多い。女子を都合のいいオブジェクトとして隷属させ、それを「当たり前の前提」とするもの。ほんとに多い。
  • ああいうファンタジーって単純にリアリティが無くて読む気がしないんだけど、あらゆる分野に出てきて気持ち悪い。
  • が、そういう作品も排除せずに住み分けるべき。
  • だから、表現の自由と女性が主体的に生きる自由を両立させるためには(つまり人間全部が主体的に生きる自由を得るには)、けっきょくゾーニングが必要である感じ。

規制と住み分けについて

  • 日本の少年漫画はゾーニングの「子供側」にあるにもかかわらず、実はやろうと思えばいくらでもエロ表現ができる。世間で問題になると消えるが、それ以外の時期のデフォルト状態はフリーハンド。
  • これではゾーニングの意味がないようだが、実績的にはエロ表現に理があることもある(たとえば上述『ハレンチ学園』の強烈な風刺と文学性)。
  • ゾーニングが無力化されているならば、少年誌の編集長には高い見識が必要。ゲートキーパーの役割を担い、自分の基準を明らかにして、これに照らし合わせてOKである、と説明できるべき。
  • 自主的なゾーニングゲートキーパーも機能しないようであれば、最大多数の主体性のために、つまり公共の福祉のために、規制が必要になる。
  • これは規制好きの保守層と人権の擁護者が抑圧のために手を組む、という「自由の側が負け」の状況である。
  • 重要なのは、とにかく人間の主体性の尊重で、常にここに立ち戻ってほしい。その実装手段としての表現規制は、やはり妥当性を欠くように思う。
  • エロだからダメ、表現の自由だからOK、というすれ違った二元論は、やはり議論が荒すぎる。
  • 外形基準がそぐわないと認識するなら、主体的な基準の提示を避けてはならない。
  • ゾーニングの「子供側」でエロ表現をおこなうにしては、出版側が人間性に無神経で無頓着で説明責任も果たしてない、というのが現状であるように思う。


民主主義って、自分らで制度を作って運用してナンボだと思うんだよね。自分らの好きなものを守りたいなら、逆に自分らで住み分けの枠組みを作って自分らで運用すべきなんじゃないのかね。

天才ブレインダンプ

小林秀雄の『モオツアルト』に引用されてるモーツァルトの有名な手紙がある。*1

それは、たとへどんなに長いものであらうとも、私の頭の中で実際に殆ど完成される。私は、丁度美しい一幅の絵或は麗わしい人でも見る様に、心のうちで、一目でそれを見渡します。後になれば、無論次々に順を追うて現れるものですが、想像の中では、さういう具合には現れず、まるで凡てのものが皆一緒になって聞えるのです。

― いったん、かうして出来上って了ふと、もう私は容易に忘れませぬ、といふ事こそ神様が私に賜った最上の才能でせう。だから、後で書く段になれば、脳髄といふ袋の中から、今申し上げた様にして蒐集したものを取り出して来るだけです。― 周囲で何事が起らうとも、私は構はず書けますし、また書きながら、鶏の話家鴨の話、或はかれこれ人の噂などして興ずる事も出来ます。


天才の強烈さを感じる。複雑な曲が天から降りてきて、出来上がったものが一瞬で一望できて、しかもそれをまったく忘れない。完全に記憶して五線譜の上に書きつけるだけ。この恐ろしいまでの能力はなんなのか。


モーツァルトの発想で「これは新しいな」と思ったのは、着想して発展させる能力と、それを繋ぎ止める能力を別々に認識しており、大事なのは繋ぎ止める能力の方である、と考えてるところだ。


オレの場合、着想と発展の方にばかり着目し、自分はそこそこ優れてるはずと思っていたのだが、何か書こうとすると思ったようには書けないし、それが普通なのだろうと諦めていたところがある。最終イメージはかろうじて見えるが、細部を見ていくうちに途中の部分を猛烈に忘れる。あれこれをいじりまわしに掛かってしまうと全体像は霧のように消え失せる。メモをがんばっても、後から見たら何のことやらさっぱりわからない。


圧倒的に不足していたのは、思考を繋ぎとめる方の能力であった。これを読んで、ようやく気付かされたのである。


以来、思考の記憶と記録というものにかなり意識が向くようになった。


折に触れて考えたり振り返ったりしてるうちにわかったことのひとつに、人間が現状持つ記録手段は非常に未熟で、頭の中のことをちゃんと書いておくことができない、というのがある。これは発想の記憶の不完全性とは別の、記憶を助ける道具そのものが未熟である、という話である。


このあいだトンボ玉作家の彩元堂と頭を回すにはどうするかという話になって、自分の実感としてはやはり三上は素晴らしいものがあると思う、という話をした。これは十一世紀中国の欧陽脩(トンポーローの蘇東坡の登用者)の言葉で、馬上・枕上・厠上、すなわち乗り物、布団の中、トイレでよいことを思いつくという観察である。


自分の場合は散歩が特によいようだ、これは馬上にあたり、というところまで話すと、彩元堂は、それは記録が取れないから駄目だという。いやいやそれは過去の話だろう、いまは音声入力が本当に素晴らしいから、と実演までしてみせたけど、それはたしかに素晴らしいけど自分には使えない、と彼はいう。


理由を問うと、彼の記録しておきたい着想や思考とは、すなわちガラスの加工についてのものであり、なるほどこれは言葉では表現できないものだった。この部品を玉の中でこう伸ばすには、このくらいの温度にしてからこの角度、この強さで突っ込んで、その後こちらにこう伸ばせばうまくいくのではないか。などという感覚的な「思考」を、メモ書きも音声入力もキャプチャできないのだ。


自分の場合、考えたことを言語化して出力すれば結構キャプチャできるから音声入力は福音だと思っていたけど、こうした概念的な思考についても、よく考えてみると本当にはキャプチャできてない。本当は言葉では考えてないからだ。


言葉ではなく何で考えているかといえば、概念の構造体のようなもので考えている。あれを持ってきてこれを持ってきて、あっちとこっちを繋げ、さらに別のあれを取り入れ、別分野の似た概念と同じ形にしてみて…こうした個々の操作は一瞬で行われる。いじりまわしているうちに、ものごとのわかったりわからなかったりが実感できてくる。出来上がった概念は目に見えるかのようだが、これを言葉として取り出すうちに、いろいろなものが落ちている。途中もあまり保存されない。出力が追いつかないのだ。


考えついたと信じたものを言葉として取り出してみたとき、それが総体として思考をよく表現できていると感じることは、ほとんどない。表現物は、考えたものからずれたところに、ちょっと違った形であらわれる。取り出すときに予想外の方向に大きくずれて、手触りまでが元と違ってしまうこともしばしばある。たまに頭の中より面白いものができるけど、そういうことは稀で、たいていは舌っ足らずな方向に、説明不足でよくわからないものとして表現される。考えたことを漏らさず忘れず書きつけられたなら、もうちょっとマシなものが書けそうに思う。


音楽の着想が技術の発展により録音という形で(それでも逐次的にでありモーツァルトの頭のなかに完成するすべてが眺められる形ではないが)キャプチャされるようなったように、こうした脳内概念の構造体も、将来的にはよりよくキャプチャされるようになっていくのではないか。スマホ時代になって、知的生産ツールは昔からすれば夢のようなレベルに達しているのだけど、これらは実は音楽におけるエジソンのレコードあたりに相当するのではなかろうか。


*2

*1:小林秀雄全集 第八巻 無常といふこと・モオツァルト pp.77-78 1967 新潮社

*2:ところで、頭の中身がそのまま取り出せて、そのまま戻せるようになり、しかも他の人のものも摂取できたら、それってテレパシーだよね。知的生産ツールが消費ツールに化ける現象はパソコンからタブレット/スマホの発展でも起きたことだけど、これが起きたら天才の発想をたくさん買ってきて楽しめそうである…。

変化を受け入れるくらいなら死んでやるというわれわれの心を野放しに

しておいていいのか。(ここまでタイトル)



今日は小学校の読み聞かせボランティアに行ってきた。慰霊の日の1週間前なので平和に関するものを読めとの指定があったので、6年生に向け、沖縄戦の流れを説明しながら『沖縄シュガーローフの戦い―米海兵隊地獄の7日間』の一部を読むことにした。米軍が血みどろで戦い、キャラの立った人がすぐに死ぬこの辛いドキュメンタリーを、さらに蹂躙されていく日本側の視点を混じえながら読んだ。


読んだ後、他のボランティアの方々(多くは沖縄の普通の主婦)とお喋りしたところ、沖縄戦の悲惨さはよく知っていながら、それがなぜ、どのように、どんな背景で起きたか、ほとんど知らない方が多いことがわかった。なぜアメリカが沖縄に来たかすら、多くの方は知らないのである。


それで、自分の知ってる限りのことを、なるべく全体像が分かるように話してみた。日本がなぜアメリカと戦争になったか、それはどの程度避けられなかったのか、その前段階ではどのようなことが起きていたか。そうした大きな背景については加藤陽子戦争まで』の知識により、また、なぜ沖縄に来たかについては、日本の戦争上の動機や軍の展開状況、米軍の島伝いの北上、基地確保といった視点から解説した。


沖縄戦そのものの経緯も、みなさんびっくりするほど知らなかった。南部でひどいことが起きたのは知ってるし、ここ宜野湾市のあたりが激戦地であったことも知っているのに、激戦と南部の悲劇がどのように繋がっているのかはわからないという。宜野「湾」全体に上陸したんですよ、と言ったところ、ああ、それでみんな南部に行ったの、と初めてわかるのだ。


島の中央部に上陸されて南北に分断され、首里に向けて攻められた沖縄戦ではあるが、実はこれは日本側の守備部隊、大日本帝国陸軍第32軍の防衛計画に近い線の推移だ。宜野湾から与那原、首里にかけての小高い丘は、すべて残らず要塞化されており、日本軍はごくわずかながら望みのあるいくさを組織的に戦っていた。


問題は、首里まで兵を進められ、ゲームオーバーになってからである。


準備のできている場所で、日本軍としては例外的なほど充実した砲兵戦力を背景に、それでも圧倒的な米軍に対して2ヶ月間の徹底的な抵抗をおこなった結果、兵力は損耗し、防御陣は奪われ、城下に敵を見て、これ以上はどうやったって勝つ望みがない。という状態になったのが首里が落ちようとする5月下旬である。


しかし日本軍は降伏を選ばなかった。南部に撤退し、不十分な陣地に籠り、蹂躙され殺されるという義務を果たすかのように、部隊は全滅していった。さらに米軍が島の最南端まで侵攻し、戦闘能力をほとんど喪失しても、それでも日本軍は降伏だけはせずに逃げ回ることを選んだのだ。住民を強制的に巻き込んで。


南部への撤退とその後の嫌がらせのような行動は、本土決戦のために時間を稼ぐという名目をもっていたが、大本営に本土決戦での勝利のビジョンがあるわけではもちろんない。援軍が来ることもありえない。南部への撤退そのものが、ただの決断の先延ばしであり、犠牲者は完全な無駄死にだった。そして、住民の犠牲者のきわめて多くが、この南部の戦闘で出ているのだ。


慰霊の日が6月23日である根拠は、この日に日本軍の組織的抵抗が完全に不可能になり、総司令官牛島満中将が自決したことにある。しかし前述したように、きちんと準備された意味のある抵抗は、首里撤退の時点で終わっている。6月23日以前も以後も、互いに連絡のつかない日本軍は、虱潰しに殺されていただけだ。6月23日以前には拠点らしい拠点がまだ存在していた、というだけのことである。


逃げ回りと掃討の戦闘は8月15日を超え、9月まで続いたが、これは32軍司令部が正式な降伏をおこなわないまま、抵抗せよという命令を生かしたままで勝手に自決・消滅してしまったからである。末端は命令違反・軍法会議・死刑を避けるためには戦い続けるよりしかたがない。そして米軍は掃討を続けるよりしかたがない。


抵抗する能力があるわけでもなく逃げ回り、掃討戦にかかれば死に、生き続けるうちは現地で「自活」するというパターンは南方でも繰り返されていたことだが(『虜人日記』などに詳しい)、これはその戦闘地域にとてつもない負担を与える。土地の収容能力をはるかに越えて、大人の男が大量に導入されるのだから当然のことだ。


こうした負担を防ぐという視点で見れば、たとえ現地司令部が全滅しても、残った者を降伏・解放させる能力と義務が大本営にはあるはずである。しかし「全滅」した部隊を、軍は顧みない。というか、無視し、忘却しようとする。そしてこれを「日本国民」の住む地域でおこなったのが沖縄戦なのである。


戦闘の無責任な推移を見ても、またこうした無責任な放棄をみても、「沖縄は捨てられた」という一見感情的な物言いは、単なる事実でしかない。第32軍は5月に正式に降伏すべきだったし、そうであれば、沖縄の人が現在に至るまで強烈な不信感を持ち、何かあるたびにこれほどまでに怒り続ける、といったことはなかっただろう。


本当のことを言えば、捨てられたのは沖縄だけではない。そもそも昭和19年サイパン失陥で、日本には何の望みもなくなっていた。石油を依存する南方への海路が断たれ、本州全域が爆撃機の行動圏に入れられ、台湾や中国大陸との連絡も危ないという状態で、どうやって継戦しようというのか。


後知恵で見れば明らかであるが、また当時の近衛公の日記などを見ても明らかであったようだが、この時点で日本は降伏すべきだったのである。爆撃による死者、南方の餓死者、満州引き上げの死者など、日本の太平洋戦争での犠牲者の過半は、これより後に出ているのだ。


もちろん、そもそも論を言えば、アメリカと戦って勝てるはずがない。しかし開戦時には国民の大部分が大いに喜び、これに賛成していたことが当時のものを読むとわかる。だから日米開戦を国民の意思だと考えることは可能ではあるのだ。しかしそうであったとしても、絶対に勝つ望み無く虐殺されるだけの前途が決まった時点で、それを望んでいたものがあるだろうか。


昭和19年夏以降の犠牲者は、その全員が国のトップの無責任な先延ばしによる被害者であるといってよい。我々は細かいところだけを見つめて全体を見ることを拒否し、出さなくてもいい犠牲を出しやすい国民性を持っているが、そのような「自然な」「自由な」甘いやり方を、はたして指導者層にまで許してよいものであろうか。


国民が感情的で愚かな判断をすることは世界の歴史を見れば少なくない。というか、ごく普通の、あたりまえのことである。しかし、近代以降の西欧文明型議会制民主主義国で、それを指導者層にまで許している「おもんばかり」の「オカミの顔色をうかがう」「死ぬまで付き合う」国民が、日本人以外にあるだろうか。


自分たちがどのような社会的志向性を持ち、それがどのような危険を持っているのかということについて、われわれは常に個人的に注意し、自分の目が歪んでいないか、よく気を付けておく必要がある。「心からの判断」が、社会により、空気によって曲げられている状態を看過することは、われわれの人間としての矜持を、著しく傷つけるからである。

日本の国民性は知識の体系を拒絶する

レッドブルエアレースが開催されているようで、東京湾岸をゼロ戦が飛んでた!という話があちこちから聞こえる。あれはP&W WASPを積んでてオリジナルの栄エンジンではないという会話もある。実のところ、栄はWASPから発達したエンジンであり、日本人は自分で作ってみながら足したり引いたりしただけである。


日本のオリジナル技術です! とかいうものは、はるか後の時代になっても、「海外の研究が得た原理を使い、自分らで製造できるようになり、自分らで発達させた部分が大きくなったからオリジナルと言い張ったもの」がすごく多い。海外の技術だってそうではないかと言えば言えるのだけど、原理から現在の技術までのつながりがどれだけ可視化(公開)されており、学ぶことができるようになっているかという点で大差がある。日本にオリジナルの研究がないわけではまったくないが、オリジナリティは単発的に生じるのみで、体系化ということを知らないのだ。


小松真一『虜人日記(http://amzn.to/2qNTXET)』に「日本人が米人に比べ優れている点」という文章がある。(2004. ちくま学芸文庫 pp. 336-338)

長いストッケード生活を通じ、日本人の欠点ばかり目につきだした。総力戦で負けても米人より何か優れている点はないかと考えてみた。面、体格、皆だめだ。ただ、計算能力、暗算能力、手先の器用さは優れていて彼らの遠く及ばないところだ。他には勘が良いこともあるが、これだけで戦争に勝つのは無理だろう。日本の技術が優れていると言われていたが、これを検討してみると、製品の歩留まりを上げるとか、物を精製する技術に優れたものもあったようだが、米国では資源が豊富なので製品の歩留まりなど悪くても大勢に影響なく、為に米国技術者はその面に精力を使わず、新しい研究に力を入れていた。ただ技術の一断面を見ると日本が優れていると思うことがあるが、総体的に見れば彼らの方が優れている。日本人は、ただ一部分の優秀に酔って日本の技術は世界一だと思い上がっていただけなのだ。小利口者は大局を見誤るの例そのままだ。


このへんを読んでいると、ジャパン・アズ・ナンバーワンでうかれてた80年代もけっきょく一緒だったよなあ、と思う。日本の半導体企業はDRAMの歩留まりを上げる技術一本槍でアメリカ企業をほとんど全滅させたけど、強固な技術体系の根が残って新しいものが生え、けっきょくこちらが全滅することになった。


日本にオリジナルなものがないということはまったくない。本質的なオリジナリティがなければどうにもならない数学分野に世界レベルの凄い人が伝統的にたくさんいるくらいである。ただ、点で生まれるオリジナルな発想を体系化して線にし、誰でも使えるようにしてから面で発展させる。ということが本当にできない。江戸時代などを見ても、和算関孝和などに真のオリジナルな発想があって、これは西洋の数学に比べてもXX年進んでいた、みたいなことを言われることがあるけど、単発で終わって、現代数学に関の痕跡など残されていない。


基本的に日本の社会には、庶民から為政者まで、「その場の正解」にのみ拘泥して知識体系を軽蔑するところがある。専門家を軽視し、髪型だの所作の奇矯さだののくだらない揚げ足取りに終始し、その専門性に正面から向かい合うことができない。向かい合わないから尊重すらできない。尊重し、言うことに耳を傾け、制度を動かすといったことができなければ、本人が去ることですべては崩れ去る。システムで戦うことはできず、世代が替われば一からやり直しになる。これが日本社会の属人性といわれるものの正体である。


人間を自由にしていけば必然的にたどり着く個人主義というものを前提に、制度を家のように作り上げ、その中に住む。自由な発想で全力を出せば、それが全体の力になる。これがルネッサンス以来の世界の文明の方向性であり、人類は実際にそのように発達してきた。基本的に、システムが個人をサポートすることばかり考えてるといっていい。それ以外の方法は、なにより個人個人の支持が得られないことにより、廃滅しつつあるのだ。


実のところ、自由競争を長いことやっておれば、人間はこの「知の自由競争」の発想にたどりつかざるをえない。中国のような国ですら、草の根から「科学化」しつつあるのはこのためである。日本がそうならなかったのは、上記のような国民性を別にして経済的な力関係という直接的な原因から見れば、おそらく規制産業が圧倒的に強力なままだったからである。中国は発展のために役人支配を緩めたが、日本は緩めなかったというか、現在に至るまで単調増加でそれを強めつつある。その罪深さを感じざるをえない。


自分たちの文化から、科学のような「体系を生み出す体系」を発明できていれば、あるいはこんなにこじらすことはなかったかもしれない。しかしながら、この体系、すなわち科学という方法論は、けっきょく世界中で西欧文明の切磋琢磨でしか生まれなかったものである。そしてまた同時に科学というプロセスは、すなわち、記録し、自由に討論し、人間ではなく知識を磨き上げていくという発想は、誰が考えても同じような形に落ち着くように思う。コロンブスの卵みたいなもので、考え付けなかったからといって恥じることはない。取り入れさえすればいいのだ。


こうした体系を学ぶことを拒否し、個人の技芸に頼り、「自然な発想で統治」とかしてる我々は、方法論的に原始人となんら変わるところがない。長い不況の出口は科学化の方向にあったが、それがどうしても見えず、というか本気では探さずに、いまや昔の局所最適に戻すことで生きのびようとしている。


この国にはこの先にも希望がないのだ。